第5話 明日の予定

 男の体は暑さによって干からびかけていた。それでも生きているのは、役が割り当てられていたからだ。


 神は男の死すら自由にはさせないらしい。男はその役をまっとうするまで、飲まず食わずでも生き続ける。それは地獄の苦しみに他ならなかった。


 人は誰も来ない、門は開け放たれているが、乾いた風が通り抜けるだけ。


 男はただ立っていた。誰ともなく、誰かが来てくれることを願って。


 そうして何日も過ぎていき、食べるという行為を忘れた頃、男の前に見知った顔の女性が現れた。あのギャルだ。


「やほ、久しぶり」


 男は何も返せなかった。役のせいもあるが、喉がすっかり枯れ切っていて声が出なかったのだ。


 ギャルは何かを言いたそうにしながらも何も発さない男を見て、持参していた水を飲ませてくれた。それは男が久しぶりに口に入れた砂以外のものだった。


「ゲホッ、ゲホゲホッ!」

「焦らないでゆっくり飲みなー」


 命の水とはこのことか。男は咳き込みながらも受け取った水筒の水を飲み干すと、乾いて干からびていた体までもが数週間前の状態まで蘇ってくる。


 そして今度は体が栄養を求めるなか、鳴り出した腹の虫に気を取られる間も無く、朦朧としていた景色から鮮明に、周囲を見渡せる様になった途端に飛び込んできたギャルの姿に戸惑った。


 なんだ、こいつのこの格好は。


 ギャルの服装、というか装備か? それらは数ヶ月前に見た時とはまるで違っていて、全身黒に染まったどこか悪魔的な格好をしていたのだ。


 確かに前より強そうだが、装飾品なのか何なのか頭には曲がった角が2本も生えていて、それこそ悪魔の矢型の尻尾もある。


 気温が大体50度を超えているのに、よくこんな重装備で居られるものだな。そう思った瞬間、男は猛烈な違和感に襲われた。


 こいつ、何でこんな気温のなか汗ひとつかかずに平然としていられるんだ?


「あたしのこと変だなって思ってるっしょ? あたりー! 私普通の人間じゃないんだ。あたしについて知りたい? 知りたいよね? でも、その前にあんたの用事片付けてからにしようよ」


 男はハッと思い出す。街の中でしかも昼間にギャルに話しかけられている。3回目が発動できるじゃないか。


「これまで何度も話しかけてくれた君に渡したいものがある。それはこの世界の命運を分けるとても大事なものだ。だから実物を見せながら、それについてとこれまでの事を話させてくれ。1日がかりになるが、どうかよろしく頼む」


 セリフに合わせて頭を下げる。するとギャルは楽しそうに上擦った声で返した。


「うんうん! それじゃあ、あんたのお家に私を連れてって!」


 ハート。なんて付きそうなそのギャルの口調に、変なやつだなと思いつつも、今はこの最後の説明を自分自身でもしっかり聞いておこうと思い立ち、一旦無視する。


 そして男は猛烈な暑さのなかギャルと共に家へと向かい、テーブルの上にいつも使っていた槍『神の怒り』を置くと、話しを始めた。


 その内容はまさかまさかの前世の話から、神から与えられた使命、それから武器の仕様と能力までの全てで、それこそ本当に夜中まで話が続いた。


 発光する『神の怒り』を前に、自分自身も説明に聞き入っていたが、男はついにこの話が終わりに差し掛かっている事を認識する。


「最後に、この『神の怒り』を君に手渡す。これで私の役目は終わりだ。君がこの武器を手にしたあと空に向かって投げつければ、魔王はその瞬間に万雷に襲われ絶命するだろう。だが、それをするかどうかは君の判断に任せる。さあ、選ばれしもの。この槍をいま君に託そう」


 『神の怒り』が、男の手からギャルの手に渡る。するとギャルが手に持ったその時これまでとは違う凄まじい光が『神の怒り』から放たれ、両者の視界が白く染まった。


 そして目が眩しさから回復して元に戻った時、男が最初に目にしたのは。先ほどまでの重装備から一転、まるで服を着ていないかの様に肌が見え過ぎている水着の様なものを着たギャルの姿だった。


 呆気に取られていると、急に男の視界がふらついた。そして暑さと栄養不足からくる衰弱により、指一本も動かせなくなる。


 男は思った。とうとう死ぬ時が来たのだと。やっと終われるのだと。


 だが、その時はいくら待っても訪れなかった。それどころか暑さはまるで数年前の夏の気温ほどに下がり、死にかけていた体は少しづつ元気を取り戻していく。


 何が起こったのかと目を開けてみると、そこには顔を覗き込むギャルの姿があった。


「なに、してるんだ?」

「ん? きゃは! 初めてまともなあんたの声聞けたし! 何してるってそりゃ弱ってるあんたをあたしが介抱してあげてるんだよ。そんなんより、これじゃ回復が遅いからこれ咥えるし!」


 そう言ってギャルが無理やり男の口に尻尾をぶち込んでくる。力が無く抵抗できない男はそれを受け入れるしかなく、何やら尻尾から甘い液体が出てくるのを感じながら、無理やりそれを飲まされていった。


「きゃん! 敏感なんだから、ペロペロすんなし! そういうのはもっと関係が進んでからっしょ!?」


 何言ってるんだ? そう思いながら、随分と回復した事を実感した男は起き上がって口から尻尾を取り出す。


「これ、返すよ」

「うん、だいぶ回復したね! これでちょっとの間はもんだいなっし!」

「それで、何で俺を助けたんだ?」

「何でって、そりゃあ……あたしの話を聞いてもらうため?」


 男は心の中でため息をついた。何だその身勝手な理由は。そうは思いつつも、何処かで感謝している自分もいて、仕方ないなとギャルの話を聞くことにする。


「そうか、じゃあ聞かせて貰おうかな」

「お! あたしの話に興味あるんだ? しっかたないなー。でもその前にひとつ聞くね。あんたさっきさぁ、このまま死ににたいと思ってたっしょ?」

「……そうだけど、それが何だ。悪いか」

「いいや、全然悪くないよ。だってあたしも、この前までそう思ってたもん」

「は?」


 男は理解できなかった。ギャルの様な何の悩みもなさそうな類の人間が、死にたいなんて考えるものかと。


「あたし、あんたと同じだったんだ」

「どういう意味だ?」

「あたしも役に縛られてたって事」

「俺以外にもそんな奴がいたのか!?」


 思わず声が大きくなる。それはそうだろう、120年も生きてきて同じ様に縛られた行動をする人間は見たことがなかったのだから。元からの街の連中はそれこそゲームのNPCの様に動いていたが、世代交代は起きていたし、普通に死んでいた。もし男と同じ役に縛られた人間なら、見た目に一切変化無く何年も過ごしている筈だ。少なくとも男の経験上ではそうだと思っていた。


「あたしは人間じゃない。もちろんこっちにくる前は人間だったけど、今はほら、この尻尾と角でわかるっしょ? 悪・魔なんだよねー」

「悪魔……じゃあ、人類の敵か」

「うん、そう。けどさぁ、元々人間だったし、この前会った時みたいに人間にも化けられたしで、敵になるつもりなんて全然なかったんだよね。そしたら、ある日ぽんって役につかされちゃって、そんでずーっと魔王様の復活のために動いてたんだ」

「ギャルの役は魔王を復活させることだったのか」

「ギャルって、あんたあたしのことそんな風に呼んでたの? ウケルw」


 しかしそうなると分からないのは、何でこいつがこの街に来て男に会っているのかだ。魔王はもう復活している。それはこの空の色を見れば明らかだ。ギャルの行動には意味があるとは思えない。


「ふふ、あたりー。あたしがやってる事はなーんにも意味なんてないよ。ただあたしと同じかもしれないあんたに会いに来ただけ」

「……それで、会いに来て何か良いことあったのか?」


 男は少し強い口調でそう返す。それはそうだろう、男はついさっきまで死にたかったし。望み通り死ねた筈だったのだ。それを助けておいて、ただ何の意味もなく会いに来てついでに助けたんだと言われれば、ふざけるなとなる。


「そんなに怒んないでよ。確かに会いに来ようと思った時は目的なんてなかったけど、今はあんたと話したい事があるんだから」

「なんだ?」

「あたしさ300年生きてんの、あんたは100年くらい?」

「120年だ」

「そっか、あたしには及ばないけどキッツイよねー、こんなに生きるのって。あたしたちさぁ、頑張ったよね?」


 何なんだこいつ。何が言いたい。言う事があるなら早く言ってくれ。男は段々とイライラしてくる気持ちを抑えて、ギャルの言葉を待つ。


「魔王様とか人類とか世界とか神様とかもうどうでもいい。二人で決めようよ。この星を終わらせるかどうかについて」


 そう言い切ったギャルの顔は殺伐とした笑みを湛えていた。その右手に怪しく光る最強武器を持ちながら。


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