歩く死者
赤身ろめ
第1話 バースデーパーティー
「でね!来月推しの誕生日だから限定グッズが出るんだけど可愛いんだよねえ。これこれ。」
今日は千明の31歳の誕生日だ。
千明と私は春子の家にお邪魔して、3人で千明のお祝いをしている。新卒で入社した会社の元同期で、約10年も付き合いがある。今はそれぞれ違う会社に勤めているが、それでも誕生日やお祝いごとがあると集まって食事をする仲だ。
「これが千明の推しか。アニメのキャラ?」
「ううん、Vtuberなの。今日のネイルも推しカラーなの。見て見て!」
千明が自分の好きなものを語る時、いつも楽しそうだ。私はそんな楽しそうな千明を見るのが好きだ。
無愛想な自分にはない部分を持っている千明を尊敬している。
千明が突然話題を変えた。
「そういえば、春子遅いね。もう1時間は経ったよね?」
アルコールが足りないと言って、春子がコンビニに向かってから
私と千明はずっとおしゃべりに夢中になっていた。
私はスマホで時刻を見て「あ、もう1時間経ってるね。」と答えた。
「ちょっと電話掛けてみるわ。」
千明にそう言うと私は通話履歴から春子の名前をタップした。
発信音が鳴る。
「現在、電話に出ることができません―」
自動音声が流れる。
「あれ、繋がらない。」
「まじ?コンビニまで5分ちょっとだよね。何かあったのかな。」
その時、玄関の鍵が開く音がした。
「春子だ!」
千明が少しホッとしたような表情をさせてテーブルから立ち上がった。
リビングに入ってきた春子は息を切らしていた。
「どうしたの?遅かったじゃん。」
私が声を掛ける。
「コンビニ出たら変な酔っ払いに絡まれたの。本当しつこくて…。」
それで交番に駆け込んだからこんなに遅くなったのかと予想はついたが、念のため確認する。
「警察に通報した?」
「いや、向こうは酔ってて千鳥足だったから、とりあえずダッシュで逃げて帰ってきたの。」
「こわ。家までつけられてないよね?大丈夫かな」
千明が落ち着かない様子で心配している。
「大丈夫。オートロック開ける前に一応確認したけど、誰もいなかったよ。」
「大丈夫だよ、千明!ただ酔っ払いに絡まれただけだから。それより今日は千明の誕生日祝いなんだし、辛気臭い雰囲気はやめやめ!ね?」千明を安心させようとしているのか、春子が笑いながら言う。
数分後にはみんなげらげら笑いながら宅配ピザを食べ、アルコールを飲んでいた。
それぞれの仕事や恋人の話、アニメなどの趣味の話で盛り上がった。
「うー。飲みすぎちゃったかも。」
酒豪とまではいかないが、アルコールはそこそこ強い春子が珍しく酔っていた。
「こんな酔うなんて珍しいじゃん。横になりなよ。」
私が春子の肩を撫でると、春子の肩は少し冷たかった。
「そうする…。ちょっと横になる。10分経ったら起こして…。」
春子はふらふらとテーブルの斜め前にあるソファに倒れ込む。
私はBGM代わりにつけていた映画の音量を下げた。
私が動画サブスクサービスで適当に選んだ映画「ゾンビランド」は、会話が盛り上がり、誰も観ていなかった。
春子を起こさないように私と千明は声のボリュームを少し下げて会話した。
「菜々美、ちょっと見て、このポスト。」
千明がXの画面を見せる。
「何これ。拡散希望?この酔っ払いに襲われました…?」
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【拡散希望】この酔っ払いに襲われました。口から血を垂らしながら私を押し倒そうとしてきました。この男を見たら注意してください!
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一緒に投稿されていた写真は、暗くて画質もズームにしたかのような粗いものだったが、細身の男性だということはわかった。口元は血を垂らしているのか影なのか判断がつかない。瞳は写真の撮り方の問題なのか白目に見えた。
2時間前の投稿だが既に2.6万リポストされている。リプライには無許可で撮影した投稿者を批難するものや画質の粗さを指摘するものが多く、心配しているようなリプライは少なかった。バズっているというよりか、炎上しているように思えた。
千明が見せてきたスマホを私が人差し指でスクロールすると
「拡散希望って具体的にどこで襲われたのか書いてくれないとむやみにリポストできません。」というリポストに吹き出しマークがついていた。
「千明、ちょっとこれ見せて。」
千明のスマホを私はそのままタップした。
「杉並区です」
リプライに投稿者が返信していた。
杉並区。春子の家。今いる場所。
「これ、杉並区だって。」
「え、どれ?」
千明はスマホの画面を自分の方に戻すと、投稿主の返信を確認した。
「ほんとだ。杉並区って春子に絡んだ酔っ払いと同じ奴かな?」
「そんなことないでしょ。杉並区って言っても広いし。」
がほっ…がっ…
ソファで寝ていた春子が突然咳き込んだ。
「大丈夫?起きた?水いる?」
春子が頷く。千明は空のグラスを持ってキッチンへ向かった。
千明がキッチンで水を注いでいる間、私は介抱しようとソファの前で膝立ちの体勢で春子を覗き込んだ。目は充血していた。
春子が咳き込み、ソファから頭が少し浮いた。長い髪がはらりとソファに流れる。
首筋にミミズ腫れのような傷が見えた。
「春子、水持ってきたよ。」
がほっ…うっ…
「それどころじゃないかも。千明、救急車呼んで。」
春子はとても水が飲める様子ではない。それは誰が見ても明らかだった。
首筋のミミズ腫れは、酔っ払いに傷つけられたもの?それとも首が痒くて自分の爪で傷つけてしまった…?いや、今の春子の状態とこの首の傷は関係ないだろう。急性アルコール中毒かもしれない。とにかく救急車だ。
千明が119に電話している間、私は春子を仰向けの姿勢から横向きにした。急性アルコール中毒の場合、吐瀉物がのどに詰まり窒息してしまう可能性があるからだ。いつ嘔吐するかわからない。
「待って。菜々美。電話繋がらない…。」
私は動揺しかけた。だが、私以上に動揺している千明を見て、少しだけ冷静になれた。自分より焦っている人がいると冷静になれる。
それから千明は何度も電話を掛けなおしたが、繋がる気配はなかった。何度も電話を掛けなおしている間、春子は静かになった。
「春子!大丈夫?」
私が肩をゆすっても春子は静かだった。瞼がピクリと動いた。
「良かった…。今、千明が救急車呼んでるから、もうす…」
もう少し待ってて。と言うつもりだった。が、春子の瞼が開き、白濁した目をこちらに向けた時、言葉どころか息が詰まって最後まで言うことができなかった。
私は思わずソファの前から立ち上がり、千明がいるテーブルまで後ずさりした。
「え、ちょっと菜々美、あれ…。」
「春子の様子がおかしい。」
「だから今救急…」
「違う、変なの。急性アルコール中毒とかじゃなくて…。」
ミシッ
ソファが軋む音がした。
春子がソファからゆっくりと体を起こした。
顔は青白く、目は濁っていた。
カチカチと歯を立てながら、こちらを見ている。
「え、何かのドッキリ…?私の誕生日祝いに春子と菜々美が…。」
「違う。」
私は春子を見たまま千明に言い返す。
春子は泥酔しただけだ。頭の中で整理する。
泥酔して、咳き込んだ。少し寝たら良くなったから起きた。それだけだ。
歯をカチカチさせているのは、アルコールによる痙攣だろう。
いや。そうだとしたら。そうだとしたら、目が白いのは何故?アルコールによって白目になる症状はあるのか?あるいは何かの違法薬物?違う。そんなものをやるようなタイプではないし、幼少期に心臓の手術をしたと聞いたことがある。違法薬物は心臓が悪い春子にとって、リスクが高い。じゃあ何?映画によくある…。
ゆっくりと春子が近づいてくる。それにあわせてゆっくりと後ずさりをする。
それでもお構いなしに春子は距離を詰めてくる。春子は両腕を伸ばし、私に迫った。
「ちょっと待って、春子。待ってよ。」
春子が私の肩を掴む。顔を近づけてくる。口を大きく開けながら。
「やめなって!」
千明が春子の腕を引っ張った。ぐらりとよろけた春子は、そのまま倒れ、テーブルの脚に頭をぶつけた。
「ごめん、どうしよう…!」
私は焦る千明の腕を掴み、春子との距離を取らせた。
春子は死んでしまった…?千明が春子を殺したことになってしまうのか?
心臓の鼓動が速い。千明の前では冷静でいたいが、内心ひどく動揺している。
全員がパニックになれば、状況は更に悪化する。
春子は何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がった。痛がっている様子はない。急いで椅子を持ち上げた。春子をベランダの方へ椅子で押しやる。春子が呻きながら腕を伸ばすが椅子が邪魔で私には届かない。千明が急いで春子の後ろに回り、ベランダの窓を開ける。
「菜々美!」
春子の目線は千明に移り、椅子を押し戻す力が少し弱まった。今しかない。私は一気に椅子を押す力を強めた。
鈍い音がして、春子はベランダに尻もちをつくような姿勢で後ろから倒れた。それでも痛がる様子を見せず、立ち上がろうとしている。だが、腹部には椅子が倒れていて、上手く起き上がれず「うぁあ…」と弱々しく呻いている。
急いでベランダの窓を閉めて施錠する。
私も千明も息を切らしながらベランダを見る。沈黙の中、椅子をどかそうとするゴトゴトという音だけが響いた。
「なんかさ…。」
沈黙に耐え切れず、口を開く。今は他愛もない会話をしていた方が冷静でいられそうだと思い、千明に話しかけたが、何を言おうか言葉に詰まる。
「ゾンビみたいだったね…。あれはフィクションだけど…。」
私が言おうとしていたが言えなかったことを千明が言った。
「おんなじこと思った…。」
やっと会話できたが、緊張は
テレビは「ゾンビランド」が流れたままだ。感染者が非感染者を全速力で追いかけているシーンだった。
「千明、ソファ動かすの手伝って。」
千明とベランダの窓の前までソファを動かす。ソファで簡易バリケードを設置した後、千明にベランダを見張ってもらい、玄関まで私と千明の靴を取りに行く。
「靴履いておこう。すぐ外に逃げられるし、割れたガラスとか踏んじゃうとあれだから。」
「そだね。人ん家で土足って気が引けるけど、今はマジそんなこと言ってらんないね…。」
靴を履いた後、テーブルに座って救急車を呼ぼうと試みたが、電話は繋がらないままだった。警察にも電話は繋がらなかった。何も出来ることがない。出来ることが思い浮かばない。
そのうち、外から救急車の音がした。
窓を叩き続けていた春子が音の鳴る方を向いてゆっくりと腕を伸ばす。ベランダの壁は成人女性の胸元ぐらいの高さがある。が、春子は壁に腕を掛けて、よじ登る。
私は手で目を覆った。
パァン
何かが弾けたような大きな音が響いた。
手をどけると、春子はもうベランダにいなかった。ベランダの窓を開けて、下を確認すべきかと思ったが、そんな勇気はなかった。確認しなくてもわかる。春子は6階から飛び降りた。現実感が増して、手が震える。
千明はソファに座り、今にも泣きだしそうな表情をしながら少し笑った。
「誕生日のサプライズドッキリかと思ったのに。」
「救急車も繋がらないドッキリなんてないよ、普通。」と私もぎこちない笑顔を作り、冗談で返す。
「それもそうだけど、違うの。」
「何?」
千明はブラウスの袖を捲ると、腕には切り傷があった。
「どうしたのそれ。椅子にぶつけた?」
「さっき、引っ掻かれたの。」
「消毒しなきゃ。とりあえず水で洗って。私は救急箱あるかどうか探すから。」
急いで千明をキッチンに連れていき、私は寝室や洗面所を物色する。消毒液は見当たらなかったが、アルコールウエットティッシュは見つかった。ソファに千明を座らせて、傷口を拭いた。
「もし、これが映画だったら、私も春子みたいになるよね。」
「映画だったらね。でもこれは映画とか漫画じゃないんだから平気だよ。」
「…。」
「それに映画とかだと、噛まれて感染するじゃん。千明は噛まれてないでしょ。」
千明を安心させようと言ったが、これがもし映画のようなウイルスだった場合、引っ掻かれただけで感染することは知っていた。先日も旅行先のモロッコで、子犬に引っ掻かれた女性が帰国後、狂犬病を発症して亡くなったというニュースを見た。だが、今は千明の不安を煽るようなことは言えなかった。
「頭痛くなってきた。微熱かも…。」
千明は土のような顔色になっていた。額からは汗が垂れている。
「私、誕生日に死ぬのかな。最悪。」
「千明、考えすぎだよ。あんなことがあれば、熱出てもおかしくないって。知恵熱か何かだよ。」
「そうかもね…。」
千明は目を閉じてソファに横になった。
それから1時間後。千明は苦しそうに横たわったまま、何も話さなくなった。
30分もすると、苦しそうな呼吸音も止まり、千明は静かになった。
多分、千明は死んだ。
「私、誕生日に死ぬのかな。最悪。」という彼女の言葉が頭から離れない。
私はバッグから千明に渡すはずだった誕生日プレゼントを取り出す。黄色い包装紙にピンクのリボンでラッピングされた誕生日プレゼント。
千明が小さく呻いた。そして、ソファからゆっくりと上半身を起こして、私に顔を向けた。目は白く濁り、顔や首には血管が浮き、緑色のクモの巣のようだった。
映画であれば、もうあれは千明じゃない。
千明は死んだ。そして、また生まれた。
「誕生日おめでとう。」
そう言って、私は千明に誕生日プレゼントを投げた。
歩く死者 赤身ろめ @datenshi_p
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