第29話「やさしさの行方」

 善行スコア制度が始まって一週間。

 赤陽学園は――静かに、でも確実に、変わり始めていた。


「最近、空き缶拾ってSNSに上げてるやつ、めっちゃ増えたよな」


 昼休み、俺はリュシアと並んで渡り廊下を歩いていた。

 手に持っているのは、学園と提携しているパン屋で、スコア上位者限定で発売している「特製和牛マシマシ揚げたてコロッケパン」だ。


「AIが“公共意識”と“衛生貢献”を評価項目に加えたと発表してから、ですね」


 リュシアが淡々と答える。

 でもその目は俺のコロッケパンから離れなかった。


「……なあ」


「はい?」


「もしかしておまえ、コロッケパン食いたい?」


 リュシアは一瞬だけキラキラと目を輝かせ、そして口をへの字に結んだ。


「はい! あ、……いいえ。あの、それはユウリさんの正当なスコアの報酬ですから」


 普段どおり過ごしているだけで、なぜだか俺のスコアは高めになっている。

 おかげで並ばずにパンが買えるのはありがたいが、ちょっとだけ、気持ち悪さを覚えていた。


「おまえの“律儀さ”スコアだって10点だと俺は思うぜ」


 ちょっと笑って、コロッケパンをリュシアに手渡す。

 彼女は、まるで高価な宝物でも受け取るかのように、たかが購買の惣菜パンを受け取った。

 満面の笑みでニコニコ笑うリュシアと歩きながら、ふと中庭を見る。

 校舎の陰にある湿っぽいベンチに、ひとりで腰を下ろしている男子生徒が目に入った。

 あいつは隣のクラスの――以前、学級委員をやっていたやつだ。


「……あれって、先週スコア落とされたってやつだよな」


「委員会の提出書類に、一部記録の不備があったとか……話題になっていました」


「たったそれだけでかよ」


 俺はコロッケパンと一緒に買ってあった焼きそばパンを手に、階段を降りる。

 ベンチの横に立つと、彼は静かに一瞬だけ顔を上げ、そして顔を伏せた。


「よ。昼、まだだったら一緒にどう?」


「……気を遣わせてしまってすみません。ですが、どうか放っておいてください」


 丁寧な、けれど突き放すような口調だった。


「いや、別に気を遣ってるとかじゃないけど」


「ユウリくん。君が悪い人じゃないのはわかってます。ただ……ぼくは今、の君と、仲良くする気にはなれないんです」


「別に俺はセレーネ側ってわけじゃ――」


「君のスコア、高いじゃないですか。うらやましいかぎりですよ」


 俺は何も言えなくなった。

 確かに、評価レポートには「異文化との積極的交流」による高スコアが記録されていたし、現に限定のコロッケパンだって買っている。

 他人から見れば、俺はまさしくセレーネ側なのかもしれない。


「すみません、恨み言を言うつもりはないんです……それでも今は、“スコアが低い人間”の言葉には価値がない」


 彼の手は震えていた。

 怒っているのではない、ただ、無力感に呑まれているのだろう。


「ぼくは、別に間違ったことはしていないつもりでした。報告書も、必要だと思った情報を補足しただけ。でもAIには、それが“主観の介入”と判断されたようで……」


 目を伏せたまま、続ける。


「みんなのためにと思ってやったことが、“正しさ”の評価軸から外れるなら……ぼくはもう、どうしたいいのか……」


 あきらめたように笑って、彼は立ち去る。

 俺はそれ以上、何もしてやることができなかった。

 こんなまっすぐなやつが、評価されずに孤立していく。

 誰もがAIの顔色をうかがって、正解のある行動しか選ばなくなる世界。


 それが“善意”、それが“正しさ”


 もやもやが胸に渦巻き、思わず壁を蹴る。

 すぐ上にあった窓がガラっと開き、見知った顔が現れた。


「あら、公共物の破損? マイナススコアね」


「レネ……先生。あれ? ここって保健室だっけ?」


「細かいことは気にしないで」


 彼女は窓枠にお尻を乗せ、細いたばこに火をつける。

 香水の甘い香りに、たばこの煙りが、ほんのりと混じって漂った。

 真っ赤な唇の間から、ふぅっと紫の煙がたなびく。


「スコア制度、ずいぶん流行ってるわね」


「……あんなもん」


「人間はね、社会的な生物なの。ルールを学ぶことが進化。それは悪いことじゃないのよ。基準がわかりやすく、万人に受け入れられるものなら、なおさらね」


「でも、ルールで決まってることがすべてじゃねぇだろ」


「あたりまえじゃない」


 ふいに彼女の目が鋭くなった。


「基準は必要でも、判断は人間が行うべきよ」


「……俺も、そう思う」


 少しの沈黙。

 煙だけが裏庭に流れる。

 そのまま彼女は携帯灰皿に吸い殻を入れ、白衣の内ポケットにしまった。


「ま、ルールを守ることが絶対っていう世界は、支配する側にとっては都合がいいものよ」


 笑みの裏に、本音が透けて見える。

 レネは――セレーネの……セレーネと組んで地球を管理しようとする側の人間だ。

 ただし、自分自身がそのシステムに組み込まれる気は、まるでない。

 その自由さに、俺はうなずいた。


「たぶんだけど“善行スコア”なんて、ジャブみたいなもんだよな」


「ふふっ、そうね」


 レネは満足げに笑い、窓枠から降りた。

 そのまま何も言わず、背中越しに手を振る。

 あたりにはあの、甘い香りがしばらく残った。

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