暑(ねつ)

ǝı̣ɹʎʞ

夏になって、雨を欲す。

 残香。湿気が床の方に溜まって、朝。厚ぼったい空気はどこへ、鼻を擽る好い匂いと、これは……ねつ。息を殺してくるようにむさ苦しい、ねつ。ねつ、いいや、夏。蒲団が厭に苦しくて、汗がダラダラ、背を起こす。煌々朝日、カーテン越しに。ダイニングから、甘い香り。

 朝のルーティンを終えて、寝惚け眼。擦っては、景色の様変わりに愕然。鬱蒼の森林のような、重くて、暗くて、そんな好きだった、大好きだった景色。そこに、柔らかな光芒が差し込んでいる。テーブル、キッチン、雑貨、植物。無数の光明が、私の朝を枯らす。

 梅雨が、明けてしまった。

 ——ご飯、できてるよ。

 ふとテーブルを瞥見。また愕然。ほかほかのフレンチトースト。ヒヨコのように黄色。少しの砂糖と、崩れた苺のソース。洒落たカフェーの一品みたいな出来栄え。

 ——あったかいうちに、食べてね。

 言われるがまま、席について、朝食とご対面。美味しいのに、味がしない。なにを食べているのか。私には、水気が無さすぎる。味蕾の蒸発? 脳の障碍? ちがう、ちがう。どれもこれも、雨に濡らしたい。総てを濡らして、風邪でもうつって。

 窓の外。セミの空耳。憂鬱に。

 ——おさんぽ、行きたいな。

 夏の傀儡。わたしを縛る蜘蛛の糸が、いやよいやよも衣を替える。深緑、薄手のシャツに、皺が無数。黒のキャップを被ったら、気づけば暑中、快晴そらのした。

 ——あったかいね!

 ごめん、悪いけれど、「あったかい」では済まされない。とってもとっても異常です。微笑みに盛り上がる私の頬を、汗がひとつ、ふたつ、淋漓していく。

 アネテに靡く、艶の茶髪ちゃがみ。麦わら帽子が風に踊り、彼女が、嫋やかに微笑む。眩しくて、暑くって。

 直視もできない私は、悠遠とおい入道雲をまなこいで追いかけて、誤魔化すようにことを零す。

「雨、降るのかな」

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暑(ねつ) ǝı̣ɹʎʞ @dark_blue_nurse

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