猫に呼ばれて

岬士郎

第一話

 わたしの小学生時代の話である。

 近所の田んぼの外れに篠の藪があったのだが、わたしは数人の仲間とともにその一部を整備して、いわゆる秘密基地にしていた。子供の遊びなので当然だが、土地所有者への断りなどするはずがなかった。

 ある日、わたしたちはいつものように秘密基地で遊んでいた。どんな用事があったのか、また、どんな遊びをしていたのか忘れてしまったが、ともかくわたしは、その秘密基地に隣接する田んぼを走っていた。

 農閑期であり、田んぼに水はなく、稲の切り株がぽつんぽつんと残されている状態だった。まともに走れる状態でないのは、大の大人が考えればわかるだろう。案の定、わたしは稲の切り株につまずいてうつ伏せに転んでしまった。擦り傷くらいは負ったかもしれないが、少なくとも大した怪我はしなかった。

 起き上がろうとしておもむろに顔を上げたわたしは、ぎょっとした。顔のすぐ左隣に篠の切り株があったのだ。明らかに刃物で切った跡であり、切り口は斜めに一直線だ。竹槍の先端のごとくである。わたしの転倒した場所があと十センチ左にずれていたら、篠の切り株が左目を貫いていたかもしれない。

 怖いものからは無意識のうちに目を逸らすものだ。起き上がる途中の姿勢で固まったまま、わたしは右に顔を向けた。

 すぐ目の前、わたしを挟んで篠の切り株の反対の位置に、猫がこちらに顔を向けて横になっていた。

 わたしは息を呑んだ。

 猫は目を見開いてわたしを凝視していた。しかし、開いているのは、左右どちらかは忘れてしまったが、片方の目だけである。もう片方の目は、ただの穴だった。

 猫は動かなかった。息をしている様子もない。

 一匹の蠅が、そのただの穴を出入りしていた。

 わたしは飛び起き、仲間たちの元へと走った。

 事情を伝えると、好奇心に駆られたのか、仲間たちは猫の死骸のほうへと走った。わたしはもうそれを見たくないため、遠巻きに仲間たちの様子を窺っていた。

 猫の死骸の前で足を止めた仲間たちは、ほんの一瞬、呆然としたかと思うと、すぐに向きを変え、「うわーっ!」と叫びながらこちらに走ってきた。


   ※   ※   ※


 あとになって、わたしは仲間の一人に言われた。

「あの猫、自分と同じ目に遭わせようとして、おまえをあそこに呼んだんじゃないのかなあ……それでさ、わざと転ばせたんじゃないのかなあ」

 だとしても、どうしてわたしが標的なのだろう。わたしが生前のあの猫に何かしたというのだろうか。そんな覚えはまったくない。

 いや、覚えがないだけで、何かしていたのかもしれない。だいたい、人に嫌われることなんてした覚えがなくても、実は何かしでかしていた……ということがあり得るくらいのだから。


 最近近所で猫をまったく見かけないな、と思っていたら、自宅の軒下で猫の糞を発見した。早朝だったが、まだ干からびておらず、においが強烈だ。しかも糞があったのは、わたしと妻がかわいがっているアリジゴク――その巣があった場所だった。アリジゴクの巣は猫の糞によって跡形もなくなっていた。


 未だにわたしは猫に狙われているのかもしれない。

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猫に呼ばれて 岬士郎 @sironoji

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