第48話 彼女のぬくもり

(※紫生視点)


「いい? 朱里ちゃん。よく見ててね?」

「はいっ」


 十二月に入ると、脚の浮腫みがどんどん酷くなり、最初は杖を使ったり、伝い歩きをしてやり過ごせていたけど、自力で歩くのが難しくなり、主治医の勧めで数日前から車いすを使うようになった。

 日中は看護師さんが移乗いじょう(ベッドから車いすなど、別の場所に移動する行為)介助をしてくれるが、十六時から十九時頃までは朱里が『私がする』と言って聞かない。


 というのも、ベッドに横たわっている状態から上半身を起こしながらベッドサイドに足先を垂らす体位変換の介助は、傍から見ると結構体が密着しているのが分かる。

 介助を受ける側にあれは嫌だこれは嫌だなんて我が儘言えず、無条件で介助して貰う以外にないのだけれど。


 彼氏が若い看護師に抱きつくみたいにして介助されている図を見るのが耐えれなかったのだろう。

 たまたま出先から顔を出してくれた水野さんに頼み込んで、車いすへの移乗のやり方を教わっているんだから。


 同じ年の彼女にこんなみっともない姿を晒すのは本意じゃないけれど。

 こういう些細な嫉妬は、嬉しくもあって。

 実際、全く脚が動かないわけじゃない。

 浮腫みが酷くて脚の感覚が鈍いから、足先が床についている感覚が殆どないだけで、腕力でベッドから車いすに移動できなくもないのだけれど。

 必死に頑張って俺に尽くそうとしてくれている彼女の気持ちを蔑ろにも出来ず。

 水野さんからレクチャーされている彼女を優しく見守る以外に俺にしてやれることはない。


 これからもっと症状が悪化して、寝たきりになってしまったら……、そんなことを毎日延々と考えるようになっていた。


**


「じゃあ、また夜に顔出すわね」

「無理しなくていですからね」

「旦那が顔みたいって言ってたから、連れてくるだけよ」


 水野さんは颯爽と仕事へと戻って行った。

 

「紫生くん、じゃあ早速だから院内散歩でもしようか」

「……ん」



 本館の中央広場には既に大きなクリスマスツリーが飾られていて、『聖歌隊によるクリスマスミニコンサート』というポスターが目に入った。


 クリスマスかぁ。

 今年は朱里をどこかに連れて行ってあげたかったな。

 それももう叶わぬ夢になってしまったけれど。


「紫生くん」

「ん?」

「クリスマスに、お互いに一つだけ願い事をするってのはどう?」

「……おねだりみたいな感じのやつ?」

「……それより、ちょっとグレードがアップしたような願い事」

「……ん~、よく分かんないけど、いいよ」


 彼女は時々、いやいつも……突拍子もないことを口にする。

 困らせようとして言っているのではなく、彼女の思考がちょっと左斜め上なラインを通過してるからなんだと思うけど。

 それが堪らなく可愛いと思ってしまうんだから、俺も相当なものだな。


「楽しみに準備して来るから、絶対拒否らないでね?!」

「え、……何? 準備って。そんな大掛かりな何かなの?」

「えへへへへっ」


 思考が他の人とちょっと違うから、何を考えているのか全く読めない。

 クリスマスにおねだりでしょ?

 準備するようなおねだりって何だろう?

 俺が拒否したくなるような大掛かりなものって……何があるだろう?


「紫生くんもちゃんとお願い事、考えておいてね!」

「……うん」


 彼女のおねだりが何なのか気になって、俺のお願い事なんてどうでもいいよ。

 毎日病室に来てくれるだけで、もう十分すぎるから。


 朱里は鼻歌交じりでクリスマスツリーを見上げて、『綺麗だね~』と口にした。

 イルミネーションに照らされた、朱里の顔の方が綺麗だよ。

 面と向かっては言えないけれど。


**


 クリスマスイヴ、当日。

 終業式の今日は学校が半日だった朱里は、いつものように片山くんと星乃さんと昼食をとって、その後に俺がいる病室へとやって来た。

 俺宛ての茶封筒に中には、通知表や期末試験の順位表やお便りなど入っていた。


「ジャーン! 紫生くんのお陰で、またまた順位が上がりました!」

「おおおっ、凄い」


 クラス順位を七位から四位に上げた彼女は、何か後ろ手に隠しながら俺の元へと近づく。

 『おねだり』かな? と思った、次の瞬間。


「あっ!! おめでとう!!」

「へへっ、ありがとう♪」


 彼女の手には、志望する大学の合格通知の紙が。

 神谷さんから推薦枠ならほぼ百%合格だと言われていたみたいだけど、やっぱり合格通知を手にするまではドキドキしたんじゃないかな。

 嬉しそうにはにかむ彼女の頭を優しく撫でてあげる。


「よくがんばりました。入試も期末試験も」


 ふんわりとした細く柔らかい髪に触れられるのも、彼女が手に届く距離に来た時だけ。

 今まで触りたかったら自分から近づけたのに、それすらも出来なくなって……。

 そういう些細なことが一つずつ増えていき、この先どんどん諦めなければならないようになるのだろうな。


「今日は点滴してないんだね」

「夜からまたするよ」

「そうなの?」


 今日は車いすで院内をあちこち回るだろうと、主治医が気を利かせてくれたんだ。

 点滴をして車いす移動となると、ちょっと不便だから。

 

 俺の左手をそっと触る朱里。

 点滴針の痕が痛々しく見えるのかもしれない。

 そんな彼女の手をそっと掴む。


 この手を手放さなければならない時がきっと来るだろうな。

 その時俺は、笑顔で手放せるだろうか。

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