その夏、つなぐ声

五瓜 信

第1話

第0章 コートの鍵

四月初旬、赴任初日。

朝の校舎はまだどこかよそよそしく、誰もいない昇降口のガラスが、背広姿の自分を歪めて映していた。

私は、生徒たちが登校する前に……と思い、早めにテニスコート管理棟へ向かった。

コートのハンドルを借りるためだ。ほとんど無意識だった。

「部活、見られますか?」

管理棟にいた女性職員が、やさしく声をかけてくる。

「……ええ、とりあえずは」

それだけ答えて、私はハンドルを受け取った。

無骨な金属の冷たさが、妙に手の中に残った。

鍵の重さが、責任の形をしているようだった。

校庭の向こう、テニスコートはまだ完全に春になりきれない風をまといながら、静かにそこにあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る