「あ、あなたは……？」

　黒い衣に身を包み、あまり整えられていない茶髪を揺らしながらこちらへ歩み寄ってくる。

「俺のことなんかどうでもええ。それより見てたで、さっきの。何でバッと動けへんかったん？」

「───────」

　何故動けなかったか。

　理由？もちろん僕が弱いからだ。覚悟が足りなかったからだ。今宵歩もうとしていた少女がいきなり目の前で刺されたのだ。強かったら彼女達のように速戦即決が出来たはずだ。だが結果はこれだ。

　故に、哀れ。

「はぁ、何か喋れや。まぁええわ、重要なんはそことちがう。ええこと教えたろか？」

「良いこと……？」

「せやで。えらいしょぼくれてる君にはもってこいの情報や」

　黒衣の男はそう口にすると、地面に転がっている屍食鬼（グール）の頭を鷲掴みにして前に出す。

「この屍食鬼（グール）をここへ送り出した奴を俺は知ってる」

「！？」

　知っているだって！？

　気付いた時には既に目は限界まで開いており、姿勢も欲しさのあまり前のめりになっていた。黒衣の男はククッと笑い、掴んでいた屍食鬼（グール）の首を後ろに放り投げた。

「知りたいか？知りたいよなぁ。女の子の前で恥かいた雪辱果たせるチャンスかもしれへんもんなぁ」

　この時カノープスは、背後から刺されたクワルナ、迅速に対応できなかった自分に心が支配されており、黒衣の男ヘルベルトの怪しさに目を向ける余裕などなかった。

　さらにヘルベルトは下卑た笑みを浮かべながら歩み寄る。

「しゃあないなぁ、特別やで？」

　黒衣の男は僕の耳に口を近づけてこう囁いた。

「屍食鬼（これ）呼んだん、カペラ（ふ）・（た）アリス（り）と一緒におったドラーグ（ガキ）なんやで─────」

「！───────」

「ビックリしたやろ？俺もビックリしたさかい。ていうかあんなに人数いはって単独行動しよう思うってめっちゃ怪しかってん。それでついていったらビックら仰天。屍食鬼（グール）を兄（あん）ちゃんの方に向かわして来おった」

　ヘルベルトはカノープスの肩をぐいっと掴んで、目と目を合わせるようにした。

　その目は漆黒。角膜は月をも覆い隠し、月光一つ漏らさないほどの夜空に浮かぶ雲のよう。瞳孔は全てを飲み込む大海の渦のよう。

　カノープスの意識はいつの間にか、彼の瞳に包まれていた。

「これは俺の予想なんやけど、兄（あん）ちゃん狙われてる思うで。こうやってどんどん兄（あん）ちゃんの周りから人を消していって最終的に兄（あん）ちゃんを殺る寸法やと思ってる。性格悪い奴っていうんはそれが好きなんや。弱い奴を孤独にしてから殺す。ええんかこのままで。弱い奴や思われたままで。それでええんやったらあの女の子も二人もお陀仏や」

「よくない」

「せやろ？それやったら今すぐあのガキの所へ向かうんや。ほんで殺せ。これで兄（あん）ちゃんの雪辱綺麗サッパリ晴らせるで」

　直後、カノープスは腰に携えてある剣の柄を握って、飲み込む渦から沈んでいく太陽の方へと目を向けた。

「方向は、わかりますか？」

「どこやっけか。鍛冶屋って言うとったし、真っ直ぐで大丈夫だと思うで」

　カノープスは上半分だけとなった太陽目掛け跳んで行った。

　そのさまが可笑しくて仕方ないヘルベルトは止めていた呼吸をやめ、やっと息を吸えるように腹の底から笑い転げた。

「ギャハハハハハハハ！ほんまにアホやあいつは！正真正銘のマヌケ、傑作や！」

　ヒィヒィ言いながら息を整え、腹部を抱えながらヘルベルトは起き上がる。

「あー、腹千切れるか思たわ。こないに笑うたのは何百年ぶりやろか」

「こんな所でふざけてないで、真面目にやってくださいヘルベルト」

　すると、展望台に入る階段から籠った声が聞こえてきた。

　その姿は人ではなく、黒曜石を纏ったリザードマンのようで、長い左腕を揺らしながらヘルベルトの傍に歩んでいく。

「クッソ真面目にやってんで曜血鬼（ブラックドラグーン）。心が弱い奴はほんま操り易いな。そっちはどうなん？偵察の結果は？」

「外れの方から男が二人スリーストンに向かってきているのが確認できました」

　ヘルベルトは柵に寄りかかる。

「さっきの一件で、あいつ等が森で見たんがアウリガなんは確定した。ほんでその近くにはアリス、ってなるとその男二人はアルラとボレアスで決まりやな」

「その二人は、俺が相手にしますか？」

「いや、それは俺が相手する。あんたはしばらくここで待機やな。アウリガとアリスが別々になったら、機を見計らってアリスを襲撃や。もし何かあったら呼ぶわ」

　柵に寄りかかった姿勢を直して、首を鳴らす。懐から取り出した賽は指の間を転がり、一度宙を回転した後、手中に収まる。

　黒衣の中からカチャンと金属の当たる音が聞こえる。すれ違う直前、ヘルベルトは曜血鬼（ブラックドラグーン）に言葉を掛ける。

「ほな、俺は行って来るで。ま、待機とは言うたけどなんかヤバそうやったら独断で動いても全然ええからな」

　ヘルベルトは展望台の階段を下りていく。曜血鬼（ブラックドラグーン）は柵の方へ歩んで小言を呟いた。

「待機か─────本当にお前は効率が悪すぎる。然るべき時が来たとき、お前の指示下にはもう俺は居ないかもしれん。だがその手に持つ七（しち）厄（やく）賽（さい）がどのタイミングで、どのような影響を及ぼすかはまだ未知数、もしかしたら俺の言葉は撤回せざるを得ない可能性もある。言う通りしばらく待機、いや、見定め出せてもらうぞ。この500年間の計画を───────」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆

「思ったより時間掛かったなぁ。鍛冶屋に行くだけとはいえ祭りの準備期間を舐めていたな……」

　ドラーグは腰に模造品をぶら下げながら、繁華街を歩く。太陽は沈み、スリーストンは鮮やかな黄色に彩られる。

　人が多い場所は本当に人が多く、寄り道をしようと思ってた店は行列、挙句の果てには事故の目撃者の一人として話を聞かされ、こんなに時間を取られてしまった。

　カペラ達にはゆっくり観光してほしかったので丁度いいと言えば丁度いいのかもしれない。だがもう日は暮れてる。少し急ぎ目で氷茁城に向かって剣の模造品を渡しておこう。

　ドラーグは繁華街の脇道へ入り、人通りの少ない大きい通りに出た。

　瞬刻、

「！───────」

　こちらに何かが飛んでくる。ドラーグは咄嗟の判断で腰に下げていた模造品をさっき通ってきた脇道へ放り投げる。結構厳重に梱包してもらっているので、傷とかはついていないはず……。

　迫りくる落星を迎え討つべく、ドラーグは携えた剣を抜く。黒い剣身とくすんだ黄金の刃が白い流星へと牙をむく。その後、１秒も経たずして高い音が響き渡り、烈風が辺りを襲う。それを目撃した民達はこの大通りから離れていく。

　目前を確認。飛んできた星の正体は───────

「君はあの時の……名前は確か、カノープスだったっけ？」

「お前に名前を呼ばれる筋合いなど無い！よくも！屍食鬼（グール）を使ってクワルナさんを！」

　これは─────ああ、何かに洗脳でもされたな。しかも屍食鬼（グール）ときた。ここら辺で屍食鬼（グール）が関連しているとすれば何かしたのは星壊衆のリーダーであるヘルベルトしか考えられない。彼に対する第一印象は「ひ弱そう」だった。それならあの程度の者の洗脳にもかかるだろう。ただ、問題はどう冷静にさせて戻すか。

　それを模索しながら戦っていくしかなさそうだ。

　鍔迫り合った剣を互いに押し返し、ある程度の間合いができる。

「許さない……必ず僕が…！」

　されど、落ちてきたばかりの白星はこちらに突っ込んできた。

「─────────」

　予想外であった。第一印象で「ひ弱そう」と感じた男からこのような戦術で来るとは。ドラーグは迎撃態勢に入る。だが、彼の目に映ったのはその後ろにある白い四角。

　この瞬間理解した。

　カノープスの術色（ヴィヴィオン）は白（ダイヤ）。型は範囲（フィールド）だ。

　迫り来るは三つの白。これを剣一つで防ぐのはあまりにも難儀なこと。故に、こちらも使わせてもらう。