第3話
言われたとおりタクシーを使うことにした。
スーパーを出ると、清涼とした風が吹き抜けていった。空は青々としている。
深呼吸をして、タクシー乗り場へと向かう。中にいた運転手が私に気づき、ドアを開けてくれた。
「戊大学の寮までお願いします」
「はいよ」
運転手はドアを閉め、車を発進させた。立てかけてあった免許証には「白尾 道夫」と名前が書かれている。
この人もスーパーにいた女性と同じ、災害にめげずにこの町に留まった人なのだろう。
「ここの連中はガラが悪いから気をつけなよ」
白尾さんはぽつりと呟く。ミラー越しに、忌々しげな顔をしていた。
「連中って。ここに住んでいる人はみんな出て行ってしまったって聞きましたけど」
「あんたみたいに外から来た連中は、危険で面倒なんだよ」
私は黙って、窓を少し開けた。
気まぐれにふらりと立ち寄った旅人が、マナーを守らず好き勝手に騒いだり荒らしたりしているのだろう。
そういう外部から来る人々を、白尾さんは疎ましく思っているのかもしれない。
「まったく、あんたもなんでこんなところに来ちまったんだか」
白尾さんはぼそぼそと低い声で文句を言っている。
タクシーはシャッターだらけの町を抜けて、くねくねと曲った林道に入る。
舗装はされていたが、景色はどこを見ても、鬱蒼と茂る雑木林が続いていた。
都会に嫌気がさしたから、なんです。
私は白尾さんの呟きに、心の中で答えていた。
都会育ちで、都会の大学に通い、東京の企業に勤めて二年二ヵ月。
物心ついた時から、身の周りにはなんでもあった。
不便を感じることはなかった。それは幸せなことだった。
けれど苦しかった。毎日コンクリートの高い建物ばかり見ていると、自分の心が無機質になっていくような気がしていた。
都会の人間は、なにか大事なものを忘れている。
そのなにか、は私にもはっきりとはわからない。けれどとにかく毎日が息苦しくて、会社を辞めてしまった。
あともうひとつ。
私は霊感が強い。毎日見ていたほどだ。
「霊を見る人は、脳に異常があるだけ。だから霊などいない」
最近はそうした考え方が主流になっていて、結構切実な悩みだったのだけれど本気で相談してもまともに相手にされることはなかった。
しかしそれは科学が進化したがための、人間の驕りのような気がしてならなかった。
少なくとも私には。
そうしてフィクションの世界に救いを求めてみた。神話から小説、民俗学など、幅広く本やネットを読み漁っていた時、たまたま目に入ったのが、これから行われる講座だった。
「物語を紐解く」。ネットにはそのような見出しがあり、物語の内容が書かれていた。興味が湧いた。
単純に、少しの間でいいから都心から離れて、山奥の僻地に逃避したいだけだったのかもしれない。
この講座も、結局はネットで見かけたものだから私も科学技術にあやかっていることになる。
矛盾。
風が髪を揺らしていった。新緑の匂いが鼻をつく。
今は、都会のことは忘れよう。ここは緑が豊富だし、空気も綺麗だ。
親切なもので、大学の寮も無料で借りられるという。
タクシーが止まり、白尾さんが振り返った。
「着いたよ」
木造の古い建物が目に入る。大きな木に覆われて寮全体が薄暗い。
お金を払って降りると、タクシーは来た道を引き返していった。
空気は町よりも一際澄んでいる。ゆっくりと建物を見上げた。三階建て。
一階部分には木製の扉がひとつだけある。
「大学寮正面口」
表札代わりにそう書いてある。
ドアノブを回して中へ入ってみた。細長いテーブルが七列ほど並んでいる。
近くに券売機があった。食堂なのだろうが、調理場と思われるところには誰もおらず、今は使われていないみたいだ。券売機も動いていない。
木の床が、ぎしぎしと音を立てる。ここも静かだ。
早足で並んだテーブルの横を通り過ぎる。隅まで行くと、またドアがあった。
開くと、ギイッという音がした。階段がある。ここから各部屋に行けるようになっているらしい。
一歩一歩踏みしめながら階段を登る。
私が泊まれる部屋は、201号室。階段を登ったところの手前だ。番号を確認してから、ドアをノックする。
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