第48話 魂のカタチ


ほんのりと温かくなったましろの両手を、もう一度、そっと握る。

……やっぱり。確かに、あの頃より冷たさがやわらいでいる。


その事実に、胸の奥がじんわりと温かくなった。


───魂はがし。

ましろに手を握られたまま、これから起こることに意識を集中させる。

ましろもまた、目を閉じて静かに何かを整えているようだった。


「……行くぞ。」


短くそう告げられた瞬間、身が引き締まる。

前回のことを思い出そうとするが、魂が剥がされたときの記憶は、霧の中に沈んでいた。

ただ、何かが急に起こる。そんな予感だけははっきりとある。



──構える。




次の瞬間。


どこかで味わった、急に体が燃えるような感覚。

体の奥で火がともるような、内側からなにかが動き、熱の奔流が駆け抜けた。


そして世界がきらめきながら、遠のいていく。


(……………!!!)


時間と空間がねじれるような、不思議な浮遊感。

目を開けると、世界が淡く光に包まれていた。


物理現象の域を超えた、奇跡のような光景。

今見ている光景が、現実のものとは全く思えなかった。


下を見る。

──そこには、自分とましろが、座布団に向かい合って手を取り合う姿が見えた。


「…うっ!?!?」


あまりの違和感に、思わず体のバランスを崩しかける。

だが、目の前の“ましろ”の輪郭がしっかりと手を握り、支えてくれた。


「………こ………これは………!?」

「………これが、魂の体っ…なのか!?」


ふわふわと浮く感触。重力というものがまったく感じられない。

自身の体は光っていて…と言うよりも、光の瞬きで構成されているようで、

眩しすぎず、暗くもない──不思議な輝きを放っていた。

形は人のようで、でも──確実にヒトではない。



「…そうじゃ。」



目の前の“ましろ”が、ゆっくりと目を開く。



「おぬしには、まだじっくり見せておらんかったの。」


彼女の声は、どこか深く響くようでいて、やさしく包むようでもあった。

主人公は慣れない感覚に戸惑いながら、あたりを見渡す。


──さっきまでいた神社の一室。

けれど、確かに“そこ”じゃないと、心が告げていた。


浮遊感。

不安。


体が地に足つかず、どこか遠くへ連れていかれそうな感覚。


──でも。

そのすべてをつなぎ止めるように、ましろが手を強く握っていてくれる。

ましろの顔を不安そうに見る。


「こ、こんな感覚なのか…!?」

「これでましろたちはずっと………!?」


気を抜けば、そのまま沈んでいってしまいそうだった。

海の底──いや、それ以上に底知れぬ、意識の向こう側へ。


(……戻れなくなるかもしれない)


そう思った瞬間、全身が凍りついた。

この状態で、黄泉の国を歩き続けていたなんて──

想像するだけで、尊敬と共に、静かな恐怖が胸を締めつけた。



(ましろ……)


(君は、本当に……すごい人だ。)



「…落ち着くんじゃ、悠。」

「わしが、ちゃんとつかんでおる。」

「ここでは、"気持ち"も魂の一部じゃ。つまり、感情がそのまま身体の安定に影響する。」

「もし乱れれば……どこか遠くへ飛ばされてしまうかもしれんぞ。」


「怖いこと言うなよ…!!」


ゾクリと背筋が凍る。

思わず手に力がこもるが、ましろは握り返してくれた。


(……落ち着け……!)


言葉に従い、ゆっくりと目を閉じる。

深く、深く呼吸を整える──

ましろの手のぬくもりに意識を集中する。


(……ここに、いる。俺は──ここに、いる……)


繰り返し、心のなかで唱える。

そうしているうちに、ほんのわずかずつ。


………わずかに。

光の粒子のような身体が、徐々に空間に馴染んでいくのを感じた。


「……っ……」


無意識に、歯を食いしばっていた。

力が、あらぬ方向へ抜けるような感覚と、必死に抗っていた。


「悠。大丈夫じゃ。」

「わしが────ずっと、そばにおる。」


優しい声が響く。

それが、自分をこの世界に繋ぎとめてくれている気がした。


「……」


少しずつ。

地に足はつかなくても、“足場”のようなものが感覚として芽生えはじめる。

ようやく、ましろの顔を見る余裕が出てきた。


「……な、なんとか……」


ましろは真剣な眼差しを向けていた。

いつものおどけた笑顔はない。

目を細めて、こちらの様子をひたすら見守っている。


その輪郭は、なぜかこの空間の中でいちばん鮮明だった。

他のすべてが滲んで揺れているのに、ましろだけが、まるで中心軸のように感じられる。

その存在が、この不安定な世界をぎりぎりでつなぎ止めている気さえした。


「悠、大丈夫か?」


「…ああ。とりあえずは…大丈夫…」


改めて、あたりを見渡す。

靄がかかっているような感覚の中で──まず、音がなかった。

風も、衣擦れも、鼓動さえも聞こえない。

異様な静けさが、耳の奥をじんじんと圧迫するようだった。

宙に浮いていることをのぞけば、部屋の光景はほとんど変わらない。

なのに、その“無音”がすべてを異質にしていた。


(……視界はある。でも、どこか"違う"世界だ)


わずかに落ち着きを取り戻した様子を見て、ましろが口を開いた。


「…これが、“魂の体”でじっとしているということじゃ」

「おぬしには、なかなか骨が折れるかもしれんが──」


小さく笑って、続けた。


「…まずは、合格じゃな。」


「……いや、ただ立ってるだけでこれって……」


主人公が呟くと、ましろはうなずき、真剣な表情を見せた。


「次に、基本的なことじゃ。」

「これから───この状態で、“移動”するぞ」


「え、移動……って、どうやって?」


まだ浮遊感に慣れきっていない身体。

不安がにじむも、ましろは自信ありげに言った。


「安心せい。わしに任せておけば、すぐ慣れるじゃろう。」


その言葉に、主人公もつられて小さく笑った。

不安は拭えないが、それでも、ましろがそう言うなら──と思えた。


「あ、ああ。たぶん、行ける……かも。」


ましろは静かにうなずいた。


「では、行くぞ。」



────それは、きっと彼女にとっては“ただの基本動作”だったのだろう。

指を曲げるとか、まばたきをするとか、そんなごく自然なレベルのこと。

軽やかで、日常の延長にあるような動作。



だが……その瞬間だった。








────────天と地、裏と表がひっくり返る。








視界がぐにゃりと歪み、知覚が意味をなさなくなる。

言葉にできない圧力と、心の芯を揺さぶるような浮遊感。

世界の「軸」が、まるごと崩れたような感覚。




(………なん………っ!?!?)





あまりの感覚に動揺し、主人公の全身が大きく跳ね上がった。









────次の瞬間。

────握っていたはずの手が、ふいにすり抜ける。









「う、うわっ……!?ましろっ!!」




「──悠っ!!」




慌てて伸ばされたましろの手。


だが──触れたはずなのに、指先が届かない。


視界が揺れる。

床も、天井も、上下も左右も崩壊していくような錯覚。

音も、色も、形さえも、遠ざかっていく。


「────ゆ──、!──…う──────!!」


ましろの声も、輪郭を失いながら、どこかへ遠ざかっていく。


魂の形が、霧のようにほどけていく──そんな感覚。

自分の輪郭が失われていく。

意識の芯が、どこにも引っかからずに滑っていく。





魂の形を……維持できなくなっていく……







意識が、散っていく。

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