終端の観測者

河内 謙吾

第一章 やっと追いついた

2120年 某日、午前。


 画面には、何の変哲もない朝の情報番組が映っていた。

料理コーナーでタレントがトマトを切っている最中――その上部に、緊急速報のテロップが走る。


【速報】NASAが宇宙の膨張“停止”を発表




 次の瞬間、番組がぶつ切りにされる。

画面が切り替わり、ニュースキャスターの緊迫した声が響く。


「おはようございます。NASAが“宇宙の膨張が停止した”と正式に発表しました。

 これより、長官による緊急記者会見を中継でお伝えします。」


 画面は暗転し、次に映ったのは――

アメリカ・ヒューストン、NASA本部の会見室だった。

壇上に現れたのは、グレーのスーツに身を包んだ女性だった。


 その瞬間、記者席のざわめきが一瞬止んだ。

沈黙の中、シャッターの音だけが響く。


 背筋を伸ばし、無駄な動きひとつなく演台へ歩み出る。


 彼女の名は、エリザベス・ハワード。

宇宙飛行士として宇宙を経験し、科学と政治の両方で辣腕を振るってきた現NASA長官。


通称「リズ長官」。その姿が映った瞬間、会見の“重さ”が全国に伝わる。


 彼女は手元の資料に一瞥もくれず、静かに語り始めた。



「本日、NASAは宇宙望遠観測システム“ALIS(アリス)”による最新の観測結果を受け、

 宇宙の膨張が観測上“完全に停止”したことを確認しました。」


「この現象は、数値上の誤差ではなく、

 統計的に有意な範囲で“ゼロ”を指し示しているという結果です。」


「我々は、約138億年にわたり加速的に広がってきた宇宙が、

 この瞬間、その膨張を止めたという前例のない観測に直面しています。」


一瞬、記者席がざわめく。


だが彼女は、淡々と続ける。


「この発表は、現時点ではあくまで“観測上の事実”にすぎません。

 我々NASAとしては、これが宇宙論的な転換点であるかどうかの判断には慎重を期す必要があると考えています。」


「現在、“ALIS”および関連機関からデータの再確認を行っており、

 より詳細な解析には数時間から数日を要する見込みです。」


「本件に関する誤情報や憶測の拡散は、混乱を招く恐れがあります。

 すべての情報は、NASA公式チャンネルを通じて随時お知らせします。」


 わずかに視線を前へ向けると、彼女の声に熱が滲んだ。


「私たちはこの宇宙の“住人”であると同時に、

 この宇宙を“観測する者”でもあります。」


「これは、人類の歴史において初めて、

 “宇宙が変化した”瞬間に立ち会うという可能性がある出来事です。」


「今こそ、冷静に、そして真摯に向き合う時だ。」


 それだけを語り終えると、彼女は一礼し、記者の問いかけには一切答えずに壇上を降りた。


 場内に残されたのは、重たい沈黙と、遠くで鳴るフラッシュの音だけだった。




──とあるアパートの一室に、けたたましい着信音が響く。


「……もしもし?」


 くぐもった声は、寝起きそのものだった。


「おう、蒼空!やっと起きたか?テレビつけてみろ。ウチの長官、記者会見やってるぞ!」


「……テレビ?」


「あー、そうだった。お前んとこ、テレビ無いんだったな。じゃあもう出勤しろ。実際に見た方が早ぇよ。」


「……了解……」


 乱れた髪を気にする暇もなく、Tシャツの上にジャケットを羽織り、無造作に白衣をリュックに突っ込みながら、男は小さくため息をつく。


──NASA天文局観測技術部。蒼空(そら)。

“アリス”の生みの親にして、何より朝に弱い天才だ。


 彼は愛用のスポーツタイプの自転車にまたがり、昼下がりの街を駆け抜けていく。


NASA本部の裏口に着くと、さきほど電話をかけてきた男が待っていた。


「よっ、やっと来たな蒼空。」


「……おはよう。」


「ほんとさぁ、いい加減、車の免許くらい取ったらどうだよ?」


「……試験、落ちる気しかしない。」


「お前、アリスシステムの開発者だぞ?そのセリフ、説得力ゼロだわ。」


 軽口を交わしながら建物に入ると、ロビーの大型モニターには、繰り返し再放送されている記者会見の映像が流れていた。


 蒼空は黙って、しばらくその映像を見つめた。

やがて視線を天井へとゆっくり移し、ぽつりと呟く。


「……やっと、追いついた。」


 彼の瞳には、誰にも見えていない“何か”が映っていた。

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