第51話 十八歳の壁
一月一日、昼過ぎ。
朱里は父親が運転する車で、東京へと向かっている。
「お父さん、ごめんね。……せっかくの休みなのに」
「いいよ。娘にずっと泣かれるよりはマシだよ」
あと数分で新年を迎えるという深夜に、突如送られて来たメッセージで目が覚めた朱里は、その後、水野さんに電話で彼の様子を教わった。
吐血の原因は、胃に程近い部分に出来た静脈瘤が破裂したことによる大量出血。
緊急で手術が行われ、一命を取り留めたが、出血量が多く、未だ意識が回復しないらしい。
それを知らされた朱里は一晩中泣いていて、さすがに両親も見ていられないと、母親を実家に残し、翌日父親と二人で都内に戻ることにしたのだ。
助手席で手を握りしめ、ずっとブツブツと神頼みしている娘に、結婚を決意した気持ちが生半可な気持ちではないのを改めて知る。
一人娘ということもあり、これまで何不自由なく育てて来たつもりの父親だが、いつの間にか、一人の女性として成長しているのだと気付かされる。
「……もうそんな年なんだな」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもない」
いつかは手放す時が来ることは覚悟していたが、こんなにも早くに手放す時期が来るとは思いもしなかった。
だが、生まれて初めて親に意見するその姿に、自分の育て方が正しかったのだと安堵もした。
――――誰かのために、何かをしてあげたい、という切実な想い。
社会福祉士として働いて来た朱里の父親は、日々、困っている人の心に寄り添うことを信念としている。
その背中を見て育ってくれたのなら、娘が好きな男性のために心を砕く姿は至極当たり前の行為だ。
まだまだ手放したくない親心と、娘に大切な人が出来た喜びと、父親の心境は複雑に入り混じっていた。
**
「水野さんっ!」
「朱里ちゃん」
「紫生くんは?!」
「少し前に意識が戻って、今は安定してる」
「はぁっ……」
十五時過ぎに病院に到着した朱里は、ナースステーションの前で水野さんと出くわした。
たった今、医師から説明を受けたようで、病室へと戻るところらしい。
「朱里の父親です。娘がいつもお世話になっております」
「いえ、お世話になってるのは私の方で。いつも朱里ちゃんに助けて貰ってばかりなんですよ」
「これ、妻の実家がある地域の特産物でして……」
「あらっ、こんなお気遣いまで……」
朱里の父親は手土産としてひもかわうどんが入った紙手提げ袋を手渡した。
すると、ナースステーションの奥から彼の主治医の神坂医師が出て来た。
「先生っ」
「あっ、朱里ちゃん。連絡受けて来たのかな?」
「はい!」
「紫生くん、さっき意識が戻って、今はバイタルも落ち着いてるから大丈夫だよ」
「……はぁ」
水野さんから聞いたばかりだけど、やっぱり医師から言われると何十倍もの安心感がある。
「あのっ、先生にご相談がありまして」
「……ん? 何だろう?」
「ここではちょっと……」
神坂医師は、私の隣りにいる父親と視線を合わせ、会釈した。
「では、相談室に行こうか」
「お父さんも一緒に」
「私も一緒にいていいのか?」
「聞きたい癖に」
「っ……じゃあ、私も同席させて下さい」
「はい。では、どうぞこちらへ」
水野さんに会釈して、神坂医師の後を追う。
ナースステーションから程近い個室に案内された。
「お掛け下さい」
「失礼します」
医師に勧められ、父親と共に椅子に腰かける。
「それで、相談とは?」
神坂医師は父親の顔色を窺いながら、私に視線を移した。
「私がドナーの適合検査を受けたいと言ったら、して貰えるものなんですか?」
「え? ……えぇっと、失礼ですが、朱里ちゃんのお父様は、この件に関してご存知なのでしょうか?」
「……はい。娘から速水くんの状態は聞いてますし、移植手術が必要なことも知ってます」
「そうですか」
神坂医師は小さく息を吐き、テーブルの上で握られた手に落とした視線をゆっくりと持ち上げた。
「朱里ちゃんは十八歳になってる?」
「……いえ、まだです」
「では、出来ません」
「十八歳になったら出来るんですね?」
「原則では二十歳以上なんだけど、身内ならば十八歳以上という決まりがあります」
「身内なら……。どんな検査なんですか?」
医師の言葉に父親が被せるように質問した。
「採血検査で適合かどうかを調べます」
「採血だけですか?」
「はい。適合した場合、本人に最終確認をさせて頂き、その後に術前検査として精密検査を要しますが、適合かどうかを調べるのは採血検査です」
「そうですか」
「朱里ちゃんはまだ高校生だけど、紫生くんとそういう話が出てるのかな?」
「彼に直接言ったわけじゃないですけど、家族になりたいという意思は伝えてあります。私の欄は記入済みの婚姻届を彼に渡してあるので、あとは彼が記入して、私の誕生日が来るのを待つだけなんですが」
「えっ?!」
「……お父さんが驚かられるのはごもっともです。私も正直驚いています」
「だけど、たぶん……紫生くんは書いてくれないと思います」
「……ん。大抵の男の子は、そうするだろうね」
「まぁ、私も諦めませんけどっ」
顔の前で拳を握りしめて決意を表すと、父親と神坂医師が顔を見合わせふき出した。
子供の戯言だと思われてるんだろうなぁ。
「お恥ずかしい話ですけれど、娘はこうと決めたら、頑固として譲らない性格でして……」
「いやいや羨ましいほどの強い意志ですよ。大人になるとついつい安牌に逃げがちになりますから」
「ははっ、そう仰って貰えると……」
「朱里ちゃん、紫生くんの顔を見ていくでしょ?」
「はい、勿論!」
「じゃあ、一緒に行こうか」
*
「本当は原則として、身内以外面会禁止なんですが、彼の場合、身内がいないのと、特別個室ということもあって、他の患者さんと病室が離れているので」
「そうだったんですね」
「彼が少しでも生きようとしてくれるなら、これくらいの規則違反、何とでもなりますから」
神坂医師と父親が会話しながら病室へと向かう。
最初の頃は面会すら許して貰えなかったから、どういう風の吹き回しなのかと思っていたけれど、そういう意味合いがあったのかと初めて知った。
私も彼に『生きたい』と思って貰いたい。
一日でも長く、一秒でも多く、私の傍にいて欲しい。
廊下は静かに歩かなければならないのだけれど、気持ちばかりが焦る。
今すぐ彼の元へとダッシュしたいくらいだ。
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