008走れ!メローーーーース!!!

矢久勝基@修行中。百篇予定

008走れ!メローーーーース!!!

 メロスは健全な羊飼いの青年である。そう、太宰治の『走れメロス』のメロスだ。実名でいいか迷ったが、彼はもう著作権が消滅してるはずだから大丈夫。

 そのメロスが、街へやってきた。花咲く森の道、メロスがやってきた。

 もちろん理由がある。ある徹マン明けの朝、ソファに崩れ落ちたメロスの腹に、容赦なく腰かけた……というか腹を尻で踏み潰した爆乳がいた。

「うべぇ!!」

 わがままボディすぎて凶器と化した妹の巨大な尻は、兄の肋骨を容赦なく粉砕した。

 GAMEOVER


 ともかくメロスはコンティニュー。

 徹マンはしたが、嫌な予感がした彼は、ソファに崩れた身体を死に物狂いで起こす。

 ズズンと一瞬家全体を揺らす地鳴りがした。間一髪、背中をかすって落ちてきた妹の尻がソファに接地。耐えられなかったソファの足が折れ、起き上がりかけたメロスごと妹も雪崩れて転がる。

「おらぁ! 兄ちゃんが避けたせいでソファ壊れただろぉ!」

 床に横倒しになった妹は恨みがましそうに、自分の上でベタっと崩れてる兄を睨む。

「ソファが壊れるような体重してるからだべ……」

「あ? 何か言った?」

「なんでもありませんだ!!」

「まぁいいからどいて、ひっぱってよ。起き上がれないんだからさぁ」

 重すぎて自分だと起きるのも困難らしい。

「オメさ……痩せないと嫁にも行けんべ……」

「はぁっっ!?」

 妹、すかさず兄に飛びかかりボディスラム。キング=ザ=百トンとは思えない跳躍力をみせた彼女は一瞬でメロスの腰椎を粉砕した。

 GAMEOVER


「まぁ赦してやる」

「いや、死にましたけど……」

「なぜ赦してやるか、聞きたい?」

「別に」

「はぁっっ!?」

 GAMEOVER


「聞きたいです! 聞かせてくだせぇ!!」

「フン」

 丸々と肥えた鼻を鳴らし、肉肉しい笑みを浮かべる妹は言った。

「あたい、結婚することになった」

「ええーーーー!!」

「驚きすぎだ」

 GAMEOVER


 ……おもむろに飛んできたロングフックがクリーンヒット。陥没した頭蓋骨が脳に突き刺さって昇天したメロスはとりあえず、「ええーーー」と驚く前に三歩下がって文字通り〝九死に一生〟を得ると、

「結婚するだか……」

 結婚できるのか……は、ゲームオーバーなので、気を付ける。

「悲しい?」

「と、とうぜん」

「顔が笑ってるけど」

「そ、そりゃ、妹の結婚を喜ぶのは兄として当然だべ!」

「それもそうか」

 メロスはほっと胸をなでおろし、なでおろせば、だんだんその事件(?)が革命であるように思えてくる。

 だって……この妹が嫁に行くということは、家から出ていくということだ。

 神様! って思わずメロスは叫んでいた(心の中で)。彼は赦されたと考えていいのか。カオスの底で泥にまみれて暗闇に埋もれていた人生に、光明を差してくれてありがとう!!

 ……その心の動揺を、とにかく抑える。バレたらまた殺される。

 メロスは努めて平静を保つと、「いつ結婚だ」と聞いた。

「一週間後」

「そうか」

「だから、嫁入り道具買ってきて」

「え……?」

「聞こえなかった? 嫁・入・り・道・具・を・買・っ・て・き・て」

「あの……嫁入り道具ですか……?」

「そう」

「ワタクシが用意するんですか……?」

「オマエは妹の結婚を祝福する気はないのか?」

「そんなことはありませんだ!!」

 死亡フラグがビンビンと林立していく部屋の中で、身体のすべてを使ってゲームオーバーを回避するメロス。

「言っとくけど……」

 バスト百二十センチAカップの妹は言った。

「こんな片田舎のダッセー店なんかでアイテム揃えるなよ?」

「は……?」

「かわいい妹の嫁入りだぞ。ちゃんとしろ?」

「え……でも、街まで四日はかかるんですが……」

 行って帰って少なくとも八日間……

「歩けばだろ?」

「え……あの……」

「走れば二日もあればつくやん? オマエ『走れメロス』だろ?」

「……今日、徹マン明けなんで、休みたいんですが」

「ああ、悪かったね。かわいい妹が上に載って添い寝してやろうか?」

「……」

 間違いない死亡フラグに言葉も出ない。要するにすぐに行けということなのだろう。

「ちゃんと桐の箪笥とかも買ってきてね」

「ええーーー!! 桐の箪笥ーー!?」

「嫁入り道具には必須だろうが」

「……」

 街まで歩いて四日の距離だ。走る走らない以前に桐の箪笥なんか担いだら、他の物なんて何も持ってこれないんじゃないだろうか。

「とにかく一週間後だよ。びた一文遅れてくんなよね? お兄ちゃん☆」

 力士のような妹から発せられる、容赦ない☆。ともかくも急いで、メロスは街にやってきたというわけだ。


 彼を取り巻く困難はそれだけにとどまらない。

 街につくなり、逮捕されてしまったのだ。さすがに訳が分からない。

「なんでオラを捕まえるだ!」

 縄で上半身をぐるぐる巻きにされ身動きの取れないメロス。取調室という名の何もない一室に連れていかれ、床に座らされる。

「貴様、自分が何をしたのか分かってるのか!!」

「まだ何もしてないべさ!」

「何もしてないのに我々が捕まえると思うか!」

「じゃあ何をしたかを言ってみれ!!」

 捕吏は懲罰用の棒でメロスの肩をトントン叩きながら、

「貴様、十六になる妹がいるな!」

「おるよ。軽く人外な奴がな!」

「この度結婚という情報を手に入れた」

「めでたいことだべ」

「貴様! ここまで言ってもわからんのか!!」

「どういうことだべさ!」

「これだから田舎者は困る」

 捕吏はあきれたように見下ろした。

「結婚が認められているのは、十八からだ」

「はぁ!? 何を言うてる! 男は十八だが女は十六からのはずだべ!」

「その決まりは二〇二二年に改正されたのだ! 知らんのか!」

「ええっ!?」

 同年、四月一日の民法改正により、男女ともに成人を十八とし、結婚できる年齢も十八に統一されている。

「ここは日本じゃねえべ!」

「日本だろ馬鹿者! 貴様がしゃべってるのは何語だ!!」

「え……? オラ、日本語しゃべってんのか……?」

「他に何語だというのだ!!」

「……」

 どうやらメロスは、日本向けに描かれている物語だから自動翻訳されているのだと、今の今まで思い込んでいたようだ。

「でもオラ、メロスって名前だけど……」

「今どき女神と書いて〝あるてみす〟と読むキラキラネームもあるくらいだからな。貴様も大方、〝走〟とか書いてメロスと読むんだろう!?」

「そうだったのかオラ!!」

「貴様が驚いてどうする……」

 捕吏は棒を左の手のひらにパンパン当てて、

「わかったか。貴様は結婚年齢に達してないいたいけな妹を無理やり金持ちと結婚させ、不労所得でウハウハ人生を歩もうとしていたわけだ。このゲスめ!!」

「納得いかん!!」

 メロスは叫んだ。

「いつの間にか変わった決まりのせいで妹の結婚を邪魔されちゃたまらねえべ! そんなことを妹に伝えたらどうなると思ってるだ!!」

 死が浮かぶ。三分の間に五十回くらい殺されるだろう。それだけではない。

 やっと……

 ……妹が生まれて、(たぶんそれを苦に)親が蒸発してより苦節十六年……

 ……カオスの底にやっと差し込んできた人生の光明が……

 ……手を伸ばしたらまるでホログラムであったかのように、指をすり抜けていくなど……

「納得いくか! 誰だそんな決まりを作ったのは!! 断じて殺す! そんな決まりを勝手に作った野郎など、ぬっ殺してやるだ!!」

 その剣幕を受け止めた捕吏は思わず嘲笑ってしまっていた。

「はい、国王の殺人予告。合わせ技一本もらいましたー」

「へ……?」

「妹の婚姻年齢違反は懲役四十年または三千六百億円の罰金だが、それに国王の侮辱罪が加わると死刑となるのだぞ。知らなかったのか」

「どんなコンボやねん! それ!!」

 思わずキャラを忘れてツッコむメロス。しかし捕吏は取り合わない。

「よって貴様は今から磔刑に処されるわけだが、言い残すことはないか」

「一度王に会わせるだ!!」

 メロスは即答した。いっそのこと磔にされて殺されてしまった方が人生全然楽な気もするが、妹に「兄は逃げた」と思われでもしたら、死んでも殺しに来るだろう。もうあの肉布団に圧着される拷問だけは、もう何としても回避しなければならない。


 メロスは上半身を縛られたまま、謁見の間への目通りを許された。

 はるか向こうの玉座に国王が座っている。彼はその羊飼いを汚いようなものを見る目で見下ろしていたが、

「聞けば余の命を狙う不届き者のようだな。もはや死を待つだけの命であるはずが、今さら余になんの申し開きがある?」

 メロスは磔自体は覚悟しているようだった。その部分に理不尽は感じないでもないが、ゲームオーバーなどはすでに慣れている。ただ、慣れている死に直面しても、なお切っておかなければならない仁義がある。

「申し開きなんかございません。ただ一つ、お願いがあるのです」

「願いとな」

「結婚年齢を十六歳に下げてくだせぇ」

「それは無理だ」

「なぜですか!!」

 すると、国王の脇に控える大臣が高らかに声を上げる。

「男女の婚姻開始年齢の差異を解消するため。婚姻には十八歳程度の社会的・経済的成熟が必要であるから……という理由に基づいておる」

「十六で成熟してない者が十八で成熟すると言えるんですか!?」

「その理屈でいえば、むしろ婚姻年齢をもう少し上げなければならなくなるが?」

「……ち、違いますだ! 十八で成熟しているなら十六でも……という意味です!」

「男が十六で子供を産み育てていける経済状況を作れると思うのか」

「ですから、女子だけでも……」

「そういう時代じゃないんだよキミ。今時分はとりあえずなんでも男と女は同じ基準にしなければ選挙で勝てんのだ」

「自分のことしか考えとらん!!」

「政治家なんてそんなものなのだ!」

「うわっ! いさぎがいい!!」

 開き直られるとメロスはぐぅの音も出ない。王はそんなメロスに、短い最後通牒を突きつけた。

「以上か?」

 メロスはただの羊飼いである。政治的な理屈をひっくり返すだけの論陣を敷ける知識も見識もなかった。彼は微々下を向き、

「……分かりましただ。しかしこのままでは妹は納得しないでしょう。一度、妹の元へと戻り、その旨を伝えてもいいでしょうか」

「何を言っておるのだ」王は鼻で笑った。

「そちがそのまま逃げださないと、誰が証明できようか」

「そんなこと言われても、このままではオラの命が危ういのです!」

「何を言ってるのか分からん。どちらにせよ死刑なのだぞ」

「王様は妹の破壊力……いや、壊滅力を知らんからそんな涼しい顔をしていられるだ!」

 敗北を知りたいなどと豪語してるヤツは一度妹と対面してみるべきなのだ。地獄の底まで行った後もその後悔はぬぐえまい。

「分かりましただ。この街にはオラと深い絆で結ばれたセリヌンティウスという石工がいます。もしオラが三日以内に帰ってこなかったらアイツ殺してええので、とりあえず開放してくだせぇ!」

「馬鹿な……」大臣が言った。

「今までもいろいろな罪状逃れに触れてきたが……お主ほどゲスな提案をした者もおらんかったな」

「『走れメロス』の史実通りに言っただけです!」

「それ……オリジナルのメロスも普通にゲスいな……いや、もとい、そのような申し出を受ける馬鹿がいると思うのか」

「大丈夫です。交渉させてください! オラが信用できなければ、ここで交渉しますのでここに連れてきてください!」

「面白い」

 王はその余興を楽しむことしたようだ。側仕えに命じる。

「セリヌンティウスとやらを連れてまいれ」


 石工、セリヌンティウスは程なく謁見の前に現れた。

「おお! 心の友よ!」

 彼の姿を目にするなり、メロスが色めき立つ。

 メロスにとって、困った時は彼だった。

 一見、しがない石工のように見えるセリヌンティウスだが、実は実家が不動産投資で成功を収めており、巨額の資産を抱えている。ゆえにメロスは、表面的には心の友を演じつつ、裏では家計がひっ迫するたびに彼を投資詐欺に引っかけたり、適当な写真を送りつけてロマンス詐欺に引っかけたりして、金の都合をつけていた。今回も嫁入り道具を購入するために『俺俺俺だけど……』と連絡する予定だったが、背に腹は代えられない。

「セリヌンティウス! 見るべぇ! 深い絆で結ばれたマブダチが受けているこの仕打ちを!」

 縄でがんじがらめになっているメロスはその姿を俄然アピールし、

「オラはどうやら死刑になるらしい」

「おお! 何たる不条理なりや親友よ!!」

 熱血漢のセリヌンティウスは目を丸くした。

「お前のような誠実な男がなぜ死刑にならなければならないんだ!」

「おお、そう思ってくれるだか心の友よ! ……だが自然の摂理には抗えないべ。オラはその死を甘んじて受けようと思うだ。……ただな」

 メロスはほろりと涙を流す。

「このままじゃ、嫁入り前の妹に申し訳が立たん。最後一度だけ……一度だけでも会って話がしたいのだ」

「分かる。分かるぞ友よ!!」

 そこでメロスは、王の提示した仮釈放の条件をセリヌンティウスに伝えた。

「オラは必ず三日で戻る。だからそれまで……身代わりさ務めてくれないべか」

「なんと……!」

 しかしさすがのセリヌンティウスも、メロスの住む集落まで片道四日かかることを知っている。故にこの申し出を簡単には受け止められずにいた。

 その煮え切らない態度をメロスは許さない。気を荒げて立ち上がり、セリヌンティウスを怒鳴りつける。

「オラとオメの友情とはその程度のものか!!」

「……!!」

「子供の頃、オメが腹が減ったと言えばアメをやり、オラが家に帰るのダルいと言えば、オメがウチの集落までのタクシー代を出す。そんな仲だったじゃねえべか!!」

「だけど……俺が今ここで身代わりとなればタクシー代も出せないんだぞ。果たしてお前は三日で帰ってこれるのか……?」

「帰ってくるか来ないかじゃないべ! 深い絆で結ばれた無二の親友を信じられるかどうかじゃねぇだか!?」

「むぅ……友よ。俺は間違っていたかもしれん……」

「ええんだ。誰しも過ちはある。だからオラを信じて……待っていてくれ」

「分かった。俺はお前を信じ、刑台のふもとでお前の帰りを待とう!」

「ありがとう! 心の友よ!!」

 メロスは縄を解かれるなり、セリヌンティウスに抱きついた。二人、すでに涙を流している。人を信じられなくなっている王は、その様を胡散臭そうに見据えて、呟いた。

「こんな友情……絶対信じられん……」

 だがそんな声は感極まっている二人には届かない。

「セリヌンティウス。最後に一つだけ、聞いておきたいことがあるべ」

「最後にっていうのはやめてくれ」

「おお、うっかり。とにかく聞きたい」

「なんだ」

「オメは日本人なのか……?」

「当たり前だろ相棒」

「〝セリヌンティウス〟なのにか!?」

「石工と書いてセリヌンティウスと読むのだぞ友よ」

「石工って職業じゃなかっただか!!」

 ……とりあえず、日本人という部分には納得するしかなさそうだった。


 王城を飛び出たメロスは、とにもかくにも走り出した。

 すでに四日を費やしている。急がないと妹の結婚式に間に合わない。

 いや、その結婚は不成立なのだ。その理由のおかげで桐の箪笥を担いで走らなくてよくなったことは彼にとって幸運だったが、なににせよ、式当日までに顔を見せないことには命が危うい。というより、死んでも死なせてくれない可能性がある。

 とにかく、妹をそのままにしておくわけにはいかなかった。メロスは全身全霊をかけて帰路を急ぐ。

 ただ、式までには三日ある……という頭がメロスにはある。歩行が時速四キロであるなら、八キロで走れば二日で到着するのだ。十二キロで走れば……えっと……もっとである。

 なので途中、ちょっと一休みで茶屋に寄ったり風俗に寄ったりすることを、彼は忘れなかった。

 セリヌンティウスよすまぬ。人間だれしも弱さはある。適度な息抜きが仕事の効率を活性化させるのだと言い聞かせ、メロスはさらに走る。やがて、集落の木戸が見えてきた。

「今戻ったぞ、妹よ!」

 息を切らし、家の扉を開けると、ドスの利いた声が返ってくる。

「おーぃ、桐の箪笥はどうしたよ」

「いや! これには深い理由があるんだべ! 聞いてくれろ! へぶし!!」

 間に合わなかった。

 GAMEOVER


「聞いてくんろ!」

 開いた扉を速攻で閉める。メロスへの接触が一足遅れた妹は扉に激突。周辺の壁に派手なヒビを入れて止まった。

「聞いてくんろってば!!」

 叫びながらあらためてドアを開けるようとしたが、蝶番も破壊されていてうまく開かない。

 それを妹側は強引に開けたものだから、扉そのものが外れてしまった。

「あーあ、兄ちゃんが避けたのがいけないんだから」

「それより蝶番がずれただけの扉を事も無げに壊して開けるオメが怖いわ」

「あたいはもうここ出ていくからいいけど、兄ちゃん、ここ住んでたら崩れるかもよ」

「……誰のせいだと思ってるだ……」

「避けた兄ちゃんのせい」

「……」

 メロスは理不尽を感じながら、ともかくも部屋に戻って、壊れたソファの前で城下街で起きたことを洗いざらい話した。

「はぁぁぁ!?」

 …………

 GAMEOVER


「ようするにあたいは結婚できないってこと?」

「そういうことになる」

 ソファの影に隠れながら、メロスは囁くように言う。しかしこのソファの盾などは何の役にも立つまい。立たないとわかっても頼ってしまう心理を先人はこう呼んだ。

『溺れる者は藁をもつかむ』

「あ……あたい……結婚できないの……?」

「……すまん」

「う……うぁぁぁぁん!!!!」

 妹は突如泣き出した。暴れ出した。藁など何の役にも立たなかった。

 GAMEOVER

「あうっ!」

 GAMEOVER

「おぶっ!!」

 GAMEOVER

 死後の無敵時間も空しく、三連コンボで死亡するメロス。抜け出せない。

「ま、待て!!」

「うあああああああん!!」

 GAMEOVER

「おちつけ!!!」

 GAMEOVER

「ちょ! はなしを……」

 GAMEOVER

 ……ネタとしてくどいかなと思えるくらいの多重コンボで死んだ頃……ようやく妹は落ち着きを取り戻した。


「おう、メロス」

 もはや〝兄ちゃん〟とも呼ばない妹。

「今から城に行け」

「え……?」

「カチコミだよカチコミ。国家権力ってヤツに最低限のマナーってものを教えてやらなきゃなんねーだろうが」

「あ……あのぅ……」

 しかしメロスには戻れない理由がある。

「オラ、戻ると身代わりと交代して死ななきゃいけないだが……」

「ハァ!? まさかオマエ、身代わりを身代わりにして自分だけ生き残るつもりなのかよ」

「背に腹は代えられない」

「なんてゲス野郎なんだ!!」

 お前に言われたくない……メロスは心で叫びつつ、ソファの裏で死ぬほどブサイクな妹の様子をうかがいながら、「ともかく……」と言った。

「だから、王城へは戻れない」

「そうか。そりゃ、命がかかってりゃな……」

 理解を示す妹に、メロスは胸をなでおろす。しかし次の瞬間、その言葉は袈裟斬りとなって打ち消された。

「だがそれは却下だ」

「え……」

「第一に、あたいの結婚が明後日に迫ってる。第二に、なのにこのままじゃあたいが結婚できない。第三に、それは断じて許せない。だから行かないとかは却下だ」

「……それ全部〝第一〟にまとめられると思う……」

「あ?」

「なんでもないです!!」

「まぁ人間誰もが一度は死ぬんだ。兄ちゃんが幸せになれない分は、あたいが代わりに幸せになってやるから」

「オラも死は一度だと信じてましたが!!」

「ま、いいから行ってこいよ」

「……」

 有無を言わせないパワーワード。「ま、いいから行ってこいよ」

 ……どうやら、行かなければならないらしい。妹は総括した。

「明後日の式の五分前までだぞ。そこまでに王を血祭りにあげるか結婚を認めさせてこい」

「無茶だべ!!」

「じゃあ選べ。かわいい妹が一生結婚できずに泣き続けるのを見続ける人生と、王を説得してかわいい妹を幸せにする人生と」

「……」

「それと、超かわいい花嫁姿見せてあげるから、間に合うように帰ってきてね☆」

 メロスはもはやおぞましすぎて何も言えず、再び走る準備を始めるしかなかった。


 後一日半しかない(妹の結婚まで)。

 一日半で片道四日の行程を往復しなければならない。もはや絶望的と言えた。

 しかし走らなければならない。ちょっと報告しただけで死亡後の無敵時間をも無視の多重コンボだったのだ。この行軍は生き残るための最後のチャンスだと言っても過言ではない。

 このまま逃げてしまえばいいじゃないかと、人は言うかもしれない。しかしメロスには幼き頃の記憶がトラウマとなっている。

 彼も、一度は逃げ出したのだ。妹の目の届かぬところ。身寄りのない、全く関連性のない集落へと移り住み、そこで細々でも余生を過ごそうと……そういう、キラキラした夢を見ていた時期もありました。

 が……

 半日。実に半日である。舌の根も乾かないうちに、メロスのスマホに着信があった。

『あたい妹……。今、今までいた街を出たの……』

 メロスの心臓はその時、本気で止まりかけた。その後も少し間をおいて鳴り響く着信音。

『あたい妹……。今、静岡こっこの看板の前……』

 徐々にメロスの住んでいる場所に近づいてくるのだ。メロスはもうパニックであった。

 新しい住所を誰にも言ってないのに……。家だって『ゴメス』という変名で借りたのに……。

『あたい妹……。今、藤厚とうふ店の前……』

 なのに近づいてくる。

『あたい妹……。今、みのわ歯科の前……』

 どんどん近づいてくる!!

 そして……

『あたい妹……。今、あなたの後ろにいるの……』

 ……思い出すだに背筋が凍る。振り返った時の、妹の、え・が・お……。

 ……逃げることなどできない。逃げられるはずがない。あの時の妹のにんまりとした人外の微笑みが、今でもメロスの脳裏に焼き付いて離れない。

 なんとしても妹を結婚させて家から追い出さなければ、生きるにしても死ぬにしても死ぬしかない。

 走れメロス! 走れ! 走るのだ!!

 自分を叱咤してとにかく走り続けるメロス。なんとしても、王を殺してでも妹を結婚させなければならない。

 途中、夜盗に襲われても気合で切り抜けた。ボロボロになりながらも、命を拾って再び走り始めた。

 その際に受けた傷がきしみ、走り方もいびつとなっても……それでも……身体を引きずって……なお走る。

 何度諦めようと思ったか知れない。全身が痺れ、思考は麻痺し、幻覚さえ見え始めた。妹の肉布団に誘惑され、ひょっとしたら妹の肉布団も悪くないんじゃないかという錯覚にすら陥った。

 そんな時は今まで経験してきた恐怖を思い出すようにした。妹から逃げられないことが分かった日から、彼は電話恐怖症になったこと。電話を見るだけでもジンマシンが出てしまうため、スマホを二度と触れられなくなってしまった。

 そうだ。騙されてはいけない。妹の肉布団の誘惑は罠だ。気持ちを強く持たなければ……

 そのように、自分を奮い立たせながら、食べることも寝ることもせず、ひたすら走り続けるメロス。

 走れメロス! 走れメロス!! 悲しみを怒りに変えて、走れよメロス!!!


 そしてとうとう……彼の視界に城下街が広がってゆく。

 王城の塔楼が見えた頃、彼に声をかけた男がいた。彼はメロスと並走し、彼を気遣いながら言う。

「もう無理です。間に合いません!」

「オメは誰だ!」

「忘れましたか!? フィロストラトスです!」

 セリヌンティウスの弟子である。しかしメロスは思い出せない。

「知らんがオラは今忙しいだ!」

 思考能力など、とうになくなっている。誰だかよく分からない。その、誰だかよく分からない男が叫んだ。

「処刑は日没とともに行われます! 御覧なさい。落ちゆく太陽を!」

 ともに走るフィロストラトスが大きく西を指す。

「貴方は師との友情のために、本当に頑張ってくれたようですね。おそらく師も本望でしょう。……さぁ、もうお休みなさい。誰もあなたを恨みはしません」

「否!!!!」

 メロスはその慈悲に満ちた目に言葉を叩きつける。

「そんなことはどうでもいいべ! 間に合う間に合わないではないだ! オラは、何としても王城にたどり着かなければならね!」

 その剣幕に、フィロストラトスの歩調が緩む。ぐんぐんと差を広げていくメロスの、夕陽をいっぱいに浴びる背中を見送って、呟いた。

「……それが、友情の証なのですね……」

 その瞳に、涙があふれる。そして自分の軽率を恥じた。

 ……大いなる勘違いではあるが……。


 ついにメロスの身体は刑場へ。

 もはや刑が執行される直前であり、セリヌンティウスは高々と刑場の中心に掲げられていた。彼を取り巻くように長槍を持った兵が数名、執行の命令を待っており、今は執行官が罪状を読み上げている最中であった。

 その〝儀式〟が……メロスの登場で釘付けになる。執行官も、セリヌンティウスを取り巻く兵も、王も……。

 沈黙の中、メロスは王を取り巻く側近の一人に訊く。

「王は……?」

「ここだ。メロスよ」

 勝った……メロスは思った。なんで勝ったのかよく分からないが、勝たなければならない……そればかりを信じて、ここまで走ってきた気がする。

 王がこの時間、刑場にいることは分かっていた。それがなぜかという理由を何となく忘れて来てしまったのだが……

 王は息をのんで……メロスを見つめている。

「あの友情ごっこが、茶番でなかったとは……」

 そう言い、セリヌンティウスを開放するよう指示をした。解放されれば、セリヌンティウスはすかさずメロスに駆け寄る。

「メロス!!」

 それでようやく……

 ……ようやく、メロスは、セリヌンティウスのことを思い出した。

「ああセリヌンティウス……オラは処刑にも間に合ったのか……」

「……にも?」

「いや、こっちの話だべ」

「とにかくよかった。よく死にに来てくれた!!」

「あ……」

 それで、メロスはさらに思い出した。ここにきてはいけなかったことを。

「メロス。俺を一度殴ってくれないか」

「殴る……?」

「……俺はこの三日のうちに一度だけお前を疑ってしまった。お前が俺を身代わりにして逃げるんじゃないか……ってな」

「う……」

「な、なんだその『う……』って」

 メロスは今まで、身代わりにして逃げることしか考えていなかったから、そんなことで殴られなければならないのなら、三度死ぬまで殴られなければなるまい。

 が、その「う……」は、それどころではなかった。

 そういう約束さえ忘れてたのだ。そういう「う……」である。

 しかし、さすがのメロスでさえ、さすがにそれを「すまん」というには気が引けた。故に、半ば慌てて、調子を合わせる。

「オラも……一度だけ、見捨てようとしてしまったべ……」

 嘘ではないとメロスは自分に言い聞かせた。三日間、逃げることしか考えてなかったなら、長いスパンではあるが、〝一度だけ〟見捨てようとしたともいえる。

「だからオメを殴るなら、オラも殴られねぇといけねぇべさ」

「はははっ……よし……」

 熱血漢のセリヌンティウス。ややも距離を離し一息にメロスを殴りつけた。

「さぁ俺のことも殴れ!!」

 メロスも、言われた時には殴っていた。心境としては、いきなり殴られてむかついたのだと思う。

「ああメロス!!」

 そういう心情は全く伝わらないまま、再びメロスを抱きしめるセリヌンティウス。メロスもとりあえず空気を読んで付き合う。

 その……二人の熱量の高さに感極まった人物がいた。

「なんと美しき光景か……長らく余はこのような光景を見ることができなかった。げにまこと、人生において本当に大事なものを見せつけられた気分よ……」

 王は二人の肩に一つずつ手を置いて、

「そちらを見習い、余もそちらのように誠実さにあふれた仁君たるを目指したい。余も仲間に加えてくれるか」

「はははっ、殴っていいってことですか!?」

 熱血漢のセリヌンティウス。やってはいけないことをやってしまう。

 場は騒然。しかし王は頬を抑えながら、笑って立ち上がった。それをぼんやりと眺めていたメロスが「王様」と、呟く。

「でもオラはもう、処刑される身です」

 王は苦笑った。

「余にあまり恥をかかすな。処刑などできるものか」

 超法規的措置というのだそうだ。メロスはそれを聞いた時……今しかないと勇む。

「王様。オラたちの仲間なんて言われたら畏れ多いですが……それでもこんな仲間に加わってくれるなら、一つだけお願いがありますだ」

「なんだ」

「十六になるオラの妹の結婚を認めてほしいです。それさえかなえば……オラはなんの憂いもなく、生きてゆくことができるんです」


 ……日も落ちた。

 しかし、メロスはもう一度、故郷への道を走らなければならない。

 式までもう全く時間がない。走れメロス! かわいい()妹の結婚式のために、桐の箪笥を担いで走れ!!

 死亡フラグをビンビンに浴びて、走れメロス!! 走れよメロス!!

 悲しみを怒りに変えてっっ……力の限り走るのだメローーース!!

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