第3話 冒険者になるか占い

 リュシアは唸りながら封書を開ける。


『だから言っただろう、愚か者。君には『落とし穴禁止令』を発効する必要があるらしい。今後は私が監視する。つまり、結婚しようリュシア』


 ――という、婚約申し込み書にしては短くてムカつく文章が記されていた。


「はああああ!?」


 リュシアはついに椅子から立ち上がった。


 なにこれ! 人のこと馬鹿にして!


「ふざけんな!」


 便せんを破ってやろうかと指をかけたリュシアの背後で、カタカタと窓や家具が音を立てて揺れている。

 それに気づき、「あ、いけないいけない」とリュシアは力を抜いた。

 邸に穴を開けるわけにはいかない。


 もう一度ルネからの申し込み書を、今度は幾分か冷静に読み返してみた。

 なんど読んでも同じだ。これは、完全に馬鹿にされている。


 まあルネにしてみれば、さんざん注意してきたことを守らなかった愚か者にしか見えないのだろう。


 婚約者であったユリシス第二王子を落とし穴に落としまくった結果、ルネの予想通り破局してしまったのだから……。


「ユリシス殿下が浮気しまくるのが悪いのに!」


 そうだ、リュシアという婚約者がいながらすぐ他の女に浮気しまくったユリシスの方が、どう考えても悪いに決まっている。ルネの説教なんか聞かなくていい!


 リュシアはルネの申し込み書をグシャッと握り潰すとゴミ箱へ放りなげた。

 だがゴミ箱の端に当たり、ことりと床に落ちた。


「んもうっ! むかつく!」


 リュシアは苛立ちのままにゴミ箱に近寄ってゴミを拾い上げ、手で投げ入れる。


 だが、近距離だというのにまた外れた。


 ままならない現実に舌打ちをする。


 ――このままでいいの?


 そんな声が聞こえた気がした。


「いいわけないでしょ!」


 ゴミを拾いながら、リュシアは声に出していた。


 いいわけないのだ。

 ゴミのことではない。


 ユリシスに婚約破棄されて、しかもそのうえルネにまで婚約を申し込まれて。いや、これは婚約の申し込みではない。説教だ。ルネは夫婦生活という一生をかけてリュシアを説教する愉悦を手に入れたいのだ。


 べつにルネと結婚しなければならない決まりはないから当然彼と結婚などしないとして、それでもルネから延々と説教をくらう人生は確定していると見ていいだろう。

 きっと、ルネはリュシアの人生に介入してきては、「もう落とし穴に人を落とすんじゃないぞ」と正論でリュシアを詰めてくる。ルネはそういう男だ。


「あー! もう!」


 手の中の丸めた便せんを、ぎゅっと握りしめる。


 こんなことなら――、こんなことなら。


 脳裏にちらりと、先ほど婚約申し込み書で見た職業が瞬いた。少なくとも人を落とし穴に落としたところで説教などされないであろう、自由な職業。


 それは。


「私、令嬢じゃなくて冒険者だったらよかったのに」


 それなら落とし穴属性だって役に立てられたかもしれない。


 少なくとも、幼なじみの騎士に今後の説教のターゲットにされたり、落とし穴のせいで婚約破棄されたり、婚約を申し込んでくる手紙の整理にうんざりなんてせずに済むはずだ。


「……冒険者?」


 自分の言葉に自分で驚くリュシア。

 少し、現実的に考えてみる。


 冒険者は、主要都市にある冒険者ギルドに登録すれば、誰でもなれると聞いたことがある。身元を隠せば貴族だってなれるという。現に、没落した貴族が冒険者になって大金を稼ぎ貴族に復帰した、という話があるくらいだ。


 リュシアはゴミを持つ自分の手元を見つめた。


 ――もしも私が冒険者になったら?


 沢山の婚約申込書から解放される。

 ルネからの説教も一生無くなる。


 冒険者に必須の剣の腕には自信があった。公爵家の令嬢として、剣の師匠に習っているからだ。これでも師匠からは、かなり筋がいいと褒めらてもらえている。

 そのうえリュシアには魔力がある。冒険者になれば落とし穴属性も役に立つはずだ。戦闘などで敵を穴に落としてしまえば、動きを封じることができるのだから。

 貴族令嬢とは違い、冒険者ならば落とし穴属性だからといって笑われることもないだろう。


(私なら、冒険者になれる。むしろ令嬢でいなければならない理由なんて一つもない)


 リュシアの翠の瞳が決意の光を帯びた。だが、まだ迷いもある。本当に自分が冒険者をやっていけるのか?


「……じゃあ、部屋の端からこのゴミを投げて、ゴミ箱に入ったら冒険者になるってことで」


 誰にともなく宣言すると、リュシアは部屋の角に歩いて行き、対角線上にあるゴミ箱に向き直った。


 普通なら無理な距離だ。歩いて二十歩以上はあるし、しかも投擲するのが重さのほとんどない便せんを丸めたものだなんて。入れる気が最初からないといわれても致し方ない。


 だが、だからこそ、占いには適していると思った。

 そうだ、占い。これは占いだ。


 腕を振り上げ、狙いを定めて精神統一した。

 そして、勢いよくゴミを放り投げる!


 その時ぼやりと、空間が曲線を描いて歪んだ気がした――その歪みに沿ってゴミは弧を描き、狙い通りの位置へ飛び込む。


 リュシアは、自分で投げておいて思わず呆然とした。


(今の、なに?)


 まるで空間にゴミの通り道ができたみたいだった……。


 なんだか不思議な感じだが、とにかく、ゴミはゴミ箱に入った。


 占いの結果は出た。従うかどうかは自分次第だ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ――それから20日後。


 ウォルレイン邸のある王都セレフィアから遠く東にある商都フォルラーデに、旅装姿のリュシアの姿があった。


 ごくりと生唾を飲み込んで、冒険者ギルド『銀の円卓』と記された看板を一人で見上げる。


 ついにここまで来た。あとは冒険者採用試験を無事に済ませば、冒険者になれる。


 土埃のついたマントをはたき、腰に吊した剣の位置を直してから、リュシアは『銀の円卓』の看板の下にある両開きの扉へと足を踏み出した。





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