第4話 恋の予感は誤算!?許嫁、月読ユイ参上!
ミコトとの契約結婚生活が始まって、早や一ヶ月。まどかの日常は、以前とは比べ物にならないほど劇的に変化していた。学校生活と、秘密の「神獣封印」の任務。その全てが、冷静沈着なミコトと共にあった。最初の任務だった狛犬の神獣との戦いでは、まどか自身の隠された霊力が覚醒し、ミコトとの間に確かな「絆」が芽生えたと感じている。一つ屋根の下で暮らすことで、彼の完璧さや、時折見せる不器用な優しさに触れ、まどかの心は確実に彼へと傾き始めていた。
「契約だから」「恋はしてはいけない」――頭ではそう理解しているのに、朝、食卓で向かい合うミコトの横顔を見るたび、放課後、彼が誰かと楽しげに話す姿を見るたび、胸の奥がきゅう、と締め付けられるような痛みを感じる。この感情が「恋」だとしたら、それは契約違反になってしまう。そして、契約を破れば、自分は「神界に引き込まれてしまう」という、恐ろしい運命が待っている。まどかは、自分の感情に蓋をするように、毎日を過ごしていた。
そんなある日の朝、いつものようにミコトと連れ立って学校へ向かっていると、校門で人だかりができていた。何事かと覗き込むと、そこに立っていたのは、まどかの目を奪うほど美しい少女だった。長く艶やかな黒髪は巫女装束のように神聖な雰囲気を纏い、切れ長の瞳には強い意志の光が宿っている。誰もが息を飲むようなその美貌は、まるで絵画から抜け出してきたかのようだった。
「ミコト様」
少女は、人ごみの中でミコトを見つけると、まっすぐに彼の元へと駆け寄った。そして、その透き通るような声で、にこやかに彼に話しかける。
「お久しぶりです。あなたにお会いできるのを、ずっと心待ちにしておりましたわ」
まどかの隣にいたミコトの表情が、一瞬にして凍り付いたのが分かった。いつも冷静で、どんな時も動じない彼が、まるで衝撃を受けたかのように目を見開いている。その珍しい姿に、まどかの胸には、形容しがたい不安が広がった。
「ユイ……なぜここに?」
ミコトの声は、微かに動揺を孕んでいた。彼がこんなにも感情を露わにするのを、まどかは初めて見た。少女――ユイと名乗る彼女は、ミコトの反応など気にも留めないように、優雅に微笑んだ。
「もちろん、あなた様のお側に仕えるためですわ。私は、東雲家と代々縁を結んできた月読家の者。つまり、ミコト様の許嫁にございます」
ユイの言葉が、まどかの脳裏で雷鳴のように響き渡った。許嫁(いいなずけ)。その言葉の意味を理解した瞬間、まどかの心臓は、まるで時が止まったかのように凍りついた。自分はミコトの「契約花嫁」だ。それは、神と人の世界の均衡を保つための“儀式”であり、愛のない関係のはずだった。けれど、ミコトには、別に「本物の許嫁」がいたのだと突きつけられたような気がした。
ユイは、まどかの存在など気にも留めないように、ミコトの腕にそっと手を添える。その仕草は、まるで当然のように自然で、長年寄り添ってきた者同士の親密さを感じさせた。ミコトは、ユイの触れた腕を払いもしない。
「まどか、こちらは月読ユイ。月読命の力を継ぐ巫女です」
ミコトは、平静を装ってまどかにユイを紹介した。その声が、いつもより少し硬いのは、まどかの気のせいではないだろう。ユイはまどかに向かって、にこやかに微笑んだ。その笑顔は完璧で、しかしどこか見下すような冷たさを秘めているように見えた。
「あなたが、噂の“封印の花嫁”さんですね。まさか、ミコト様がこんな方と契約を結ばれるとは、驚きを隠せませんわ」
ユイの言葉は、まどかの心に深く突き刺さった。それは、まどかの全てを否定するような、容赦ない一言だった。ユイの瞳には、ミコトへの明確な好意と、まどかへの強い警戒心、そして侮蔑が入り混じっているのが見て取れた。
その日から、まどかの「契約結婚」生活は、一変した。ユイは、ミコトと同じクラスに転入してきたのだ。休み時間には、ユイがミコトの隣を陣取り、優雅に微笑みながら会話を交わす。放課後も、ユイは当たり前のようにミコトの隣を歩き、彼を独占しようとする。まどかは、二人の間に割って入る隙もなく、ただ遠くからその様子を見守ることしかできなかった。
まどかを見るユイの目は、常に挑戦的だった。ある日の昼休み、まどかがミコトの隣の席に座ろうとした瞬間、ユイがすっと間に割って入り、ミコトに身を寄せるように座った。
「春野さん、残念でしたわね。ミコト様のお隣は、幼い頃からずっと私の特等席なんですの」
ユイは挑発的に微笑み、まどかの目に焼き付けるようにミコトの腕に触れた。まどかの胸の奥で、じりじりと熱い炎が燃え上がるのを感じる。契約結婚のはずなのに。愛してはいけないはずなのに。こんなにも、胸が締め付けられるのはなぜだろう。
夜、ミコトの家でも、ユイの存在はまどかを追い詰めた。ユイは、ミコトの「許嫁」という立場を盾に、夕食の準備を率先して行い、ミコトの好物を作り、甲斐甲斐しく世話を焼いた。ミコトは困惑した表情を隠せないものの、伝統を重んじる神の眷属としての教育が染み付いているのか、ユイの行動を強く拒むこともできないようだった。
食卓で向かい合うのは、ミコトと、ユイと、そしてまどかの三人。温かい料理が並ぶ食卓は、まるで絵に描いたような幸せな家族の風景だ。けれど、まどかだけが、そこにいることが許されないような、異物のように感じていた。ユイの放つ、「あなたは部外者」という無言のメッセージが、まどかの心に重くのしかかる。
「ミコト様は、昔から甘いものがお好きでしたわよね。特に、この店のわらび餅は格別ですの」
ユイがそう言って、ミコトにわらび餅を差し出す。ミコトは困ったように眉をひそめながらも、それを受け取った。
「ユイは、何でも知っているのね」
まどかは、ついそんな言葉を口にしてしまう。すると、ユイは氷のような笑みを浮かべてまどかを見つめた。
「当然ですわ。私はミコト様と幼い頃から共に育ち、彼の全てを知っていますもの。あなたのような、つい最近現れた部外者とは違いますわ」
ユイの言葉は、まどかの心を深く抉った。確かに、自分とミコトの関係は、たった一ヶ月の「契約」に過ぎない。ユイの言葉が正論であるだけに、まどかは何も言い返すことができなかった。その夜、まどかは自分の部屋で一人、膝を抱えていた。ユイの言葉が、呪文のように頭の中で繰り返される。
「部外者」――。
本当にそうなのだろうか。ミコトの隣にいるのは、自分ではなく、ユイなのだろうか。まどかの胸に、これまで感じたことのない種類の感情が湧き上がってくる。それは、怒り、嫉妬、そして、深い悲しみだった。
翌日、ミコトはまどかを伴い、神獣封印の任務に出かけた。今回は、山奥の古木に宿った「木の神獣」だ。ユイは「私も同行いたしますわ」と当然のように言い放ち、二人に同行した。
山道を進む間も、ユイはミコトの隣を離れない。ミコトに話しかけ、彼を気遣い、まるで自分が「本物の花嫁」であるかのように振る舞う。まどかは、二人の後ろを、距離を置いて歩いていた。
「ミコト様、あちらの道は険しいですわ。私の霊力で、足元を安定させましょうか?」
ユイがそう言うと、ミコトは顔色一つ変えずに答えた。「必要ありません。まどかと共に、これくらいの道は問題ない」
その言葉に、まどかの心が微かに震えた。ミコトは、契約とはいえ、自分をちゃんと「パートナー」として認識してくれているのだ。しかし、ユイはそんなミコトの言葉を鼻で笑った。
「まぁ、ミコト様は優しいから。でも、私でしたら、もっと効率的にあなた様をサポートできますのに」
ユイは、まどかを明らかに軽んじた態度を取った。まどかの胸に、また熱いものがこみ上げてくる。しかし、感情的になってはいけない。まどかは、ぐっと唇を噛みしめた。
神獣の気配が強まってきたところで、ミコトは立ち止まり、まどかとユイに指示を出す。
「まどか、君は右から。ユイは左から。僕は中央で、神獣を誘い出す」
その時、ユイは信じられない言葉を口にした。「なぜ、この娘に先に指示を出すのですか? 私の方が、月読の力を継ぐ巫女として、遥かに高い霊力を持っていますわ」
ミコトは、ユイを真っ直ぐに見つめた。その瞳には、一切の迷いがない。
「我々の契約は、まどかと交わされている。それが最優先だ」
ミコトの言葉に、ユイの表情はみるみるうちに凍り付いた。そして、その視線が、まどかへと向けられる。嫉妬と怒り、そして侮蔑が入り混じったその視線に、まどかは背筋が凍るような思いがした。
戦闘が始まった。木の神獣は、予想以上に強力で、周囲の木々を自在に操り、まどかたちを襲う。ミコトは冷静に神獣の攻撃をいなし、まどかの霊力と連携して攻撃を仕掛ける。ユイもまた、月読命の力を使い、神獣の動きを封じようとする。
しかし、ユイは常にまどかの邪魔をした。わざとまどかの攻撃範囲に入り込んだり、ミコトの指示を無視して単独行動を取ろうとしたり。その度に、ミコトはユイを制し、まどかを庇うように動く。
「ミコト様! なぜ、この娘ばかり気にかけられるのです!?」
ユイの叫びが、森の中に響き渡る。その隙を突いて、神獣の枝がまどかを襲った。避けきれない! まどかは目を閉じた。しかし、衝撃は来ない。目を開けると、ミコトがまどかの前に立ち、腕で神獣の攻撃を受け止めていた。
「無茶はするな、まどか!」
彼の怒鳴り声に、まどかはハッとした。ミコトの腕からは、血が滲んでいる。彼の、まどかを守ろうとする必死な姿に、まどかの心は激しく揺さぶられた。
「ミコト様! あなたのお怪我は、この娘のせいではありませんか!」
ユイが悲痛な声を上げ、まどかを睨みつける。その時、まどかの中に、これまで押し殺してきた感情が堰を切ったように溢れ出した。
「私は…! 私だって、ちゃんと戦ってる!」
まどかは、生まれて初めて、他者に感情をぶつけた。ユイの横暴な態度に、ミコトへの思いが募るばかりの自分の心に、もう耐えられなかった。
まどかの霊力が、今までになく高まる。それは、怒りや嫉妬といった、負の感情によって引き出されたものだった。まどかの周りに、淡い光が渦を巻き始める。ミコトが、その光景に目を見張る。
「まどか……?」
まどかは、その高まった霊力を使い、神獣の動きを一時的に完全に停止させた。その隙を逃さず、ミコトは神獣に最後のとどめを刺す。神獣は、苦しげな叫びを上げながら、光の粒子となって消滅した。
任務は成功した。けれど、まどかの心は晴れないままだった。
ミコトは、怪我をした腕を庇いながら、まどかに近づいた。
「無事で、よかった」
その一言が、まどかの胸に温かく響く。ミコトが、自分を大切に思ってくれている。契約とはいえ、その言葉にまどかの胸は締め付けられる。ユイは、そんな二人の様子を、悔しげな表情で見ていた。
「ミコト様、なぜこの娘にそこまで…! 私という許嫁がいながら!」
ユイの抗議の声に、ミコトは静かに、しかし毅然とした態度で答えた。
「ユイ、我々の役割は、神界とこの世界の均衡を保つことだ。そのために、まどかと契約を結んだ。君の気持ちは理解できるが、これは個人的な感情で左右されるものではない」
ミコトの言葉に、ユイは唇を噛みしめた。ユイはミコトへの想いを臆することなく表現し、ミコトの心を揺さぶろうとしている。まどかには、そのユイの行動が、眩しくて、そして苦しかった。自分には、あんな風に感情をぶつけることはできない。
その夜、ミコトの家。夕食後、ユイはミコトの部屋を訪ねていた。まどかは、自分の部屋でその話し声を聞きながら、胸が締め付けられる思いでいた。
「ミコト様、本当にこの娘で良いのですか? あなた様の力には、月読の血を引く私の力こそが相応しいはず…!」
ユイの声が、壁越しに聞こえてくる。ミコトの返答は、はっきりと聞き取れない。けれど、ユイが必死にミコトに訴えかけていることは、まどかにも痛いほど分かった。ミコトの口から、「ユイ、僕は…」という言葉が聞こえた瞬間、まどかの心臓が激しく跳ねた。もしかしたら、彼はユイの気持ちに応えてしまうのではないか。そうしたら、自分のこの契約は、どうなってしまうのだろう。
まどかの知らないところで、ミコトとユイの関係は進んでいく。ミコトは、神の眷属としての責任と、ユイの純粋な想いの間で揺れ動いているように見えた。彼はユイを傷つけたくない。だが、まどかとの契約もまた、彼の使命なのだ。
翌日、ミコトはまどかに向かって言った。「今度から、ユイも神獣の任務に同行してもらう。彼女の力は、必要不可欠だ」
その言葉に、まどかの心はさらにざわついた。ユイの存在が、ミコトとの間に割り込んでくる。二人の関係が、ただの「契約」だけでは済まされなくなっていくことを、まどかは予感していた。
ユイの登場によって、まどかとミコトの間に、複雑な感情が渦巻き始める。ミコトは、神の代理人としての冷静さを保とうとしながらも、ユイの出現によって、まどかへの感情が、ただの「契約」では割り切れないものだと、深く自覚し始めていた。彼は、まどかを守るという「契約」の裏に隠された、自身の本心に気づき始めている。
一方、まどかは、ユイの存在によって、自分がミコトに抱いている感情が、友情や信頼といったものだけではないことを痛感した。それは、紛れもない「恋」の感情だった。しかし、その感情を認めれば、神界に引き込まれるという運命が待っている。
「許嫁」というユイの強固な立場と、命の危険を伴う「契約」によって縛られるまどか。ミコトを巡る、複雑で危険な三角関係が、今、本格的に幕を開けた。彼らの間で、一体どのような波乱が巻き起こるのだろうか。そして、この愛と使命が交錯する中で、彼らは一体何を選び取るのだろう。
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