第3話

千夏の一言が、夢であったという想いをすべて打ち砕いた。


夢なんかじゃない。あのバトルは本当にあったことなんだ。これは現実の続き。

 

愕然としながら部屋に入る。


文机の上には、外した腕時計があった。バッグに入っていた携帯の時計を見る。


一時で止まっていた。ミニ冷蔵庫を開けてみると、六個入りの卵が五個になって入っている。


ひとつ減っているのは、目玉焼きを作って食べたせいだろう。


夢じゃない。夢じゃなかった……。じゃあ、あのバトルはなに? なんで生きてる?


「相当うろたえているみたいね。私も最初はかなり戸惑ったけど」

 

千夏は私の後ろに立ち、そう言った。振り返る。


「なんで。みんな死んで、私も撃たれて……これが夢じゃないならなんで生きているの」


混乱していた。


夢じゃなかったと頭は理解しても、自分の身に起きていることを信じきることができない。


「なんでかしらね。私にもわからない。でも現実よ」


千夏はあくまでクールだった。そして一言、添える。


「榊原教授はまた亡くなるわ」


「さっき送ってきてもらったけど、無事だった……死んでなんかいない」


「そう。でも、また死ぬ」


自信を持った口調で断言すると、ベッドマットレスの下からなにかを取り出した。


つい先ほどまで見ていたもの。銃とナイフ。


「あなたも持っていたほうがいい。二人部屋だから、ここにはもともと銃が二丁とナイフが二本あったのよ。これはきっとあなたのぶん」


そう言って差し出す。私はあとじさった。


「なんでこんなものを……」


「また始まるのよ、殺し合いが」


また始まる? あの悪夢が? 


千夏は早く受け取ってよという表情で見てくる。


「あなたは最後のほうまで生き残って、この寮へ戻ってきた。ということは、何人かのメンバーの死も、私の死も見たはずよね。最後の一人は森山かしら」


千夏はなにかを知っている。


「お願い、説明して。なにが起きているの」


「私たちは午後一時という時間の輪の中に絡めとられているの。この輪の中で何度でもバトルを繰り返す。殺されると、振りだしに戻るの。振りだしとはつまり、戊大橋の駅前のことね。そうしてまたあのくねくねとしたきつい坂道を登り切って、みんなこの寮に戻って来るのよ。今、森山以外はみんないる。男性陣は仲が悪すぎて、三階を一人一部屋ずつ使っているわ。真上が森山の部屋よ」


――人の時間を止めました。


ふと。物語を思い出した。まさか。そんな馬鹿な。


「お。気づいたわね」


あの物語を、講義で紐解くのではなく、身をもって経験しろということか。


汗が止まらなかった。時間が止まってしまっていることを、機械の故障のせいにしようとしていたけど、違うのだ。私たちは物語の中に入り込んでいる。


「……どうやったら抜け出せるの」


「七海のようにこの輪の中に入ってくる人間はいても、抜け出せた人間がいないのよ。そうして放っておくと喧嘩が始まる。私たちも、何度も抜け出そうと試みた。でも、どうにもできなかった」


「そんな話……」


「そうね。最初は信じられないものよ。私もそうだった」


この閉鎖された山から抜け出せない。いつまで……いつまで?


「銃とナイフはどこから調達したの」


「最初からここにあったのよ。ナイフは錆びず、弾は入れ替えなくても減ることがない。これがどういうことかわかる?」


――神は人々が戦をしている姿を見るのが大好きで、いつも山のはるか高みからその風景を覗いていました。


この山の神が、時間を止めた。争いを見るために。


神などと、と笑う人は笑うかもしれない。でも理屈はそれしか考えられなかった。


この目で二匹の蛇を見たことからも明らかだし、時間を止めるなんていうことは、人間業でできることではない。


――人間たちから盾を取りあげ、矛を用意しました。


矛。それがこの銃とナイフのことだ。


盾はなにを指すのか。


人間の中に絶対的に流れている時間のことだろうか。


でも、文末に「時間を止めた」と二度も書かれている。


ここまではっきり書いてあると、答えが違うような気がしてくる。


できごとを思い返してみれば、符合するところもある。


最初から顔見知りのようだったメンバー。人の死に無関心だったメンバー。


同じことをし続けて、慣れてしまったのだ。死なないとわかっているから、戻ってくるとわかっているから安易に殺しを繰り返す。


「なんで最初に教えてくれなかったの」


「一度目は自分で経験しろって言いたかったの。理屈や理論で理解できることじゃないでしょう。だから銃もナイフも渡さなかった」  


確かにそうだ。初めてここへ来た時、私は気楽なものだった。不安はあったけれど講座をただ楽しみにしていた。あの時この話を信じられたかというと、多分無理だ。


千夏の妄想かなにかだと考えてしまっただろう。


雨戸は開け放たれている。


「ここではね、日が沈まないのよ。いつまでも明るいまま、夜は来ない。前は雨戸を閉めたことで七海にそれを気づかせないようにした。一度目は、説得できないから」


雨音が窓を打ちつける。


ゆっくりと銃とナイフを受け取る。ずっしりとした量感が、これから起こる出来事を物語っているみたいで、胃がきりきりと痛んだ。


「私もこの輪の中に入ってね、二度目に奥村さんから事情を説明されたの。もうカウントすらできなくなってきたけれど、私はバトルを数千回は繰り返しているんじゃないかしら」


その回数を聞いて、気が遠くなる。


「どうにかして帰れないの? みんなここへ来ることはできたんじゃない。なら、電車でも使えば……」


千夏は溜息をついた。


「プラットホームに立ってずっと待っていたこともあるわ。でも電車はいつまで経っても来ない……駅前のタクシーに乗って違う町に行こうとすれば、必ず事故が起こってまた振りだしに戻るの。一度この山の敷地に足を踏み入れた者は、帰る手段がないのよ」


私はベッドに腰をかけた。精神的な疲労が一気に襲ってくる。


「どうすればいいの……」


「もう覚悟を決めるしかないわ。なにか食べない?」


抜け出せない。私も輪の中に入った。覚悟を決めろと言われたけれど、本当にどうすればいい? 覚悟なんか決まらない。


そしてスタミナが大事だというのは、ここで生き抜くための体力をつけておけという意味だったのだ。


みんな、同じ時間を繰り返しているうちに、諦めてしまった。森山君が就職なんてどうでもいいと言っていたのは、多分ここから出られないことへの諦め。


水城さんや奥村さんが非協力的だったのも、諦めていたからだ。最上さんはきっと、この輪から抜け出したいという期待を込めて、自ら銃を放ったのだろう。


同じ時間を何度も繰り返し、殺し合っていれば人間関係にも亀裂が走る。


バトルは避けられない。おそらくこの山の神が、人間を操ってそう仕向けている。


「私はむやみにあなたを殺さないから安心して。私が行動を起こすのは、身を守る時だけ。死んでもやり直しがきくとわかっていてもねぇ、やっぱり殺される瞬間は何度経験しても慣れるものじゃないのよ。痛みもあるし」 


私にできることは、まずこの状況を受け入れることだった。前を向いて受け止めるしかなかった。


「体力のつきそうなものを作る……」


キッチンに立つ。雷が鳴った。千夏はぽつりと呟く。


「あなたにとって、二度目のバトルが始まるわね……」

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