中年おっさん、天保大飢饉に転生し、ポテチとコーラで藩主になる

雨光

序章 神様のくれたスキルが、しょっぱすぎる件について

「はぁ……」


思わず、加齢臭が混じっていそうな深いため息が漏れる。

俺、田中誠(たなかまこと)、四十二歳。役職、課長代理。


聞こえはいいが、要は上からは叱咤され、下からは突き上げられる、ただの哀れな中間管理職だ。


今日も今日とて、家に帰れば妻からは「洗濯物、あなたのは別に洗うからカゴ分けといてね」と間接的にバイオハザード扱いされ、高校生の娘には「お父さん、なんか酸っぱいんだけど」と眉をひそめられる始末。


俺の居場所は、この家にあるんだろうか。いや、世界のどこにもないのかもしれない。


昔は、もうちょっとマシだったんだけどな。


親父に無理やり入れさせられたボーイスカウトに、いつしか夢中になってた。


ロープの結び方、火のおこし方、雨風をしのぐシェルターの作り方……。自然の中で、自分の頭と手だけで何かを成し遂げるのが、たまらなく楽しかった。


リーダーシップがあるなんて、仲間から褒められたりもした。


……それが今じゃどうだ。ネクタイの締め方以外、何もできやしない。


部下に仕事を丸投げするだけの、腹の出たおっさんだ。


そんな俺の唯一の聖域(サンクチュアリ)。


それが、家族が寝静まった深夜に、リビングのソファでこっそり開けるポテトチップスと、キンキンに冷えたゼロカロリーコーラだ。


背徳感という名のスパイスが効いたこのひとときだけが、俺が俺でいられる時間だった。


異変が起きたのは、一週間前のことだ。

その日も、俺はポテチの袋(のり塩)を開けようとしていた。


だが、なぜかうまく開かない。イライラしながら袋を握りしめて、「ああもう! ポテチ! のり塩のポテチをよこせ!」と心の中で叫んだ、その瞬間だった。


ポフッ。


そんな気の抜けた音と共に、右の手のひらから、見慣れた緑色のパッケージのポテトチップスがまろび出た。


「…………は?」


何が起きたのか分からず、俺は30秒は固まっていただろうか。

手の中のポテチ。


元々持っていたポテチ。


二つのポテチ。


夢? 幻覚? 過労でついに俺の脳はイカれたのか?


恐る恐る、今度はハンバーガーを念じてみる。

「にくにくしい、あの、ダブルのチーズバーガー……」


ポフッ。


今度は左の手のひらから、湯気の立つチーズバーガーが現れた。ご丁寧に、あのロゴが入った包み紙にまで入っている。


「…………マジかよ」


これが、俺の人生に突如として与えられたスキルだった。

手からジャンクフードが出る。


……それだけ?


いや、すごい。


すごいスキルなんだろう、多分。


食いっぱぐれることはない。


だが、四十二歳のメタボ気味のおっさんに与えるスキルとして、これ以上なく的確で、そして残酷なチョイスじゃないか?


神様がいるなら、そいつは相当性格が悪い。


誰にも言えるはずがない。


「俺、手からハンバーガーが出せるんです」なんて言って、信じてもらえるわけがない。病院送りが関の山だ。


結局、俺はこの奇妙な力を一人で抱え込み、こっそり夜食を豪華にするくらいしか使い道を見出せずにいた。


そして、運命の日。


その日は特に仕事でやらかし、心はささくれ立っていた。家に帰る気にもなれず、俺は会社の近くの公園のベンチで、コンビニで買ったカップ麺をすすっていた。


夜風がやけに冷たい。俺の心みたいだな、なんてクサいことを考えながら、最後の一口を飲み干した時だった。


ぐにゃり、と。


視界が歪んだ。強烈なめまいと耳鳴り。


「う、ぉえ……」


なんだこれ、貧血か? いや、違う。世界そのものが、まるでシロップみたいにドロドロに溶けていくような感覚。


手から滑り落ちたカップ麺の容器が、地面に落ちる音は聞こえなかった。


意識が、闇に吸い込まれていった。


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