Vol.4 ~迷宮に刻まれし眠詠~

第1章 東方へ!新たな旅の始まり?

1-1 レフィガーの実家



 今日も、どこか心地の良い朝だった。



――昨夜、荷物をまとめながら思ったことがある。

 セグメントってのは、騒がしくも穏やかで、どこか子どもじみた笑い声が似合う街だ。


 でも――やっぱり、俺は“旅に出たくなる性分”なんだよな。



 久々に帰ってきたセグメントでは、ガルおじさんの頼みで神殿騎士団と軽く手合わせしたり、

 懐かしい空気の中で、のんびりした時間を過ごしていた。



 けれど――どこか静けさに馴染みきれないまま、

 新しい空気を吸いたくなる衝動が、すぐに湧いてくる。


 思い立ったが吉日、ってやつだ。

 夜のうちに荷仕度は全部済ませておいた。

 あとは朝飯を食べたら出るだけ――そんな段取りだ。


「――あら、また旅へ出るの?」


 お袋が、俺の背後で荷物を見て声をかけてきた。


「ああ。とりあえず、ご神託の件が気になってな。

 ザイレムまで行ってみようかと思ってる。

 途中も楽しめるだろうし、あちこち寄り道しながら行くさ」


 荷紐にひもを結び直しながらそう答えると、

 お袋は微笑みながらひと言返してきた。


「そう……ヨハスに会いに行くのね?」


「うん、まぁ。目的地としては遠いけどさ、旅の寄り道にもなるしな」


「そうか、ザイレムに行くのか」


 すでに食卓で朝食をとっていた親父――リヒターが、言葉を挟んできた。


「砂漠に囲まれてはいるが、あの辺りは豊かなオアシスに恵まれている。美しい国だ。気をつけて行けよ」



 その声にうなずいていると、再びお袋が近づいてくる。


「まー、気をつけて行ってらっしゃい。――はい、これ」

 そう言って、手渡されたのは小ぶりな袋に入った金貨と銀貨の束だった。


「うぉ……お袋、これ全部持っていっていいのか?」


「ええ、かまわないわ。どうせあっても使わないし、旅にはいろいろ必要になるでしょう?

 ザイレムまでは結構な距離だしね」


 笑顔ではあるけど、そこに浮ついた感じはない。

 お袋らしい、落ち着いた言い回しだった。



 うちのお袋――ラルファは、親父と結婚するまでは世界中を旅していた魔導士だ。

 各地を渡り歩き、見聞を重ね、研究を積み重ねて――


 今では“三賢者”のひとり、【知恵の賢者ラルファ】として名を知られている。


 そういう人だから、旅の準備となると本当に抜かりがない。

 必要なものを、必要なだけ――


 どんな時でも、きっちり渡してくれる。



 そして、お袋は、あのいつもの“歯を見せる笑顔”で言った。

「リヒターの酒代に消えるぐらいなら、持って行きなさい(笑」


「え!?……俺の、さ、酒代!? まて、レフィガーよ、まて!それは俺の金だ!」

 親父が大きな声で噛みついてくる。


「この人のことは気にしなくていいわよ。ご飯はどうせ私が作るんだから(笑」

 お袋が軽く肩越しに視線を送りながら、さらっと放つ。


『おいっ!!! 待て、俺の酒代っ!!!』

 親父の叫びが響いた、その瞬間。



ペシッ!!



『イッテーーー!!!』


 乾いた音とともに、伸ばしかけた親父の手が、

 おたまで無慈悲に叩き落とされた。



 ……この光景。

 何度も見てきた。


 親父が調子に乗り、お袋が容赦なく制裁する。

 俺はそれを見ながら、呆れ――そして、どこか安心する。


――そんな繰り返し。



 きっと、歳を重ねても、この家の空気は変わらない。


「……わかったわね?」


 笑っている口元に反して、目だけが鋭く光るお袋の“圧”。



 親父はというと、


「は、はい……(涙」


 しょんぼりと項垂うなだれて、ちぢこまっていた。



 その様子に、思わずため息が出る。

 ……でも、口元は自然と緩んでいた。



――ほんと、変わらないな。この家は。



「レフィガー、それと出かけるのはいいけど、今回はいろいろあったでしょ?

 ファーガルたちにちゃんと報告してから出るのよ?」


「…………」


 俺はほんの少し黙り込み、ひとつ長い息を吐いた。


「……行かなきゃダメか?」


「当たり前でしょ? あの一件はエルナーにも関係してた事件だったし、ナディーネにもちゃんと報告したんでしょ?

 あなただけ挨拶なしなんて、ダメに決まってるじゃない」


 珍しく、お袋は真顔だった。

 そのぶん、言葉がちゃんと重く響いてきた。


「……まあ、それもそうか」


 俺は肩をすくめ、首を振った。

 気が重いのは――そう、ただひとつ。


「……エルナーに会わなきゃいいんだがな」


 エルナーは、厄介だ。

 また旅に出るなんて言ったら、きっと何か騒ぎ立てるに決まってる。


 思い浮かべるだけで、また小さくため息が漏れた。


「そこも試練よ!」


 お袋がにっこり笑いながら、俺の背中をバシバシと叩いてくる。


「――ま、行ってきなさい(笑」



 ……そんなやりとりを終えて。

 朝食を済ませた俺は、荷物を背負い――

 久しぶりの旅路へと、静かに歩き出した。



1-2 セグメント神殿、王宮区、王の間


 ガルおじさん――ファーガル王のいる王宮区、神殿の奥へと足を運んだ。


 お袋に言われたのもあるが、あの件ではガルおじさんにもナディさんにも、ずいぶんと心配をかけてしまった。

 確かに、何も言わずにそのまま旅立つのは、どうにも気が引けた。



「そうか……また旅に出るというのだな」


 重々しく、でもどこか寂しげに、ガルおじさんが言った。


「はい、そうなります。またしばらく、おいとまさせていただきます」


 そう告げると、ガルおじさんはわずかに目を伏せた。


「……寂しくなるのう」


 その時、奥の方から柔らかな女性の声が響いてきた。


「あら、レフィくん? また旅に出るの?」


 ナディさんの姿があった。

 変わらぬ優しさをまとった雰囲気。けれど、その目元にはほんのわずかに、別れを予感するような寂しさが浮かんでいた。



「はい。この前のご神託の件もあって……

 かつて、親父がバセルさんと一緒にスィーフィードの洞窟へ向かった際に、ご一緒されていたと聞いた。

 ヨハスさんにお会いできればと思いまして」


「そう……寂しくなるわね」


 ナディさんは穏やかな笑みを見せながら、ゆっくりと頷いた。

 でも、その笑顔の奥に、やはり言葉にしきれない静かな余韻があった。


「ヨハスさんとは面識はありませんが、父も母もよく知っているようですし――

 何か、手がかりがあるかもしれませんから」


「ええ。彼は元々セグメントの魔導士協会にいたから、私も面識があるわ。

 とても研究熱心で、いろんな知識を持っている人よ」


「そうなんですね……ナディーネ様にも面識が……」

 つい、自然に“様”付けが口に出てしまった。


「ええ、そう。でも……なにその言い方? いつも通り“ナディさん”でいいのよ?

 私もファーガルも今は公務中だけど、そんなにかしこまらなくて大丈夫よ(微笑」


「ですが……お二人とも、今はお仕事の最中ですし」


 少しだけ戸惑って言うと、二人はそろってふわりと笑った。


「わしも別に構わんさ。普段通り“ガルおじさん”でいい

 かしこまる必要なんてない」


 ガルおじさんが、ゆるりと頷く。


「そうよ。だって、公務が終わる頃には、

 きっとレフィくんはもう旅立ってるんでしょ?(微笑」


 ナディさんが、さりげなく背中を押してくれる。


「……まぁ、そうですね。挨拶が終わったら、すぐにでも出るつもりです」


「だったら、この場でも“いつものレフィくん”でいて、

 形式かたしきった態度じゃ、本音も何も聞けないもの(微笑」


 ……ほんと、この二人には敵わない。


 肩の力をひとつ抜いて、俺はふたりの顔を見つめる。


「……はい。ガルおじさん、ナディさん――では、行ってきます」


「無事を祈っておるぞ」

 ガルおじさんが、穏やかな声で送り出してくれる。


「ヨハスに会ったら、私からもよろしくって伝えておいてね(微笑」

 ナディさんの笑顔に、俺も自然と頷いた。


『はい、父様! 母様! 了解しました!! 行ってまいります!!』



――突然の“元気な声”が俺のすぐ真横から響いた。



「へ?……」

 ファーガルが、わずかに困惑を浮かべる。


「はい、二人とも行ってらっしゃい♪ 気をつけてね(微笑」

 ナディーネは、変わらない調子で軽やかに送り出していた。



 俺とエルナーは一礼し、神殿の回廊を背に歩き出した――



……が。



……



…………


「ん?」


 違和感がひとつ。

 足を止めて、ゆっくりと左に顔を向ける。



「うーん?????」



 そこには、にっこりと微笑みながら首をかしげるエルナーの顔。

 俺のすぐ真横。上目遣いで、じっとこちらを覗き込んでくる。



「………(゜д゜)」



 ……いや、え?


『おい!! お前いつの間に横にいたんだ!?』


「父様が“寂しくなるのう……”って言ってたところから?」


 きょとんとした顔で、当然のように返してくる。



『それでなんでお前が挨拶して、しれっと一緒に出かける流れになってんだよ!!』


「生涯のパートナーなんだから、当たり前じゃな~い??

 いつでもどこでも、いつまでも一緒よ?」


『いやいやいや! おかしいだろ!?「はい、そうですか」とはならんからな!?

 ……ほら見てみろよ、ガルおじさん完全に思考停止してるぞ!』



「…………(゜д゜)」



ガルおじさんは、口をあけたまま完全に硬直していた。

あれは、“現実処理中”ってやつだ。



……それが正しい反応ですよねそうですよね。


「とりあえず、お前がついてくるのはダメだ。俺、許可してないからな?」


「さっきラルファから伝令で、レフィガーが旅に出るって聞いたから、もう準備しておいたのよ?

 ほら、見て見て。いつもの旅装束でしょ?」


 くるりと一回転して、旅装束姿をひらりと見せるエルナー。


……完璧な笑顔に、完璧な出発準備。

 俺はただ、短く言葉を失った。


「え……」



 お袋よ。これはもう、魔導的策略では……?



「ちょっと、二人とも。エルナーになにか言ってあげてくださいよ。親でしょ?」


 困惑を抱えたまま二人に目を向けると、

 ようやくガルおじさんが、重たく口を開いた。


「う、うむ……唐突にそういう話を持ち出すのは、いかんぞ……レフィガー君も困っておる」


 ちゃんと困ってくれるあたり、やっぱりこの人はまともだ。



 ……が、


「別にエルナーが出かけたいなら、私は構わないわよ?

 レフィくんが一緒なら安心できるし。――ファーガルも、かまわないわよね?(微笑」



 ナディさんのその笑顔、相変わらずブレがなかった。



「ナディーネがそう言うなら……いや、しかし……」


「公務もないし、経験を積むのはいいことよ(微笑」



「……」

 ガルおじさんは変えす言葉が無くなりまた“現実処理中”へとモードチェンジ。



「さあ、許可は出たわ!! レフィガー、行きましょう??」



「ぜ、前途多難だ……」




 旅のスタートから、なにか妙なフラグを引き当てた気がしてならない。



 スィーフィードのご神託――

 “この運命さだめが“ことわり”を迫ってくるぞ”って意味だったんじゃないのか……?


 狐につままれたような心地のまま、

 俺とエルナーは神殿を後にした。


 次に何が起きるかはわからない。


 けれど――



 エルナーの笑顔と、騒がしさだけは――


 もう確定事項だった。

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