12 施術

 バレたのか。

 僕と真司が何をしていたのか。

 守矢さんに。

 消灯時間だったから誰にも会うことなく、二番館の、さっきまでいた守矢さんの部屋に辿り着いて。それでもこんなふしだらな格好でよくここまで来れたものだと我ながら思う。

 消灯時間後は机の明かりのみ点灯を許可という寮のルールのもと、入った守矢さんの部屋は薄暗かった。

 僕を何時間か前のようにベッドの縁に座らせると、守矢さんはミネラルウォーターのペットボトルを目の前に差し出した。

「洗面所に行かせてあげられなくてごめん。それから、無理矢理連れてきてごめん」

「いえ……ありがとうございます」

 ペットボトルの水をごくりと一口飲む。真司の残滓は綺麗に消えて。この人の前で下に何も着ていない状態なのが酷く恥ずかしくなって。と思っていたらスウェットの下を貸してくれた。腰の紐で調整できるから多少大きくても気にならなかった。下着はさすがに……ってことで落ち着かないが贅沢だろう。

 守矢さんは少し間を空けて僕の隣に腰掛けた。

「君を誰もいない部屋に帰したことが気になって様子を見に行ったんだよ、そしたら……」

 素っ裸の僕が廊下を歩いているという冗談のような光景に遭遇した、のだ。

「野間は帰省したんじゃなかった?」

 声が若干怒りを含んでる気がする。

「僕はそう思ってました。ですが守矢さんの部屋から戻ったら、し、野間がいて」

「もう見過ごせない。何も言わなくていい、なんて俺は言えないよ」

 僕だって言えない。二人の秘密をあなたには。

「野間に命令されたの?」

「僕がそうしたかったからです」

 提案を受け入れたのは僕だ、全部。

「何も着ずに廊下を歩くことを?」

「そうです」

 返答に間をおいては駄目だ。

「なぜ?」

 矢継ぎ早に質問されて。

「誰もいないとわかっていたからです」

「野間に服を着るなって言われたの?」

 急に質問の方向が変わって。

「違います」

 どきりとしながらも嘘をついた。ごめんなさい。ここで真司だと答えてしまえば真司にも何かしら処分が下る可能性がある。

「野間にレイプされたの?」

 ちょ。

「違いますっ」

「野間と同意の上でセックスしてたの?」

 なんでそんな。

「違いますっ」

「野間にオナニーを強要された?」

 ……。

「違いますっ」

「野間にフェラチオを強要された?」

 しっかりしろ。

「違いますっ」

「野間のことが好き?」

 !

「だから逆らわないの?」

「……違います」

 もう無理だ。僕なんかがこの人を煙に巻くことはできない。

「僕の……償いなんです」

 大きな声は出なかったけど、胸を張れることではなかったけど、本当のことを口にした。

「償い? こんな酷いことが?」

「そうです」

 酷い仕打ちを与えたいと思われるほどに僕が真司に酷いことをしたから。

 僕は守矢さんに僕が中二のあの時に真司にしたこと、そして偶然ここで出会って僕が真司に当時できなかった謝罪をしたこと、償いとして真司の言うことを受け入れるとしたこと、を話した。

「狡い訊き方をしてごめん。話してくれてありがとう。誰にも言わないと命を懸けて約束する。絶対羽鳥君を困らせるようなことはしないから」

 一切口を挟まずに僕の話を聞いていた守矢さんは、ひとつだけ、と言った。

「野間は償いとして何を求めたの?」

 当然そこへ質問が飛ぶだろう。さっきの僕の奇行を見てしまえば。

「それは言えません」

 軽蔑される、きっと。僕も真司も。そして真司の立場が相当まずくなる。同意の上で恋人同士だからだと嘘をつければ咎められることはないのかもしれないけど、真司は嘘でも絶対受け入れないだろう。

「それはいつまで? 君はいつまで償いを続けるの?」

 言えないと言ったからある程度察しがついたのかもしれない。逸脱していることなのだと。

「わかりません」

「……野間に訊いてくる」

 守矢さんは本気なのか立ち上がった。

「え、あのっ、待って」

「その償いで羽鳥君が疲弊していることを野間はわかってるんだろう? 恐らくそれが目的なんだろう? 自分が味わった辛さを羽鳥君にも味わわせたいと思ってるんだろう? 償いじゃなくて復讐だよ、それは」

 行かせまいと思わず守矢さんの腕を掴んでしまった僕の手を守矢さんはぐっと握り返した。

「……わかってます」

 守矢さんと視線がぶつかる。僕はそれほどまでに真司に憎まれていたから、仕方ない。

「それでもいいんです。僕は真司のことが好きだから」

 初めて口にした。胸の内に秘めていた想いを、こんな形で他人に話すなんて。

「野間はそのことを知ってるの?」

「いいえ、真司の性的志向は僕と違うから」

 僕の感情が真司に届くとは思ってない。だからせめて繋がりだけはなくしたくない。できることなら昔のように笑い合いたいと思っていたけど。

 だけど、もう何もかも無理なところまで来た。奴隷だと言った真司の目は何の色もなくモノを見るような乾いたものだった。奴隷という名に終わりはこない。暗い井戸の水底から見上げるだけで絶対に手は届かない。

「でもこれ以上真司の側にいることはできないと……もう限界だと思うんです……」

 上げた視線が落ちていく。

「いつまでも僕への復讐という負の感情を真司に持ち続けさせたくないんです。僕が作った傷は僕が治さなければいけない。真司は明るくてみんなの中心で。そんな真司は黒いものを持っていてはいけないから」

 でも。

「でもそのやり方がわからないんです。これ以上どうしたらいいかわからな……」

 鼻先がツンと痛くなって、目頭が熱くなって。嫌だ、泣くなんてみっともない。

「あ、あの、すみませ……」

 声が鼻にかかってぐにゃぐにゃで。こんなんじゃ慌てて下を向いたって泣いてるとバレるだろう。だけどどんどん溢れてきて止められない。隠すように目に当てた手のひらが濡れていく。

「羽鳥君」

 守矢さんの腕を掴んだ手と目に当てた手をやんわりと外されて。

「俺は野間が憎らしくて羨ましいよ」

 え……?

 守矢さんは僕の足元に跪いた。だけど涙がぼたぼたと落ちて顔を上げられない。

「心をぼろぼろにされて、それでも野間を想って。それなのに野間は君の気持ちに気付こうとしない」

 それは真司が男を好きになったことがなければ当たり前のことだ。

「どうして野間より俺が先に君と出会わなかったんだろうって思うよ」

 え?

「俺は羽鳥君が好きだ。君が中一の時から。ずいぶん様子が変わってたけどここで会えて嬉しかったんだよ」

 今、なん、て……? 心が違う方向へ揺さぶられて涙が止まる。

 僕のことを、好き? だから、僕を気にしてくれて……?

 でも、僕は。

「だけど君は野間から離れられない。それでもいいから君を癒したい。許してくれるなら君の疲弊した心と身体をやわらかくして野間とまた向き合えるよう送り出したい」

 守矢さん……。そんな優しいことを言わないでください。僕は強い人間じゃないから。

「俺を避難場所にしたらいい」

 この人は僕を理解してくれる。欲しいものをくれる。支えてくれる腕とか体温とか、言葉とか。

 守矢さんに縋りたい。優しくされたい。この人のぬくもりが僕を癒してくれると知ってるから。

 でもそれは守矢さんを傷付ける。いいと言ってくれるけど本当は傷付いている、きっと。

「おいで、羽鳥君」

 苦しくて。好きだから。でも叶わなくて。でも離れられない。歪な距離がずっとあって。真司の心を癒せればと思ったのに僕が疲弊して。

 守矢さん、ごめんなさい。

 差し出された手を握ると、引き寄せられてそっとベッドの上に横たえられた。

「怖かったら目を瞑って」

 これから何が起こるのかは、心と身体をやわらかくすると言った意味は分かってるつもりだ。

 怖さも嬉しさも悲しさもない。僕はまた一人で立てるように施術されるのだ。守矢さんを犠牲にして。

 守矢さんに身を委ねる証として目を閉じる。

 目の端に溜まっていた、流れ落ちていく涙を守矢さんの指が掬ったと同時に、唇に柔らかいものが優しく触れた。守矢さんの唇だろう。触れては離れてをゆっくりと繰り返す。

 実は僕のファーストキスは真司だ。ふざけて小学生の時に一度だけやった。単なる興味本位でしかなくて、やった後に二人でこんなのが大人はいいのかと首を傾げた。舌を入れるキスなんて知りもしないから唇が触れるだけのものだったけど。

 何度か繰り返すうちに時に守矢さんの唇は僕のそれを甘く噛んで舌先が唇を割って。誘われるように薄く口を開くとぬるりと舌が口の中へ入ってきた。

「……ぅん」

 僕の舌は守矢さんに捕らえられゆっくりと優しく嬲られる。頭がぼうっとしてきて、心地良くて。やがて僕の下半身が反応して身体が熱を持ち始めた。真司の時とは違う、被虐的な興奮ではなくて純粋に気持ちがいいと感じて。

 借りていた守矢さんのシャツとスウェットを脱がされて一糸纏わぬ姿になると、守矢さんは身体中にキスを落としていった。

「……ぁ……んふ……」

 舌を這わせて肌を吸うキスはそこかしこに官能を灯し、知らず知らずのうちに声が出てしまう。鼻に抜ける甘ったれた声を恥ずかしく思いながらも堪えられなかった。

「あ……っんん……ん」

 乳首を口に含まれた時には背中が震えるほど気持ちが良くて、舌先で転がされきつく吸われると腰が浮いた。ぞくりと快感が走る場所を探し当てる守矢さんの指と舌が身体中を這いまわって僕は気持ちがいいとしか感じなくて、すべてが輪郭を失い快感に漂う。時折降りてくる唇へのキスに僕は自ら舌を絡めにいって深いキスをねだって、その間に内腿を撫でられペニスから先走りの雫を零す。

 膝に手を掛けられゆっくりと開かれていく。露になった内腿に舌が滑り最後は鈴口の割れ目に辿り着いて。

「んんっ……ぅ」

 すでにペニスは硬く立ち上がっていてじんじんと疼いていた。

「あ……っ」

 ペニスにまとわりつく粘膜を感じると、腰から快感が這いあがってひときわ大きく身体が揺れて。裏筋をひと舐めされて口で扱かれる。

「ああっ……ん……ふ……ぅん……っう……」

 初めてのことに快感をどう流していいのかわからない。全部をまともに受けて頭がおかしくなりそうで。もっと貪りたいだとかどうしてほしいだとか欲が形になる前に快感が一気に駆け上がって。

「んんっ……んっ……ん…………っ」

 わけがわからないまま射精してしまった。守矢さんの口の中に、と気付いたのは僕のペニスから口が離れた時で。

「す、みま、せ……」

 浅い息のまま半身を起こすと先に身を起こしていたらしい守矢さんの優しげな瞳があった。

「ううん、そのつもりだったよ。ミネラルウォーターを持ってくるから待ってて」

 廊下へ出た守矢さんはすぐにペットボトルと持って出たタオルを濡らして帰ってきて僕の身体を清めてくれた。

「ありがとうございます……」

 快楽の残滓が消えずまだ夢から覚めていないような中、水を口にした後に脱いだ服を着せてもらい再びベッドに横になった。守矢さんの胸に抱かれて。

 僕の体は重くてどろどろとした何かが消え、ぬくもりと甘い陶酔で満たされている。

「明日になればまた君は野間のために心を削る。だから今は俺の中で眠って」 

 髪を撫でられていると瞼が重くなって。

「おやすみ、羽鳥君」

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