第5話 偽りの痕跡


 鳥の声が近づき、土の香りが濃くなり始めた。

 村から捜索隊が出る可能性は低いが、備えておくに越したことはない。

 ここでいいかな。

 

「……少し、時間をください。支度の続きを、しようと思って」

 

 帯の結び目に手をかけながら言うと、静かな森に、衣擦れの音が響いた。

 

 

 一歩前を進んでいた誌苑が、無言のまま振り返る。

 

「……えっ、ちょっと待って?何してるの?」

 誌苑と一瞬目が合ったかと思った次の瞬間、彼は慌てたように進行方向へと向き直る。

 

 「やっぱり、やるなら徹底的にしないと、ですよね」

 

 誌苑がまたこちらに向く。


 「ねぇ、本当に何するつもり⁈下に着物着てるって……いや、それ先に言ってよ。ていうか、人前で脱ぐなって!」

 

 彼の動揺が伝わってくるのを視界の隅に捉えながら、手を止めることなく仕度の続きをする。


 

 土の上に脱いだ着物を広げる。

 持っていた櫛を風に舞っている草の間に放り投げる。


 胸ほどまで延ばされている髪を一束にして握り、小刀を取り出す。

 耳元でザクっと鳴る。

 目の前で手を離すと、パラパラと草の上にこぼれていく。

 

 「髪くらい、言ってくれたらあげるのに……」

 

 彼の声が、少し戸惑いを含んで聞こえた。

 

 「女に髪は重要ですもんね。でも、あの人なら、このくらいするので」


 

 粘り気のある液体が入った小瓶を取り出し、栓を外す。

 着物と草の上にとろりと垂らし落とす。

 よく見えないとでも言うように、誌苑が半歩だけ近づいて来た。


「……その液体って?」


「卵白と、魚のぬめりを混ぜた物です。薬草を使おうかとも思いましたが、匂いが強すぎると疑われるかと思って……」


 本物は見たことないから、色やとろみの状態がこれでいいのかわからないけど。まぁ、こんなものだろう。

 

 「なるほどね……」

 

 離れていた彼が近づいてきた。

 


「こうやって、着物に泥を擦り付けて汚して、着物に液体が染み込むようにするとそれらしくなるね。暴れた痕に見える。櫛は、もう少し折れていた方が自然かな」


 そう言って彼は石を拾い、落ちている櫛の上に投げ落とし、歯を数本折った。なるほど、さっき私が髪を切ったから。「お前には、もうこれもいらないよな」と言われている場面が想像できる。


「……詳しいんですね、こういうの」


 ――……気持ち悪。

 と、口に出しかけて、慌てて飲み込む。そういえば、これを始めたのは私だった……。


「記録所にいるとね、罪人の調書とか……いろいろ見るんだ。あんまり誇れる話じゃないけど、現場を見る機会も多いから」

 

 言い訳にも聞こえる言葉に、ほんの一瞬視線を逸らしてしまった。しかし、思考が追いつくとすぐにふっと口元が緩んだ。

 確かに、やり慣れているというより、まるで記録の中から、そう見せるために必要な項目を引っ張って来たかのようだ。

 

「……いつもは、解く側だったけど。人を騙すのも、案外おもしろいかもしれないですね」



 ……しかし、残る謎が1つある。

 昨日のあの足跡が誌苑の物だとしたら、わざとつけたのか?

 消すのだとしたら、もっと巧妙に痕跡を消したはずだ。

 普通に考えると彼のもので間違いないのだけど、私の知る限りこの方向にあの葉はないはず……


 

 

 

 広い森の入り口に用意された痕跡。

 見下ろしたその痕跡は、まるで本物の犯行現場のようだった。

 わずかに誇らしさを覚えながら、小さく息を吐いた。 


 





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