第31話 マダム

 五分後、ミズメとマキノは家に食堂のテーブルに横並びで座っていた。

 向かいには、六十代前後で、どっしりとしたマダムが座っている。派手な発色の衣服と、髪の色をしていた。

 その手には、拳銃があり、銃口はふたりの間へ向いている。

「最高だね」

 と、マダムは、たっぷりと真っ赤な口紅がついた口を開いた。

「人気の得物がそっちから我が家へ来てくれるなんて」

 罠だった。やはり。

 窓の向こうには、乗って来たタクシーが走り去って行く姿が見えた。獲物をここへ届け、ふたたび街へ戻ったらしい。

 ふたりは、動きを停止している。身体は拘束されていないが、銃口を向けられていた。

 ミズメのスマートフォンはテーブルの上へ置かれている。

「安心して、この銃に入っているのは蝋の弾だから」

 ここでも蝋の弾か。

「でも、あたると痛いよ。骨を、ぽこん、と砕くよ」

 真っ赤な口紅つきの口をゆがませ、笑う。

 テーブルのそばには、小型の犬がいた。ぬいぐるみのような毛並みで、家に配置された犬用グッズから察するに、マダムに溺愛されているのだろう。床でゴム製のネズミの玩具をガジガジと噛んでいた。きっと、猫用の玩具だった。

「娘さん」マダムは銃口を揺らしながら言う。「災難だね。けど、わたしにはあんたは幸運の女神ってワケさ。ふふ、そうね、生きた女神ってのを、はじめて見る気分よ」

 ひどく高まった様子でマダムは言う。

 その間も、ぬいぐるみみたいな犬は、床でねずみの玩具をガジガジ噛んでいる。

 やがて、家の外に黒い車がやってきて、停車した。ドアが開き、背広を着た者たちが降りてくる。それらは、マダムの家の呼び鈴を押した。マダムは、あまったるい口調で「あいてるー」と、いった。

 玄関ドアがひらき、背広たちが入って来る。すぐにミズメを両側から掴み、椅子から引き上げる。

 とたん、マキノが動いた。

 瞬間、銃声がなる。

マキノは左肩を撃たれて床へ倒れた。

「だめっ!」

 ミズメが叫んだが、強引に連れてゆかれる。マダムは背広たちへ「失礼」と、肩をすくめていった。背広たちは、怯むことなく動き続け、テーブルの上にあったミズメのスマートフォンも回収し、家から出ていった。

 玄関ドアが閉まる。室内に、車が走り出す音がかすかに聞こえた。

 その間、マキノは床に倒れていた。肩をおさえて、苦悶の表情をしている。蝋で出来た弾とはいえ、ダメージは深刻に違いない。当たり所が悪ければ、生命もあやうい。テーブルの向かいにいたマダム立ち上がり、銃口の先をぐるぐると回しながら、倒れているマキノのそばにより、見下ろしていった。

「ドラマチックさに欠ける。でも、ちょっとだけ、愛には見えたけど」

 ウィンクをする。

 このマダム、なかなかのキャラクターだった。この街は大きく、人の数も膨大だ、わたしが知らない者はまだたくさんいるようだ。

「少年、もう少しだけ床にいて。ぜったいにあなたを解放する、やくそくする、あのね、立ち上がられて、車を走って追いかけられ走られたくないの、それって、絵的にもキツくなりそうでしょ? だから、もう少しだけ、そこにいて立たないでいて。蝋の弾とはいえ、銃は撃ちたくないの。いいえね、ある程度、相手が大人だと平気になるの、撃つの。でも、子どもはだめ、さすがに何回も撃つのは、嫌なの」

 倒れている、苦しんでいるマキノへ言う。撃たれた左肩から、出血は確認できない。しかし、威力はかなりある、痛みは激しいものだろう、マキノの顔は苦痛にゆがんでいた。それでもなんとか立ち上がろうとする。とてつもない痛みはあるが、肩以外は無傷だ、つよい意志で立つことは出来るかもしれない。だが、まだ銃口は向けられている、ただただ気持ちで動けば、さらに蝋の銃弾を与えられかねない。もうすで一度撃った相手だ、二度目を撃つのだって、躊躇はないだろう。

 しかし、マキノはどうしても、そこまで考えず、気持ちだけで立ち上がろうとする。テーブルの縁へ、手を伸ばすが、空振りした。マキノは不安定だったバランスを崩し、また床に倒れる。

 床の高さと視線がほぼ同一となる。

 そのマキノの視線の先に、小型の犬がいた。

しかも、犬は全身を床にぺったりとつけて、ひどくぐったりしている、呼吸もかなりうすい。

 さっきまで、犬がガジガジ噛んでいた、あのネズミのゴムの玩具がない。おそらく、犬は、玩具を飲み込んでしまった。

 すると、マキノは犬の方へ這う。マダムは「なによ」と、顔のずらし、テーブルの下を見る。

そこにはぐったりした愛犬の姿あった。

「なにこれ!」

 マダムは悲鳴をあげた。同時に、マキノが犬へ手をかける。

肩の鋭い痛みを感じながら、マキノは「飲み込んだ、きっと、ねずみ………」と、いった。「この犬」

「のみこんだ、え、あ?」

「………銃声に驚いたか」

 と、マキノはいって、スマートフォンを取り出し、素早く検索して、犬の誤飲の対処方法を調べる。まっさきに検索結果にあがったのは、動物病院へ連れてゆくことだった。だが、犬の様子から察するに、時間の猶予はなさそうだった。

 マキノは床に腰をつけたまま、別の検索結果を探すと、犬を持ち、さかさまにした。犬の口をあけて、下を掴み、それから、指を入れる。

マダムは茫然としてしまい、動けず「た、たすけられるの………?」と、マキノに訊ねるだけだった。

「け、検索しました!」と、マキノは叫んで答えた。

 適切な処置かは不明だった、だが、やがて、マキノの指がネズミの玩具のしっぽを掴み、一挙のずるりと引き出せた。

「でた!」

「もう!」

 瞬間、マダムはへたり込み、ごうごうと大声で泣き出した。

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