そちらには行きません
星屑肇
そちらには行きません
小さな町の片隅にある古びた書店、「文の海」。店内は静まり返っており、木の温もりが感じられる壁に沿って並んだ本の背表紙が、暖かい光を浴びていた。その店を愛する常連客のひとり、ミオは、毎週土曜日に訪れるのが日課だった。
ミオは本が好きだったが、特に物語の中に描かれる「旅」に憧れを抱いていた。新たな世界を物語の中で探求し、そこに勝ち取る冒険が、時には彼女自身の生活を少しだけ明るくしてくれるのだ。けれど、実際のところ、彼女の生活は平凡であり、日々のルーチンに埋もれていた。
ある日の午後、いつものように書店へと足を運んだミオは、いつもとは違う空気を感じ取った。店の奥の方で、見たことのない男性が本を読んでいた。彼の存在は、書店の落ち着いた雰囲気に奇妙にマッチしていたが、同時にどこか異質な圧迫感もあった。
「君もこの本が気になるのか?」その男がミオに声をかけた。彼の目は真剣そのもので、何か特別な知識を秘めているように見えた。
「ええ、そうですね…」ミオは答えた。心のどこかに、妙な興味を抱く自分がいた。
「この物語は、主人公が冒険の中で自分自身を見つけていく話なんだ。君も同じような冒険に出てみないか?」彼は微笑んだ。
その瞬間、ミオの胸に響く言葉があった。「冒険…私にそんな勇気があるのだろうか?」少しの憧れと少しの恐れが交錯した。その男は「そちらには行きません」と彼女に告げる。まるで何かを知っているかのように。
「どういうこと?」ミオは不安げに尋ねた。
「君は物語の中で別の場所へ行きたがっている。でも、実際に行く勇気はない。でも、それは仕方のないことなんだ。」男の言葉には温かさがあったが、真実が隠されているように感じた。
ミオはその言葉について考え始めた。彼女は多くの物語を読み、旅をする勇気を求めていたが、現実として目の前の道から逃げている自分を理解させられた。新しい道を選ぶことは、恐怖や不安を伴うのに対し、彼女は安心感を求め続けていたのだ。
「なぜ、そちらには行きませんって思うの?」男は真剣に尋ねた。
「わからない、ただ…行くのが怖いから。」ミオは心の底から答えた。
「それなら、少しずつ前に進もう。冒険とは、いきなり飛び込むことだけではない。小さなステップを踏むことで、いつかは大きな旅へと繋がるんだ。」その言葉がミオの心に響いた。
男は本を一冊ミオに手渡し、彼女に新たな可能性を示した。「この物語を読んで、どんな冒険が待っているのか考えてみて。君自身の冒険も、少しずつ掴めるかもしれない。」
ミオはその言葉を胸に刻み、その日、書店を後にした。薄暗い路地を歩きながら、彼女は少しずつ自分の心の中で何かが変わり始めていることを感じた。そして、次第に一歩を踏み出す勇気が欲しいと思った。
それから数日後、ミオは地元のボランティア活動に参加することを決めた。小さな一歩が、彼女の心に新たな冒険の芽を育てるきっかけとなった。そして、彼女は自分自身を知る旅に出る準備ができていると感じた。
書店での出来事は、彼女の心に刻まれていた。「そちらには行きません」と言われても、冒険は自分自身の手の中にあることに気づいたのだ。ミオは新たな物語の主人公として、勇気を持って道を歩き始めた。自分の物語をつくりだすために。
そちらには行きません 星屑肇 @syamyu
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