事実は小説よりも奇なり
Mr.シルクハット三世
事実は小説よりも奇なり
「なあ、オリヴィア。王子様、まだ見つかんないの?」
「ええ、残念ながら....。ワタシの周囲には、王子どころか村人Cしかいません」
「村人Cはたぶん、僕のことだよね.....?」
「Yes. That’s correct. (そうです。正解デス)」
放課後の部室には、マンガと煎餅の匂いが漂っていた。壁には有志が描いたポスター、棚には年代物の単行本。そのど真ん中で、ふたりは今日もテーブルを挟んでくだらないやり取りを続けていた。
イギリスからの留学生、オリヴィア・ホワイトは三白眼の皮肉屋で、少女漫画が大好き。
山崎純一は糸目でいつもぼんやりしていて、ジャンル問わずなんでも読む漫画中毒者。
「“騎士団長の微笑み”みたいな人、どこかにいないんデスか?」
「そんなの、現実にいたら引くよ.....ずっと笑ってる人、コワいよ?」
「でもワタシは....」
オリヴィアは、机に頬杖をついて目を細めた。
「“高身長・鋭い目・寡黙・でも優しい”──そんな典型的王子様を、ずっと夢見てたんデス」
「つまり、僕とは正反対だね」
「Exactly. (その通り)」
そこまで言って、ふと口元に笑みが浮かぶ。
「なのに.....気づくと、隣にいるのはアナタばかり。なぜデス?」
「いや、僕に聞かれても.....」
「まったく、これはもう少女漫画じゃなくて、ギャグマンガの領域デス」
言いながら、オリヴィアは笑う。
その笑いは、たしかに冗談だったけれど、心のどこかが少しだけチクリと疼いたのもまた事実だった。
──ふと、部室のドアが風で揺れ、ギィ...と軋んだ。
静かな時間が流れる。
漫画をめくる音と、部室の時計の秒針だけが響いていた。
純一はいつものように穏やかで、熱を持たないのに、妙に落ち着いた存在だった。
オリヴィアは、漫画の1コマのようにじっと彼を見つめながら思う。
(もしもこの人が、マンガの中の誰かだったら──わたし、何ページ目で好きになってるんだろう)
でも、もちろんそんなセリフは口にしない。
「ねえ、ジュンイチさん。今日のマンガ、読みマスか?」
「うん。話題作から先に読む派だけど、オリヴィアは?」
「ワタシは、恋愛ものから読みマス。“胸きゅん”優先」
「なるほど....恋のインスタント欲求か」
「うるさいデス。読マセテあげませんヨ?」
いつものように、軽口と紙の音が部室に響いた。
でも、そのやり取りの中には、ほんの少しだけ、“胸の真ん中”をかすめる気配が、混じっていた。
「なあ、オリヴィア。“推し”って、やっぱ顔?」
放課後の部室。
いつものように向かい合って座りながら、純一は煎餅をかじりつつ、唐突にそんなことを言った。
「Of course. 顔は正義デス。少女漫画でも、“初登場ページの目力”は最重要です」
「やっぱそうなんだ....僕は目が細いから、初登場でアウトだなあ」
「Yes. そもそも、目、開いてないデス」
「そこまで言う?」
オリヴィアはふふっと笑った。
彼との会話は、少女漫画のようにドラマチックではない。
けれど、妙にリズムが合う。
気がつけばいつも、このテンポで話している。
「でもね....」
ページをめくるように、オリヴィアは少しだけ声を落とす。
「少女漫画の王子様は、現実にはいないって、留学来てすぐ、気づきマシタ」
「うん」
「キザなセリフも、キラキラした演出も.....現実には、存在しない」
「うん。そうだね」
「でも──アナタは、なんで何もしてないのに、“それっぽく”見えるんデスか?」
「え?」
「たとえば....さっき、机にお菓子を置いてくれましたよね?」
「ああ.....オリヴィア、甘いの好きだから」
「そういうの、ナチュラルにやるの、ずるいデス。なんで“王子様演出”なしで、ちょっとときめくんデスか....」
「え.....いま、何ポイントぐらい稼いだ?」
「たぶん、7ポイントぐらい」
「少女漫画換算で何点満点?」
「だいたい100点満点.....」
「それ、赤点じゃない?」
ふたりで笑い合う。
けれどその笑いの後に、オリヴィアはそっと純一の横顔を盗み見る。
まっすぐな鼻筋。
笑ってもくしゃっとしない目元。
少女漫画には登場しないタイプ。
でも、現実にこんなに近くにいて、なぜかあたたかい人。
(This face...is not “ideal.”But it’s too familiar. Too real. Too kind (この顔は.....理想じゃない。でも、見慣れてて、やさしすぎて、困る))
その瞬間、廊下から誰かがドアをノックした。
ふたりは一気に距離をとり、咄嗟に漫画の表紙を開く。
「....だれ?」
「先輩。部誌の締切、明日までだよーって」
「あ、はい....! ありがとうゴザイマス!」
ドアが閉まったあとも、ふたりの間には妙な沈黙が残った。
その沈黙を破ったのは、オリヴィアだった。
「....まったく。“キスシーン未遂”とか、やめてほしいデス」
「え、それ未遂だったの?」
「違うんデスか?」
「僕、なんかしたっけ....?」
「はああ.....!もうッ!」
唸り声とともに、オリヴィアは頬を赤くして顔を隠した。
少女漫画には出てこない展開。
でも、その頬の熱は、漫画よりもずっと現実的だった。
「....ねえ、ジュンイチさん」
「ん?」
「ワタシ、王子様を探してるのに──なんで近くにいるのは、いつもアナタなんデスカ?」
放課後の部室。読みかけの少女漫画をテーブルに置いて、オリヴィアは紅茶の湯気越しに、いつもと変わらぬ声でそう言った。
純一は、煎餅の袋を開けながら答える。
「それ、どういう意味だよ....?」
思ったより、真面目な声だった。
「....いや、なんでもないデス。ちょっとした、皮肉デス」
「....うーん」
「不服?」
「いや、むしろちょっとショック」
「なぜ?」
「....なんか、“そこにいるけど対象外です”って言われた感じ」
オリヴィアは一瞬、笑いそうになった。
けれど、彼がふと視線を外したその仕草に、胸の奥がきゅっと締まった。
(Wait... did he just… take that personally?(いま……本気でちょっと、傷つきましたか?))
普段、ふざけてばかりいる純一。
少女漫画みたいな“反応”はまるでなくて、冗談にも淡々とした返ししかしない男だった。
けれど今のその顔は──たった一言で、すこし揺れたように見えた。
「....ゴメンなさい。別に、“対象外”なんて意味じゃないデス」
「でも、オリヴィアって、ずっと“少女漫画的な人”が好きって言ってるし....」
「....それは、そう。ずっと“そういう恋”を夢見てきたから」
「じゃあ、僕みたいなタイプは....ない?」
一瞬、空気が止まる。
(この質問、どう答えるべき?)
オリヴィアは視線を泳がせた。
目の前にいるのは、“ない”はずの人。
でも、気づけば彼との時間が、日々の大部分を占めている。
「....ワタシも、わかりません。マンガの中の“恋”と、目の前の“誰か”が、重ならなくなってきてる気がして──」
「....それって、どういう意味だよ」
再び、同じセリフ。
でも今度は、少し笑っていた。
オリヴィアも、つられて笑った。
「うるさいデス。二回も言わせないでください」
笑い合って、ほんの少しだけ、間が空く。
その間に、なにか大事なものが、ぽとんと落ちたような気がした。
「....でも、オリヴィアが探してる王子様。もし、どこにもいなかったら──妥協、するの?」
「妥協?」
「....“村人C”で、間に合わせるとか」
「そんなの、しないデス」
「そっか....なら、よかった」
「でも」
オリヴィアは言う。
紅茶をひとくちすすって、少しだけ照れたように、肩をすくめる。
「村人Cが、だんだん好みになってきたら、どうすればいいんデスか?」
「....それ、どういう意味だよ....?」
三度目のそのセリフは、もはや笑い混じりでも、真面目でもなく──ふたりの間に、熱を落としていった。
気づけば、窓の外にはまた、雨が降り始めていた。
部室の窓に、ぽつりと雨粒がぶつかる音がした。
それはやがて、リズムを持ったノイズへと変わっていく。
雨の音は、ふたりを囲う薄い膜のようだった。
「.....マズいです。これ、帰れないパターンです」
「うん。完全に降ってるね。傘ある?」
「ないデス。.....また忘れました」
「そっか。じゃあ、もうちょっとここで雨宿りだね」
純一はそう言って、手にしていた漫画を机に伏せた。
読みかけのページに残されたしおりが、しずかに震えていた。
電気の光がやや色褪せて見える、雨の午後。
ふたりきりの部室は、いつものようで、いつもと違った。
声を出せば、その音が妙に大きく響く気がして、自然と、ふたりの間に“沈黙”が訪れていた。
けれど、不思議と苦ではなかった。
「ねえ、ジュンイチさん」
「うん?」
「....いま、マンガみたいに“こっち、来いよ”って言われたら、どうすると思いマスカ?」
「え?」
「少女漫画のヒーローが、よく言うセリフ。“こっち、来いよ”。あれ、言われたら....女の子、キュンってするらしいデス」
「へぇ....でも、それってちょっと強引じゃない?」
「そこが、いいんデスよ。“否定できない距離感”ってやつ」
「じゃあ、言ってみようか?」
純一が少し笑って、オリヴィアの目を見た。
「....オリヴィア。こっち、来いよ」
「.......え?」
思わず、フリーズする。
軽口のはずだったのに──その声が、あまりにも自然で、あたたかくて、冗談に聞こえなかった。
(Wait....was that... real?(えっ.....今の、本気?))
ふざけていたはずのやりとりが、一瞬で現実の距離感に変わってしまった。
「.....いまの、5点満点で言えば?」
「.....意外と、4点ぐらいデス」
「結構高いな」
「でも、ちょっと照れました」
その言葉とともに、オリヴィアはそっと椅子を引いて、彼の横に腰を下ろした。
距離は、あと10センチ。
けれど、その10センチが、妙に遠くて、妙に近かった。
ふたりとも、漫画に手を伸ばそうとしたけど──ページをめくる指先は、どちらも空中で止まった。
「.....この沈黙、なにかに似てる」
「なにに?」
「マンガの“告白1ページ前”の空気感」
「なるほど.....“間”ってやつだ」
「ええ、“間”デス」
カーテン越しの光が、ゆっくりと部室を包み込む。
息を吸う音、息を吐く音。
そのすべてが、恋の前触れのように感じられた。
ふたりは、その10センチを埋めないまま、ただ座っていた。なにひとつ言わずに、でもなにかが確実に、そこに生まれていた。
ページは、めくられていないまま。
でも──ふたりの物語は、静かに進みはじめていた。
雨は止まなかった。
部室の窓に、細かい水の粒が滲んでは、流れていく。
時計はとっくに部活動の時間を過ぎていたけれど、ふたりはまだ、帰るそぶりを見せなかった。
空気は薄く張りついていて、息を吸うたび、胸の奥が静かにくすぐられるようだった。
「ねえ、ジュンイチさん」
「ん?」
「さっき、“こっち来いよ”って言ったでしょ?」
「うん。オリヴィアがリクエストしたから」
「.....ズルいです。アレ、効きすぎた」
「じゃあ、減点する?」
「いいえ。逆に加点デス」
ふたりで笑い合ったあと、オリヴィアはすこしだけ椅子を引いて、彼の隣へと移動した。
さりげない動きだったのに、心臓が跳ねたのは、自分でも驚くほどはっきりと感じた。
ふと、テーブルの上で指先が触れる。
一瞬の偶然が、時間を変える。
「.....わ」
「ごめん」
「.....こっちこそ」
離れる理由も、もう見当たらなかった。
指が、触れて、ほどけて、また絡む。
そのまま、彼の顔が近づいてきて──
唇が、触れた。
それは、息を呑むような静かなキスだった。
やわらかくて、くすぐったくて、心臓の音が自分だけ大きく聞こえていた。
唇が離れると、オリヴィアは小さく笑った。
「.....初キスが、部室って」
「なんか、青春っぽくてよくない?」
「.....うん、ちょっとだけ、キュンとしたかも」
けれど──
「.....でも、ここじゃダメです」
「.....だよね」
ふたりは自然と視線を合わせて、ふっと笑った。
「.....ウチ、来る?」
「Yes. 今夜は.....帰らなくていいデス」
純一の部屋は、変わらず本と漫画の匂いがした。
温かい飲み物を淹れ直すこともなく、ふたりは黙って、ベッドの端に並んで座った。
「.....なんか、変な感じ」
「ね。.....でも、イヤじゃない」
オリヴィアは小さくうなずくと、彼の手に自分の指を重ねた。
そのまま、身体が自然と傾いていく。
ふたたび唇が重なったとき、もう笑いはなかった。
あるのは、確かな熱と、甘い戸惑いだけだった。
キスが深くなる。
彼の指が背中をゆっくり撫でて、シャツの裾に触れる。
布の感触が揺れ、素肌が空気に晒される。
ブラウスのボタンが外れていくたび、オリヴィアの肌が、ゆっくりと紅くなっていった。
「.....ん、ふ.....」
彼の唇が鎖骨を辿ると、喉の奥から甘い声が零れた。
胸に触れる手のひらが、慎重で、でも確かな意志を持って動いていく。
下着越しに撫でられる感覚に、呼吸が浅くなる。
脚がふるえて、熱が奥へと集中していくのがわかる。
純一はゆっくりと、太腿の内側に触れる。
濡れていた。
オリヴィア自身も気づいていなかったほど、早く。
「.....だめ?」
「.....No. Not at all.(ダメじゃ、無いです)」
その返事とともに、彼の指が布の奥へと滑り込む。
熱く濡れた部分をなぞるように、丁寧に動いて、それだけで、オリヴィアの背筋が反応した。
「ん、ぁ、ふ.....」
息を合わせるたび、距離がなくなっていく。
触れられるたび、知らなかった自分に出会っていくようだった。
少女漫画には描かれない、けれど、確かに“本物の恋”が、そこにあった。
並んで横になったまま、オリヴィアは天井を見上げた。
腕の中にいる純一は、いつも通り、ぼんやりとした目をしている。
でも──今夜だけは、その目がすこし開いていた気がする。
「.....笑っちゃいましたね」
「うん。でも....それも、僕ららしい」
「Yes. I think so too. (ワタシも、そう思います)」
カーテンの外では、まだ雨の音がしていた。けれどふたりの間には、何ひとつ、曇るものはなかった。
朝の光は、白くやわらかかった。
雨は止んでいて、街はしんと静まり返っていた。
オリヴィアは、純一の部屋のベッドで目を覚ました。
隣には、寝息を立てる彼の姿。
昨夜と同じ、でもどこか違う。たぶんそれは、自分の心の変化のせいだった。
彼の部屋は本だらけで、紅茶の香りがまだ微かに残っている。
静かな朝だった。
けれどその静けさは、決して“なにもない”という意味ではなかった。
ふと、彼の顔を見る。
やっぱり、目は細い。
起きてるのか寝てるのか、たまにわからない。
少女漫画の“王子様”とは、まるで違う。
でも──それなのに、今はなぜかこの顔が、胸の奥をいちばん安心させてくれる。
「おはよう」
低くてやわらかい声。気づけば、彼が目を開けていた。──いや、相変わらず開いていないようにも見える。
「....おはよう、ジュンイチさん」
「眠れた?」
「Yes. Very much. あたたかかったデス」
そう言って微笑んだオリヴィアに、純一も眠たげに笑い返す。
ふたりで紅茶を淹れた。マグカップを持って、テーブル越しに向かい合う。
この光景は、以前と同じようで──でも、たしかに違っていた。
沈黙が怖くなかった。会話のない時間が、妙に心地よかった。
「....ねえ、ジュンイチさん」
「うん?」
「少女漫画ではね、恋に落ちる瞬間って、“一目惚れ”だったり、“運命の出会い”だったりするんデス」
「うん、よく見るよね。電車で偶然ぶつかるとか」
「でもワタシたち....ずいぶん、地味でしたよね」
「まぁ....煎餅と紅茶と部室の香りのなかで育った恋、みたいな」
「Exactly.(その通りです) 」
でも──
「だけど、なんか、そっちのほうが....よかったかもしれない」
カップの湯気がふわりと立ちのぼる。
それを眺めながら、オリヴィアはそっと笑った。
「....事実は小説よりも奇なり、とは──よく言ったものデス」
その言葉に、純一がゆっくりと瞬きをした。
「皮肉?」
「No. Compliment.(いい意味で、です)」
ふたりはそれ以上、言葉を交わさなかった。
でも──そこにあるものは、もうはっきりしていた。
少女漫画とは違った。
けれど、だからこそ“本物”だった。フィクションでは描けない、けれど確かに存在する、現実の恋のかたち。
ふたりのマグカップのあいだから、朝の光が、ページの外へと静かに広がっていった。
事実は小説よりも奇なり Mr.シルクハット三世 @btf0430
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