第15話 篠宮郁の異変
「うい晴馬。そろそろ買い出し行こーぜ?」
座りながら段ボールにカッターで切り込みを入れていた時、顔にペンキを付けた優悟が買い出しに誘って来た。
「でもさっき田辺達がペンキとかガムテとか買って来てたぞ?まだ何か必要なの?」
「あぁちゃうちゃう。買い出しって言って学校抜け出そうぜって意味。駅前のリサイクルショップ行きたいんだ」
文化祭の買い出し。それは準備をさぼって娑婆へと繰り出したい不真面目な男子生徒達にとって最高の建前だ。優悟はそれを使い、この前出来たばかりのリサイクルショップに行こうとしていた。さしずめ、趣味のカードゲームで使えそうなカードを漁るつもりだろう。
「なら一人でいってらっしゃーい。バレて一緒に怒られるのはゴメンだぜ」
晴馬は知らん顔で再びカッターを手に取った。
「なぁ頼むって。俺一人じゃサボり目的だって思われるだろ?真面目な晴馬様が一緒なら野澤も行かせてくれるからさ」
「おま...友達を何だと思って...」
「お願いお願い!今度何か奢るからさ!」
優悟はへりくだった様子で両手を合わせ晴馬に懇願して来た。それを見た晴馬は半ば呆れつつも「奢る」という誘惑に耐え切れず
「わーったよ。予算って野澤が持ってんだっけ?」
と、文字通り重い腰を上げる。
「さっすが!んじゃ俺先出てるわ!」
晴馬の同意を得た途端、優悟は風のように教室を去って行く。優悟は底抜けに良い奴だが、好きなものの事になると果てしなくバカになる。良い意味でも悪い意味でも、だ。
やや怪しまれつつも文化祭委員の野澤からクラスの予算を無事受け取り、晴馬は教室を出る。段ボールやらスズランテープやらマーカーペンやらが無秩序に転がるカオスな廊下を進みながら、晴馬はふと渚の教室を見た。
彼女は同じクラスのサッカー部の男子生徒と、教室後ろのロッカーに画用紙で作った装飾を張り付けていた。いつもと変わらない、五月晴れの太陽のような笑顔で。
晴馬の存在に気付いたのか、教室の外に視線を移した渚と目が合った。こちらに気付いた彼女は嬉しそうに手を振る。
神社の一件があって以降スマホでしか会話をしていなかった事もあり、本当なら教室に入って直接話したかったが、優悟を待たせている事もあり、晴馬は控えめに手を振り返しただけで済ませ、直ぐに優悟を追った。
「希望の苗床...山札の上からカードを2枚引く...。愚者の天秤...手札から任意のカードを1枚捨て、代わりに山札から捨てたカードと同じかそれ未満のコストのカードを1枚手札に加える...。何か手札増やすカードばっかじゃね?これがホントに強いん?」
「いやTCG初心者かお前。手札増強の効果はどんなカードゲームに置いても基本にして最強なの。この愚者の天秤なんかこの間まで禁止カード扱いされてたんだから」
「ふーん。愚者なのに?」
「そ。愚者なのに」
そんな毒にも薬にもならない会話を、晴馬達は狭い売り場の中で繰り広げていた。優悟は真剣な眼差しで棚に並べられたカード達とにらめっこし、晴馬は優悟が手に取ったカードの効果を意味も無く読み上げていた。
「...ふっ」
先程晴馬が読んだカードを棚に戻した時、不意に優悟が笑みをこぼした。
「どしたん?何か強いのあった?」
「いいや。何かさ、俺って彼女とか、向いてないのかな~って思って」
「え。何急に」
優悟はおもむろに、棚に並んだカードの束を指でなぞり始める。
「ほら、俺って結構オタクっぽいとこあるじゃん?今みたいにカードの事聞かれたら相手が求めてない事までベラベラ喋っちゃったりするし。だからもし万が一前川と付き合えてても、結局上手く行って無かったかも~何て。あ、言っとくけどこれ負け惜しみちゃうよ?」
黙ってそれを聞いていた晴馬だが内心では「もっともな発言だな」と考えてしまっていた。
優悟の意中の相手で会ったた前川は顔は結構かわいい反面、一部の女子から陰で「お姫様」と揶揄される位には我が強く、それでいて好き嫌いをはっきりとさせるタイプだ。加えてゲームやアニメといった、所謂オタク趣味をあまり良く思っていない節があり、以前昼休み中の放送で放送委員が悪ふざけで流した、聞いているだけで胃もたれしそうな媚びっ媚びのアニソンに対し露骨に嫌悪感を示していた事もある。
優悟の分析の通り、例え告白に成功していたとしても長続きしなかった可能性は大いにあるだろう。
「その点晴馬はスゲーよな。カードゲームなんて興味無いはずなのにわざわざ一緒についてきてくれて、オマケに晴馬の方から話振ってくれるんだから。付き合う相手としてはマジ理想だと思うわ」
「うーん。それはどうかな...」
晴馬は優悟と同じように束を指でなぞる。カードの凹凸の感触が絶え間なく指先に伝わり、不思議と心地良い。
「俺がこうやって話せるのは相手が優悟だからこそだよ。俺もどっちかって言うと陰キャ寄りの性格だからさ、慣れてない人と会話する時頭の中で色々考えちゃうし、上手く話せなかった日の夜は基本一人で反省会開いてる。でも優悟ならそんな事気にせずに好きなように話せるから、話題も自然と出てくるんだ」
「そっか~。ならさ」
晴馬と優悟がカードから指を放したのはほぼ同時だった。
「もういっそのこと俺らで付き合う?」
「そうすっか。それなら俺、帰ったら下川と別れんとな~。浮気になっちまうぜ?」
「ククッ...!」
「ふふっ...!」
その冗談に溢れ出てきたものを堪えきれず
『アハハハハハ!!』
2人は腹を抱えて笑い出す。そのおかげで、すぐ隣の棚で商品の整理をしている堅物そうな店員にギロリと睨まれてしまった。
「そろそろ帰ろうぜ。これだけ買ってくわ」
優悟は目星をつけていたらしい数枚のカードを素早く抜き取り、足早にレジへと向かう。
(やっぱ、学校来といて良かった...)
親友とのズル休みのお陰で、晴馬の頭からは今朝の悪夢の記憶が次第に薄れていた。
手ぶらで帰るのは流石にマズイのでリサイクルショップと同じ階にある百均で使えそうなものを適当に買い、晴馬達は教室へと戻って来た。時刻は11時過ぎ。もう少しで昼休みになる。
「あ、篠宮だ」
野澤に渡す領収書をひらひらさせながら教室に入った優悟がぽつりとそう呟いた。
彼の言う通り、教室の隅っこでは欠席と早退の常連である篠宮郁が友達と一緒に看板に使うベニヤ板に色を塗っていた。どうやら2人が買い出し(という名のサボり)に出かけている間に登校してきたらしい。
「おぉ!流石元美術部。私達じゃこんなの描けないよ!」
「ありがとう!いっつも休んでばっかだし、この位の絵なら幾らでも描くよ!」
友人に褒められ、篠宮は少し照れくさそうに綺麗なロングヘアーを掻き上げた。
酷い偏頭痛持ちであることを裏付けるように彼女は基本的に小声で喋ることに加え、立つ、歩くといったあらゆる一挙手一投足が重々しい。
ただそんな特徴とは対照的に、篠宮は学校に来るとかなり積極的に友人達と会話を交わす。去年同じクラスになった時、奥手だと思っていた彼女がクラスの一軍女子と推しのアイドルについて熱く語り合っているのを見て驚いたのを、晴馬は良く覚えている。
「野澤~。領収書机に置いとくよ~?」
篠宮を囲むメンバーの中に野澤を見つけた優悟は彼女の名を呼ぶと共に指に挟んでいた領収書を、お釣りの入った茶封筒と共に教卓の上に置いた。
「あぁおかえり~。何買って来た...」
声の主のほうに振り返ろうと視線を上げた野澤はしかし、飛び込んで来た光景に強く困惑する。
「い、郁ちゃん...?ど、どうしたの...?」
今の今まで和気あいあいと話していた篠宮が突然、その端整な顔を激しく引き攣らせたのだ。猫の夜目のように丸く見開かれたその黒目は晴馬に釘付けになっていた。
「う、嘘...でしょ...?な、何で杉内君に...あいつが...」
震える篠宮の細い指から刷毛が滑り落ち、描いていた看板に赤い染みを付けてしまう。だがそんなこと微塵も気にせず、篠宮は晴馬を凝視し続ける。
「し、篠宮さん...?俺が何か...」
「...ッ!!ご、ごめん野澤さん!私、これ以上耐えられない...!!」
彼女からの視線に耐えかねた晴馬が話しかけた瞬間、篠宮はまるで強い吐き気に襲われたかのように両手で口を覆い、そのままわき目もふらず教室を出て行ってしまった。その支離滅裂な言動に、教室が一瞬にして沈黙に包まれる。
「い、一体どうしたんだ...?晴馬の顔見るなり...」
「わ、分からない...」
だがそう言いつつも、晴馬は自分を刺すように見つめながら溢した篠宮の言葉が、頭から離れなかった。
う、嘘...でしょ...?な、何で杉内君に...あいつが...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます