「替え玉」

奈良まさや

第1話

第一幕:偽りの朝

雪がわずかに残る早朝。張り詰めた空気が漂う試験会場へと続く歩道を、美咲(18)は震える体で駆け抜けていた。これは、彼女にとって大学受験の「最後の最後」。いや、それだけではない。彼女の人生そのものの、最終章が幕を開けようとしていた。

美咲の胸元には、一枚の受験票。そこに記された名前は「佳奈」。写真だけがすり替えられていた。これは犯罪。だが、美咲はもう、その罪を受け入れるしかなかった。

なぜなら、彼女に残された時間は、あと一年──。「膵臓癌」。18歳という若さで告げられた残酷な事実に、美咲はただ打ち震えるしかなかった。

「これで…また、3人で笑えるかもしれない。最期まで、この時間を守りたい」

中学からの親友、佳奈。そして、美咲の恋人である拓也。いつからか佳奈が拓也に惹かれていることは、美咲も気づいていた。しかし、この「替え玉受験」を持ちかけてきたのは、他ならぬ拓也だった。

拓也は言った。「なあ美咲、佳奈がどうしても俺たちの大学、受けたいってさ。お前、頭いいだろ?顔もそっくりだ。頼むよ、佳奈のためにさ。合格したら、俺たちもまた楽しくやれるだろ?病は気からだって。お前の病気も治っちまうかもしれないぜ」

その言葉は、美咲の胸を深く抉った。「死ぬこと前提過ぎない?」──余命わずかだと知っている拓也が、それでも佳奈を選ぼうとしている。美咲にとって何よりも大切だった「3人で笑い合った時間」を、彼自身が壊そうとしているのだ。それでも、美咲は信じたかった。この替え玉が、あの輝かしい青春を守るための、最後の手段だと。

(わかってた。拓也が佳奈を、私が死んだ後の「代わり」にしようとしてるって。佳奈もそれに気づいていないわけじゃない。でも…私にとって、3人で笑い合ったあの時間こそが、すべてだった。彼や家族との時間を大切にしたい気持ちもあるけど、それ以上に、あの青春を終わらせたくなかった)

裏切りと哀しみを心の奥底に押し込め、美咲は残されたわずかな時間を「友情」の名のもとに守ろうとした。

試験を終え、合格を確信した。──その瞬間、鋭いクラクションとブレーキ音が鳴り響く。

夕焼けに染まる世界が、美咲の視界から、音もなく真っ黒に塗り潰された。

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