第11話 紫生の悩み
「こんにちは」
「あっ、紫生くん、こんにちは。今日から学校?」
「はい。これ、片付けますね」
「いつもありがとうね~」
始業式の後、母親が入所している施設(愛寿園)に顔を出した紫生。
ちょうど昼食を食べ終えたところのようで、スタッフさんが忙しそうに後片付けをしていた。
母親は食後にスタッフさんに見守られながら居室で口腔ケアをし、その後は好きな曲を聴きながら午睡をするのが日課だ。
午睡の後に機嫌が良ければ施設内を散歩したり、調子がいい時は近場を散策することもある。
隣接する病院の医師が一日に数回回診してくれるし、看護師さんが常にいてくれるから紫生は安心して母親を預けることができている。
紫生は学校が終わるといつもこの施設に立ち寄り、ボランティアのような形で夕方まで過ごすのが日課だ。
レクリエーションに使う材料の準備を手伝ったり、リネン交換の手伝いをしたり、施設内の掃除をしたり。
何もない時は、ホールの片隅を借りてテスト勉強する時もある。
会社経営をしていた父親を事故で亡くし、それが起因でアルツハイマー型認知症を発病した母親。
父親が残してくれたお金があるから、生活には困らずにいるけれど、自宅に帰ってもすることがなくて、ついつい賑やかなここ(愛寿園)に来てしまっている。
息子だと認識されなくなってからも、やはり視界に笑顔でいる母親を見るだけで幸せだからだ。
「何か、悩みごと?」
「はい?」
「今日はいつになく難しい顔をしてるから、何か悩みごとがあるのかと思って」
「……そう……ですね」
消毒用のアルコールスプレーを噴霧し、ダスターでテーブルを拭いていると、ケアマネージャーの
「僕が原因でクラスメイトの女の子に迷惑をかけてしまったんですけど、謝るだけでは事態が好転するとは思えなくて。他のクラスメイトにその女の子が揶揄われてしまうのを防ぐにはどうしたらいいのかと思いまして」
「あら、何だか大変なことになってるのね」
水野さんには学校での出来事を何でも話している。
父親の姉夫婦が近くに住んでいるが、母親が認知症ということもあって疎遠になった。
だから、両親の代わりに保護者的立場で学校とのやり取りもこの水野さんがしてくれている。
母親を施設の外に散歩に連れ出していることで悪い噂をされているのも話してあるし、介護
紫生は今日学校であった出来事を話し、どうしたらいいか、アドバイスを仰いだ。
「そっかぁ。風船を拾ってくれた人がクラスメイトの女の子だったんだね」
「はい」
「その子とメールをやり取るする仲になって、花火大会で行き会ったと」
「はい」
「それをたまたま、他のクラスメイトが見てて揶揄って来たと」
「……はい」
「そうだなぁ~。紫生くんは嫌かもしれないけど、正直に話したら?」
「クラスの子たちにですか?」
「うん。別に母親が病気を患ってることも施設に入所していることも、何一つ悪いことじゃないんだから。誰だって、怪我したり病気になったりするのよ。たまたま紫生くんはその歳でたくさんのことを抱えてしまっているけれど、いつかはクラスメイトの子たちだって親が病気になったり亡くなったりするんだから」
「……分かってはいるんですけど」
「自分が困って初めて人の痛みを知る人もいるのは確かだけど、事情を説明して理解してくれる人もいるはずだから。私はね、紫生くんが同世代の子たちと遊んだりする時間も大事だなぁと思うんだけど」
「……はい」
頭では分かっているんだけど、最初の一歩が踏み出せない。
血を分けた伯母でさえ、背中を向けたくらいだ。
赤の他人とそんな簡単に理解し合える仲になれるだろうか?
あの日、佐倉さんにも話すつもりはなかった。
だけど、何度もメールをやり取りする中で受けた印象と、直接会って話した印象も凄く良くて、気付いたら口から漏れていたんだ。
母親のことで陰口を叩かれるようになってから、人と関わることから避けている紫生にとって、全てを曝け出すことがどれほどの苦痛か。
勇気を出して説明した先に、何も変わらなかった時のことを考えると、今でさえ精神的に追い詰められていて辛いのに、乗り越えるだけの精神力が残っているだろうか?
「それと、体調はどう? 薬はちゃんと飲んでる?」
「はい、飲んでます。体調はまぁまぁですかね」
「あまり悩まないで。ストレスも良くないんだからね?」
「分かってますよ」
紫生はケアマネージャーの水野に心配をかけまいと笑顔をつくって見せる。
本来ならば、母親の介護ケアのみがサービス内容になっているのに、こうして自分のことも世話してくれている水野に心から感謝している。
片付けが終わった紫生は談話コーナーのソファに座り、朱里にメールを送る。
『今日は嫌な思いをさせてごめんね』と。
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