第二章「間戸(まど)」
「コン、コン」
玄関のほうで、小さな音がした。
寝ぼけていたのかと思った。スマホの時計を見ると、深夜2時半を過ぎていた。外は静かで、風の音もない。隣室の生活音とも違う。何かを叩くような音だった。
もう一度耳を澄ます。
……コン、コン。
確かに聞こえる。規則的ではなく、ゆっくりと。玄関の方角からだ。
部屋の灯りはつけず、スマホのライトだけを頼りに玄関へ向かう。スリッパを履いた足が、妙に重く感じる。何かを「見てしまいそうで」怖かった。
そろりとドアスコープを覗く。……誰もいない。
念のため、チェーンをかけたままドアを細く開けた。アパートの共用廊下には誰もいないし、人気もない。
そのとき、ドアのすぐ裏側――つまり、室内側の「白い壁」のほうで、
「ゴン」
と、今度は少し重たい音が鳴った。
思わず体が硬直する。音は間違いなく、内側から。俺の部屋の中から聞こえた。しかも、ドアのすぐ裏――あの謎の“壁”から。
すぐにドアを閉じ、チェーンを外し、部屋に戻る。電気をつけるのが怖かった。なぜか、「見てしまう」のが怖かった。
だが、やっぱり確認せずにはいられなかった。
意を決して玄関まで戻り、スマホのライトを向ける。ドアを背に、白い壁に近づく。
コン。
今度は軽い音だった。まるで、壁の向こうに誰かがいるかのように。
何気なく、壁に手を当てた。ペタリ、と冷たい感触。普通の壁だ――と思った瞬間。
壁の左端、床に近いあたりに、縦長の“隙間”があることに気づいた。
最初は目の錯覚かと思った。けれど、ライトを少し傾けると、明らかにそこだけ「段差」がある。よく見ると、それは――「戸」だった。
木枠で囲われた、細長い、幅わずか30cmほどの戸。
まるで……人が通れないようなサイズの、引き戸。
位置的には玄関のすぐ隣、壁の中に埋まるようにして存在している。通常の間取り図には、こんなものは一切なかった。
けれど確かにそこには、目立たぬように塗装された取っ手があった。
俺は、引くべきか迷った。本能的に「開けてはいけない」と思った。が、それ以上に、「なぜこんなものが?」という好奇心が勝った。
……ゆっくりと、引き戸を引いた。
キィ……という嫌な音とともに、戸は重たく開いた。その中には、小さな“空間”があった。
四角いスペース。畳一畳分もないくらいの小部屋。中には何もない。ただ、真っ暗な、閉ざされた空間が広がっている。
空間の奥に、何か「四角い箱」のようなものがある気がしたが、スマホのライトでは奥まで照らしきれなかった。
そのとき、背後から風のような空気の流れが生じた気がして、俺は反射的に戸を閉めてしまった。
バタン、と戸が閉じた直後、電気が一瞬、チカッと明滅した。
部屋に戻ると、時計は3時を過ぎていた。なぜか、全身が汗でびっしょりになっていた。
寝直そうとしても、眠れなかった。
あの細い戸。あの中の空間は、なんだ?
翌日、大学の帰りに駅前のブックオフで「建築の本」を漁った。間取りの不自然さや、狭小住宅に関する事例が載っていればと思ったのだが、あんな“縦の戸”は一度も見かけなかった。
夜、自室に戻ってから、恐る恐るもう一度あの戸を確認しようとしたが、そこに――もう戸は、なかった。
昨日たしかにあったはずの場所は、ただの白い壁になっていた。取っ手も、段差も、見当たらない。
俺は混乱し、スマホのライトを何度もかざした。しかし、何もなかった。
一晩だけ現れ、また消えた“戸”。
いや、もしかすると、俺が開けたことで……“どこか”と繋がってしまったのではないか。
そう考えたとき、背筋が凍る思いがした。
そしてその夜。布団に入って、しばらくしてから――また、ノックの音がした。
「……コン」
今度は一回だけ。けれど、部屋の中に響いたそれは、まるで俺の“すぐ背後”から聞こえたような、そんな音だった。
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