死子深域

@gome_mochi

第一章

第1話 余生

 たぶん多くの人間が、死ぬときに悔いをのこしたくないと考える、と思う。あって良いことなんて無いし、悔いを残さないに越したことはないからだ。かく言う俺も当然悔いを残したくない派の人間だ。

 俺、朝霧あさぎりきょうには決して遠からぬ未来で死が訪れる。具体的には、今は18歳なのだが30を迎えることはないそうだ。自分でも何となくわかるのだが、これはもう避けられない俺の運命だった。それもこれも全部あのクソジジイクソババアどものせいなのだが、別に憎く思ったりはしていない。もう過ぎたことだし、取り返しはつかないだろうし、そのおかげで得たものもあるからだ。⋯⋯いややっぱり思い返したら腹が立ってくるかもしれない。

 ともかく、俺は自分のこの運命を受け入れている。しかし問題なのは、俺にはまだやり残したことがあるということだった。これを成し遂げずして、俺は死ねない。悔いが残りまくりで、怨霊になってしまうかもしれない。だから死ぬ前に何としてでも達成しなくてはいけない。東京陥落の真相解明、「あの場所」の詳細な調査、そしてあいつのことを知るということを。



 子供ながらに、この場所の向かうところはなんとなく分かっていた。それでも逃げなかったのは他に行く先も、やることもなかったからだった。

 俺がこの孤児院にやってきたとき、ほかに15人ほどの子供たちがいたはずだった。しかし物の数年のうちに子供の数は2人にまで減っていた。俺と、あいつの2人だ。

 過酷な環境だった。おそらくこの孤児院の目的は「魔力適性の高い、強力な兵を作ること」だったのだろう。俺達は適性向上の手術や実験の被験体となり、さらに厳しい強化プログラムを強いられた。しかし全員が全員成功する訳がない。子供同士の交流すらも制限されていたため他の奴らのことは詳しくは知らないが、一人、また一人と減っていき、やがて俺達2人だけになったというわけだ。

 このままこの厳しく残酷な世界ですり潰されていくのだろうと思っていた矢先、その事件は起きた。

 空間に偏在する魔力にはムラがあり、高濃度の魔力が集中する領域「深域」ができることがある。深域内には魔獣と呼ばれる怪物が現れて人を襲うし、そもそも高濃度の魔力は適性のない人間には有害だしでたいへん危険だ。

 そしてその日、日本国内でも類を見ないほどの巨大な深域が、東京全域を覆った。

 巨大な深域にはそれだけ大量の魔力が集まり、魔獣も強力になる。初期から広範囲に発生したため避難は遅れ、被害は拡大。一夜にして当時の首都は陥落したのだった。

 東京に存在したその孤児院も魔獣の襲撃に遭い、職員――いや研究員と言ったほうが正しいのかもしれないが、とにかくそいつらも全滅。建物は崩壊。奴らの研究設備も一緒に壊れ、もはやこれまでだろう。良い気味だ。そして俺もここまでだな。崩壊で怪我をしてるし、瓦礫で周りが塞がれてる。出ようと思えば、俺の『能力』を使えば出られるが⋯⋯正直、そこまでして生きる意味はそんなにない。

 そうして俺が死を受け入れ、そっと目を閉じようとした瞬間、瓦礫が破壊された。


「早く逃げるぞ!」


 俺は何が起きたかすぐに理解した。あいつだ。体から雷電が迸り煙が出ている。魔力と『能力』を使ってここまで来たのだろう。

 あいつはこの地獄でも、明るさを捨てない奴だった。見かけたときはいつだって気丈に振る舞っていて、この暗い地獄に灯った光みたいなやつだった。この状況でも、いやこの状況だからこそ、「外」で生きようとしたのだろう。


「逃げてもいいけど、そっからどうすんだよ。俺達行く宛なんて無いし」


 そもそも、俺達には戸籍すらもあるか怪しい。俺達の生きる場所が、少なくとも今すぐには思いつかない。


「んなこと後で考えりゃ良いだろ。死ぬのはいつだってできるけど死んだらそれまでだし、ほらさっさと行くぞ!」


 いやそんな無茶苦茶な⋯何も解決にはなっていない。問題を先延ばしにしただけだ。しかし、あいつの言葉が妙に響いた。『死ぬのはいつでもできる』、か。確かに生きるのは今しかできないからやっておいた方が得かもしれない。


「分かったよ⋯まずは深域からの脱出だな。魔力濃度がいつにも増して高すぎる。適性があるとはいえ長時間居座るのは得策じゃない」


「あー⋯⋯そうだな。魔獣倒しながら、とにかく外まで走ろう」


 心無しか、ほんの少しだけ歯切れが悪かった気がしたが、そんなことを気にしている暇はない。生きると決めたのだから、生き延びたい。

俺達は襲い来る魔獣を処理しつつ、ひたすら深域の外を目指した。深域は基本円形の領域、時間経過による範囲拡大はあれどまっすぐ突っ走ればいずれ外に出られる。

 しばらくの間順調に進んでいたのだったが、そう上手くはいかなかった。

 その時現れたのは、感じ取られる魔力からして今まで戦ってきた魔獣とは一線を画す、強力な個体だった。建物の影から現れ視界に捉えた瞬間には、もう俺達の寸前までその魔獣の爪が来ていた。空気を切り裂く音、打撃音、肉が裂ける音、そして骨の砕ける音。すんでのところで辛うじて防御体制を取ったのは、即死を免れたという面で意味があった。衝撃で吹き飛ばされ建物の外壁に叩きつけられる。肺から空気が抜けるとともに口の中が血の味でいっぱいになる。

 すぐに反撃をしなくては⋯あの速度なら逃げても背中から刺されるだけだろう。今ここで殺さなくてはこちらが死ぬ。しかし、立ち上がろうとしても上手く立ち上がれなかった。


「は?あー⋯」


 全てを察した。踏ん張ろうと力を込めるも、返ってきたのは大地の感覚ではなかった。――激痛。足が折れていたし、左腕は無くなっていた。視界の左側もない。クソ、だめだった。せっかく生きると決めたのに、これは致命的だ。すぐに治さないといけない。

 俺の奥の手、孤児院の職員が『超過動イクセラ』と呼んでいた技を使う。魔力適応手術の賜物であり、魔力をわざと暴走状態で扱うという技術だ。この状態の魔力強化では、身体機能が通常とは比較にならないほど飛躍的に向上する。身体機能の向上、それは当然治癒力の強化も可能だ。だからこんな大怪我、さらには欠損であろうと治すことが――いや、無理か。このレベルに魔獣相手に治し切るだけの隙は作れない。最悪だ、本当。

 あいつはどうなったんだろう。砂煙で姿が見えない。俺はもうダメだし、元々あの孤児院で一度生を諦めた身だ。どうにかあいつだけでも逃がしたい。

 全回復は諦め最低限動けるようにする。回復に回す分のリソースを更なる強化に、少しでも戦えるように。

 突然雷鳴が轟いた。目の前の魔獣が大きく仰け反る。


「時間を稼ぐから!さっさと治せ!!」


 何から何まで助けられてる。感謝してもし切れなくなってしまった。

 雷を纏ったあいつが魔獣に突撃、そのまま後方に押し込んでいく。ここで治せってことだろう。とりあえず傷口の止血をした後、本格的な再生を始める。幸い欠損は左腕だけで他はまだ繋がってる。この傷なら5分もあれば完全に元に戻せる。

 しかし悠長にはしていられない、全力で回復を行い、あと少しのところまで来た。強化した体で魔獣の方向へ走りつつ、残りの傷を修復する。


「⋯ッ!」


 遅かった。魔獣はかなり削られていたが、あいつは先程の俺よりも重症だった。だがより酷いのは、その外傷よりも消耗の方だろう。短時間での能力の使い過ぎか、意識を失いかけていることだった。俺は他人の治療はできない。助けられない。

 何が正解だったのかは分からない。このままあいつと死ぬべきだったかもしれないし、一縷の望みに賭けてあいつを連れて全力で逃げるべきだったかもしれない。


「殺してやる」


 俺が選んだのは眼の前の魔獣を、恩人の仇を殺すことだった。あいつは死ぬ。魔獣のせいで、俺のせいで。回復を切り、超過動の全リソースを肉体の強化に注ぐ。


重力グラビトン

 俺に宿った能力。重力を操ることができる力だ。

 たぶんこのときは火事場の馬鹿力と、怒りと悲しみと、色々重なった結果限界を超えていたんだと思う。超過動に重力を累算した俺に攻撃は、数撃の間にその魔獣を死に至らしめた。――しかし魔獣を殺しても、あいつは戻ってこない。後を追う、という選択肢が脳裏によぎるが、一瞬で霧散する。あいつが犠牲になったのに、俺が死んだら元も子もない。ここはあいつの分まで生き延びなくてはいけない。

 あいつの体は既に魔力への還元が始まっていた。高い適性を持つ俺達能力者や、長時間強い魔力に曝露した人間は、深域内で死を迎えると肉体が魔力に侵食・変換され、程なくして消滅し深域の魔力に還元される。あいつの遺体を弔ってやることは、残念ながらできない。

 逃げなくては。

 俺はその場を後にしようとする。消耗が激しい。早急に深域を抜けなくては。

 しかしその時俺はあることに気づく。俺はあいつのことを知らなかったのだ。いつか俺が死んだとき、もしあの世であいつに再会できたとして、俺はあいつの名前を知らない。あいつの名を呼んで、たった今救けられたことへの感謝を告げることができない。


「⋯また来るからな」


 孤児院に戻れば、あるいはなにかヒントがあるかもしれない。しかし今の俺は満身創痍だ。超過動は無理矢理魔力を暴走させ、身体許容量を優に超える魔力を扱う技。維持していられるのはあと数分で、解除すれば反動で動けなくなる。俺に残された活動時間はあと数分。今はとにかく脱出を優先しなくてはならない。

 いつか絶対に、あいつのことを知ってやる。絶対に。



――3年後


『というわけだ、何とかしてくれ』

「は?」


 現在朝8時、俺朝霧京は仕事用のスマホに送られてきた司令メッセージを見て叫キレそうになっていた。そこに書かれていたのは『総監』瀧澤さんからの任務であり、曰く、


『山形に3つ怪しい深域があるから、今日中に』


 今俺が住んでるのは京都、今日中に行ってやって来いとかほんま⋯

 いつものことながら人使いが荒すぎる。これが万年人材不足な組織の実態だ。齢18にして過労死するかもしれない。この任務が終わったら、今度こそまとまった休みをふんだくらねば。

 支度を終え、装備品――特注の銃とナイフの確認を終えた後、俺は早速家を出た。



 そもそも、なぜ俺がこんな遠くまでわざわざ出向かなくてはならないのか。それは先程も言ったがこの業界は万年人手不足だからだ。俺は「魔導対策局」、通称「魔対」の「特別実行部第1課」に所属しているが、なんとこの1課、俺を含めて5人しかいない。しかも1課は魔対の最高戦力であり、俺達のところに舞い込んでくるのは基本的に他の課では手こずりすぎる、あるいは解決不可能な仕事が多い。そんなわけで俺達は馬車馬のように働いているのだ。俺以外の4人も日本全国を飛び回ってるし、海外に行ってるやつもいる。まあ最近みんな忙しすぎて会ってないからしらんのだが⋯

 魔力適性を持つ者――能力者というのはただでさえ希少なのに、秩序側にいるやつはもっと少ない。大抵の場合裏の社会に少なからず属してる、所謂「悪党」側だからだ。まあ裏社会の依頼とかは一回でしこたま稼げるからな⋯わざわざ自分の命を懸けて秩序側に居ようとする物好きは少ない。世知辛い世の中だ。

 さて、そうこうしてるうちに目的地につきそうだ。もう昼を過ぎてる⋯さっさと片付けよう。

 俺は早速1つめの深域に侵入する。「なんとかしろ」とか言うアバウトすぎる任務だが、まあ「消滅させろ」と受け取っとけばいいだろう。まあ、俺達1課の場合、達成目標以外の部分は各々の判断に委ねられていてかなり自由に動けるからな。何か言われても「知らん」の一言で突っぱねられる。

 深域を消滅させるにはその深域の核となる魔獣を倒さなくてはいけない。魔獣を片っ端から倒していってもいいが、一番強いやつを探し出すのができれば楽だ。そうすれば深域の消滅とともに他のも消えるからな。

 目を閉じ、魔力探知に集中する。ぼんやりと浮かんだ像が次第に色濃く、明確な輪郭を伴って現れてくる。よし、見つけた。ここから東に400mぐらいのところにあるビル内にいるやつだ。これくらいの強さならここからでも一発で⋯ん?

 魔獣の近くに、もう一つ反応がある。これは⋯能力者だな。しかも、意図的に魔力を隠してる。俺は特に魔力を隠したりせず、むしろ今も【重力】で飛んでるから向こうは俺の存在に気づいてるだろう。要救助者や関係者こっちがわなら隠したりはしないはず。もしかしたら何かに追われてる人の可能性もあるが⋯まあどちらにせよ急いだ方が良いことには変わりない。


 近くにあった建物の外壁に立ち、ぐぐっと両足に力を込める。そしてできうる限りの最短距離を、経路上の建物をぶち抜いた直線移動を行う。


「っと、お前だな。こんなとこで何して⋯」


 そこにいたのは腰に刀を携えた男だった。男は俺を視界に入れた瞬間に抜刀する。備えてやがったか。

 刀が空気を切り裂くとともに炎が俺を襲う。


「ハハ、流石だな1課!さっきの突撃は盾を蓄えてたってわけか」


 炎は俺に届くこと無く、間に割って入った瓦礫によって完全に防がれる。

 炎の能力者⋯それに俺のことを、少なくとも俺がどの組織の者かは知っているのか。


「盾⋯ってわけじゃないかもしれないぞ」


 右腕を向け、俺の【重力】の効果のうちの1つ、触れた対象にかかる重力を操る力で男に向かって瓦礫を飛ばす。しかし男は自身に向かってきた瓦礫を難なくすべて焼き斬った。


「!、いない」


 瓦礫で男の視界を遮るとともに隠れ、地を這うように背後に回った俺は、腰につけていたナイフを1つ取り出し男へと突き刺す⋯はずだったのだが、すんでのところで男の刀に弾かれる。


「不意打ちのつもりだったんだが。強いな、誰だオマエ」

「1課の方にお褒めに預かれるたぁ光栄だね。俺は緋縁ひえん、以後お見知り置きを」

「何が目的でここにいる」

「答えなきゃダメか?」

「答えないなら殺す」

「へぇ!そいつは楽しみだ、やれるもんならやってみ⋯」


 刀を構えた瞬間、男の立っていた床が崩落し一気に1階まで落ちてゆく。さらに崩れた床を操り男へとぶつける。空中なら、迎撃は少しは難しくなるはず。さらに、俺は腰に差していた残りのナイフを4本全て自分の周りに浮かべ、あいつの後を追う。


「そー来たかよ!こいつは容赦ねえな!!だが!」


 男は静かに刀を鞘にしまうと、両手を大きく広げる。そして


『光焔・竜』


 男の周囲に現れたいくつかの小さな火種が次第に大きく育ち、炎の竜が瓦礫をすべて飲み込み焼き尽くした。瓦礫を食らった炎の竜は燃料を与えられたかのようにその勢いを増し、飛来。俺の喉元へ噛みつかんとする。


「俺は戦いが好きだ。強者との一期一会も、命を交わし合う一瞬も」


 しかしまだまだ、自在に空中機動できる俺にとっては回避は造作もない速度だ。


「もしかしたら、って言うから来たんだ。そしたらやっぱりお前に会えた!」


 俺が避けたあとの炎の竜はそのままビルの壁に向かって真っ直ぐ飛んでいく。


「せっかくの出会いだ、ここはお前と殺し合いたいところだが」


 俺は空中で瓦礫を蹴って、男の元へと急ぐ。それと同時に展開したナイフたちをそれぞれ別方向に飛ばし。全方位から襲わせる。


「生憎やることがある、それに今は邪魔が入っちまうからな」

「さらばだ」


 炎の竜が壁に激突した瞬間、大爆発が起こった。



「あの竜で俺に追撃しなかったのは警戒してたが⋯初めからこのためか」


 爆心を何層かの瓦礫で覆うと同時に全力で離れることで直撃は免れたが、体中にちらほら手傷を追ってしまった。


「緋縁⋯」


 男の言葉を思い出す。


『もしかしたら、って言うから来たんだ』『生憎やることがある』


 おそらく敵は個人ではなく複数、更にあの男は指示を受ける側だろう。


「面倒なことになったなあ⋯」


 そのとき、俺のボヤキをかき消すように、遠くで魔獣が咆哮をあげた。

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