第5話 祈願

「だからね。お店はスーパーぐらいしかないの。コンビニとかないからね」

『マジで?本当に田舎じゃん!』


 受話器から聞こえてくる優香の声にほっとする。明るく元気な優香の声は新しい場所に来て不安な私にとって安心するものだった。


『そろそろこっちは大会なんだよね~。練習が厳しくて!毎日へとへとだよ~』

「そうなんだ。いいな……。私も皆と一緒に出たかった」


 優香たちが楽しそうにしている輪の中に私は居ない。そんな現実が胸に迫ってきて、つい楽しくない声が漏れてしまう。


『来年は受験で引退だから……。高校生になったらさ集まって皆で走ろうよ!』

「ごめん……。気を遣わせて……。そうだね。また皆で会おう」

『そうだ!新しい学校は?もう行ったの?』


 一番私が優香と話したかったことだ。


「ううん。まだなんだけど不安で……。もうグループ出来上がっちゃってるじゃん?上手くやっていけるか心配で」

『そう?千史なら大丈夫だって!田舎の学校なら生徒も大らかなんじゃない?勝手な偏見だけど』


 そう言って優香が弾けたように笑う。私もつられて笑った。


「そんなわけないでしょ」

『千史が上手くやってけないなら私だって無理よ。いつもの千史でいれば大丈夫だから!あんまり深く考えすぎないで』

「優香……ありがとう」


 ほんの少し気持ちが前向きになる。明日の学校もなんとか頑張れそうだ。


『うちらの陸上部宣伝してきてよ!強豪校から来ましたって言ってさ。驚かせるの』

「ちょっと。嘘はだめだからね」


 私と優香はふざけ合って笑った。


『お母さんが元気になればまたこっちに戻って来るんでしょ?どんな具合なの?』


 話題がお母さんのことになるといつも返答に困ってしまう。深掘りされないようにそれらしい解答を答える。


「う~ん……。今検査中だからなんとも」

『そっか。早く元気になるといいね。じゃあまた!おやすみ』

「おやすみなさい」


 受話器を置くと廊下に静寂が訪れる。居間のテレビの音が仄かに聞こえた。

 さりげなく引き戸の方を見る。すりガラスはただ暗闇を映し出していた。

 私は小走りで自分の部屋に戻る。明日の準備をしなくちゃ……。



「布団は押し入れにあるから。敷いて寝なさい。私は居間に敷いて寝るから」

「はい。ありがとうございます」


 おやすみなさい、と言おうとして喉に突っかかる。おばあちゃんは必要最低限の説明しかしない。そしていつも不機嫌そうだ。要するに私は歓迎されていない。

 そんな人からおやすみなさい、なんて言われたくないはずだ。私はそのまま静かに部屋の襖を閉めた。

 今日はもう、早く寝てしまおう。

 部屋の電気を豆電球にして布団に潜り込んだ。

 目をつぶるとポツポツと雨粒の音がする。前の家は道路が近くにあったので車の音がしたけれど、村では滅多に車が通らない。よって自然の音がそのまま耳に入って来る。

 早く眠ったら眠ったで、色んな不安が湧いてきた。学校のこと、優香たちのこと、これからの生活のこと、お母さんのこと……。

 眠るどころか目が冴えてきた。どの位の時間、色んな事を考えていただろうか。

 窓の外から雨音以外の音が聞こえ始めた。

 

 ズズズ、ズズズ


 あの足を引きずる音だ。目をつぶりながら意識は花柄のカーテンの方角に向く。

 もしかして……窓の向こうにまたあの人影がいるんだろうか。

 私はゆっくりと目を開ける。見てはいけないと分かりながらも音と気配が気になった。起き上がろうとした時だ。


「イザヨイ様……お願いします。イザヨイ様……お願いします」


 隣の部屋からおばあちゃんが願い事を唱える声が聞こえたのだ。同時にお線香の匂いが微かに香る。

 こんな時間にまでお祈りを?そこまでして叶えたい願いとはなんなのか。

 私は耳を凝らしておばあちゃんの願いを聞き取ろうとする。


「イザヨイ様……お願いします。……を殺してください。私を……カラビトにしてください」


 聞き取ることのできた内容を聞いて、目を閉じたまま布団を頭まで被った。


 ……を殺してください。私をカラビトにしてください

 ……を殺してください。私をカラビトにしてください

 ……を殺してください。私をカラビトにしてください


 繰り返し、繰り返し小声で呟いているのを聞いて布団の中で蹲る。

 感情が籠っているわけではない。ただ淡々と毎日の習慣のように呟いていることが恐ろしかった。

 もしかしておばあちゃんもお母さんと同じ病気なのだろうか。そう考えて気持ちがずっしりと重たくなった。

 おばあちゃんは誰かを恨んでいて、何かになりたがっている。


ズズズ、ズズズ……。


 花柄のカーテンの向こう側にいる何かの音と気配が遠ざかっていった。

 私は布団を被って耳を塞ぎ、目をつぶった。

 今起こったことは全部、夢の中の出来事だと自分に言い聞かせて。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る