8 真司がいない日1

 ゴールデンウィーク初日、もちろんのように一緒に朝食をとることはないものの実家へ帰る真司を部屋で見送った。「じゃ行くわ」「うん、いってらっしゃい」といつもの素っ気ないやりとりだが、無視することはやめたのかもしれない。

 今日から三日間、僕はこの部屋で一人だ。静かに穏やかに過ごせる。真司と笑いあえる日を望みながらいない今ほっとしている。

 償いを続けなければと思うのに終わりが見えないことに辛さを感じて。心がばらばらで。僕は高を括っていたのだ。一週間もすれば真司は飽きるだろうと。僕の気持ちを汲んでくれるだろうと。

「おーい、羽鳥ー」

 ノックと同時に呑気で楽しそうな声がドアの向こうから聞こえてきた。誰だろう。僕を訪ねてくるなんて初めてだ。ベッドの縁から立ち上がってドアを開けるとそこにはクラス副委員長が立っていた。

「川崎……どうしたの?」

 帰省、しないのだろうか。

「俺さ、明日家に帰んだけど、羽鳥が暇なら一緒に昼飯行かねーかなって」

「え?」

「野間が旅行鞄持って出ていくのが見えたからさ、もしかしたら羽鳥ひとりかもなって来てみた」

 どうして僕を。せっかくの休みだろうに。

「実家帰っても別にすることないし、二日いればいいだろうからさ」

 なるほどそれで明日帰省するのか。でもそれでどうして僕を。

「羽鳥はお好み焼き食える?」

「……うん」

 頻繁に食べるわけじゃないけど嫌いというわけではない。

「じゃ決まりだな。俺が食堂のおばちゃんにいらないって言っとくから昼飯は外に食いに行こうぜ。玄関に十一時半集合な」

「え、あ、うん。ありがとう」

 川崎は後でなと言って部屋のドアを閉めた。 

 何をして今日を過ごすかなんて、ゴールデンウィークの三日間、何の予定もなかったのだけどあっという間に今日の予定ができてしまった。

 誰かと寮の外でご飯なんて初めてだ。一人で下界(要するに寮の外)に行って文房具やら生活に必要なものを買うことはあっても、ご飯を食べて帰ったことはなかった。もちろん誰かと外出するのも初めて。

 夕食は会長さんと約束したから今日は予定がいっぱいだ。少しだけ気持ちが晴れてうきうきして。久しぶりにこんな気持ちになる。入寮して一か月。僕は真司以外のものに目を向けてこなかった。僕も少しは楽しいと思うことを真司以外の人と共有してもいいだろうか。真司がいない今だけなら。

 約束した時間までに歯磨きなど準備を済ませ、余った時間で少しだけ課題(三日間休みだからと四日分ほどの課題が出ていた)を済ませて五分前に一番館の玄関へ降りて行くと川崎はすでに来ていた。

「待たせてごめん」

「まだ時間前じゃん。俺、食堂寄ってきたから先についただけ」

 食堂で食事をとらない時はおばちゃんに事前に断っておくのが決まりだ。

「腹減ったからさっさと行こうぜ」

 山の上に立つここから繁華街はそう遠くない。古い学校だからか立地は悪くなく。

 三十分もかからずにウチの生徒が放課後よく来るのだというお好み焼き屋さんに連れてきてもらった。割と広い店で、昼時で休みもあってか満席に近い状態だった。

「何食う?」

 テーブルの上のメニュー表を僕に向けて広げてくれる。

「豚玉で」

 オーソドックスなのを選んでしまうのは僕の癖かもしれない。変わった料理名のものを頼んだためしがない。何でも冒険しないクチで。……真司は僕と正反対で知らない名前のものにはとりあえずチャレンジする質だ。

「じゃ、俺、チーズ盛り盛り豚キムチ」

「何かすごいね、それ……」

 すごく元気になれそうなメニューだ。

「この間来た時友達が食っててさ、美味そうだったから今日はこれにしようと思って」

 川崎は備え付けの注文の紙に手早く書くと水を持ってきてくれた店員さんに手渡した。

「よく来るんだ?」

「今日で三回目。羽鳥は初めて?」

「うん、入学して外食も初めて」

「そか。まあ食堂の飯めっちゃ美味いし、別に外で食う必要もないもんな」

「そうだね」

 食堂のご飯が美味しいのは間違いない。

「羽鳥は帰省しないん?」

「うん、ちょうど家に誰もいなくて」

「ああ、わかる。もう親と一緒にどっか行くことないもんなあ。寮が開いててよかったよな」

「うん、助かる」

 夏休みや冬休み、寮が閉まらないからこの学校を選んだ。戻る家がない僕はすまいから締め出しを食らうのが一番困る。

「お待たせしました」

 そこへ熱々のお好み焼きが到着して帰省の話は終わり。はふはふしながら他愛ないおしゃべりをしながら僕たちは鉄板の上のお好み焼きを食べた。どうもこれまで食べてきたお好み焼きよりサイズが少々大きいのか、僕は最後の一口までにとても時間がかかって。川崎に見られながらごちそうさまをした。

「美味かった」

 お世辞でもなんでもない言葉に川崎は嬉しそうに笑った。

「だよな、また食いに来ようぜ」

「うん」

 真司とも来たい。みんなで。

 店を出て近くの公園で休憩しようということになり、ちょっと買ってくるからと川崎はどこかへ行ってしまい。何を買いにいったのかもわからないからここを動くわけにもいかずベンチに座ってると、五分ほどで戻ってきた。両手にソフトクリームを持って。

「これも美味いんだよ、食えるだろ?」

 座る前に手渡してくれる。食べられるけど、腹一杯で食べきれるかどうか。

「天気もいいし、門限はまだまだだしゆっくりして帰ろうぜ」

「そうだね」

 ゆっくり食べれば入るかな。

「しゃべればさ、ちゃんと笑って、受け答えも楽しそうで」

 川崎は横に座って。

「うん?」

「羽鳥っていつもなんとなく一人で寂しそうに見えるから、今日誘ったんだよね」

 ソフトクリームを頬張りながら何でもないことのように言う。だけど僕はその言葉にどきりとした。

「人見知りってわけじゃないみたいだし、ここに来たくなかったんかなって思ってさ」

「ここへは来たかったよ。だから必死で勉強した。勉強しすぎてちょっと力抜けたのかも」

 それなりに普通にしてたつもりなのに。川崎にはそう見えていたのか。

「なるほどな。俺なんか多分滑り込みで入学できたからさ、入れてラッキーで毎日が楽しいけどお前はどうなんかなって」

「僕も毎日楽しいよ。親しい友達はこれから作ればいいと思ってるし、ゆっくりやろうって。しっかり勉強もしないとね」

 この三年間は猶予期間で、卒業するまでに次の生活の糧の見込みをつけておかねばならない。一人で生きていけるだけの力を身につけないと。そこへ真司のことがあって足踏みしてる状態だけどそれはそれで受け入れて。

「えらいな。俺、友達一号でいい?」

「うん」

「あ、待てよ? 一号は相部屋の野間か」

「二人とも一号でいいと思う、僕は」

 ……真司はなんだろう。友達? 違うだろう、きっと。少なくとも真司にとって僕は友達なんかじゃない。

「羽鳥は優しいなー」

 川崎は泣き真似をした。

「いやいや、美味いお好み焼きとソフトクリームを教えてくれた川崎こそ優しいよ」

 川崎が優しいんだよ。僕に声をかけてくれた。

「美味いものはみんなで共有したいじゃん」

「そうだね、楽しい一日になった」

「俺も。食い終わったところで寮に帰るか」

 まだ日は高い。だけど明日に帰省する川崎は準備もあるだろう。

 僕たちの外出は終了し、また来た道をたどって寮に戻った。

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