神話と文明の技師

浅黄幻影

神話と文明の技師

 厄災に襲われたその国では、大地のみならず人のこころも荒廃させた。国のうちに希望を見いだせるほど楽観的なものはおらず、また国の外に希望を見いだせるほど楽観的なものもいなかった。つまり、誰もが悲観していた。


 国を襲う厄災はあらゆるところから生じていた。海は大波を起こし、山は火を噴く。大地は割れ、天は雨を忘れ、また思い出して田畑を水底に沈めた。疫病が広がる。そのたびに、多くの人たちが死んでいった。


「神話と文明の技師」と呼ばれたラルティーグは、長く続くこの異常事態は単なる自然現象ではないと睨んでいた。北を上にした地図に災害が起きた場所を印していき、順に結ぶと、そこには逆さ星が浮かび上がるのだ。いくつも、いくつも。


 ――やはり、何者かの意図がある、意味のある厄災だ。


 しかし、それ以上の発見、厄災の解決のための糸口のようなものを見つけることは出来なかった。機械技師の仲間に聞いても、ラルティーグが見つけたことに目を見張るばかりで、彼の先を行くものはいなかった。ラルティーグは自分が何もできないでいるのが悔しくてたまらなかった。


 ある夜、ラルティーグが作業台で何者かに破壊された時間銀行の金庫の鍵を修理していたところ、妙な気配を感じた。背筋がゾゾゾッ……とし、背後から明らかな気配がするのだ。振り返ると、そこには紳士がひとり立っていた。帽子を胸元に構え、飾りのついた杖を軽く床につけていた。


「こんばんは、先生」


 ラルティーグは作業台にあったネジ回しを握ったが、男は「まあまあ」とにやりと笑った。


「先生、お気づきなんでしょう? これは悪魔の仕業ですよ、悪魔。逆さ星なんて、まあ、なんてわかりやすい」

 ラルティーグは「そうか」とだいたいの事情が読めた。

「つまり、おまえがその悪魔だな?」

「さすが先生、お察しの通り!」


 悪魔は作業部屋の隅の椅子を手袋ではたいて座った。椅子の後ろから悪魔の尻尾がちらりと姿を現せた。


「おわかりでしたが、もう話が早い。この厄災、止めたいんでしょう? でも、どうしていいかわからない。悪魔が姿を現したら殺してでもなんとかしたい……でも、悪魔相手にそんなこともできない」

「この厄災の目的は? この国を潰したい奴らがいるということか?」


 悪魔はパンと手を叩き、ギザギザの歯を見せて笑った。

「それもありえますね! 私が誰かの魂と交換に、この国を滅ぼしている。ですが、違います。私の目的はですね、知恵の林檎です」

「……楽園にあるという、あの」

「そう、神話と文明の技師ならば作れるはず! 私は知恵の林檎を欲しているのです」


 ラルティーグは目の前のネジ回しを眺めながら、はて……と考えた。

「手に入れてどうする?」

 悪魔は細く長い舌をシュルルとさせ、

「あなたの気にするところではありませんよ」

 と言った。


「そうか……だがね、私は知恵の林檎の作り方を知らない。知恵の林檎の作り方は知恵の林檎しか知らない、というのが、それこそ神話の時代からの言い伝えだ」

「大丈夫です、こちらをご利用下さい」

 悪魔が手袋をしたままの手で指をパチンと鳴らすと、部屋に多くの材料と思われるものが現れた。


「これがミノタウロスの角、ダイダロスの歯車、ミダス王の金、旅人が脱いだコート、猫の長靴、赤鬼の涙、などなど。全部、材料として必要なものです。そして製法の書かれたこの秘伝書、ルシファーから預かってきました」


 目の前の「虎に威を借りた狐の毛」を見て、しかし……と思った。

「自分で作ろうとは思わなかったのか?」

「悪魔は手より舌先の方が器用なんですよ、ああ、悪魔の舌先三寸は材料にはありません」


 ラルティーグはこの取り引きが、すべての悪魔との取り引きがそうであるように、とても危険なものだとわかっていた。これから悪魔と、知恵の林檎の製造と引き換えに厄災を終わらせるという約束をするだろう。厄災は終わるかもしれない。けれど、知恵の林檎を手にした悪魔は何をするだろう? おそらく、考えもつかないようなことが起こるだろう。


 けれどすぐにあることを思いついた。

「……作ろう。ただし、私の願いを叶えてもらえたら、だ。いいだろう?」

「それはそれは、結構ですよ。あなたは私の知恵の林檎を作っていただけさえすればいいんですから。どうです? 握手をしていただけたら、すぐにも厄災を止めて差し上げますよ」

「よろしい、契約だ」


 悪魔の前に手を伸ばし、相手が握手をする手を伸ばすのを待った。

「では、あなたが知恵の林檎を作ったら私は……」

「おまえは知恵の林檎に絶対に関わらない! 契約だ!」

 悪魔はハッとし手を引っ込めようとしたが、ラルティーグはしっかりと悪魔の手を手袋越しに握りしめた。

 悪魔は断末魔を上げ、ラルティーグの作業部屋から黒い霧のように四散して消えた。


 悪魔は消え、国の厄災は終わり平和が訪れた……とはならなかった。悪魔は知恵の林檎に近づけないだけで、厄災を止めることはしなかった。ラルティーグはいよいよだと思った。知恵の林檎に厄災を止める方法を聞けばいいのだ。


 神話と文明の技師は悪魔が残した材料と秘伝書で知恵の林檎を作り上げた。作り出した神器に技師としての魂の昂ぶりを感じたが、それどころではないと、すぐに林檎に聞いた。


「厄災を止める方法を教えてくれ」

 林檎は超えた。

「それは悪魔にしか出来ません」

「なぜ!」

「この世に天才がいたとしても、それを叶えるのは困難があります」

「私はその天才には及ばないんだな」


「あなたは天才です。私はただ、天才がいたとしても不可能だと言っているのです。厄災を止めるには、あなたのような天才が三〇〇年、悪魔の業に立ち向かい続けなければなりません。そのために必要な天才技師たちはこの国には生まれません。あなたはこの厄災を終わらせるのに十分な天才ではありません、寿命という要件を満たしません」


 しばらく立ち尽くしたラルティーグだったが、知恵の林檎を前にして絶望する必要はないのだと、考えを改めた。この国の人たちを助けるための方法を知恵の林檎に聞いた。知恵の林檎は見事にその答えを導き出し、ラルティーグはその策を城の大臣宛に書いて送った。


 大きな国がひとつになって動き、厄災から何とかその身を守り、人々は生きながらえることが出来た。問題はまだまだ山積だったが、生活を立て直せるだろうと誰もがこころを新たにした。けれど、そこに神話と文明の技師の姿はなかった。


 誰かが誰かから聞いた話では、しばらく前に虚ろな目をしたラルティーグが「知りたくないことを知ってしまった」と呟いていたらしい。

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神話と文明の技師 浅黄幻影 @asagi_genei

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