第25話 陰謀を利用して
『円卓の杯』亭では、昼間にもかかわらず酔客たちの笑い声が響いていた。
からりと乾いた彼らの笑い声のなかで、リュシアの胸の中では、白い靄がスッキリ晴れたのと同時に黒い霧がじっとりと広がっていく感覚があった。
「ああ、そうだ。俺には着ていく服がない」
「そうじゃないわよ」
頭の中で、たったいま気がついた陰謀が渦巻いていた。
背筋が氷のように冷たくなっていく。
まさか、そんな……ミレイナが? でもありえないとも言い切れない。……でも、いくらなんでもそんな大それたことを……?
私の考えすぎなのでは。だけどもしそれが本当だったら。私はどうしたらいいの?
無理矢理白と黒を同時に考えるように、めまぐるしく脳みそが回転している。
「大変なの、ザフィル。事情が変わったわ」
「なんだ」
リュシアの真剣な表情を見ても、ザフィルはゆったりと構えていた。だが次のリュシアの言葉で呆気にとられたようにリュシアを見つめることとなる。
「私たち、とにかく舞踏会に出なくちゃ。それで陰謀を阻止するの」
「あんたはなにをいってるんだ」
リュシアはいちど深呼吸して、意識して心を落ち着かせた。そしてテーブル越しに身を乗り出し、ザフィルに耳打ちする。
「例の秘薬……『霞の涙』。あれで国王陛下を操ろうとしている人がいるわ」
「は?」
「『霞の涙』を買ったのはミレイナよ。あ、ミレイナっていうのは私をユリシス殿下の婚約者って立場から解放してくれた恩人ね。でも彼女、婚約者の座を得ただけじゃ飽き足らず、王太子が発表される舞踏会で国王陛下を操ってユリシス殿下を立太子させるつもりなのよ」
声を潜めたリュシアの推論に、ザフィルは慎重に腕を組んだ。
「……証拠は?」
「証拠はない。ただの勘だから。でも自信があるわ」
眉根を寄せた難しい顔で尋ねられ、リュシアは胸を張った。『誰かが傷つく恋しかしないと決めている』――そんなことを公然というのは、リュシアが知る限りミレイナしかいない。おそらくリュシアが知らない限りにおいてもミレイナくらいなものだろう。
リュシアの確信に満ちた翠の瞳を見たザフィルの表情が、少し真剣なものになった。
「ルネに話してみよう。王立騎士団の騎士なんだろう? 王家を守るのが仕事だ」
「そんなことしないわ。あいつに手柄を横取りされてたまりますか」
「俺たちだけでやろうってのか」
ぎゅっ、とザフィルは組んだ腕をさらに締め付けた。ぶっとい褐色の筋肉が締まり、盛り上がる。
「じゃあ、レイノルズに売ったあの解呪薬を買い戻して、事情を話して国王陛下にあらかじめ飲んでおいてもらうか」
「買い戻すお金なんかないわよ。ずいぶん使っちゃって目減りしてるわ」
「レイノルズに国の危機だと事情を話してタダで引き渡させれば……って、それは無理か」
大金を払ったのに、なお商品までタダで寄こせだなんて、そんな虫のいい話があるわけない。
「なら誰か……王宮関連の人に事情を話して、国王の警備を厚くしてもらえば……」
「ザフィル」
妙に及び腰のザフィルに、リュシアはピシリと活を入れた。
「なに弱気になってるの。これは大チャンスなのよ! あなたは国家転覆を阻止した英雄として王立蒼刃騎士団に迎え入れられるの。いきなり国王陛下付きの筆頭騎士に取り立ててもらえるかもしれないんだからね」
「だが、そうしたらあんたは……」
ザフィルは少し頬を赤らめて、気を取り直すためかジョッキを一口飲んだ。ちなみにザフィルが飲んでいるのは彼のお気に入りの飲み物であるハーブレモン水だ。
「……あんたは、貴族に戻って好きでもない相手と結婚してもいいのか? ルネはずいぶん乗り気だったが」
黒に近い琥珀がすいっと横に逸れる。
「それが嫌で家出してきたんだろう。俺はあんたに、意に沿わぬ結婚などしてほしくない」
「ルネが婚約者とかいってるのは、小さい頃の戯れ言を持ち出してきてるだけ。そんなの蹴ってやるわ」
「貴族のあんたにそれができるのか? それに、あんたの結婚相手候補はルネだけじゃないんだぞ。俺の知らない誰かの隣であんたがしかめっ面してる未来なんて……想像したくもない」
視線を惑わせたザフィルは、敵を屠ったあとよりも、思い悩んで迷った顔をしていた。
こんな悩ましげな表情は初めてで、リュシアは顔から火が出てしまいそうになる。リュシアのことを真剣におもんばかってくれる美筋肉美形元騎士。なんだか勘違いしそうだ――ザフィルはもしかしたら私のことが好きなのかもしれない、なんて。
「それは大丈夫よ」
安心させるために、リュシアはニッと笑って見せた。
「悪い方向ばっかりに考える必要もないわ。もしかしたら、婚約申し込んでくる人のなかに私好みの筋肉がいるかもしれないんだから――って、あっ」
思わず口走ってしまった言葉に戸を立てようと慌てて口元に手をやるが、出てしまった言葉はもう取り戻せない。
「……好きなのか、筋肉」
ザフィルはリュシアに視線を戻し、苦笑している。
「違う違う、違うからー!」
ぶんぶん首を振るリュシアに、ザフィルはふふっと笑った。
彼の頬は、酒も飲んでいないのにかなり赤くなっていた。
「まあ、気づいてはいたよ。たまに熱い視線が突き刺さってきたからな。こういうのが好きなんだろ?」
と、褐色の腕の筋肉を見せつけるように掲げて巨大な力こぶを作ってみせる。糸を結んでおいたらプツンと切ってくれそうな、素敵な盛り上がりだ。
「うっ」
赤面するが、それでも目を離せないリュシア。ああ、素敵な筋肉。むしゃぶりつきたい、舐め回したい、歯形を付けたい、はむはむしたい……!
「……あんた好みの筋肉が、貴族育ちの坊っちゃんにいるとは思えないな。だが、あんたの話が本当なら、確かに大問題だ。未来の正統なる王が失われようとしている。王を守るのは俺の悲願だ」
彼は腕を降ろすと、静かに目をつむり、口を小さく動かした。
「ای خدا، راه راست را بر من بنمایان. مرا توان تصمیم ده」
まるで祈りのような異国の言葉を呟く彼の唇が、美しかった。
いや、本当に祈りの言葉なのかもしれない。だとしたら、いったい何を祈るのか。……もしかしたら、それは『決断する勇気』とか、そういうものなのかもしれないとリュシアは思った。
「……分かった」
ゆっくりと目を開けた彼の琥珀の瞳には、深く落ち着いた光が宿っていた。
「やろう。俺たちの最後の大仕事だ」
「ザフィル……!」
リュシアは輝く笑顔で、思わず身を乗り出してザフィルの手を取る。
「ありがとう! って、あ、えっと、これはその」
慌てて手を離すリュシアに微笑みを向け、ザフィルが深く頷いた。
「礼を言うのはまだ早いぞ。取り掛かってもいないんだからな」
「そうね……」
「だが必ず成功させる。俺たちが力を合わせてやり遂げられなかった依頼はない」
「もちろんよ!」
リュシアは嬉しくなって立ち上がっていた。
「やってやろうじゃない! 陰謀を阻止してこの国を救うのよ。それで私は冒険者生活の最後に特大の花火をあげて重力属性への尊敬を盤石なものにするし、あなたは騎士団への大きな手土産を手に入れる。これこそ本当の『大逆転』だわ」
「威勢がいいのは好きだが、まずは腹を満たせ」
彼は苦笑しながら目の前の皿を指差した。
「いらないのなら俺が食べてやろうか?」
「食べる、食べる」
リュシアは笑って腰をおろし、ナイフとフォークを握った。
自分の思考に夢中になってすっかり忘れてしまっていたが、まだフィレステーキを食べている途中だった。
ちなみにザフィルの目の前にある鶏の丸焼きはすでに骨になっている。
リュシアはザフィルに見守られながら口いっぱいに肉を頬張り、この後の展開を考えた。
まずは情報収集である。『霞の涙』を買った相手がミレイナかどうか、できるかぎり確認しなくてはならない。そのあと、ルネのところにいって条件を呑むことを伝えないと。もちろん、それはただのポーズであるが……。
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「ای خدا، راه راست را بر من بنمایان. مرا توان تصمیم ده.」
おお神よ、正しき道を私にお示しください。私に、決断する力をお与えください。
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