BASSALIA-堕ちた貴族とその花嫁-

清原因香

BASSALIA-堕ちた貴族とその花嫁-

 暗雲の立ち篭める、陰気な夕方。


 たどりついた村で、俺は上げ膳据え膳の歓待を受けた。


 やはり何かあるのだな、と思ったが、何も言わずにおくと、酒も食事も、場の一同に充分に行き渡った頃合に、老人が一人進み出てきた。


「貴方様を、優れた戦士と見込みましてのお願いがございます」


老人は、もう何も見えなくなった窓の外を指した。


「ここにお入りになります時に、丘にございますお城をご覧になったことと思います」


確かに、堅固そうな城が、山のような森に囲まれているのが、村に入る前からよく見えた。


「そこがどうかしたのか」


俺は、その城に惹かれてやってきた事はおくびにも出さずに言う。すると老人は、


「はい。数百年前、この村は、そこに入っていらしたさるお貴族様の物でございました」


と言い、こんなことを話しだす。



 その貴族は、近隣に名君の名を轟かせていた。当然、村のものも彼に心からの忠誠と奉仕を誓っていたのだが、ある時、それが狂った。


 貴族はたまたま、村に入ってきた旅の娘を見初め、なんとか説き伏せて城に招き入れた。それだけでも十分彼らしからぬ。しかも、その娘は、その貴族の評判を妬んだ別の貴族の差し金で遣わされた魔法使いだった。きっと、この貴族は、その魔法でもって魅入らせられたに相違ない、でなければそのような名君が、と老人はため息をついた。


 さて、たぶらかされた貴族は、娘との淫らな日々の間に、すっかり心身が魔性に侵され、魔法使いが消えた後残ったのは、人柄のうって変わった貴族と、その酷政に喘ぐ村人であった。しかも貴族は今も生き、毎年三分の二の収穫を村人に対し求めているという。


 のみならず貴族は、「わかっている限りで」ほぼ五十年に一度、村の娘を一人さらっていく。彼女には、若さを止める術を施した後に、その寿命の尽きるまでを弄ぶという専らの伝承である。いつか、村の若い衆が有志を募り退治に出た事があったらしいが、還ってきた者はいなかったという。これ以上、魔物の下で怯えた生活を送りたくないというのが、場に居合わせていた村人全てに通じた意見であった。


 歓待された理由を察した。報酬の前払いみたいなものだ。うなずかなければ、今夜この村から無事に出られるか怪しい。


 外はいつのまにか雨だった。遠雷も聞こえる。



 明けて、雨は未だ降っていたが、適当に外は明るかった。 窓から、昨夜の話の魔物の城が見えた。数百年前からあるわりには、疲れたところは見られず、厳粛で荘厳な雰囲気を失っていない。なかなかの骨董品だ。


 森は丘を覆うように茂っていた。住む鳥の嗄れた鳴き声が二重三重に折り重なって聞こえてきた。


 俺は分厚い皮のマントを羽織り、魔物退治に必要なガラクタの詰まった袋を壁から取った。こんなちっぽけな村一つを縄張りにしている魔物だ、大したものではあるまい。そう思っていた。


 戸を開けようとしたところで、丁度この家の前でだろうか、誰かと言い争う甲高い声がした。


「およしよ、メリッサ、お前までバッサリスになりたいのかい!」


「うるさい、離してよ!」


どうやらその声は、人が何やら止めるのを聞いていないらしい。そして不意に、俺の前の扉が開いた。


 俺を見上げる、意志の硬そうな瞳。娘は言った。


「私も一緒に、城の魔物退治に連れて行ってください」



 メリッサと名乗るこの娘は、この村で生まれ育ち、事情あって立身のために戦士になろうと決心した矢先の俺の出現であると、一通りの身の上を述べて、もう一度、畳み掛けるように俺に頼み込んできた。


「お嬢さん」


と、俺は返す。


「今のうちにそんな考えは、丸めてゴミにでもしちまいな。こいつは、生半可な決心でできる稼業じゃない。


確かに金にはなる。しかし、依頼によっちゃ、泥沼の中を一晩中歩いたり、倒した魔物の血を全身に浴びたりすることもある。一回でも仕留め損なうと、それだけ悪い評判も増えて依頼がなくなることだってある。


それに、俺はパーティを組むつもりもないし、こんな可愛いお嬢さんの悪戦苦闘の有り様を、傍で黙って見ていられる程いい性格もしてない」


ここまで俺が言って、それでも俺について来る意志があるのなら、ここで今回の依頼が処理できるまで村の中で待っているようにと加えて言いもした。しかし、


「私は、この日のために、可能な範囲の情報は全部集めたわ。城までの安全なルートだって知っている。


これはあなたもほしい情報じゃない?」


つまり、その情報と引き換えに、自分を連れて行けと、強迫されたようなものだった。



 正直、俺は困っていた。


 人並みの社会生活を送るのがそもそも苦手だったから志したこの仕事、以来自他ともに認める一匹狼でやってきたが、こんなところでかりそめにも相棒…それも、こんな不安定な稼業にはおおよそ不釣り合いの別嬪…ができようとは、思ってもみなかった。俺は、考え得る限りの言葉を使って、彼女を思い止どまらせようとしたが、彼女の決心は石のように堅く、俺の弁舌では歯が立たなかった。 一時間後には、もう、彼女を連れて、城の回りを取り巻く森に入っていた。



うっそうと茂った木々は雨をほどよく受け止めて、森の中はそこそこに乾いていた。


 茂みに半分身体を埋めるようにして、兎が一匹、俺達が通り過ぎるのを見ている。人おじしない有り様に、俺は柄にもなく笑みがこぼれてしまった。


「逃げないんだな」


と、つい口に出すと、メリッサは、先を行く足を止め振り向いて


「ここは魔物の息がかかっている場所なの。そこの動物なんて、どんなものかわかったものじゃないもの、どんなに獲物にあぶれている猟師だって入らないわ」


と言い、どんどん先を歩いて行く。



 木の枝が四方から張り出して、丁度ドームのようになったその下で、俺達は小休止をとった。


 二人とも無言のままで昼食を採りながら、俺は、メリッサが俺の前に現れる直前、言われていた台詞を思いだした。


『およしよ、メリッサ、お前までバッサリスになりたいのかい!』


「バッサリス」


そして、引っ掛かった単語を口にする。途端、メリッサの表情がさらに強ばった。


「何か、知っているのか?」


「…」


「何なんだ、そのバッサリスとは」


「…」


「これも俺の知りたい情報だ。話してくれないのは契約違反だとは思うが」


メリッサの目には、始終、形容しようがない戸惑いがうごめいていたが、しばらく立ってから、大きな溜め息をついて、


「五十年に一度、村の娘がさらわれるのは聞いたでしょう」


「ああ」


「その娘のことよ」


この先を聞けば、さらわれた娘は、魔物との差し向かいの生活のうち、いつなぶり殺しにされるかという恐怖に精神を狂わされた女…バッサリスになるという。さらわれた娘は、二度と村に戻って来ないから、本当のところはわからない。しかし、古い伝承にあることだから、みんなそれをそのまま信じているらしい。


 メリッサは、このことについては、あまり話したくなかったらしい。うつむいて、ぼそぼそ呟くようにそのことを話してはくれたが、そのまま顔を挙げなかった。



 まるで油の切れた歯車が回っているような雰囲気をそのまま引きずりながら、俺達はさらに城の近くに寄った。


「城の石垣よ」


と、メリッサは、目の前に現れた草むした斜面を叩いた。


「…どこだったかしら、入り口は」


それから、彼女本来の顔なのだろうが、あどけない表情になって左右を見ている。俺も、彼女の指示に従おうと、余計な口は挟まなかった。しかし、背後に突如として現れた気配には、反射的に身構えた。


―来ないで!   


と細い声が聞こえる。しかし、メリッサには聞こえていないらしい。


「何、何があったの 」


と俺の背後を伸び上がって見ている。俺はそれを押しとどめ、静かにするようその口を塞いだ。


―来ないで!   


もう一度声がした。前より少し大きい声で。今度こそはメリッサにも聞こえたらしい、目を円くしていた。



 それは確かに、女の声だった。


「バッサリスか」


俺は思ったままを呟いた。この状況では、そう考えるのが一番適切であろう。しかしメリッサは


「気のせいよ」


と、一蹴した。


「そうでなかったら、魔物が私達を呼んでいるのだわ。


声色を使って」


しかし、メリッサは最後までそれを言えなかった。出なかった言葉の残りは喉の奥に押し込んで、俺を押しのけて、城から離れて走り始めた。


「待て、メリッサ」


俺もその後を追った。振り返ったとき、木々の間を、何かがかすめた。メリッサは、その影を追っていたのだ。



 「相手」は、立て込んだ木々の間を、音もなく、滑るように駆け抜ける。時々、ちらちらと、その髪や服が見え隠れする。


「待って!」


メリッサは、「相手」に必死に声をかけていた。すると、その「相手」は、すっと俺達の走っていた小径に飛び出す。メリッサはもとより、俺も面食らった。


「!」


その娘の顔は、メリッサによく似ていた。彼女と同じ色の瞳が、遠目にもかかわらず手にとったようにわかる。ただ、この娘の方が、一本芯が通ったようなものがあるようにみえる。


娘は、俺達をじっと見ていたが、瞬きのうちに消えてしまったのだった。


 余りのあっけなさに、メリッサは、追いかけようとしてとどまり、


「…」


そして辺りを見回した。まるで母に置いてきぼりにされた子供のような顔だった。



 メリッサは、少し消耗しているらしい。俺は、例の城の石垣に背をもたせ掛けるようにして座らせた。昼食で余った酒を少し飲ませると、彼女は一瞬しかめ面をして、正気を取り戻したようだった。


 森の中がそろそろ暗くなり始めようとしている。日の暮れる前に、城の中に入ってしまいたい。依頼は早くこなすのも仕事の信頼に繋がるものだ。


「メリッサ」


そして俺は、先刻の彼女の奇行が、今回の依頼に関係があるのではないかという予感がした。俺は、彼女を極力傷つけずに…しかしどうしようもなくいやな質問だが…尋ねた。


「今のバッサリスとは、どうやら知り合いらしいな」


すると、以外に答えはあっさり返ってきた。


「姉よ、三つ違いの」


どうやらメリッサは、話さねばならぬと観念したようだった。


「親も早く亡くしたから、他の村人から情けをかけてもらいながら、それでも姉妹二人死なない程度に生きて来たわ。でも…」



 メリッサのそれでも一旦言いよどんだ先のことを、俺の口で言い直せばこうである。


 メリッサの姉…アマルテイアは村で信仰されている神への供物となる花輪を編む仕事を与えられていた。村でも指折りのよく働く気立てもいい娘であったが、そのうち仕事が粗雑になり、あるいは注文で約束の期日に遅れ、全く仕事が手につかなくなった時もあったらしい。


 いろいろ理由が勘ぐられて、結局、男ができたのではないかということに落ち着いたが、村の若者の誰一人として、心当たりのあるものはなかった。そういう意味で、アマルテイアは付け入る隙がない娘のようで、ひとつ屋根の下に住んでいたメリッサも、そんな心当たりは全くなかった。


 それが、つい一年ほど前であった。ある夜、姉の声がしたので、ふと目を覚ました。かなり夜も更けていたのだが、まだ仕事をしているのかと思い、また眠ろうとすると、彼女の叫ぶらしき声が聞こえてきた。


 女所帯だから、いつ何時でも、こんな覚悟はできている。メリッサは跳ね起きて、姉の部屋に飛び入ろうとした。が、戸は隙間が細く開いて、光さえ漏れているのに、扉はそれ以上閉まりも開きもしない。メリッサは隙間から中を覗いてみた。


 確かに姉はいた。できかけの仕事はそのままで、色とりどりの花の中に粗末な服も脱ぎ散らかされて、アマルテイア本人は一糸まとわぬ手足を投げ出して、しかもその腹の上には、見たこともない男が乗っていた。


 一瞬、すわ、と全身が震え上がったが、どうも暴漢にしては、その男は小綺麗すぎた。部屋を見直せば、少々乱雑な部屋でも、姉の抵抗したらしい跡は何もない。かえってこの男は「歓迎されて」いた。姉の目はすっかり正気を失って、淫らな恍惚の眼差しで中空を眺めていた。勘がよいはずなのに、自分がここにいるということもわからない様子だった。先刻聞いた叫びのような声も、どんな状況で出されたものかわかってしまったメリッサは、男が誰かということよりも、自分にとっては生きる手本とも言えた誇り高い姉がまさか、という思いの方が先に立って、ついわななく手が戸にぶつかった。


 物音に、男は扉を見た。


「誰だ!」


そしてメリッサは、男の容貌に二度びっくりしたのである。 幼いころ親から聞かされた、白昼堂々魔物にさらわれる娘の話を思い出した。あれで、姉と一緒にいつまでも震えていたのも思い出されたが、今はどうでもいい。


 髪は黒い炎が燃え上がるようで、折からの月光に緑色の光沢を放っていた。肌は透けるように白く、瞳の暗い緑が、戸の後ろにいるメリッサまで突き刺すかのように鋭かった。メリッサは戸の後ろにひた隠れ、これが夢か何かであってほしいと必死に願っていた。



 そのうち、アマルテイアの部屋の窓が、大きくばたん、と鳴り、風が戸を押しのけてきた。メリッサは、再び自由に動き出した戸を開けて、中に入った。作りかけの花輪も彼女の服も、乱れたままにしてあり、風に花びらが舞い上がっていた。しかし、姉も魔物も、忽然と姿を消していた。 風は、嵐の前触れで、すぐに、たたきつけるような雨が始まって、夜明けまで止まなかった。


 翌朝、夜半の恐怖を外に出た人々は口々に言い合っていたが、皆に人心地がつくようになってからやっと、誰かがアマルテイアの失踪に気がついた。ついでに嵐の原因も。皆このことを気の毒がり、またやじ馬的にメリッサにいろいろ聞く者も多かった。しかし彼女は自分も知らぬを決め込んだ。しかし内心は、いつかあの魔物を倒して姉を助け出そう。バッサリスとなっていても、時間さえかければ、元の姉に戻るはずだと思いつつ今があるのだとか。



 それはともかく、やっと物の影がわかる時分になってから、石垣の中に埋もれたような門と扉が見つかった。


「開くぞ」


城の入り口というから、どんなに強固なものかと思っていたが、鍵などかかってはおらず当然、門番のような者もいない。


「まるで、入ってくださいと言わんばかりだな」


門扉をくぐり抜け、やはり解放の城の扉を開けると、キキキキ…という奇妙な声と、カサカサ小さな物音がした。


 メリッサは俺の背中に取り縋ってあわあわと震えている。まだほんの小娘だ、と俺は笑いを禁じ得ず、


「安心しろ、城の邪気に惹かれた小鬼だ。光に敏感でな、これぐらいの光でも、騒ぐものなんだ」


と言って、袋からランタンを出した。


 薄黄色の明かりが玄関を照らす。両側の壁に沿って階段が、両手を差し伸べるように伸びていた。小鬼は、「強烈な」光に耐えられず、調度の陰に溶けるように隠れた。


 それに加え、この光が、別のものを呼び覚ましたようだった。俺はメリッサにランタンを預けると、腰の長剣を抜き、左の階段の陰を指した。二つの赤い光が、中空に浮かぶようにこちらを見ている。そのまま向こうは半身をのりだそうとする。脂ぎった剛毛がランタンの光を受けて淡く光った。


「ケルコプスだ」


「ケルコプス?」


「猿と人間を足して二で割ったような姿で、知能は低いが、血統的にはここの主より遥かに真っ当な『魔物』さ。


 さっきの小鬼のように、こいつも邪気に誘われたクチだろう。ふだんは至っておとなしいが、どうもこいつは邪気に同調して凶暴化しているようだ。こいつも光に弱いから、ランタンに刺激されたはずだ。いつ襲い掛かって来ても文句は受け付けんぞ」


 メリッサはひ、と叫んだ、わななくついでにランタンを揺したのだろう、玄関の影が大きく揺れた。


「いらん刺激を与えるな」


俺は言ったが、もう遅かった。ケルコプスは光の揺らめきに動転し、毛むくじゃらの両手を振り上げて、光源に襲い掛かって来た。俺はメリッサの前に立ち、威嚇に長剣を突き出したが、すぐ弾かれた。俺は床にのめったが、ケルコプスの注意はそらせられた。俺は跳ね起きつつ


「メリッサ、袋から水晶玉を出してくれ」


と叫ぶ。そして、恐怖でもたつくだろう彼女の時間稼ぎに、またケルコプスに挑みかかった。



「これ?」


数秒後出た水晶玉を、俺は横目で確認し、


「投げ上げて伏せろ!」


と言った。すぐ呪文を呟く。すぐに水晶玉は内部に光を抱き、


「キラ!」


の言葉で、真昼のような真っ白い光を放った。


 目を覆う腕の間から、わずかに閃光が漏れて来た。その後に竜巻のようなケルコプスの呻きと、続いてドウッと倒れる地響きが俺達を揺るがした。


 ひとしきり、刺すような光を中空で放った水晶玉は、その光を失いながら下に降り、最後にコン、と軽い音をたてた。



 伸びているケルコプスに止めを刺すと、俺は例の水晶玉を拾いあげた。メリッサが寄って来る。


「俺みたいな戦士が魔法を使うのがそんなに珍しいか」


と言うと、きょとんとした目のメリッサは、そんなことはないけれど、という顔をした。


「一匹狼にもそれなりの苦労があるのさ」


と、俺は彼女に水晶玉を放った。口訣を繰り返させて、


「モルプ」


と言うと、殺気とは違う紫色の光が柔らかく現れる。


「邪気を封じた。しばらく魔物は現れないだろう。お前はアマルテイアを探せ、話はまたそれからだ。俺はここの主を探す」


 俺は袋から予備のロウソクを取り出し、ケルコプスの死体を脇に見ながら、メリッサの行ったのとは違う左の階段を上った。「モルプ」の調子はよい。小鬼の姿すらない。気味の悪いほど静かだった。



 どこをどう歩いたか、それはわからない。しかし、明りが漏れているところが出てきた。何かの罠ではないかと思いながら、中に飛び込む。


 メリッサが呆然とした顔でランタンと水晶玉を持っていた。そして、そのそばには、例の、城の外にいたあの消えた娘…アマルテイアがいた。



 アマルテイアは、いかにも城の女主然とした態度と、物おじしない目で俺をしっかりと見据えて言う。


「生憎、主人は所用にて出ては来られません。あなた様のご用向きはよくわかっておりますが、ここはどうか、お引き取りをいただきたいのですが」


俺もメリッサも、目が点になってしまった。メリッサは開いた口も塞がらなく、やっと


「…そんな…」


と声を出した。アマルテイアはそこでやっとメリッサに気がついて、少し困った顔で俺を見た。俺は、メリッサがついて来るまでの事情を手短に加える。するとアマルテイアは困った顔のままで


「村にお伝えください。魔物はもう村に危害を加えない。毎年の作物は今の十分の一でよい、と」


と言う。


「姉さんは? 姉さんはそれでどうするの?」


メリッサが尋ねると、


「私はここに残ります」


「そんな! わたしは姉さんを助けに来たのに! バッサリスになっていても構わないって思っていたのに!」




 アマルテイアの言葉は、メリッサにこれ以上ない衝撃だった。てっきり、今の生活にすっかり嫌気がさしていて、飛びついて帰ろうと姉が言うことを、メリッサは頭の中で描きそのつもりでいた。しかし姉は、人間をやめるのと同じことを言ったのである。アマルテイアは、当てが外れてへたりと力なく崩れ落ちたメリッサの傍らに腰をかがめ


「わかって、メリッサ。私がこうすることが、村があのひとから解放される道なのよ。村の人はいい人ばっかりだから、きっとお前一人でもうまくやっていけるはずよ。


 ね? 早く帰りなさい。村も心配するし、あのひとに見つかったら…」


ととくとく諭している。メリッサは、聞く耳持たぬというように幾度も幾度も首を振っていた。


 そして俺は、ここに何かが近づいて来るのを悟った。姉妹の前に立ち、長剣を扉に対して構える。


「アマルテイア?」


扉の向こうで、誰かがアマルテイアを呼んだ。


 主のお出ましだった。



 アマルテイアはつと駆け出し、扉を細く開け外に滑り出した。二三話声がして、次いで横柄な音を立てて再び扉が開いた。


 メリッサの話と同じ、つまり、村の伝承と同じ顔があった。緑色に輝く黒い炎のような髪、魔物らしく血の気の失せた顔に、鋭い眼光。貴族であった誇りと畏怖感をそのままに魔物としての気迫を備えた、生粋の魔物にもなかなかいない美々しい男である。


 さて貴族は


「私の手から、アマルテイアを奪うつもりか」


と、我々に何のあいさつもなく言った。


「そのつもりなら、何人たりとも容赦はせん!」


そして、城主の貴族は手を大上段に振りかざした。しかし、そこからは何も出て来ない。


「生憎だな。速やかに話を進めるために邪気を封じてある」


と俺は言う。メリッサの手にある水晶玉はまだ輝いている。貴族はギリ、と歯の根を噛み、また横柄に扉の音を立て、部屋を出て行った。



 それを見送ってアマルテイアは


「ご安心ください。あのひとはあんな風にふて腐れた時は、しばらく部屋から出てはきませんわ」


と言う。俺は水晶玉の「モルプ」を消した。


「話の続きをしよう」


俺は、一瞬ではあるが、あの貴族と戦うことも考えた。だが、アマルテイアの事も考えると、そうやすやすできることでもないな、とも考え直す。


 貴族を見送る彼女の母親のような目が彼女の内面を覿面に語っている。


 村人から見れば恐怖この上ない魔物でも、アマルテイアにとっては唯一無二の「夫」である。その助命を請うのは、当然なのかもしれない。


 こうした変化も条件に入るとすれば、人とは違う想いを持ったアマルテイアは立派にバッサリスなのだろう。しかしそれはあくまで頭の中で、俺は


「ずいぶん、あの魔物に大事にされているらしいな」


と言った。


「ですが、それを逆手にとらせてもいただきました。もう村に出ないことも、収める収穫のことも、私のたっての願いといえば聞き入れてくれました」


「転んでもただでは起きんな」


俺はつい笑ってしまった。しかし、アマルテイアはニコリともせずに


「私にできるのはそれくらいですわ。村をこれ以上ひどい目にあわせないために」


と言う。


「しかし、アマルテイア、所詮、魔物とと人は相入れないぞ。たとえ、もともと人だったとしてもな」


「わかっています。ですがそこを枉げて、あのひとへの容赦をお願いします」


彼女は深々と頭を下げた。俺はメリッサを見る。彼女は、不満と戸惑いがありあり浮かんだ顔で睨み返した。


 姉妹の間で、俺はしばし途方に暮れた。が、どちらを取るかということは、一目瞭然であった。


「しかし、村のものの恐れのほうが、お前の愛情より大きいのは確かなのだ。


 出来る限りお前の意思は尊重するが…すまんな」


俺はそう言って、部屋から出ようとした。メリッサは立ち上がって、


「姉さん!」


と、腰に吊していた小ぶりの剣を外した。


「村の、おばばから預かって来たの。何かあったら、これで身を守って!」


そして、それをアマルテイアに押し付けると、俺の方に向き直る。彼女は真剣だった。


「どうすればいいの」


「来い! 奴の部屋に突っ込むぞ」


俺は言って、アマルテイアに


「早まるなよ」


と言った。彼女がその時どう思っていたかはわからない。だが、このときは、とりあえずそう言うべきだ。それがお約束というものだ。



 扉を破ると、貴族は邪気を、調度品が煽られて部屋中を飛び交うほど発していた。


「どうしてもアマルテイアを奪って行くつもりか!」


と言う。そして


「そうはさせぬ!」


ゴバア、という音を立てて、邪気が滝のように俺に襲い掛かってきた。


「アリク!」


俺はとっさに口訣を唱えシールドを張った。邪気がはね返り、紫色の波が弾ける。俺は


「話し合おう」


とふってみる。


「アマルテイアに、お前の命を取らぬように頼まれた。


…どうやら、お前も少しは彼女に教化されて、村には降りぬと約束をしたらしいからな、時と場合によっては、そうしてもよい」


「ぬかせ! その前に、お前を木っ端微塵にしてくれる!」


魔物は言う。


「アマルテイアはお前達には渡さぬ!


 私と共に、永遠の時を生きるのだ!」


そして、何度かシールドに挑みかかったが、その度に邪気は徒にはね返った。


「…村のものは、さらわれた娘は永遠の青春を与えられるが、それに見合う寿命は与えられず、いいように弄ばれながら死んで行くとややこしい伝承をしているが、その実は、寿命を待たずしてお前が食ってしまうのだろう? バッサリスとの差し向かいの日々に飽きたあげくにな。


 そうでなければ、お前のその姿、まさに五十年とはもつまい。


 そのくせに、数年もすればまた懲りずに村に降りる。そんな暮らしの繰り返しなど、永遠の時があっても何の意味もないぞ」


 俺はそうして、魔物の出方を見ていた。これにいくらか、魔物が反省的かつ進歩的な事を返せば、アマルテイアと誓った内容も守るはずだと思って、彼女の望みを容れようと思った。しかし、もはや邪気に冒され数百年の、この人間からのたたき上がりには、そんな高尚な思考回路は残っていなかったようだ。魔物は、部屋の壁にかかっていた長剣を掴み取り、さやを抜き払った。


 黒光りする、よく鍛えられた長剣だった。


「指図するというのか?


生まれ落ちて三十年にも満たないお前が、数百年を生きたこの私に?」


魔物は、長剣を振りかざした。紫色の邪気が切っ先にまでじわじわとみなぎる。


「おもしろい!」


そして、彼は床を蹴った。一気に間合いを詰め、俺の張ったシールドに、ためらいなく長剣を突き刺した。シールドが、白い光となって砕け散る。こんな形で破られたことのない、少々自慢の呪文だったので、俺は意表を突かれ、どう出ようかと正直戸惑った。


 魔物は、シールドのなくなった赤裸同然の俺に休む間もなく長剣を繰り出した。その太刀筋は鋭く、魔物に落ちぶれても貴族である。数回合わせる間に、俺はぐんぐん押されてしまった。


 魔物が長剣を横に振るう。それは真一文字に俺の首筋を狙っていたが、俺は紙一重の間合いでかがんで避ける。しかし、それからの俺は立ち上がる暇もない。


「どうした、大口上を述べたわりには情けなさ過ぎるぞ!」


魔物は、狂気じみたというか、魔物然とした笑みを浮かべ、まるで舞でも楽しんでいるかのように切り込んで来る。俺はそれをやっとのことで避けていた。


 そこに、である。


「モルプ!」


という、メリッサの甲高い声がして、部屋の邪気が急に失せた。魔物はこの現象に一瞬驚いたか、剣筋が乱れる。その隙に、俺はやっと立ち上がれた。


「娘…何をした…」


魔物は、戸口に立っていたメリッサを睨みつけ


「魔力など使わなくとも、お前一人ぐらい、素手でひねり殺せる!」


と長剣を投げ置いた。メリッサは真っ青になり、水晶玉を取り落とし、廊下を駆け出す。魔物はそれを追う。


「メリッサ!」


俺もアマルテイアもほとんど同時に叫んでいた。そして、俺より早く、彼女は駆け出していた。


 俺は自分の長剣が、すっかり刃こぼれていたのを確認し、魔物が投げおいた長剣を失敬した。これには何の罪もない、俺は


「ミレム!」


と邪気を斬る魔法を水晶玉から移し、それから三人を追う。



 すぐ3人に追い付いた。しかも、メリッサの駆ける先は、大きな扉にはなっているが、そこがどうも突き当たりのようである。魔物は、メリッサのかけた「モルプ」が水晶玉の落ちた拍子に失せたということをわかっていた。だから、全身から邪気を発し、後ろからメリッサに圧迫感を与え続けている。


 メリッサは、その突き当たりの扉にぶちあたり、わななく手で押した。空いた隙間に転がり込む。魔物は、邪気で扉を吹き飛ばす。


「娘! どこに隠れた!」


と魔物は呼ばわるが、メリッサは見えない。魔物は両手の先に邪気を反応させて、青白い光を放りあげた。その光に照らされてメリッサのいた部屋の隅が見つかったのもさることながら、その部屋にあったものに俺は度肝を抜かれた。


 骨、骨、骨。


 しかも新旧取り混ぜて。恐らく、歴代バッサリスと、いつかこの城に入って全滅したという村の有志のものだろう。生粋の魔物なら、精気を吸い取った後は、骨も残らず風化するものだが、人間からたたき上がったこの貴族は、まだ数百才という「若輩」でもあるために、そんな高等なことはまだできず、結局精気を得るためには食うしかなかったのだ。


 メリッサは、先にこの様子を見てしまったのか、その恐怖に声も出ない。


「おとなしくしておればよかったものを! いたずらに邪気を封じて、お前達に勝算があると思っているのか!」


と魔物が、気迫を撒き散らしながら迫って来る。腰でも抜けたが、身動きも取れないメリッサだったが、それでも逃げようと部屋の隅をおたおたと動く。


 アマルテイアが戸口でただすんで、その様子を眺めていた所に、俺は駆け付けた。


「!」


勿論、メリッサの有様は見逃さない。俺は、魔法を与えた例の長剣が、邪気にうなるのを手にひしひしと感じながら、部屋の中に踊りこもうとした。が、


「お待ち下さい」


と、アマルテイアが引き止める。


「『人間の』命を救うほうが先だ! やむを得んが、お前の旦那は殺さねばならんぞ!」


俺は息巻いたが、しかしアマルテイアはなおも


「どうか、しばらく」


と俺をなだめて、部屋を入り、魔物に近づいた。



 魔物の手が、今しもメリッサの首にかかろうとしている。「惜しい娘ぞ。姉と共に可愛がってやろうとも思ったが…」と、魔物は笑んでいる。アマルテイアはその背後につと寄り、


「あなた」


と魔物に声をかけた。当然彼は


「何だ」


と振り向く。途端、アマルテイアの持っていた長剣が、魔物の身体をハスになめ上げた。


「!」


魔物はかっと目を見開く。まさか、彼女に暫られるとは思ってもみなかったのだろう。


しかし、「おばば」こと村の魔法使いの老婆仕込みの魔法の長剣の傷は、浅くても、魔物を昏倒させるのには十分だった。


「なぜ、おまえが」


とぶつぶつつぶやきながら、魔物は、目の色を濁らせてその場に崩れ落ちる。傷口から、紫色の煙が立ちのぼる。


 アマルテイアはその傍らになよやかに立ち、俺に言った。


「…とどめを、お願い致します」



 俺が魔物の心臓を例の長剣で貫くと、全身から邪気が迸った。その肉体は見る見る年老いて、ついには骨と皮だけになって、細々と横たわる。


 アマルテイアはその一部始終を、まつげ一本動かさずに見ていた。魔物であれ、愛情を持った相手に対する態度にしては、随分非常な様子に、傍からは見えただろうが、彼女の心中には、魔物に可愛がられ、城に迎えられてからの一年の間の、さまざまの悲喜が去来していたにちがいない。 勿論これも、俺の推測に過ぎないが。



 煙が完全に吹き去り果ててから、アマルテイアは、まだ腰が抜けているままのメリッサを立たせた。


そして俺に、


「本日は、お手数をおかけしたうえに、妹のわがまままで聞いてくださって」


と深々頭を下げた。俺は


「いや、こんなことは」


どうということもない、と返そうとしたが、アマルテイアは


「お手数ついでに、妹のこれからのことをよろしくお願い致します」


と、含蓄ある言葉を言った。


「ふつつかものではございますが、お手伝いの一人にでもおつけくださいませ」


メリッサは、きょとん、とした顔でアマルテイアを見た。しかし、アマルテイアはメリッサを見ず、俺の手の魔物の長剣を取り、メリッサの長剣を握らせた。そして


「今はこのまま、決して振り向かずに去ってください」


と、俺達を部屋から押し出した。



 俺は、そう言われていながら、一度だけ、振り向いた。 アマルテイアは、床の、見る影もなくなった魔物の傍らに倒れていた。彼女が、どういう道を選んだのか、それだけでわかった。


 メリッサは、姉がとうとう自分を見なかったことで姉の覚悟を悟ったらしい。城を出て村に帰るまで、声ひとつ出さなかった。



 日暮れになれば帰るだろうと、言い残しておいたものが、帰って来たのが夜明けになっていたので、村人達は気揉みしていたものが小躍りして、早速祝杯の準備になった。しかし、今回の内部事情を考えると、どうも魔物が死んだからと言って、村人達と馬鹿騒ぎをする気にもなれない。


 こういうときは嘘も方便というものである。かねてから入っていた大きい依頼があって先を急ぐと訴えたら、


「それは、致し方ございませんな」


と、快くわかってくれた。


 まだ、戦いの疲れが若干残っていたが、俺達は、日が昇りきったときには既に、あの村を後にしていた。


 宴会が開けない代わりにと、報酬には色がついて来たが、その重さも、今回の内容にしてはやたらに後ろめたい。



「南に行くか」


と、俺は後をとぼとぼついてくるメリッサに言った。


「このまま行けば、昼には結構な宿場町に出る。俺が得意にしている武器屋兼宿屋があってな、長剣の直しと買い物がてらお前を預ける。


 アマルテイアには悪いが、俺の信念は枉げられん。しかし、あの店の得意になっているパーティはいい奴らばっかりだ。俺のことを言えば誰かが拾ってくれるはずだ」


メリッサは、行くところならどこでもいい、という顔で頷いた。



 その町のその店。


「おやナノスさん、随分とお見限りじゃないですか?


 前に来たのは確か五年前…」


「三年前だ」


主人と軽口をたたいて、俺は長剣の直しを頼んだ。それから


「水晶玉をくれ」


「へえ」


主人は棚から、柔らかい布の上に転がっている水晶玉を取った。


「こいつはどうでしょう。光沢も丸みも一流品」


「何でもいい」


品代を払う。すると横でメリッサが


「どうするの?」


と首を突っ込んで来た。


「魔法を仕込んで、この間の様に使うんだ」


「もうあるじゃない」


「あれはお前にやる、剣が立たなくても、それでしばらく、よそのパーティの手伝いをして、冒険者の経験を積むのがいい」


「え?」


「呪文を教えてやるから、後で部屋に来い」


俺が彼女に与えられる餞別はこんなものであった。これで彼女のこれからに、少しでも希望の兆しがあればよいが。



 呪文を教えながら交わした会話でも、メリッサは半分以上が姉との思い出話だった。


 影響絶大の姉を失って、彼女はいかに気を落としているのだろう。目の前でメリッサのはしゃぐ姿は、それだけ中が虚ろに思えた。


 あまつさえ彼女は、このまま俺の部屋で寝るとまで言い出した。


「自分を大切にしろよ」


しかし、寝台は二つあるし、俺は信用できるとメリッサは言い張って、そのまま泊まり込んだ。



 夜中、ふと目を覚ますと、メリッサは俺に背を向けていた。じっと眠っているようだったが、俺は、お節介にも、彼女の忍び泣きを聞こえないふりはできなかった。


「そのうち泣けもしなくなるさ。


 所詮戦士は、こんな後悔しか残らんものだからな」


俺は聞こえるように寝言を言い、布団に深く潜り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

BASSALIA-堕ちた貴族とその花嫁- 清原因香 @yoruka5963

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ