第8話 新たな日々

「ふぅ……さっぱりした」


 ――サラがラカージュの地に足を踏み入れてから、もう十日近く経つ。

 サラはセレスティア城から月影邸へと拠点を移し、殺め姫として必要な知識を身につけ、アヤカシと戦う術を学ぶ日々を送っていた。


 環境に順応していくと、おのずとある程度のルーティンワークが出来上がってくる。

 サラの場合、早朝のランニングがそれに当たる。


(中学、高校と運動部だったから、それなりに体力には自信があったんだけど……)


 去年の夏に部活を引退し、運動量が格段に減ったからだろう。初めて護身術の基礎を習った後、へとへとに疲れ果ててしまったのだ。

 これから命のやり取りをしなければならない身の上なのに、これではいけないと危機感を覚え、自主的に体力作りに励んでいるのだ。


 自室に備え付けの浴室でシャワーを浴びて汗を流し、クラリーチェが用意してくれた服を着て、丁寧にかした濡れ髪をドライヤーで乾かす。

 乾いた髪をもう一度ブラッシングすると、クラリーチェが待機している部屋に戻る。


「まぁ……姫さま、本日のお召し物もよくお似合いですよ」


 戻ってきて早々の賛辞に、サラは照れ笑いを浮かべる。


 今日は白いブラウスにエメラルドとゴールドのループタイを締め、プルシャンブルーのロングスカートと黒いタイツを身に着け、靴はストラップ付きの黒いフラットシューズが選ばれた。


 ラカージュに召喚された翌日、ここにいる間はずっとドレスを着ていなければならないのかとクラリーチェに確かめたところ、普段は皆、服装は自由なのだという。騎士の中には、パーカーを好んで着る人もいるという話だ。


 ただ、サラが初めてこの地を踏んだ日のように正装を求められる時もあるから、慣れる必要はあるものの、毎日着なくても良いということで落ち着いたのだ。


 だから、レイラによる淑女としてのマナーを学ぶ日ではない今日は、比較的動きやすく、サラにも馴染みのある服を用意してもらったのだ。

 しかし、サラからしてみれば、この組み合わせも充分深層の令嬢めいており、着ていて面映おもはゆい気持ちにさせられる。


「姫さま、髪型はどうなさいますか?」


 サラがドレッサーの前に腰かけるのとほぼ同時にそう問われ、鏡越しにクラリーチェを一瞥する。


「今日も、リーチェにお任せするよ」


「かしこまりました」


 何日も身の回りの世話をされていたら、互いに自然と打ち解けていく。

 すっかりクラリーチェと仲良くなったサラは、大人しく髪の手入れをしてもらう。


 クラリーチェは自動人形オートマタとは到底思えない柔らかな手つきで栗色の髪をいてから、ヘアコロンを吹きかける。それから、再び丹念にブラッシングすると、慣れた手つきでハーフアップにしてくれた。


「姫さま。髪飾りには黒いベルベットのリボンを使おうと思うのですが、いかがでしょうか」


「色はそれで良いと思うけど……子供っぽく見えないかな?」


 ただでさえ、サラの顔は実年齢よりも幼く見えるのだ。

 最近では憧れの存在になりつつあるレイラを思い浮かべて悩んでいたら、クラリーチェがくすりと笑みを零した。


「レイラ姫さまも、リボンを使う時がございますよ」


「そうなの?」


「ええ。サラ姫さまの前では格好つけたいのか、シンプルで大人びたアクセサリーしかお使いになりませんけれど……シャノン姫さまも、よく使っておりますわ」


 不意に出てきた先代の殺め姫の名に、思わず肩がぴくりと跳ね上がる。

 でも、クラリーチェはサラの反応に気づかなかったのか、手際よく結び目に黒いリボンを飾りつけていく。


「あ……あの、リーチェ」


「はい」


「その……シャノン姫さまって、どんな方なの?」


 クラリーチェの元々の主は、シュウだ。

 だが、自動人形でありつつも人間みたいな感性を持つクラリーチェならば、たとえ自分が仕えていた相手ではなくても、誰よりもその人の的確な情報を提供してくれる気がする。


「そうですね……わかりやすく説明するならば、アンナさまによく似た方ですよ」


「お母さんに?」


 漠然とレイラみたいな人物像を思い浮かべていたから、予想外の返答に目を丸くする。


「アンナさまとシャノン姫さまは、叔母と姪の関係ですから、似ていらしても不思議ではありませんけれど、まさかあそこまでそっくりだとは思いませんでしたわ」


「そんなに似てるの?」


「ええ、見た目もそっくりですが……特に、雰囲気がよく似ておいでですよ」


「そう……なんだ……」


「ええ。ですから、もしシャノン姫さまとお会いする機会がありましたら、ぜひ仲良くしてやってくださいませ」


 ちょうどサラの髪型が綺麗に整えられたところで、ぱっと背後を振り返れば、クラリーチェに穏やかに微笑みかけられた。


「姫さまが殺め姫さまになった経緯が経緯ですから、心中お察ししますけれど……シャノン姫さまは、サラ姫さまのことを少しも恨んでなどおりませんでしたよ。むしろ、ひどく会いたがっておりました。シャノン姫さまは閉鎖的な環境で育ちましたので、歳が近い同性の友人はレイラ姫さましかおりませんでしたから」


「……うん」


 シャノンがサラのことをどう思っているのか、クラリーチェの言う通りなのかは、現時点ではわからない。

 しかし、少しでも望みがあるのであれば、サラだって味方になってくれそうな同性の友達が欲しい。


(そういえば……わたしとシャノン姫さまは一応、従姉妹いとこ同士になるんだ……)


 血の繋がりはないため、あくまで表向きではあるものの、これまで両親以外の親族の存在すら知らなかったサラからしてみると、不思議な心地にさせられる。


(マリアさまも親戚だけど……取っ付きにくいし……)


 伯母であるマリアは、クローンの姪を余程気味悪く思ったのか、サラが月影邸に移ったその日のうちに、重傷を負った娘が療養している地上の別荘に戻ったのだという。

 だから今、この洋館にはサラと使用人の役割を果たす自動人形しかいない。


「……そういえば、お父さんとお母さんは、まだ取り調べを受けてるの?」


 母の名が出たついでに、さりげなさを装って問う。


 玉座の間で顔を合わせたあの日以来、両親はセレスティア城の塔の一室に軟禁され、どうやってサラを授かったのか、どうしてラカージュから逃亡したのかと、改めて尋問を受けているのだと聞かされている。


 両親に対して複雑な想いを未だに抱えているものの、ひどい目に遭って欲しいわけではない。

 特に、父とはここに来てから結局一度も会えていないからか、余計に不安が募る。


 鏡面に視線を戻せば、わかりやすく表情を曇らせた自分自身と目が合った。


「大丈夫ですよ」


 クラリーチェはリボンの形を整えながら、鏡越しに再度柔らかく微笑みかけてくれた。


「守秘義務が課せられておりますので、内容までは存じ上げませんが、お二人は素直に質問に答えているそうですよ。ですから、姫さまが心配なさるようなことにはなっていないはずです」


「そう……よかった……」


 クラリーチェの返事に、ほっと安堵の吐息を零す。


 玉座の間では母は正直にサラの正体を打ち明けてくれたが、負けん気の強さが滲み出た言動も目の当たりにしたのだ。対応次第では頑なに口を閉ざすかもしれないし、もし母がそんな態度を取っていたら、愛妻家の父も黙秘権を行使する恐れがある。


 でも、サラが想定していたような事態にはなっていないみたいで、心の底からよかったと思う。


 かぶりを振って気持ちを切り替えると、クラリーチェに椅子を引いてもらってから立ち上がり、くるりと自動人形へと振り向く。


「ところで、リーチェ。今日の朝ごはんは?」


 サラは起きてすぐに月影邸の敷地一帯である浮島をぐるりと一周し、走り込んできたため、そろそろ腹の虫が切ない声を上げそうなくらいには、空腹なのだ。


「本日の朝食のメニューは、アールグレイの茶葉を練り込んだスコーンにグリーンサラダ、プレーンオムレツ、コーンポタージュですわ。食後の紅茶には、姫さまお気に入りのミックスベリーのフレーバーティーを、デザートにはカットしたブラッドオレンジをお出しする予定です」


 期待以上の品揃えを聞いているだけで、よだれが出そうだ。


「……うん! 今日もしっかりごはんを食べて、一日頑張ります!」


 まったくもって姫らしくない宣言だと重々承知しつつも、そうやって自分に活を入れて今日という一日がまた始まった。



    ***



「今日は……シュウと月影・日影・風見一族の家系図を見ながら、歴史の勉強をする日か」


 大変美味で見た目も麗しい朝食を思う存分堪能した後、自室に戻ってシュウ特製のスケジュール表を見て確認を行う。

 格闘術や武器の扱い方はシュウに教わり、淑女としてのマナーはレイラから指導を受け、座学は二人が分担して見てくれている。


 昨日は受け身を取る練習と称し、シュウに散々投げ飛ばされたから、今日は室内で講義を受ける日でよかった。


 その時、屋敷のインターホンが鳴る音が微かに聞こえてきた。

 シュウが来たのだと思い、クラリーチェが呼びに来る前に、自室を出て玄関ホールに向かうために扇状の階段を足取り軽く降りていく。


 だが、サラの予想を大いに裏切り、玄関ホールに現れたのはシュウに似ても似つかない騎士だった。


 丁寧に整えられたダークブロンドに、優しそうな印象を受けるジャスパーグリーンの双眸がよく似合う、甘い顔立ち。


 瞳の色と同じ色合いのワイシャツにアイボリーのベスト、スカイグレーのスラックス、つやが出るほどよく磨かれたダークブラウンの革靴という組み合わせは、どこか大学院生を彷彿とさせた。


「――やあ、こうして顔を合わせて話すのは初めてだね。サラ姫さま」


 そう告げて柔和に微笑みかけてきたのは、サラがまだ名も知らない騎士だった。

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