第3話 時給69円の現実

最低ランクの探索者として登録を終えた俺は、その足で初ダンジョンへと向かうことにした。


鉄は熱いうちに打て、というし、何より俺の推し活への情熱が、今まさに燃え上がっているのだ。有給休暇もまだ残っている。

とはいえ、今の俺は丸腰も同然。まずは装備を整えなければ。


しかし先立つものがない。

口座残高は、来月のカードの引き落としを考えると、とてもじゃないが探索者用の高価な装備に手を出せる状況ではなかった。


「……まあ、補助員の清掃作業だしな」


俺は自分にそう言い聞かせ、探索者御用達の専門店ではなく、駅前の100円ショップとその隣のホームセンターに立ち寄った。


そこで俺が買い揃えたのは、以下の通りだ。


・厚手のゴム手袋(汚いものを触るかもしれないから)


・マチ付きの丈夫なゴミ袋(素材を入れるため……いや、ゴミを入れるためか)


・滑り止め付きの作業用長靴(ダンジョンは濡れていそうだから)


・頭に付けるLEDヘッドライト(暗いと危ないから)


・非常食のカロリーバー(遭難対策)

総額、2,180円。


家にあった高校時代に着古したヨレヨレのジャージに着替え、これらの装備を身につけた俺の姿は、どう見ても探索者ではなかった。

「日曜の朝早くから、ボランティアで公園の清掃活動に励む、真面目なおじさん」、それが全てを物語っていた。


準備を終え、俺はバスに揺られて、登録センターで勧められた最も安全だというEランクダンジョン『ゴブリンの洞穴』へとやってきた。


洞穴の前はちょっとした広場になっており、そこには俺とは対照的なキラキラした若者たちが集っていた。ピカピカの皮の鎧、腰に下げた真新しい剣、仲間たちと楽しそうに談笑するその姿は、まるで異世界転生モノの主人公とそのパーティのようだ。


「俺とは……住む世界が違うな……」


思わずそんな言葉が漏れる。

ヨレヨレのジャージに長靴姿のおじさんは、完全に浮いていた。彼らが意気揚々とダンジョンに入っていくのを俺は物陰からそっと見送る。


そして、彼らの姿が見えなくなってから十分な時間を置いて、コソコソと一人、洞穴の中へと足を踏み入れた。


ひんやりと湿った空気が肌を撫でる。

内部は薄暗く、俺が用意したヘッドライトの明かりだけが頼りだ。壁からはポタ、ポタ、と水滴が落ちる音が不気味に響き、俺の心臓は早くもバクバクと鳴っていた。


その時、前方の暗がりで、何かが蠢いた。


青くて、半透明の……スライムだ!


俺は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げ、思わず壁に張り付いた。

しかし、そのスライムは、俺のことなど意にも介さず、ぷるんぷるんとマイペースに壁際を通り過ぎ、闇の向こうへと消えていった。


最弱モンスターにすら、完全に無視された。

この事実は地味に俺の心を抉った。


俺は気を取り直し、ダンジョンの「清掃作業」を開始する。


しばらく進むと、他の探索者が戦ったのであろう跡地を見つけた。

そこには、緑色の肌をした小さなモンスター、ゴブリンの亡骸が二体ほど転がっている。


「これか……!」


俺は早速、ゴム手袋をはめた手でゴブリンが持っていた棍棒に触れ、スキルを発動してみた。


「スキル、【換金】!」


……シーン。


何も起こらない。


「あれ?」


もう一度試すが、やはり無反応だ。


そこで俺は、職員さんの言葉を思い出した。


『魔力を失った素材に限り』。


そうだ。倒されたばかりの素材は、まだ魔力が残っているから換金できないんだ。


俺のスキルは、本当にポンコツだな……!


落胆しながら、俺は再びダンジョンを彷徨った。戦闘を避け、ひたすら壁際や通路の隅に何か「魔力が抜けきったゴミ」が落ちていないかを探して歩く。


そして、ついに発見したのだ。

かなり昔に倒されたのか、半分土に埋もれ、苔むしかけているゴブリンの骨だ。

これなら、さすがに魔力も抜けているだろう。


「頼む……!【換金】!」


おそるおそるスキルを発動すると、今度は骨がぼんやりと光り、チリとなって消えた。


そして、脳内にアナウンスが響く。


『ゴブリンの古い骨を換金しました。3Gを獲得しました』


「さ、3Gゴールド……。3円……」


あまりの安さに、俺は愕然とした。これ一つ見つけるのに10分近くかかったのだ。


だが、俺はすぐに首を振って気を取り直した。


「いや、違う!これは、ただのゴミだったんだ!誰も見向きもしないゴミが3円になったんだ!これは、凄いことじゃないか!」


そうだ。これが俺の戦い方なんだ。


俺はその後も、ひたすらダンジョンのゴミ拾いに徹した。他の探索者が見向きもしない、折れた矢の先端は2G。ボロボロになった布切れは1G。正体不明の動物のフンは『換金不可』と表示され、精神的ダメージを負った。


地道に、あまりにも地道にゴミを拾い続け、一時間が経過した。


その収益、合計58G。時給58円。


コンビニバイトの時給が神々しく見えてくる。


俺の心は、バキバキに折れかけていた。


「もう……帰ろうかな……」


俺が諦めて出口に向かおうとした、その時。

通路の隅で、キラリと光るものを見つけた。誰かが飲み終えて捨てていったのであろう、ポーションの空き瓶だ。


「こんなものまで……」


俺は、もう何の期待もせずにダメ元でそれに触れた。


「【換金】」


『ポーションの空き瓶を換金しました。10Gを獲得しました』


『――“推しへの愛”ボーナスが加算されました。+1G』


「えっ……?」


俺は、自分の目を疑った。

10円?ゴミ素材の中では、比較にならないほどの高額だ。

しかも、なんだ?『“推しへの愛”ボーナス』?初めて見る表示だ。+1Gって、なんだ?


なぜ、この瓶は少しだけ高かったんだろう?


なぜ、今だけ、謎のボーナスがついたんだろう?


時給は、まだ69円。

だが、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ、このポンコツスキルにも何か秘密があるのかもしれない。


俺は、もう少しだけ、この虚しいゴミ拾いを続けてみようと静かに決意した。

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