後宮の綴帳

すずねいろ

第1話 余所者と足跡

 

 


 人の区別を顔でするのは苦手だ。

 それは、朝に会った人が、昨日も話した相手なのかどうかさえ、服や声を手がかりにしないと分からないということだ。



 それでも生きていくうえで、人を見分ける必要がある。

 村ではそれで困らなかった。個性豊かな着物を着て、声も話し方もみな違っていた。顔がわからなくても、誰が誰かはすぐに分かった。

 だから、観察することが私の癖になった。

 


 

 雨上がりの朝は、静かで好きだった。深呼吸をすれば肺いっぱいに澄んだ空気が広がる。

 濡れた葉の香りと、陽の光を受けて輝く若葉。

 その中に、ほんの少し、普段とは違う異常が混じっていた。


 

 村の子どもたちが探検によく使う、森へと続く細い路地。私はそこで、他の地面より柔らかくなった土が残す、いくつかの足跡のひとつに、目をとめた。

 

 土に沈んだその足跡は、他の物よりも大きく、深い。そして、歩幅が均等でない。よく見ると、黒っぽい土が残されている。


 このあたりの土は、比較的乾燥しやすく、乾くと白く崩れる。

 しゃがんで黒い土を摘まみ取り、指先で捏ねながら思考を巡らせる。


 

 ……この土は山の、それも子供が近寄らないところの土だな。

 最近山に入って足を怪我した人物がいるとは聞いていないし、昨夜のような雨の中で山に入る者はこの村にはいないはずだ。


 どうしてここを通ったんだろう?


 視線の先に、一枚の葉が落ちていた。細く長く、先が割れたその葉に、見覚えがあった。

 

 前に、父と山菜を採りに行ったとき見たものと同じだな。あれは、たしか森の奥の方に生えている、ツル性の木の葉。

 

 そっと摘み取ると、葉の両面に泥がついている。


 

 立ち上がろうとすると、頭上に影が差した。

 

 「おや、帆葉ほようちゃん。そんなところにしゃがみこんで、体調でも悪いのかい?」

 

 ――いつも隣の家から漏れてくる聞きなれた声だ。声の調子は明るいが、距離をとられているな。

 見上げると、やはり近所の叔母さんが立っていた。

 

 ……厄介な人にみつかってしまったな。

 

 

 「この葉っぱ、このあたりじゃ見かけないなって。この足跡も土も、ちょっとおかしいなと思っただけです。」

 

 私との会話が不快に感じないように。

 威圧感を与えないように。

 優しく丁寧に。


 

 立ちあがって手についた土を払うと、叔母さんは私を観察するようにこちらを見ながら応えた。

 

 「また……。あんたは、本当に、見なくていいもんばっかり見つけてくるねぇ。」

 

 叔母さんは、腰に手を当てながらこちらを見ている。

 確信は持てない。けれど、答えはほぼ見つかっているようなものだ。

 

 

 「今の状況で推測できることは、この村の住民じゃない男が、昨晩森から降りてきたということです。」


 「あぁ。村の決まりで、大人が森へ向かうには門番がいる別の道から行くことになっているからね。でも、どうしてうちの村の者じゃないってわかるのかい?」


 「だって、昨日の大雨の中、森を見に行く人なんている?それに、歩幅が不規則だから足に何らかの問題のある可能性が高いけど、今この村に怪我をしている人はいないはずよね」


 

 意識して、明るく、語尾を少し上げるように話す。

 ――さすがにこれだけ揃えたら真相にたどり着くか。

 

 風が小枝を揺らす音を聴きながら、叔母さんの次の発言を待つ。

 叔母さんは口を開いたが、その声は先ほどよりも小さく低くなっていた。


 「あの子じゃなくて、あんたがいなくなったらよかったのに。」


 

 ぽつりと、まるで人に聞かせる予定ではなかった独り言のように。


 ――だから、私はあの人のように過ごしているのに。

 

 

 余所者を嫌う風習があるこの村では、このような話はあっという間に尾ひれをつけて広がるだろう。

 面倒くさいなぁ。

 この村の人たちも、不法侵入してきた正体不明の誰かさんも。

 私は、侵入でもなんでもしてくれてかまわないが、やるなら徹底的に証拠隠滅までしてほしい。


 

「あんたは、妙なことを嗅ぎ回るのが好きだね……こんどはどんな災いが起きるのか。あんたと関わると、物騒で嫌になっちゃうね。」

 

 叔母さんはそう言い残して去っていく。

 背を向けた叔母さんの奥にある林で、揺れる木々とはわずかに別の動きをする影が目に入る。


 

 少し、外れの方に歩いてみるか。


 

 もし本当に用事があるなら、あの影は私に接触してくるはずだ。


 長くなるかもしれないな。

 一度自宅へ戻って今日の仕事を休むと伝えるべきか。


 ――いや、あの影がついてくるのなら、相手に自宅がばれてしまう。それは得策ではないな。

 

 あの人だったら、好奇心には勝てない。


 自然と口角があがるのを感じながら、足を村の外れまで進めた。

 


 

 

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