第40話「閉ざされた聖域」

 客船“サンクチュアリ”号。

 かつて太平洋航路を巡った豪華客船は、いまや廃船置き場に沈む影となっていた。

 総トン数およそ五万トン、全長二百メートル超。

 その鉄の巨体は、朽ちた誇りを晒すように静かに横たわっている。

 深夜。

 辺りは完全な闇に包まれていた。

 岸壁の先端で車を降りたリュシアたちは、ライトもつけずにじっと船体を見上げた。


「ここに……ユウリさんが」


 リュシアの声はかすれていたが、確かな意志を宿している。

 レネは端末に接続した暗視スコープを覗き込み、船体の影に潜む人影を確認していた。


「ランプウェイに三人、救命デッキに二人。見張りの配置としては不自然にバラけてるけど、全部“外”向きね。中に誰かがいると見て間違いないわ」


「どうやって潜入する?」


「上からQ.E.E.T.チートで入っちゃえば?」


「悪手ね……脱走される危険や、叫び声が外に漏れる可能性を考えれば。ユウリくんは船底付近……倉庫か、クルーデッキ……あとはそうね、メンテナンスルームなんかに監禁されてる可能性が高いわ」


 レネはタブレットの画面をスライドし、船体の図面を指し示す。

 そして最後に、船尾を表示した。


「ここ。作業用ハッチ。解体準備用に一部だけ内鍵が外されてるって情報があるの。あそこなら、真ん中のデッキに直接入れるわ」


「おっけー。行こう」


 船尾の影にまわり、ハッチに到達すると、錆びついた鋼板が歪んでいた。

 押しても引いてもびくともしない。


「ちょっと貸して」


 サクラが鉄パイプを隙間に差し込み、てこの原理でパイプの端にかかと落としを決める。

 ブチッと言う鈍い音とともに鍵が外れ、重たい扉が開いた。

 鉄パイプが海面に落ち、バシャッと音がする。

 それでも、見張りが確認しに来る様子はなかった。


「やっぱりあの見張り、素人ね」


「ありがたいじゃん」


 ハッチの中をのぞくと、そこは暗く、どこまでも続く獣の口の中のような感覚を覚える。

 ぬめり気を帯びた空気が彼女たちの身体をなでた。


「灯りは使えない。私が先導するわ」


 レネが暗視スコープを装着し、緑がかった世界に身を委ねる。

 残る三人は、それぞれ前の人の衣服をつかみながら一列になり、慎重に足を進めた。

 旅客用キャビンと違って、通路は狭く、天井は低い。

 足元にはパイプやケーブルが散乱していた。

 全員、靴音すら出さないよう神経を研ぎ澄ませて進む。


 「前方、巡回。ひとり。……左から来るわ。待機」


 レネの合図に、全員が配電盤の影へ身を滑り込ませた。

 数秒後、狂信者の足音が近づく。

 無言のまま、ヘッドライトの明かりだけが幽霊のように通路を照らす。

 機械的な歩調。

 まばたきすらしない、無表情な横顔。


(なにあれ……気持ち悪い)


 ティアナが息を止めて、リュシアの服を握りしめる。

 幸い、男は足を止めることもなく通過した。


「……行ったわ」


 再び静寂の中、彼女たちは進んでいく。

 レネは途中、何度も立ち止まっては、巡回のタイミングとルートを確認していた。

 その目には、次第に確信めいたものが宿ってくる。


「……パターンが読めてきた。どうやらここ、“警備の中心”を守る形になってるみたいね」


 そう言いながら、彼女は船体中央より少し下――クルーデッキを指差した。


「つまり……ユウリさんは、そこに?」


「可能性は高い……あくまでも確率論だけど」


 さらに数分進んだ後、レネが再び身を伏せる。

 無言のまま、少し戻ってくぼんだ通路に身を隠し、全員に顔を近づけるように指示した。


「見張りよ。今度は巡回じゃない。完全に“定位置”で立ってる」


 錆びた通路の角、非常口のような扉の前に、男が一人立っていた。

 ヘッドライトの光は扉を照らし、その男はまるで像のように動かない。


「つまり……そこが“当たり”ってことよね」


 サクラがにやりと笑った。


「いくよ、リュシアちゃん」


「はい」


 リュシアが背後からサクラの腰をつかむ。

 Q.E.E.T.チートの重力操作が作動し、ふわりと二人の身体が浮かび上がった。

 まるで羽根を持つ天使のように、彼女たちは無音のまま空中を滑空し、見張りの背後へと迫る。

 サクラが空中から首元に手を伸ばし、ねじるように一撃。

 男は短く息を詰まらせ、その場に崩れ落ちた。


「よし」


「……あなた、本当に軍人じゃないの?」


 ぱんぱんと手のほこりを払うサクラに、後ろから追いついたレネが問う。


「なぁに、ただの弟思いのお姉ちゃんですよ」


 サクラはニカッと笑い、崩れた男を避けて扉の前に立った。

 リュシアの顔に、緊張が走る。


「……ここに、ユウリさんが……」


「開けるよ」


 小さな声で、サクラが確認をとる。

 全員がうなずき返したところで、ドアノブに手をかけると、扉はわずかな音を立てて開いた。


「――ユウリっ!」


 小さな声で、しかし張り裂けるような想いを乗せて、リュシアが彼の名を呼んだ。

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