愛する旦那様へ、この家を出ていきます。もう二度と会うことはないでしょう。
四馬㋟
第1話
「とんだ醜女をあてがわれたもんだ。お前なんぞ、誰が嫁に貰うものか」
面と向かって見合い相手の男性に嘲笑されても、
ただこれ以上相手を不快にさせないために、俯いて顔を隠す。
いくらか酒を飲んでいるせいもあるのだろう、「これっ」と同席した両親に窘められても男は馬鹿笑いをやめなかった。しまいには「てっきり見合い相手は美人の妹のほうだと思っていた。これでは話が違う」と怒り出す始末。
二十数回目の見合いは散々な結果に終わり、家に帰れば地獄が待っていた。
「この穀潰しがっ。一体いつになったらこの家を出ていくのよっ」
着物を剥ぎ取られ、鬼のような形相した継母に折檻される日々――父親の助けはとっくの昔に諦めていた。元より、彼はほとんど家にはいない。仕事で忙しいと言いつつ、馴染みの芸者のところへ通いつめているのだ。それでいつも継母の機嫌が悪いのだと、なんとなく察しがついた。
ただでさえ、継母は先妻の娘である自分を嫌っているというのに。
――私だって、さっさとこんな家から出て行きたい。
自室で自身の傷の手当てをしながら、月姫子はぼんやり考えていた。ベルトで打たれた背中を見るために鏡を覗き込むと、そこにはガリガリに痩せた十八の女が映し出されていた。青白い肌にはいくつもの青痣と、ミミズ腫れのような赤い筋があり、とても綺麗とは言えない。
顔にいたっては額から顎にかけて、煤で汚れたような痣があるせいで、醜女と呼ばれてしまう。もう見慣れてしまったので自分ではなんとも思わなかったが、どうやら他人の目には薄気味悪く映るようだ。それを知ってからは、極力うつむき加減で、顔を隠すようになっていた。すると根暗で陰気な娘だと、いっそう周囲に毛嫌いされてしまう――悪循環だ。
――お母様が生きていたら、こんなことには……。
母は大変な器量良しで、歴史ある名家の出身だった。しかし名家とはいえ没落寸前の華族、当時、商人として成り上がりつつあった父の目に止まり、身売り同然で嫁入りさせられてしまったらしい。
――それでもお母様は私を愛してくれた。
今では誰も信じないだろうが、子どもの頃の月姫子は透き通るような肌に薔薇色の頬をした大変な美少女だった。外を歩けば誰もが振り返り、なんて美しい娘だろうと口々に褒めそやしたものだ。
母もそんな娘を自慢に思っていたらしく、どこへ行くにも月姫子を連れて出かけた。
――お母様の様子がおかしくなったのは、確かお父様が異国から戻ってきたあと……。
父は母に土産物として異国の神の像を贈った。
それは大きな木彫りの置物で、美しい少女の姿をしていた。
その美貌に家の者たちは夢中になり、やがて「月姫子様ですらこの像の美しさにはかなわない、この家で最も美しいのはこの少女の姿をした神の像で、月姫子様は二番目だ」と使用人たちですら噂するようになった。
それを聞いた母は怒って神の像を燃やしてしまったのだが、それからまもなくして母は心臓発作で亡くなり、月姫子の顔には煤で汚れたような痣が浮かび上がった。いくら洗ったり擦ったりしても、黒ずんだ肌が以前の綺麗な肌に戻ることはなかく、
――神罰が下ったのだと、誰もが言ったわ。
事実、神の像は燃えずに残り、気味悪がった父が蔵の奥に隠してしまった。
金持ちの娘らしく、蝶よ花よと育てられた月姫子だったが、母が死んでからは状況ががらりと変わってしまった。父は自分に見向きもしなくなり、早々に後妻を家に入れて、家事の一切を取り仕切らせた。
『なんて醜い子だろう。お前のような不器量な娘、生まれてこの方、見たことがない』
それが月姫子への、継母の第一声だった。
元来が子ども嫌いなのだろう。例外なのは自分の血を引く子どもだけ。
「ちょっと月姫子、窓枠が汚れているじゃない。まともに掃除もできないなんて、本当に役立たずなんだから」
「申し訳ありません、お母様」
「月姫子、あたしの訪問着はどこ? まさかお前が盗んだんじゃないでしょうね」
「すぐに探してまいります、少しだけお待ちください」
彼女に対して、月姫子は娘というより使用人のように尽くした。笑顔の練習をしたり化粧をしたりと、少しでも自分を美しく見せようと努力もした。けれど記憶にある限り、継母から優しい言葉をかけられたことは一度もない。学校にも通わず、どれほど家のことを手伝おうと「穀潰し」と罵られる。対して連れ子である妹は女学校に通い、なんの苦労も知らずに育ち、可愛がられている。
最初こそは理不尽に感じたものの、今では完全に諦めていた。
――皆が言うように、本当にバチが当たったのだわ。
不安になった月姫子は、夜になるとこっそり蔵に忍び込み、神の像を探した。
半刻ほどかかって見つけた神の像を見て、月姫子はひっと息を飲む。
なぜなら少女神の美しい顔は煤で汚れたみたいに黒くなっていたからだ。
――私と同じ……。
試しに布で擦ってみたが汚れはとれず、月姫子は涙を流しながら「ごめんなさい」と呟く。
「燃やされてしまった上にこんな暗い蔵の奥に閉じ込められて、さぞ苦しんだことでしょう」
月姫子は神の像に、醜い自分の姿を重ねずにはいられなかった。
仮に母の死や自分の痣がこの像による祟りだとしても、今では当然の報いだと思えた。
涙を拭うと、月姫子は神の像をそっと胸に抱いて、部屋に持ち帰った。
それから柔らかな布で丁寧に磨いて埃を取り、明るい場所に置く。
「あんなところに独りでいては寂しいでしょう? これからはずっと私がそばにいるわ」
心なしか、少女神の顔に優しい笑みが浮かんだような気がした。
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