第八話 代替的存在

「なぜそう言い切れる? 出会ったばかりの人間との子を欲しがるなど」


「過去に前例があんだよ。そん時は中学三年生だかで、相手は同じ塾に通ってた大して仲良くもない男子生徒。……カラオケに連れ込んでヤろうとしたけど宥められて失敗。敗因は相手が賢かったことだな。お嬢と同じ塾に通ってただけあってな」


「破滅願望か?」


「……ま、そう考えるのが妥当なんだろうが、こればっかりはお嬢の口から聞いた方がいいやな。俺は別に、お嬢の過去をただイタズラに暴露したいってわけじゃないからな」


「じゃあ、なんのために?」


「説教だよ説教。俺はお前に忠告してやがんの」


 アルミラージは野田の足を踏みつつ、


「お嬢に関わるならちゃんと気ィ張ってくれ。この人はあらゆる意味で不安定なんだ。……何かしら手ェ差し伸べてるつもりかもしれねえけど、生半可な気持ちなら端から関わらないでくれ」


 と。


 それからややあって、その場をお開きにする流れになったのだが、帰り際に一人と一匹はこのような会話を交わしていた。


「なんか、お嬢じゃなくて俺に聞いておきたいことがあるなら答えるぜ。そうそう話せる機会もないかもだしな」


「……そうだな。なら、まずその呼び方からだ。なぜ貴様は夕陽台のことをと呼ぶ?」


「慕ってるからだよ。俺はこの人に憑かせてもらったおかげで、知識とか理性とかを得られたんだからな。ニュアンス的には『先生』とかと一緒。ただお嬢にはお嬢がしっくりきやがるな。気品高い感じっつーの?」


「そうか。では、お前はなぜ眠くならないのだ? 肉体と魂との状態がリンクしていないのはなぜだ」


「いまお嬢の肉体は100%気絶してんだろ? で、お嬢の魂は100%気絶してんだろ? だから俺の魂は0%気絶してる。そういうことだろ、知らねえけど」


「そもそも貴様はどうやって夕陽台を気絶させたのだ? アレは貴様の仕業なのだよな」


「あのままほっといたらお嬢はお前とヤるつもりだったから、仕方なくな。……アレだよ、まずお前のデコに頭突きさせて一回目の脳震盪を起させた後、壁にもう一回頭突きさせたら気絶した。お嬢は学校と塾とパルクールとして心身ともに疲労困憊だったからな。零時もとっくに回ってるし、二回くらい頭ぶつけさせれば気絶からシームレスに熟睡したよ」


「お前はなぜ夕陽台の過去について詳しく知っているのだ。夕陽台自身と会話でもしたことはあるのか?」


「いや、俺はお嬢と会話したことはないよ。……まあ、俺みたいな存在ってこっちの世界で言うところの幽霊みたいなもんだろ? 実体が無くて霊魂だけってのはさ。……ただでさえメンタルが不安定でいらっしゃるお嬢に俺みたいなスピってる奴が話しかけようもんなら、発狂しかねないだろってな」


 俺がお嬢の過去を知ってるのは、、とアルミラージは答える。


「お嬢の魂から俺の魂に流れ込んできたのは、一般常識とか良識とか理性とか全部ひっくるめたなんだよ。まあでも向こうは俺が兎の化け物だってことも知らなかったらしいし、そこは一方的みたいだな」


 なるほど、と頷き、アバドンは最後の質問をした。


「なぜ俺は、屋上での決闘で貴様を圧倒できなかったのだろうか。姑息戦法で辛うじて詰ませるということしか出来なかったのだろうか。……お前は夕陽台が寝ている間に魔物狩りでもして、経験値を稼いでいたのか?」


「ンなことしてねえよ。……仮にしてたとしても、雑魚の俺がいくら努力しようと最強戦士サマには敵わないだろうぜ」


 ただし、とアルミラージは続ける。


「お前と違ってこっちには魂が二つだ。俺とお嬢とでな。その物量的な差が物を言ってるのかもしれねえし、……あとは、お前が素手だからだろ」


 戦士が魔物に徒手空拳で挑むか?

 武器はちゃんと装備しないと効果がないだろうが、とアルミラージは付け加えた。


 その後、野田はプレハブ小屋から転移魔法し、夕陽台と交戦したビルの屋上で木の枝を握り締めていた。


 野田が木の枝を横薙ぎに振ると、その軌道上のオーブが弾けるだけでなく、軌道よりも外側のオーブに関しても手前側から奥側にかけて連鎖的に弾けていき、野田から10m前方のものまで届いていた。


 左手の親指に違和感があり、絆創膏を剥がすと、もう爪が生え変わっていた。


 レベルアップし、HPが全回復したためである。


 生き残ったオーブは危険を察知して逃げ去り、周囲はガランとする。


 痛みが失せたせいで再び猛威を奮いつつある眠気の最中、野田は自室を思い浮かべつつ転移魔法を唱えた。



   *



 野田は帰宅してシャワーを浴びた後、十時間眠りこけた。時刻は正午過ぎ。

 肉体的な疲労はレベルアップで回復したものの、夕陽台美波の複雑な家庭の事情を叩きこまれた脳が悲鳴を上げていることは変わりなく、主には精神的療養のための熟睡であった。


 平日なのに誰にも起こされなかったな、と野田は起床してすぐベッドから出つつ思う。


 リビングに向かうと誰も居ない。父親は働きに出ているとして、母親もどこかに出かけているらしい。


 洗面台の前に立ち、歯磨きしつつ思う。

 これから何をすべきか考える。


「アルミラージは駆除するべきか?」


 否だ。この世界での奴の立ち回りは総合的に善である。奴の頑張りにより夕陽台は絶望し切らずに留まっている。殺すべきではない。


「夕陽台は救うべきか?」


 無論だ。虐げられる者を救済するのに理由など要らない。


「ではどう救うべきか?」


 根本的には、夕陽台の母親をどうにかするしかあるまい。

 何らかの手段でもって、夕陽台への態度を改めるよう仕向けるか、それとも物理的に距離を離させるか。転移魔法で地球の裏側に置き去りにしてやるとか。


「…………………………」


 あくまで夕陽台の諸問題を解決するためなら、暴力的解決でもって短絡的に決着をつけてもよかろう。

 が、事はそう単純ではない。


「夕陽台の母親を無考えに追い詰めるのは得策ではないのでは?」


 というのがある。

 彼女は明確に異常者である。娘への接し方からして、何かしら人格に歪みがあるとしか思えない。

 その彼女を追い詰めて、自殺未遂でもしたらどうなるだろうか? そこに魔物が入り込んだら? 歪んだ人格の持ち主が超人的な異能を手にしてしまったら?

 だから、


「夕陽台の母親をどうにかするためには、より慎重な計画と行動とが必要である」


 と考えるのが自然だった。

 現代社会を生きる人間の精神的機微を、針の穴に糸を通すごとく繊細に攻略していかなくてはならない。……しかし、


「そんなこと知るか。俺は戦士だぞ」


 と口内を水道水で漱ぎ、洗面台に吐き捨てるのがアバドンであった。

 俺は武の人間だ。人間同士の小難しく入り組んだ紛争の解決など、全く専門ではない。話の通じない魔物を言語道断で一刀両断するということしか俺には出来ぬ。


「だから、頭を使うのはお前自身でなくてはならないのだ。夕陽台よ」


 と、野田は夕陽台に告げる。

 五時間目が終わり、ひとり教室から出て移動しようと廊下を歩いている夕陽台の行く手を塞ぎ、野田は話しかけていた。


「……え、どういう」


 と当惑する夕陽台の手首を野田は掴み、そのまま引っ張っていった。


「ちょ、ちょっと! いきなりどこに連れていくの!」

「お前が現在抱えている諸問題を解決しに行くのだ」

「……放課後でもいいじゃない! 授業はまだ残ってるのに」

「その姿勢から改めるべきだ。物事には優先順位がある。お前はまず母親をどうにかせねばならない。学業は二の次だ」


 と、その背中を大声を出しつつ追い立てる者がいる。

 生活指導の教師である。午前中丸々を寝坊して来た野田に対しねちっこく説教していたのだが、野田に「邪魔だ」と押し退けられ逃げられ、このように野田を追いかけているのだった。


「やかましいぞアホが。……走るか」


 野田は夕陽台と手を繋いだまま、廊下を駆け出した。

 夕陽台は周囲の生徒から注目され、ヒソヒソと噂されて赤面しつつも、野田に引っ張られるままでいた。

 もう、ここまで来たらどうにでもなれと、腹を括っていた。


 追っ手をまき、誰の目も届かない場所で野田は転移魔法を唱え、二人は以前野田がレベル上げのために登頂した、あの山奥の展望台に転移した。



   *



 一方その頃、夕陽台家のプレハブ小屋に、一人と一匹が踏み入れていた。

 夕陽台美波の母親、夕陽台花子と、そのペットであるヨウムの花実である。

 花子は鳥かごを持っていない方の手で照明をオンにし、ギョロギョロと室内を見回した。


「ムダナノニ、ムダナノニ」


 とヨウムが鳴き、花子は微笑む。


「そうね。何もかも無駄なのよ。……あの子にプライベートなんて有り得ないの。子は親の所有物なんですからね」


 花子は鳥かごを提げたまま、室内を練り歩く。

 冷蔵庫は開けると、中身は空。


「何も入れてないのにコンセントを抜かないのね。電気代がもったいないとか考えられないのかしら。頭が悪いのね」


 花子はソファに腰掛け、鳥かごをローテーブルの上に置く。

 その隣に置かれているノートパソコンを開く。パスワードがかかっており、ログインすることは出来ない。


「……『なにか隠し事でもあるのかしら』、とか言ってみたりして」

「ムダナノニ、ムダナノニ」


 花子は立ち上がり、向かって左側の、黒いトゲトゲで覆われた壁面と対峙する。

 元よりこの小屋は大音量でシアターを楽しむために設計されている。従って壁面には室内の音を吸収するための吸音材があしらわれている。

 ピラミッド型の、ピンポン玉サイズの棘が、壁面に縦横無尽に貼られている。


 そのうちの一つに花子は手を伸ばし、引き抜く。

 先端だけ材質が違い、小粒ほどの透明な玉が埋め込まれている。

 小型の監視カメラとマイクが埋め込まれたそのデバイスは、金属の棒が二本差し込まれており、壁面のコンセントから給電しつつ24時間作動している。

 花子はその、特殊仕様の棘を左右の壁から二つずつ収穫し、再びソファに座り直す。


「カシコイネ、カシコイネ」


 花子は鳥かごを振り向いて微笑し、棘の底面に親指の爪を差し込む。

 何かしらプラスチック製の手応えがあり、それを押し込んでから爪を引き抜くと、バネの力で中からSDカードが飛び出してくる。

 花子はノートパソコンをもういちど操作し、美波のアカウントではなく、家族用のアカウントに入る。こちらにはロックがかかっておらず、何らのソフトウェアもインストールされていない。


 花子は棘から取り出したSDカードを、ノートパソコンに差し込む。

 記録媒体に保存された動画ファイルを再生すると、真っ黒な映像が表示される。音はない。

 時間帯的に、まだ美波が帰宅する前である。花子は飛ばし飛ばし見て、やっと映像に動きが出る。


 誰かが部屋に入り、室内の照明をオンにする。

 明るくなった部屋には美波の他に、見知らぬ男子。

 花子の笑みが濃くなる。


 画面上の美波は500mlペットボトルのコーラを紙コップに注ぎ、男子はそれを受け取ると一気に飲み干している。

 部屋を暗くし、プロジェクターで何か映写しつつ、二人は並んでソファに腰掛けている。主には美波が身の上話をし、男子はそれに相槌を打っているようだった。


 間もなく、男子がぐったりと頭を横に垂らして、両目を瞑った。

 美波はその上に跨り、顔を近づけてキスしようとしている。


「こんな真夜中も真夜中に男なんか連れ込んで、……どうするつもりなのかしらね」


 ウフフ、と邪悪に笑む花子。

 しかしその笑みは、映像の美波が男子に頭突きをすると同時に硬直した。


 花子は、それから次々と繰り出される怒涛の展開を目の当たりにし、……意味不明なりに一定の解釈をしようと努めていたのだが、美波がプレハブ小屋の端から端まで8mほど大跳躍したのを観測すると、荒々しくスペースキーを押して動画を止めた。


「……なんていやらしい子なのよ」


 と、花子は歪んだ笑顔を貼り付けて呪詛する。


「あなたは勉強だけしていなくてはならないのよ。それ以外のことが全て出来なくなるほど、、……それなのに、何よこの異能は。いつ死にかけたのよ。ゴートに目覚めたのなら、なぜ母親に言わないのよ」


 そんなのおかしいわよ。

 子供は親の所有物なのに、と花子は腕組みし、人差し指で腕をトントンと叩く。


「ドウシタノ? ダイジョウブ?」

「……花実ちゃん」


 花子は鳥かごを撫でる。冷ややかな金属が火照った手の平から熱を奪う。


「そうね。こうしてはいられないわよね。……大丈夫じゃないんだから、大丈夫にしないと」


 花子は立ち上がり、酩酊したようなおぼつかない足取りで部屋から出ていこうとする。

 室内を振り返り、吸音材型監視カメラ兼盗聴器が机上に放り出されているのを見やるが、片付けるでもなく放置して去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る