第1章閑話 その7 20XX.4月1日 カラオケボックスその1
この日、俺たちはフジホンチョウ商店街にある、ガクヨウドウ書店に向かった。
無事にフジ中央高校のヒーロー科に合格したため、教科書を入手する必要がある。
それを販売しているのが、このお店なのだ。
「こういうところを、デジタル化してくれればいいのに。重い……」
「それは違うぞ、結希。紙の教科書の方が、個人的には使いやすいと思っている」
あくまでも俺の場合であるが、参考書や教科書などは、即座に目的のページを開くことができるということが、一番重要だと考えている。
タブレットなどでは、その点では明らかに使い勝手が劣るため、試験勉強の時もあえて紙の本を購入しているくらいだ。
店を出て、家に向かおうとしたその時、談笑しながら歩いてくる二人を目にした。
特徴的な二人であったため、忘れるはずがない。
「
「分からない。でも、良い感じだね」
二人の方も、俺たちに気づいたようである。
めあの表情がぱあっと明るくなり、こちらに駆け寄ってきた。
「おひさしぶりなの。二人とも、元気そうで何よりなの!」
「お久しぶりです。また会う機会があるとは思わなかったため、少し驚いています」
残念ながら、奏だけ別の学校に行くことになっている。
そのため、俺たちと接点がなかったのだ。
「お買い物なの? なんだか、とっても重そうなの!」
「実際重いよ。これ、鈍器になるよね……」
紙の教科書というものは、とにかく重い。
正直、家まで歩いて帰るのがキツイと思うくらいだ。
「だったら、フジ駅の方に行くの! タクシーを使えばいいと思うの」
「その手があったか。タクシー代を払っても、そちらが魅力的だな」
あまりタクシーを使わないため、考え付かなかった。
確かにこの状況は、車で移動したほうが賢明だと思う。
「そして、その前に遊ぶの! みんなで遊んで、絆を深めるの!」
「そういえば、そんなことも言われていたな。結希、どうする?」
「うん。これはいい機会だと僕も思ったところだよ」
アルカナを持つものの間で、絆を深めることが強さにつながる。
確かにあの時、聞いた言葉だ。
そして、学校が異なる奏との絆を深める機会は、あまりないだろう。
幸いすぐに家に帰る必要は無いため、遊ぶ時間は十分ある。
「めあ、カラオケをやってみたいの! お兄ちゃんたちの歌、とっても上手だったの!」
巨大バグとの戦いの際に、めあは俺たちのシンクロニシティを耳にしている。
もっと聞きたいと考えたのは、当然なのかもしれない。
「そうだな。せっかくスキルに歌唱があるのだから、磨くのもいいだろうし」
「うん。戦いばかりで歌が下手になっていたら、シンクロニシティが使えなくなる恐れもあるからね」
結希の言葉に、ハッとさせられる。
その可能性は、全く思いつかなかった。
「めあはカラオケに行きたいと言っているが、奏は大丈夫なのか?」
当然、こちらにも確認をとる必要がある。
俺の問いかけに、彼女は答えた。
「はい。他の人と一緒に歌うのも、いい経験になると思いますから」
全員の同意を得たところで、駅前にあるカラオケボックスを検索する。
今回は、マネキネコというところを選ぶことにした。
なんとなく、あのうるさいネコも来そうな予感がするが……さすがに杞憂であろう。
この店は、料金を支払った後は飲み物と、ソフトクリームが無力で楽しめる。
思いっきり歌いまくりたいため、時間無制限のプランを選ぶことにした。
部屋を選び、飲み物を用意して準備が整う。
「さて、誰から歌う?」
「めあ、またお兄ちゃんたちの歌が聞きたいの!」
「私も最初は、お二人の曲を聞きたいです」
そこで、ふと気が付いた。
下の名前で呼んでいたが、めあにせよ奏にせよ、名字の方が分からない。
加えてバスの中で行った自己紹介の時は、奏は気絶状態だったはずだ。
「済まない。歌う前に、名字を教えてくれないか? 俺は神崎久郎だ」
「あ、忘れてた。僕は御門結希。めあちゃんは?」
「めあは、
「私は……
容姿といい、名字といい……。
めあは、アリスを名乗るべくして生まれたような印象を受けた。
「それじゃあ、僕たちから。曲はあの時のものでいいよね?」
「お願いなの。早く、早く!」
コードを入力し、ブレイブ&ウィッシュの主題歌を流す。
俺たちは声を合わせて、勇壮なメロディーを歌い上げた。
「やっぱり、上手なの! プロって、こんな感じなの?」
「すごいです。下手なオーディションなら、余裕で突破できるのではないでしょうか」
少し照れ臭いが、称賛は素直に受け取っておく。
実際、動画で「歌ってみた」をやったことがあり、微妙であった原曲よりも再生回数を稼いだこともあるため、ある程度自信はあるのだ。
「次は……そうだな。奏、さん付けでいいのか?」
「いえ、呼び捨てで大丈夫です。この後に歌うのは、少し勇気がいりますね」
奏がマイクを受け取り、コードを入力する。
音楽が流れ始めた。
そして、彼女が歌い始め……世界が一転する。
暗い海の中に、一人沈んでいく少女。
差し伸べられた手を取ることを拒否し、ひたすら自らの殻の内に籠っていく。
息をすることすら困難な、深海の圧迫感。
冗談抜きで、息苦しさすら感じてきた。
そこに、救いが聞こえる。
少女の中に、美しさが隠れていたことを教える声。
目を覚まし、暗闇と決別する少女。
祝福された海の中、浮かび上がっていく少女の姿は、誰よりも輝いている。
息苦しさはすっかり消え、その光に圧倒される。
歌が終わったその時、幻想は消え、元のカラオケボックスに風景が戻ってきた。
圧倒的という言葉では、全く足りない。
文字通り、世界すら描き替えるほどの歌声。
隣を見ると、結希は涙を流していた。
「なんというか、凄すぎて表現ができないの。これが、本当の歌なの?」
めあの感じたことが、まさに俺たちの思いと同じであった。
上手い、下手などという次元ではない。
これはもう、世界の見え方すら変えかねないほどの、とんでもない力だ。
このレベルに達するまでに、どれだけ歌い続けていたのだろうか。
そして、もしこの歌声に俺たちのシンクロニシティを乗せたら、どこまでの力を発揮できるのだろうか。
いや、俺たちの力では足りない。
これに見合うだけの歌でなければ、単に上書きされるだけだろう。
たった一曲で、完全に場の雰囲気は支配されていた。
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