夢幻龍星譚《ドラグスター・ドリームス》
セイ
第1話 猫と星/誕生
―長い夢を見ていたー
―だが、なにやら外が騒がしい。もう、目覚める時が来たのだろうか―
―目を開ければ、この夢は泡沫のごとくすべて消えてしまうのだろうか―
―星を追ってこの美しい世界を巡ったことも、愛しい者たちと刻んだ足跡も―
―私は、まだ―
―この、甘美な夢に浸っていたい―
1.誕生
「これは……何ニャ……?」
目の前に広がる非現実的光景を前に、ドルは目を見開いた。
“終の地”。一度全てが終わりを迎えた場所であり、旧王都。かつて彼女が師と共に暮らした懐かしい家屋。既に人ひとりいないはずのその地下室に、樹木が一本、何かから隠されているかのようにひっそりと植っていた。しかも、ただの樹木ではない。透明なクリスタルによって構成されたそれは、うすぼんやりと妖しい輝きを放っている。幹はとても太く、成人した男性が3人は収まるだろう。結晶の枝葉は部分的に天井と一体化しており、冷たい鏡面のひとつひとつが、様々な角度から映しとったドルの藤色の毛並みで着飾っていた。
「どうしてこんなものがうちに……」
混乱した思考を整理しつつ、周囲を見渡す。写真立て。ベッド。編みかけのマフラー。乾いた流しに放置された食器には簡単には取れそうもない汚れがこびりついている。地下室はまるであの日から時が止まったかのように全てがそのままだった。淡い光を放つ、異質なクリスタルの樹木を除いては。ドルはおそるおそる手を伸ばし、触れた。見た目通りの硬い感触が肉球越しに伝わってくる。表面温度は意外にも温かい。しばらくふにふにと結晶に触れていたドルは、背筋を突き刺すような嫌な感覚に襲われ我に返る。早くここを立ち去らねばならないことを思い出したのだ。この地は2年前の惨劇以降、深く汚染されている。長居は危険だ。元よりここに立ち寄ったのも、偶然近くを通りかかり、どうしようもなく懐かしい気持ちに駆られたからにすぎない。早く離れなければ。そう頭では理解しているが、どうにも目の前にある不可思議な物体が気になる。まるで、自分を呼んでいるかのような不思議な感覚だった。
だから、持って帰ることにした。ポーチからハンマーを取り出し、軽い力で打ち付ける。ほんの少し欠片を持ち帰るつもりだったのだが、ひびは一瞬で広がった。パリンという小気味良い音と共に樹木が砕け散る。大小さまざまな破片が雨のように降り注ぐ中、何かがごろりと音を立てて彼女の足元に転がり込んだ。床に散らばる欠片が放つわずかな灯がそれを照らす。
「ひ……!?」
ドルは、声にならない悲鳴を飲み込んだ。足元に転がり込んできたそれは、間違いなく人間だった。男。年はわからないが、顔立ちや体格に幼さがあるように思えた。
「息は……してるみたいニャね」
周囲の状況はすべてが彼女の理解の範疇を超えているが、とにかく今は時間がない。ドルは動かない少年を引きずり階段に足をかけた。
重い。やはり人間1人を運ぶことは、この小さな身体には余る行為だった。歩みを進めるたびに、重さがずしりと伝わる。息を吸うたびに、終の地を覆う瘴気が身体を蝕む。だが、ドルはこの少年を諦めるわけにはいかなかった。師匠なら、必ずそうしたから。この子を見捨てたら、師匠に会えた時にまっすぐ目を見れない。たったそれだけのことだったが、ドルにとって最も重要な行動の指針だ。その気持ちだけが、脚を一歩、また一歩と前に押し出した。相当な距離を歩いた。そしてついに、背筋を貫く不快感がふっと掻き消えた。終の地の領域を抜けたことを感じ取ったドルは、最後の力で救難信号を上空に打ち上げると、前のめりに倒れ込んだ。
次に目を開けた時、最初に飛び込んできたのは見知った、懐かしい天井だった。どうやらうまくいったらしい。ここは、間違いなく騎士団の医務室だ。救難信号は拾ってもらえたようだ。
「目は覚めたかい?」
散々聞いた男の声が聞こえる。声の方向へ首を回すと、そこには難しい表情で腕を組む栗毛の男が立っていた。ナミリア国首都バニキスを守護する騎士団の筆頭騎士にして団長、コウ・ベルガ・ミラゼアムだ。
「……迷惑をかけたニャ。ダメ元だったけど、まさかまだボクの救難信号が有効とは。本当に助かったニャ」
「君が勝手に飛び出して行っただけだ。騎士団に君を除名するつもりはない」
「恩に着るニャ、団長」
「……しかし無茶をする。旧王都に入るとはな」
「たまたま近くを通ったら懐かしくなってニャ。すぐ出るつもりだったんだけど……いろいろあってそうもいかなくなったのニャ」
「……そのようだな」
コウは、隣のベッドに目を向ける。ドルもすぐそれに気づき、状況を説明しようとしたが、それよりも早くコウの口が動いた。
「この少年は何者だ……?」
「終の地で倒れてたから拾ったのニャ。無事だったんニャね、頑張った甲斐があったニャ」
「無事どころか……まだ意識が戻っていないことを除けば君よりピンピンしている。どうやら瘴気の影響をさほど受けていないらしい」
「そんなことがありえるのかニャ?」
「少なくとも、前例はないな。市民全員が彼のようなら、こちらに都を移すこともなかったろうに」
「……ちなみに君は中等症と言ったところだ。後遺症の心配はないが……しばらくは身体が自由に動かないだろう」
「まあ、そればっかりはしょうがないニャ」
2人の間に、わずかな沈黙が生まれた。それを破ったのは、2人のどちらもが初めて耳にするうめき声だった。
「うぅ……」
「おお、目が覚めたんニャね!!」
「ドル、ここは任せてくれないか」
コウは腰を落とし、視線を合わせて少年に問う。
「はじめまして。僕はナミリア国騎士団団長、コウ・ベルガ・ミラゼアムだ。君は何者だ?何処から来た?なぜ【終の地】、それも旧王都にいた?」
「……僕は…………」
少年は朦朧とする意識の中で、霧の中を手探りで進むように記憶を探った。だが、そこにはどこまでも広がる白い闇だけが広がっていた。
=続く=
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