第8話:ちゃんこサバイバル

 つやつやとした白いもち肌が、洞窟から差す朝日を反射する。

 サツマの力士、飯屋貴政は洞窟の壁に向けてパンと手を叩き、習慣である祈祷をしていた。


 否、正確には壁ではなく、天井近くに打ち付けられた木版と、その上に乗ったしめ縄に対し彼は祈りを捧げていた。それは即席の神棚だった。その神棚には手首から切断された〝熊の手〟のようなものが供えられており、同時にそれは仕留めた獲物に対する供養を行う儀式でもあった。


(色々あったでごわすなぁ……)


 貴政は細い目を完全に閉じて、ここ一カ月のことに思いを馳せる。

 まるで半年か一年ぐらいも時間が経ったと錯覚させる、本当に濃厚なひと月だった。


 思い出すのは少女のことだ。

 この異世界と呼ぶべき場所に転移して来た初日のこと。貴政はエルフの少女を助け、彼女の命を繋ぐために、今に至るまでこの洞窟でサバイバル生活を送ってきた。


 とまれ彼女を助けるためには水と食料が必要だった。


 幸いとでもいうべきか、水の問題は早期になんとかなった。

 洞窟の奥にはどこかへ流れるプールのような空間があり、それは地下水の流入によって生じたものと判明したのだ。

 つまり、この水は煮沸さえすれば飲み水として使えたし、体を洗うこともできた。


 問題は食料の方だった。


 というのも、サツマ連邦の教育カリキュラムには「サツマ男児たるもの大自然の中でもたくましく独りで生きるべし」という思想があって、よって火起こしや飲み水の確保などというサバイバルの基礎訓練を、彼は事前に受けていた。


 なので、このような状況も想定されたものだったのだが……問題はここが異世界であり、その植生が元の世界とは大きく異なっていたことだった。


 食えそうな草や、実や、キノコ、それらはふんだんに生えている。

 貴政が自分で食べるのであれば、力士細胞リキシーセルの持つ免疫力を当てにして、多少強引に毒のあるものを胃に入れることができたかもしれない。


 しかし少女はそうではない。どちらかというと〝本土〟の者の体質に近いであろう、弱った幼い娘にとってそれは致死毒となりかねないからだ。


「ううむ、どうしたものか……」


 迷った末、貴政は見た目的に食えそうなものを持ち帰れるだけ持ち帰るという多少強引な作戦を取った。何かに詰まりかけた時、とりあえずやってみることは、サツマ男児の貴政の基本原理の1つだった。


 結果だけ先に言うならば、この作戦は見事に当たった。

 採ってきたものを少女に見せると、彼女は食えるものは首を縦に振り、そうでないものは横に振るという挙動を見せたのだ。さすがは現地の人間である。これは貴政自身にとってもとてもありがたいことだった。


 毒の有無を知った貴政は、次に洞窟の近くに落ちていたココナツのような巨大な木の実をくり抜き、半分にして、それで即席の小鍋を作った。


 貴政はそこに持って来た草や無毒なキノコ類を入れ、また、ある方法で生成した特殊な塩を入れることで「ヴィーガンちゃんこ」とでもいうべき質素な鍋を完成させた。


 これが最初の晩餐だった。


 貴政は、起き上がる力すらもない幼い少女を大きな腹でかかえてやりながら、ゆっくりとそれを食べさせてやった。

 彼女は何もしゃべらなかったが、その時、ぽろぽろ漏れ出した涙は、彼女が何日もこういうまともな食事を食べていなかった証拠のように思われた。


「よぉく食うんでごわすよ、ちみっこ」


 貴政はとても優しい声音で少女の頭をぽんぽん撫でた。


 そうして迎えた次の日からは、もっと滋養の付くものを食べさせてやりたいと考えて、貴政は肉を探すことにした。というか、彼も飢えていた。アンコウのように膨らんだ力士ボディを維持するためにはキノコと野草のちゃんこではあまりにも役不足すぎた。


(そういえば、豚が一匹いたでごわすなぁ)


 なんていうことを思う貴政だったが、残念というか、幸いというか、彼が打ち負かした豚人間は倒された場所にいなかった。


 意識を取り戻し逃げたのか、他の化け物に食べられたのか……詳しいことはわからないものの、貴政としてあの亜人を少女に食わせるのは気が引けたので、結果的にはその方がよかったと言えるかもしれない。


 しかし、それでも貴政はめげず周囲の〝化け物(と彼は呼んでいた)〟と積極的に戦った。


 基本的に、この森の生物はウサギに角が生えていたり、ニワトリの尻尾がヘビだったりと、奇妙な外観をしていることが多く、逆に普通の動物はほとんどと言っていいほど見かけなかった。


 中には腕が四本ある熊のようなとんでもない強敵もいた。

 これを狩るのは大変で、彼自身、多少傷を負ったものの、それでも彼は打ち負かした。それらの肉は血抜きの末に全てちゃんこの材料となり、彼の巨体と少女の体の血肉の一部となったのだった。


(全ての命に感謝でごわす)


 貴政はパンと柏手かしわでを打ち、祈祷の締めに入る。


 と、洞窟の入り口でガサリと草を踏む音がした。

「ん?」という顔でそちらを見ると、小柄な影が何かを持って笑顔で彼を見つめていた。


「タカマサ! タカマサ!」


「おぉ、クゥか。戻ったでごわすか」


「タカマサ、みて!」


「む、それは?」


 貴政は相手の手にあるものをよく見ようとして、けれどもそうはできなかった。

 なぜならクゥと呼ばれた少女は、ウサギのようにぴょんぴょんと跳ね、神棚に向かう貴政の腹に全力でダイブしてきたからだ。

 少年はやれやれと苦笑する。


「甘えん坊でごわすなぁ」


 くすぐるように貴政が言うと、やわらかな腹に顔をうずめるエルフの少女は、緩んだ顔で真似するみたいに「ごわす~」と言った。

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