42怖目 『嫁入り葬』②

 夜もすっかり更け、御斎はゆるやかに終わりへ向かっていた。


 明日の朝、火葬が行われるという。


 「んだらよ、あんたも明日、来て見でぐだされや。せっかくの祝げぇだもの、見でおぐとええべさ」


 男が、酒気の回った顔でしきりに勧めてくる。


 どうやら、この村では遺族以外でも火葬に立ち会って構わないらしい。


 遺族へ挨拶して立ち上がった、そのとき。


 ――バタンッ。


 広間の障子戸が、はね飛ぶような音を立てて開いた。


 笑い声も歌も、すうっと吸い込まれたように途切れる。


 戸口には、黒いスーツの若い男が立ち尽くしていた。


 肩で息をしながら、血走った目で室内を荒々しく見回す。


 そして棺を見つけた瞬間、衝き動かされるように駆け出した。


 「……絵里……! 絵里……!」


 祭壇の前に膝をつき、白無垢で眠る故人の名を震え声で呼び続ける。


 広間は水を打ったような静けさに包まれ、かわりに押し殺した囁きが湧いた。


 「ねぇ……あれ、絵里ちゃんの……なぁ?」


 「んだんだ、付き合ってだ町の人だべ……なんつったが、たつ……」


 「ほれ、辰雄くんだべぇ……」


 噂が渦のように広がる。


 「辰雄さん」


 遺族の母親が、そっと声をかけた。父親も寄り添うように立っている。


 「良がったぁ……姿見えんで、来ねぇのかと思っとったんだわ。この度は絵里の葬式に来てくだって……ほんに、ありがとさまです」


 母親は深く頭を下げた。


 だが辰雄は、怒りで顔を歪ませたまま二人を睨みつける。


 「……来ないと思った!? 呼ばなかったくせに!!」


 怒号が響き、村人たちは一斉に肩を縮めた。


 「呼ばんねがった、なんて……そんたごど、ねぇべぇ……」


 「わだすらぁ、辰雄さんのことぉ思って……」


 両親が取りなそうとするが、辰雄はさらに声を荒らげた。


 「思って!? 絵里から聞いてんだよ! あんたらの風習なんだろ、“恋人や家族は葬式さ呼ばん”って……! 神様の嫁に行ぐんだから、恋人がいるのはおかしい、って……! だから来るなって……だから俺は……!」


 絵里――その名が辰雄の喉でつぶれたように漏れる。


 重い沈黙が落ちる。誰も手を出せず、村人たちは目を伏せた。


 「まぁまぁ、ええべぇ。せっかくのめでたい日だべしてなぁ」


 低く通る声が割って入った。


 「……村長さん」


 父親がほっとしたように呟く。


 私の近くにいた男――どうやら村長だったらしい――が、いつの間にか三人の間に入っていた。

 

 「めでたい……? これが……?」


 辰雄は棺を覗きこみ、震える声で返した。


 白無垢の表情は美しく整いすぎていて、むしろ彼の瞳に恐怖の色を宿しているようにも見える。


 村長はゆっくりと頷いた。


 「そらなぁ、あんたさんからすりゃ異様に見えるべ。ここは山奥の古い村だべして、よそさんとおんなじようにはいがんよ」


 そして淡々と続けた。


 「ここで死んだ者ぁ、みんな神さまの嫁さなるんだ。嫁に旦那や恋人ついでっと、そら筋が通らんべ? ほしたら、恋人や旦那、嫁は葬儀にゃ呼ばんのが、この村の習わしだぁ」


 「……だから、呼ばれなかったって……」


 「ほれが理由よ――じゃども、せっかく遠ぐから来てくれたんだべ。今日は特別よ。出席してってええ」


 村長は子どもをあやすように微笑む。


 「祝いごとだべしてなぁ。賑やかな方が、嫁取り様も喜ばっせる」


 辰雄は拳を握りしめたまま、返す言葉を失った。


 村長と村人たちだけが、ゆっくりと口の端を吊り上げていた。




――――――


 夜が明けきらぬ薄闇の中、村はすでにざわついていた。まるで祭りの準備でもしているかのように、老人も子どもも黒い礼服に袖を通し、家々からぽつぽつと広場へ集まってくる。


 昨夜の"披露宴"と同じく、皆が笑顔だった。

 

 死者を送り出す儀式だというのに、湿っぽさは一切ない。


 広場の中央には、白無垢姿のままの絵里の棺が安置されている。


 その前に座る両親へ、村人たちは口々に


  「ほれ、おめでとさんでなぁ」


  「よう嫁がれていかれるわ……ほんま、ええこっちゃ」


 「まぁまぁ、末ん代まで幸ぁあるように、神さまも見とりなさるわ」


 と祝辞をかけていく。


 私は思わず眉をしかめた。


 昨夜の光景を再び見せられたようで、さすがに慣れたとは言いがたい。


 ――そこで、視界の端に奇妙な人物が映った。


 辰雄だ。


 あの、激昂して広間へ飛び込んできた男が、両親の前に立ち、にこやかに頭を下げている。


 「……おめでとうございます。絵里を……どうか、よろしく頼みます」


 昨夜、あれほど父母に食ってかかったとは思えない柔らかい声だった。


 そのうえ、両手をパンパンと叩いて、ほかの村人たちと同じ調子で棺へ向かって祝辞まで述べている。


 「絵里……おめでとう……。よう、嫁いでいけよ……」


 笑っている。


 涙はなく、怒気もない。


 まるで昨夜の出来事が全部夢だったかのように。


 私は背筋が冷えた。


 誰よりも死を受け入れられなかったはずの男が、たった一晩で“村の空気”に完全に取り込まれていた。


 村長が私の側を通り過ぎながら、ぼそりとつぶやいた。


 「辰雄くんもなぁ、ちゃんと“あったけぇもん”受けとったんやわ。昨夜の宴でな。ああして祝うてくれりゃ、絵里ちゃんの魂ぁ軽ぅなって、神さまところへスーッと行けるんや」


 私は返答に困った。


 “温もり”という名の、何か別の何かを見てしまった気がする。


 やがて、村人たちが一斉に動き始めた。


 棺の両脇に縄をかけ、白装束の男衆がゆっくりと持ち上げる。


 「ほな、嫁入り道やでぇ。ぼさっとしとらんと、遅れんようについて来なんし」


 村長の掛け声とともに、列は山の方角へ歩き出した。


 霊柩車は使わない。


 代わりに、死者を神へ送り届ける“嫁入り行列”を村全員で作り、神の棲む池のほとりまで歩いていくのだという。


 私も列の後ろに加わった。


 先頭には、先達役の老人が太鼓を打ち鳴らし、その後ろに白木の棺、そのさらに後ろには白い布をまとった女たちが、榊や花を手に歌を口ずさみながら続く。


 列は、まるで古い婚礼の花嫁行列そのものだった。


 棺を担ぐ男衆は白い鉢巻を締め、胸には紅白の房飾りをつけている。


 その後ろには、村の若い女たちが白い布をまとい、榊や紙垂を手に、すり足で静かに続く。


 ひときわ年配の女性は、手に鈴を下げ、チリ……チリ……と控えめに鳴らしている。


 列の途中では、子どもたちが竹の灯籠を持ち、花嫁の前途を照らすように小走りで灯りを揺らす。


 灯籠の炎が薄明の風にゆらゆらと揺れ、そのたびに故人の白無垢を照らした。


 光の角度によっては、僅かに覗かせる棺の中の顔がひどく柔らかく笑っているようにも見えて、私はぎょっと目をそらした。


 そして棺の横を歩く辰雄の姿が、妙に目を引いた。


 昨夜は泣き叫んでいたはずの男が、今は誰よりも朗らかに、両手を叩き、歌まで口にしている。


 「嫁入りゃ神のもと〜……」


 まるで、村の一員としてずっとこの風習に親しんできたかのように。


 その表情には、狂気とも諦めともつかない、奇妙な“晴れやかさ”があった。


 鳥の鳴き声が途切れ、風の音さえひどく遠のいた。


 誰も話していないわけではないのに、声が湿った土に吸い込まれていくように、おそろしく響かない。


 列の中央で鳴る鈴の音だけが、薄暗い木々の間を突き抜ける。


 チリ……ン……


 チリ、チリリ……


 私はまた、辰雄を見る。


 昨夜とは違い、うっとりとしたような表情で、口元に笑みを浮かべている。


 足取りは妙に軽く、まるで自分も花婿の一人であるかのように、誇らしげだった。


 山道は細く、両側から木々の枝が覆いかぶさる。


 ところどころに紙垂を結いた杭が立ち、縄が張られている。


 どういうわけか、縄の先は山の奥――池の方向へと導くように続いている。


 道の脇には、古い石碑がいくつも並んでいた。


 苔むして読めない刻字の中、一つだけ辛うじて読めた文字がある。


 ――“嫁御(よめご) 浄火之路(じょうかのみち)”


 その文字だけが、生き物のように脈打って見えた気がした。

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