烏のクスリ屋さん

きのこ星人

第1話 始まりの湿布薬






変わった薬剤師がいた。


その薬剤師が経営する薬局は、独自の手法と聞き慣れない素材でクスリを作っており、よく効くと評判だったが一部の人から不審がられ人里を離れる事となる。


その薬剤師には変わった後継者がいた。

周りの皆が興味があるものより、薬剤師が作るクスリや薬草を食い入るように毎日見ていた。


薬剤師が老衰で亡くなると代わりに彼女がクスリ屋を担う事となった。

だけど期間は一年間。彼女はそう言う契約を薬剤師と交わしたのだ。


場所は誰も立ち入る事がないような森の中の奥深く…。

車の音も人のざわめきも何もない静かで少し神秘的…そんな場所にクスリ屋は存在していた。


誰も来る事もないクスリ屋…。そんな辺ぴな場所にも評判の噂を聞きつけ現れる者もいるのだった。





ーー





深い深い森に入って来たと自覚はあった。

鬱蒼とした木々は方向感覚を鈍らせて、進めば進むほど自分が今何処に向かって歩いているか分からなくなる程だ。



「…情報によれば……この辺り……。」



一人の高校生くらいの少年がスマホと大きなリュックを担いで、キョロキョロと辺りを見回しながらゆっくりと歩みを進める。


薄茶色のマッシュルームヘアーに焦げ茶色の丸眼鏡。少しダボついた新しめのブレザーの制服を草木で汚さながら黙々と歩く。

時折、手元のスマホを確認すると画面には『圏外』が映し出されて落胆する。

役に立たないスマホをポケットに仕舞うと再び歩き出す。



「にしても…誰がここの所有者だ…?手入れが全く行き届いてないし…。」



まるで少年が来た現代から切り離されたような神秘的な森に息を飲む。

同時にまだ春先だからか日が当たらない森の中では寒気がした。少年はカバンにあるパーカーを着ようとすると…



…バサバサバサっ!



「ひっ…!」



突然の何が飛び立った音に少年は悲鳴をもらす。音のした方を振り向くとそこには一羽の烏がいた。

少年は拍子抜けに安堵を漏らす。



「…なんだ…カラスか…おどかさないでよ…。」



ふと烏がいた木々の奥に目をやる。すると小屋が一軒建っていた。

ウッドデッキ調の小さな一軒家。浅葱色の屋根に白い壁には土汚れやツタが絡み付いていて、ここ何年も人が訪れてない事が伺える。


少年はその一軒家に目を輝かせた。そしてパーカーをカバンにねじ込み足早にその小屋に向かう。

白い飛び石にカタンっと足音を立てると同時に、小屋の中の明かりがボヤぁ…と付いた。



「…………え………?」



ただの空き家だと思っていたのにいきなり明かりが灯って、ドアノブに手を掛けていのたを引っ込め少年は驚き後退る。

そして少し迷った後、意を決したように再びドアノブを回す。鍵は開いていた。


ギィィ…と言う錆びついた音を響かせながら中を覗くと埃と蜘蛛の巣に塗れた部屋が見えた。



「お、お邪魔しま〜す…」



一応挨拶はするもののその声は小さく家主に聞こえるものではない。

異様な緊迫感と焦りと高揚感が入り交じりながら少年は部屋をグルリと見渡す。


もうすぐ夕暮れだ。部屋に明かりが点いていても少し薄暗いそこは、壁一面にはあろう薬箱。そこの瓶詰めの薬草は時間が経っていても生き生きとしている。


大きなカウンターの上には今では見ないような天秤の秤やすりこぎが鎮座しており、奥の部屋には見たこともない草や花が植えられていた。


普通の薬局やドラッグストアの調剤師とは思えない光景に少年は空いた口が塞がらずまじまじと観察していた。



「(……本当に…!魔女は実在したんだ!)」



その確信にも似た現状に興奮で口元は緩み身体が熱くなる。

早速、証拠写真を…!と少年は急いでスマホを取り出すと奥の部屋からガタン!と言う物音が聞こえて危うくスマホを落とす所だった。



「…………?……。」



ソロリと奥の部屋から誰かこちはを覗いて来た。少女だった。

少女は誰がやって来たのが怖かったのか身を縮こまらせてこちらを怪訝な表情で凝視している。


それを見た少年はまだ何もしてないのにバツ悪そうにスマホを後ろに隠した。



「…え……っと…こんにちわ…。」



ぎこちない笑みを少女に向ける。すると少女は紫色の瞳を丸めて少年を見て不思議そうに呟く。



「…………ニン…ゲン……?」



「…はあ!?」



少年がそう驚いて声を荒げると少女は慌てたように部屋から出てきた。

さっきまで縮こまっていたから分からなかったが少女と言うより女性と言った見た目だった。



「お客さん?もしかしてお客さんですよね!」



カウンター越しに大人の女性からグイと顔を寄せられると少年は驚いて後退る。


紫や紺が混ざったような綺麗な黒髪ストレートが腰くらいまである。

それを止める白い三角巾に、フリルたっぷりの向日葵色のワンピースに茶色いロングブーツと見た目年齢の割には格好や雰囲気が幼く感じられた。



「(でも正直…幻想世界に出てきそうな女の子みたいで……可愛い…。)」



にこにこと可愛らしい笑顔と柔らかい雰囲気に少年はつい照れて顔を逸らしてしまう。

だが女性はそんな事を気にする様子もなく微笑んでいる。



「お名前を聞いてもよろしいですか?」



「…え…?あ……ウトです…。月村つきむら宇兎うと



いきなり名前を聞かれて反射的に声がひっくり返ってしまった。

あぁ…やってしまった…。と後悔するも女性の方は何も気にしてない様でうんうん。と満足そうに頷いている。



「月村さん…ですね。私は八咫やた八咫やた かすみと言います。」



よろしくお願いします。と深々と大人に頭を下げられると吊られてこちらも下げてしまう宇兎。


こんな改まっての自己紹介…学校以外でもやるんだなぁ…。とボーと考えていると霞は大きな瞳に涙を潤ませていた。



「うぅ…!初めてのお客さんです。このまま誰も来なかったらどうしようかと思いました…!」



感動している霞のその言葉に宇兎はあれ…?と首を傾げた。



「…このお店って元々アナタがやってたんじゃないの?」



「それは私のおばあちゃん…いや…お世話をしてくれた人ですね。

その方は数年前お亡くなりになられたので、代わりに私がこの店を任されました!

一年間だけですがよろしくお願いします!」



自信満々にすごいドヤ顔で言ってくる霞に、この人は本当に自分より年上なのかと疑いたくなった。


しかし前情報はあっていた。数年前から突然消えた謎の薬局の噂…。その効能や手法から魔女がやっているのではないかと噂されていたが…。

どうやら彼女の世話役のお婆さんがそれっぽい。本人は亡くなっているので真偽は分からないが、とにかく噂の薬局が実在していたのは確かだ。



「ここの噂を聞いてやって来たんだ。まさか後継者がしているなんて思ってなかったけど…。

それにしても、一年だけなんて勿体ないよ。もっと続けないの?」



「はい!そう言う契約なんで!」



とにこやかに答える霞。

可愛いけど変な人だなー。と宇兎は思ってしまった。



「さあ、月村さん!ご要件を聞きますよ。」



霞はとても張り切っていた。なんたって自分の代になっての始めてのお客だ。

しかし宇兎は困っていた。彼の目的は噂の薬局と魔女の存在を見つけること。一応片方だけは達成したのでクスリ屋で欲しい物が何もなかった。



「(でもこんなに張り切っているのに…言いにくいなぁ…。)」



鼻息荒く宇兎の返事を待つ霞。

どうしようかとあぐねをかいていると、ひとつ必要なものを思い出した。



「あ、じゃあ湿布ってありますか?

俺じゃなくてばあちゃんだけど…。最近、腰痛が酷いらしくて歩くのも億劫になってるみたいなんだ。」



フムフムと霞は宇兎の話を頷いて聞く。するとカウンターから何やら分厚い本を出してきた。

革の表紙に包まれたそれは時間の経過を現した様にくすんでボロボロになっている。



「ひとつお聞きしますけど、お婆さんはヘルニア持ちの方ですか?」



へる…にあ…?謎の単語に宇兎は狼狽していると、霞が本をパタンと閉じて説明し始める。舞った埃が彼女の周りをキラキラと輝かせる。



「ヘルニアとは椎間板ヘルニアの事です。骨と骨同士が当たりすり減る事で痛みを伴う症状です。

お婆さんはご高齢みたいなので、恐らくヘルニアの疑いがあるようですけど…。」



うーん…。と何か考え込みながら霞はカウンターを出て、壁一面の薬箱を開け様々な薬草などを見ている。

先程の本を頼りに何種類かの薬草を持ってくると自慢気に宇兎に振り返る。



「なんとかしてみす!調合…開始します!」



ただただ呆けているだけの宇兎にやる気満々を見せつける様にガッツポーズを決める霞。

カウンターに戻り置いてあったすりこ木や天秤を使って調合を始める。

その顔はさっきまでの幼さは成りを潜め真剣そのものだ。



「(うっ…わっ……!)」



その真剣な眼差しに宇兎は見惚れていた。

ひとつひとつ丁寧な所作に本を巡る白く細い指。薬草を砕いて煮出す作業中の彼女は、髪と同じ唐墨色の真剣な瞳に宇兎は吸い込まれるように目が離せなかった。



「(……な、なんだ…この感覚…っ!)」



非日常的なこの店の雰囲気がそうさせるのか、それとも目の前の女性の変わりように驚いたのか…。

何故だかムズムズが止まらず心臓が全力で走ったかのようにバクバクと波打っていた。


そうこうしている内にクスリが完成したのか霞が満足そうに頷いて額の汗を拭っている。



「か、完成しました〜!

お待たせしました月村さん!湿布薬が出来上がりました!」



可愛いから綺麗。そこからカッコいい。そしてまた可愛いに戻った霞は宇兎の前に湿布薬を差し出す。

そしてクスリの扱いの説明を始める。



「いいですか月村さん。この湿布薬は天然仕様で市販のより粘着性がありません。

なので使用の際にはテーピングなどをして固定をおねがいします。

………月村さん?」



こちらを凝視して動かない宇兎を心配そうに覗き込む霞。

顔が近づいて驚いた彼はヒュッと短く息を吸い、まるで引ったくるように湿布薬を奪うと店の出入口に足早に向かう。



「あ、ありがとう、ございましたっ!!」



何とかお礼だけを絞り出したが、焦りから声は裏返り足を絡ませながらも宇兎はドタドタと逃げるように店を後にする。


その様子をポカンとした表情で見ていた霞だが、何かを察したのかみるみる内に顔を青褪めさせる。



「ま、まさか…バレてしまったのでしょうか…っ!」



霞はそうワナワナと手を震えさせて頭を抱える。

あんなに急に帰ってしまうなんて…そうとしか考えられない。幸先良く来てくれた始めてのお客さん…。

もしかしたら怖がられてもう来ないかもしれない。彼女は涙目でガックリと落胆した。



「……。でも!落ち込んでなんていられません!

私は夢を叶えるんです!それにまだ本当にバレたなんて決まっていません!」



そうだ。もしかしたら急用を思い出しただけかもしれない。それかお腹を壊しただけかもしれない!そう無理矢理ポジティブにこじつける事とした。

じゃないと涙が溢れて来そうだからだ。



「…あ。そろそろ、森のお客さんにクスリを届ける時間ですね。」



気持ちを切り替える事にした霞はそれを届けるべく、紙袋に入った袋を持って2階へと上がっていく。

そしてバンっ!と窓を開けた。もうすぐ日が暮れる。森の夜は暗い。あの少年は無事、森を抜けれただろうか。



「…またのご来店を…お待ちしております。」



そう誰にも届かない言葉を漏らしながら、クスリを咥えて窓から飛び出した。

落ちていく…そう思われたが彼女はもう人の姿から、漆黒の身体と翼を大きく広げた一羽のカラスになっていた。


そう…この変わった後継者の正体は……数年前に亡くなった森に住む魔女の使い魔であった一羽の烏だったのだ。


烏となった霞は飛び上がる。

森を抜けるとそこには太陽が沈む直前の赤さと、夕闇に薄っすらとした月が一緒に映っていた。



「(おばあちゃんに貰ったこの一年間。私は…無駄にする事なく悔なく生きてみせます!)」



貰った時間と人間の姿を胸に抱き、沈む夕日とぼんやりと浮かぶ月を背景に霞はただ、高く高く上がるのであった。







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