19


 パリのど真ん中、エッフェル塔の見える町中にゲイト社のフランス支部はあった。ジャメルさんの運転でオレはそこまで連れてきてもらった。

 黒いバンの中には、ジャメルさん以外にジェームスとヴィヴィアンとジジもおる。ここにはおらへんけど、ルノとゆりちゃん、ジャンヌちゃんにも回線は繋がってる。

 オレはヘッドセットに向かって声をかけた。

「ついた。今から入る」

「見えてる」

 真っ赤なコートをパンっと一回はたいて、オレは真っ直ぐその建物に向かって歩いた。入り口の回転扉の前で、一旦立ち止まる。

「ルノ、合言葉は覚えてる?」

「うん。いいから早よ行きぃや」

 ルノの声で、オレは深呼吸して中に入った。

 長いコートが揺れる。胸ポケットのペンも、コートのポケットに入ったiPhoneもある。背負ったおしゃれなリュックには、相棒のノートパソコンも入ってる。

 怖くない。

 オレはゲイト社のロビーで叫んだ。

「ランボルギーニはどこや。オレはここや。ダンテはここにおんぞ」

 すぐ走ってきたごっつい男の人に、腕を掴まれた。警備員なんやろか、それとも工作員? なんにせよ、いかにもヤバそうな感じするわ。

 ダンテやったらなんて言う? 図体ばっかでっけぇじゃねぇか、中身詰まってんのか?とか。当然もてなしてくれんだろ?とか。

 いつもやったら怖くて、そんな事思いつかへんのに、今日は笑ってまうほど恐怖とは無縁や。ホンマに無敵のデビルハンターになった気分。

 オレは廊下を引きずられながら、辺りを見回した。

 見た感じ、普通のオフィスビルっぽい。高級感あふれる、支部とはまた別のおしゃれな雰囲気や。きっと床が赤い大理石やからや。

「そこの奥のエレベーターで地下に降りたら、うちのおった部署や。気をつけて」

 ジジがそう言う。

 ルノやジェームスはいっつも、こんなふうに声を頼りに歩いてたんかな? オレには味方がいっぱいいてるから、怖くない。

 赤い髪の女の人に、男の人は話しかけた。フランス語で、何を話してんのか全然分からへんけど、ジジが通訳してくれる。

「ロビーで騒いでました。どうしますか?」

 赤毛の女の人はオレを見下ろすと、鼻で笑った。

「適当に警察でも呼びなさいよ」

 オレは怒鳴った。

「ランボルギーニはどこや? ここに連れてこい」

 フランスのサーバで確認済みや。ランボルギーニは二日前、日本からシャルルドゴール空港に来て、フランスに入国してる。一緒にケイティとミランダも来てるのは知ってる。ここまでやっぱりホンダの車に乗ってきた事も。

 アイツらがここでも支部とおんなじコードネームで呼ばれてる事も、今このビルにいてる事も、オレが知らんとでも思ってんの?

 情報は銃よりも強い武器や。

 たった一枚の紙きれで、戦争が起こったり、人が死んだりする。それは同時に、知ってるだけで強い盾になって守ってくれる。

 オレはそれをよく知ってる。

「ランボルギーニ」

 オレは二人にもう一度言うた。

「I know him.」

 女の人の顔色が変わるのが分かった。

 車のメーカー名叫んでるとでも思ったんやろか? あいつ、いっつもホンダやんけ。フランスでもホンダに乗ってるとは思わんかったけど。

 赤毛の女の人は、男の人になんか言うた。

「奥の会議室に連れて行って拘束しなさい。私は局長に報告するわ」

 オレはジジの翻訳を聞いて、二人に言うた。

「My name is Dante.I know that he kill so many people.I want to meet him.」

 女の人は走ってエレベータに飛び込む。

 男の人は黙ってオレを引きずって、奥の部屋のドアを開けた。

 会議室って言うだけはある。

 プロジェクタと長い机、たくさんの椅子が並んでる。部屋の端には監視カメラがある。オレのツールが正しく動いてれば、みんなにこの映像が送られてる筈や。

 オレは一番手前の椅子に座らせられて、リュックをひったくられた。それから両手を前で、結束バンドで縛られた。

 事前にジェームスから聞いた通り、手首をクロスして差し出した。ありがたい事に男の人はなんも疑わず、そのままきつく縛った。この状態から手首を動かして平行にすると隙間が出来るから簡単に抜けられるって、実際に練習してきた。

 どっちにせよ、オレにパソコンを触らせようと思ったらこんなん外さなあかんやろから、無駄知識やと思うけど。

「大人しくしてるんやで、何されても抵抗したらあかん」

 ヴィヴィアンがそう言うた。

 オレは出来るだけ大人しく、その人に従った。勝手にリュックの中身を机にひっくり返されても、黙ってそれを見てた。胸に当たる、ひんやりした金属が、オレを安心させてくれる。

 ヴィヴィアンが、出発前にくれてん。一番の宝物って言う、黒いゴムのカバーが付いた銀色のドッグタグや。ジェームスの名前と生年月日、それと日本って刻まれたちょっとひしゃげたやつ。

 オレはヴィヴィアンがいっつもこれを下げてた事、知ってるから嬉しかった。

 どんな危ない任務に出ても、これをつけてたら何故かケガもせんと無事に帰って来られる、魔法のドッグタグやねんって。ずっと昔、話してくれた。

 もうヴィヴィアンには必要ないから、オレが持ってる方がええからって、くれてん。

 ドッグタグは本来、戦場で誰か分からへんようになった兵士を判別するためのもんや。黒いゴムはそれがちゃりんちゃりん言わへんようにするためについてる。

 ジェームスが昔、寝られへん夜に話してくれた。持ってるけど、工作員やから、潜り込まなあかんのにこんなんつけられへんって。

 なんでヴィヴィアンがジェームスのをつけてたんかは聞いてへん。でも、無事に帰ったら教えてくれるって、約束してん。

 オレには二人がついてる。

 そう思ったら、これから会うのがランボルギーニでもケイティでも、怖くないねん。まるでアミュレットみたいやない? ダンテもつけてるやん。

 このドッグタグは魔界の門を開いたりはせぇへんし、もう一つあって双子のお兄ちゃんがそれを持って、身投げしたりした訳やない。でもきっとオレの事も、守ってくれると思うんや。

 男の人はオレのパソコンと、有線マウス、ケーブルの束を見ながら、他に変なもん持ってへんかを確認する。

 ドアが開いた。

 大嫌いな低い声がオレを呼ぶ。

「やあ、ダンテ。よく来たね」

 オレは顔を上げた。

 ちょっと見んうちに老けたみたいや。白髪交じりの髪のしわが増えたおっさん、ランボルギーニがこっちを見下ろして、それはそれは楽しそうに笑ってた。

 その後ろにケイティとミランダが続く。二人はスーツ姿で、ジェームスと違ってパリッとしたシャツを着ている。しわのない、きちんとしたスーツや。

 オレは胸のペン型カメラに服がかぶらへんように、注意しながら、机に両手を置いた。いっそ不思議なくらい、オレはリラックスしてる。

「ランボルギーニ」

 オレはおっさんの名前を呼んだ。

「何をぞろぞろ取り巻き連れとんねん」

 ランボルギーニはオレの前の椅子に座った。

「ダンテ、何をしに来た?」

「取引しに来た」

「どんな?」

 ランボルギーニは、はははと笑って、机を叩いた。オレが昔とおんなじ、怖がりやと思ってる。オレにはなんも出来ひんって舐めてる。

「少しは動揺したフリしろ、それじゃ逆に不自然だ」

 ジェームスが言うた。

 オレはとっさに視線を逸らすと、手元に目をやった。いつも、オレはどんな感じなんやろ。怖くて、なんにも考えた事なかった。

「まずはこれ、外して。縛られんのは怖い。知っとるやろ?」

 両手を上げると、ミランダが歩いてきて、ジャケットの中から小さいナイフを出した。それをオレの手に沿わせると、結束バンドを切った。

 蛍光灯の灯りを反射して、ナイフがぎらっと光る。

 オレは自由になった両手首をさすりながら、大きく深呼吸をした。下を向いたまま、様子を伺う。

 ケイティに指示されて、男の人は部屋を出て行った。ドアが閉まる音がする。響いて聞こえるのは、きっとここが広いからや。

「それで、お前は一体どんな取引をしようって言うんだ?」

 ランボルギーニが言うた。

「ジェームスとヴィヴィアン。それにルノとその兄弟を解放してほしい」

「見返りは?」

「オレがゲイト社に協力する」

 ランボルギーニはふんふんと頷いた。

 オレは少し顔を上げて、ランボルギーニを睨んだ。

「オレがほしいんやろ? オレの技術が」

 ケイティが首を横に振って、そんな事ないと答えたけど、ランボルギーニが静止する。

「いいだろう。具体的に、何をしてくれる?」

 オレは深呼吸をした。

 目を伏せて、ぎゅっと拳を握る。

「人身売買、臓器売買、その他闇取引の会員制オークションサイト。ファイヤーウォールの強化、サーバの運用、データベースの保守。アンタがほしいのはそれやろ?」

「なぜ、そんな事まで知ってる?」

「ランボルギーニ。お前オレがクラッカーやって忘れたんか? こんなへなちょこファイヤーウォール、簡単に破れたわ」

 嘘やったけど、ランボルギーニは信じた。

 オレは顔を上げた。

「ダンテ、服がカメラにかぶってる」

 ルノの声で、オレは椅子に座りなおした。左手でコートを引っ張って、それから耳を触った。左耳をかきながら、ランボルギーニの顔を見た。

 ジェームス、どうしたらいい? オレは何をすればいい?

 ランボルギーニは嬉しそうに笑う。

「いいだろう。どのみち、アイツらには死んでもらう予定だった。もう用済みだ。開放してやろう」

 オレは指示を待った。

 ジェームスとヴィヴィアンが、見逃す訳ない。今のサインで、きっと気付いた筈や。

「ダンテ、アランとクラリスの事をきけ」

 ジェームスが言うた。

「え? それ今、いらんくない?」

 ルノが明らかに動揺した。落ち着いて、ルノ。落ち着いて、パソコン見るんや。

「今しかない。ルノはちょっと黙ってろ」

 ジェームスはそう、いつもと違う低い声で言うた。ルノが黙って、ジェームスが続ける。

「どうして二人を殺したか、きくんだ」

 オレは嬉しそうに笑ってるランボルギーニを見据えた。

「一つ教えて」

「なんだ?」

「なんで殺したん? アランとクラリス、殺す必要あったん?」

 ランボルギーニはオレを見る。

「知りたいか?」

「教えてくれへんねやったら、協力せん」

 オレはそう答えた。それから視線をそらした。下を向いて、じっと待つ。

 ランボルギーニは笑った。

「二人はゲイト社について調べていた。知りすぎたのよ」

 ケイティが答えた。ランボルギーニと違って、随分取り乱した声をしている。そんなにオレが怖いんか? アンタが捨てた、このオレが、そんなに怖いんか?

 落ち着いてはいる。でも腹の底が、煮えたぎってるのが、自分でも分かる。この人が憎い。オレは、この人に腹が立ってるんや。

「煖、あなたがあの工作員の息子と、友達なのは知ってるわ。本当に可哀想な事をしたと思ってる」

 なるほど、アランとクラリスを殺したんはアンタなんか。ルノとジジとジャンヌちゃんにあんな思いさせたんは、アンタやったんか。

 オレはケイティを睨んだ。

「そうや、オレの大事な親友や。よぅ、オレの親友泣かしてくれたな」

 ケイティは後退った。

 戸惑いながらこっちを見つめ、言葉を選んでる。何て返事してええんか、分からへんねやろ。いちいち殺した相手の事なんか覚えてへんって? そりゃそうやろな。工作員なんてそんなもんや。

「何を知りすぎたら殺されんねん。二人が一体何をしたって言うねん?」

 今度はランボルギーニが答えた。

「闇オークションのサイトの事だ。計画を知られたから殺せと命じた。でも、いい拾い物をしたよ。ジジはとても腕が良くて、物分かりのいい子だ。よく働いてくれたよ」

「ジジを脅したんやろ? ルノの事で嘘までついて、ジャンヌちゃんをダシに、ジジを脅したんやろ? アンタはいつだってそうや」

「よく分かってるじゃないか」

 ランボルギーニは笑った。そして机の上で腕を組んだ。少しこっちを舐めた目で見つめる。

「その通り。やっぱりお前は頭がいいな、ダンテ。その通りだ」

 はらわたが煮えくり返る。めちゃくちゃに叫んで、怒鳴り散らして、その薄くなった髪の毛引っこ抜いてやりたい。この人間の皮かぶった悪魔をぶちのめしてたい。

「落ち着け、ダンテ。何もするな。待つんだ」

 ジェームスの声で、オレはぐっと堪えた。落ち着くんやと、自分に言い聞かせて深呼吸した。今はその時やない。鉄拳制裁はこの後や。今は情報が必要や。

「知りたい事はそれだけか? それとも怖くて何も言えないか?」

 ランボルギーニが笑った。

「ここのファイヤーウォール組んだやつ、オスカーって言うんやろ?」

 オレは尋ねた。

「ええシステム構築の出来る、天才やんか。なんでそいつは辞めたんや? アンタら、一体どんな嫌がらせしたんや?」

「あの子は幹部役員だ、ダンテ。嫌がらせどころか、ゴマすってたよ」

「ならなんで辞めた?」

「困った事にね、彼の兄がオスカーを連れて行ってしまったよ。そのまま戻ってこなかった」

 ランボルギーニはわざとらしく、ため息をついた。

「全く、何がトレジャーハンターだ。営業妨害だよ」

 やっぱりそうか。ルノのいとこの双子や。ルノが喧嘩したっていう、美人のオナベの子。その子達が連れ出したんや。

 オレは深呼吸をすると、冷静に考えた。今必要な情報は、人身売買の確固たる証拠や。

「それだけ聞けば十分や」

 視線をそらして下を向き、そのまま尋ねる。

「システムの構築のために教えて。その商品は、一体どこから連れて来るん?」

「貧しい国の人達は、ほんの少しの金のために臓器も子供も、簡単に売ってくれるんだ。知ってるか? 中国の子供は一人たったの百万円だ」

 ランボルギーニの言葉に、オレはぐっと拳を握って耐える。

「腎臓なんて、たったの八万円だ。安いもんだろう?」

「中国だけなん?」

「いいや、キューバやタイ、ベトナム、どこの国でも売ってくれるものだ」

 聞くに堪えん。

 売られて、オレみたいにタダ働きさせられた子どもが、一体どんなにいてるんか。一体どんな思いで我慢してんのか。考えただけで胸が痛い。ランボルギーニは十年前からなんにも変わってへん。人権なんて言葉も知らん、最低の奴や。

 怒鳴るな、怒鳴ったらあかん。

 オレは必死で深呼吸を繰り返した。

 でも涙が止まらんねん。

 足についてる足枷のGPSの重さも、真っ暗のまま開かへんドアも、窓すらない狭い個室でしたいろんな仕事も、今でもオレを痛めつける。開かへんドアがどんなに怖いか。行くあてもないオレが感じた、あの閉塞感。

 今でも怖い。支部の、開かへん仮眠室が、オレは怖い。

 止めやんなあかんって、思った。

 これ以上、オレみたいな思いする子どもを作ったらあかん。これ以上、泣かされんのはオレだけで十分や。

「そう言えば、お前もだったな。ダンテ」

 ランボルギーニはそう笑った。

「また、たくさん働いてもらおう。今度は守ってくれるジェームスのいない、狭い個室でしっかり働いてもらうよ」

 ヴィヴィアンの声がする。

「ダンテ。大丈夫、大丈夫や」

「証拠は十分だ。ダンテ、そこを出ろ」

 ジェームスの声に、オレは顔を上げた。

「なら最後に、空をおがましてくれる? 次はないんやろ?」

 オレはランボルギーニに言うた。涙を拭って、深呼吸をすると、顔を上げた。

 ランボルギーニはケイティに連れていけと囁くと、それはもう最高に楽しそうに笑った。

 ケイティがオレの腕を掴んで引っ張る。

 オレはゆっくり立ち上がった。

 少し下を見た時やった、ミランダが叫んだ。

「ケイティさん、耳!」

 マズイ。バレた。

 ランボルギーニがパソコンを床に叩きつけた。ジェームスの声が止まった。回線が切れたんや。潰れたんやなって、分かった。

 右の耳からヘッドセットをむしり取ると、ケイティはそれを床に捨てて踏み潰す。ガリガリ音を立てたけど、そんなんもう気にはならんかった。

 オレは笑った。

「もう遅いわ、ランボルギーニ」

「お前」

「今頃、ランボルギーニの演説、YouTubeで流れてんで。消しても無駄、ウィキリークスとニコ動、デイリーモーションとかヴィオにも流した」

 オレはランボルギーニを見つめた。

「知ってるか? インターネットに一度流れたデータは、どうやったって完全に消し去る事は出来ひんねん。ゲイト社の計画は、世界に流れた」

 オレは監視カメラの方を向いた。あれはまだ動いてる筈や。ジェームスに合言葉を送らんななぁ。

「ジャックポット」

 ランボルギーニにオレは言うた。

 途端に、警報が鳴り響く。

 ケイティが辺りを見回したスキに、オレはその肩を突き飛ばして、ドアまで走った。ドアに体当たりして開けると、そのまま大理石の床を蹴る。空砲のマシンガンを振り回す、ジェームスとヴィヴィアンが怒鳴ってるのが見えた。

 オレは迷わず、ジェームスに飛びついた。

 両手でオレを抱きしめて、ジェームスが囁く。警報にかき消されそうな小さい声やったけど、確かに聞こえた。

「ドゥシャン・ポポヴ」

「ジャックポットや、ジェームス」

 オレはそう答えて振り向いた。

 ケイティとミランダがこっちを睨んでる。真っ赤になったランボルギーニが怒鳴る。

「ジェームス!」

 ジェームスは優しい声で返した。

「お前を殺すために来た」

 そしてマシンガンを向けて、にこっと微笑んだ。

「じゃあな、ランボルギーニ」

 ジェームスはそう笑うと、オレを抱えて走った。ヴィヴィアンがミランダを蹴り飛ばすのが見える。

 ケイティが叫んだ。

「煖」

 オレは叫び返した。

「煖はずっと昔に死んだ。オレは谷口暖、ダンテや。さよなら、おかん」

 オレにしては出来たんちゃう?

 ひらひら揺れる赤いコートで視界が真っ赤に染まった次の瞬間には、パリの街に出た。そのまま勢いよくバンに滑りこむと、ヴィヴィアンがバンに足をかけ、てすりを握って怒鳴った。

「出して」

 そのまま片手でマシンガンを向け、引き金を引いた。空砲とはいえ、実弾と同じように銃声が響く。ヴィヴィアンはまためちゃくちゃ引き金を引いたまま放さへんから、うるさくてかなわんで。

 後ろの席には耳を塞いで、ヴィヴィアンを見ているジジがいる。膝にパソコンを乗せて、ため息をつく。

 やっぱり兄弟やな。その肩の揺れ方はルノにそっくりや。

 そのまましばらくしてから、ようやくヴィヴィアンは体を車に押し込んで、ドアを閉めた。オレはジェームスの下から、ヴィヴィアンを見上げた。

「お守り、効いたみたい」

 そしたら、ヴィヴィアンはオレとジェームスに飛びついた。重い。ちょっと、二人とも、オレの事を圧死させるつもりなん?

「よかった、ホンマによかった」

 ヴィヴィアンは泣いとった。

「ただいま。ジェームス、ヴィヴィアン」

 今度はオレが、いつもの二人のセリフを言うた。

 二人は答えた。

「おかえり」


 その日、オレは初めてシャンパンを飲んだ。

 甘くて美味しい。しゅわしゅわして、ジュースみたいやけど、喉が熱くなる。オレは一杯をゆっくり飲んだけど、それ以上飲める気がせんくって、あとはずっと炭酸水を飲んでた。

 一人で三本も飲んで、へべれけになってるルノが、ジャンヌちゃんとジャメルさんに怒られてる。

 右隣りでがっつり肉に食らいついてるジェームスが、ルノと同じくへべれけのヴィヴィアンに水を押し付けた。

「おい、飲みすぎ」

「ええやん。今日だけや」

 ヴィヴィアンはふにゃふにゃした顔で、そう答えると、テーブルに突っ伏す。そのまま嬉しそうに笑った。

 ゆりちゃんが楽しそうにジジと喋ってる。大人な二人は優雅にシャンパンを飲みながら、なんの話してんのか分からへんけど、にこにこしていた。

 テレビでニュースが流れてる。ゆりちゃんがジャンヌちゃんと作った動画が流れてる。字幕はフランス語に差し替えられてたけど、上手に編集してくれたおかげでオレの顔は映ってへんし、声も編集されてる。

 食堂にはブノアファミリーのいろんな人がいて、すっごくにぎやかや。

 オレはぼんやりテレビを見ながら、甘い焼きプリンを食べた。もう三つ目やけど、美味しいから飽きひん。

 ルノが歩いてきて、オレの隣りに座った。酒臭い。そのままオレの肩に腕を回して、フランス語でなんか言うた。

 正面で話してたジジがため息をついた。

「なんて?」

 オレはジジに尋ねた。

「凄いやろ、俺やれば出来る子やねん」

 ジジはそう答えると、ルノが持ってたグラスにシャンパンを注いだ。

「そうなったらもうあかんから、潰した方が早いわ」

「飲ませすぎじゃないのか?」

「ええのええの。どうせ明日には忘れてるから」

 ジジは淡々とルノが飲み干すたんびに、グラスにシャンパンを注いだ。

 ぐでんぐでんのルノがもたれてきて重い。しかも酔っぱらってるからずっとフランス語でなんか言うてるし、ちょっとうるさい。

 ジャンヌちゃんがルノの隣りに座って、カッコ悪いやろ?ってオレを見るから、そうやねって返した。実際、目も当てられんほどカッコ悪いし。

 ジャメルさんはその点大人やなぁって思う。しっかりしてるし、ゆりちゃんのグラスにシャンパンを注いだりする。しかもめっちゃスマートにそれをするから、すっごくカッコいい。

 ゆりちゃんが、赤い顔でジジに言うた。

「もう飲めへんって言うて」

「いらんて言えばいいやん。ここはフランスやで? はっきり断らんななんぼでも飲まされんで」

「え? 悪いやん」

「その日本人ルール、ここじゃ通用せんから安心して。それにアイツら無理はさせへんから、一回断ればそれ以上飲ませへんよ」

 そうなんや。日本じゃあんまりはっきり断ると失礼になるやん。ならへんねんなぁ。

 ジジはオレを見る。

「ダンテ君は飲まへんの?」

「オレは一杯が限界みたい」

 すでに天井がぐらぐら揺れてるし。

「っていうか、プリン食べすぎやろ」

 ゆりちゃんが笑った。

「だって美味しいで、このプリン」

 ジェームスがオレを肘で小突いた。

「ダンテは昔っからおじゃる丸だもんな」

「え? なにそれ」

「クラリスとヴィヴィアンは、陰でおじゃる丸って呼んでたぞ」

 あの二人らしいと言えばらしい。オレ、一日三回はプリン休憩してるし。でも、小さいかもしれへんけど、流石にオレは洗面器でお風呂に入れへんわ。それに全然雅なお子様ちゃうし。

 ジャンヌちゃんが笑った。

「まろまゆにしようや。絶対おもろいやん」

「何の嫌がらせ?」

「似合うと思うで」

 ジャンヌちゃんって、一体どんなけアニメ見てるんやろ。詳しすぎひん? 目の前で茫然としてるジジのが、常識人に見える。

 ルノが笑った。

「じゃあ俺、びんちゃんがいい」

「なにそれ?」

 オレはルノに尋ねた。

「びんぼうがみのびんちゃんに決まってるやろ?」

 何気にルノもこういう所は詳しいよな。なんでそんな事知ってんの? オレ、そんなキャラ知らんで。

 ルノは楽しそうに歌う。

「あ~るひるさがり~♪」

 オレはジャンヌちゃんに尋ねた。

「なにこれ?」

「びんちゃんの歌」

 ルノはものともせんと歌ってる。

「こーとりはさえずりぃ、はなはぁ~まどろみぃ~♪」

 ジャメルさんがルノの頭を叩いた。

 フランス語でルノに説教してる。

 ジャンヌちゃんが同時通訳してくれた。

「音痴、黙ってろよ。酒がマズくなる」

 ルノはジャメルさんに言い返した。

「何すんねん、人が気持ちよく歌ってんのに」

 ジャンヌちゃんは半笑いで、それでも日本語に訳してくれた。

「ルノ、お前ちょっと飲みすぎだ。もうやめとけよ」

「このルノ様がこの程度で潰れると思ってんのか?」

「思ってるから言ってんだよ」

 ジェームスが尋ねる。

「ジャンヌちゃんは全部分かるのか?」

「うん、多分お兄ちゃんよりは日本語得意やで」

 心強い言葉やで。こんな飲んだくれのお兄ちゃんがおっても、マトモに育つもんなんやなぁ。オレはそれが不思議やった。

 ホンマにこんなんで朝、キャラ弁作ってたんやろか? っていうか、どんな出来やったんやろ。めちゃくちゃ気にならへん? オレとゆりちゃんに作ってくれたお弁当かて、相当な出来やったで。雑誌に載ってそうやったもん。

「どうやって覚えたんだ? 日本に来た事ないんじゃないのか?」

「ないよ。でもうちはアニメも見るし、お兄ちゃんとお姉ちゃんが家では日本語やったから、そんなにちゃんと勉強してへんなぁ」

 ジャンヌちゃんは笑って、オレンジジュースを飲む。

「あ、うち聞きたい事あってん」

「何?」

「シーンって、どんな音?」

 ジャンヌちゃんはそう言うと、ジジを見た。

「お姉ちゃんも知らんねやろ?」

「知らん」

 二人そろって、ジェームスを見る。

「え? それはほらあれだ」

 ジェームスは困った顔でこっちを見る。

「なんだっけ?」

「無音を表す擬音語や」

「じゃあざわざわは?」

「いろんな声が聞こえる感じ」

 オレはジャンヌちゃんに答えた。

「フランスにはないの?」

「ないかも。あんまり使わへんで」

 ジャンヌちゃんはそう言うて、まだ言い合いをしてるルノになんか言うた。ルノがこっちを見る。

「なんやて?」

「なんも言うてないで」

 ルノがぐらぐらしながら、グラスを置いた。

「俺の事、アホって言うたんやろ?」

「言うてへん、何言うてんの?」

 ジジが笑った。

「ルノ、ジャンヌにからかわれてんで」

「なんやて?」

「お兄ちゃんはマジでダメすぎる男。略してマダオやなぁ」

 ゆりちゃんがシャンパンを噴いた。

「ジャンヌちゃん、元ネタ知ってんの?」

「知ってるよ。長谷川さんやろ」

 もう、オレもついてかれへんねんけど。ゆりちゃんはめっちゃ笑いながら、ルノを見る。

「確かにマダオやわ」

「せやんなぁ!」

 楽しそうな二人に、ジジが尋ねる。

「なにそれ? 日本で流行ってんの?」

「流行ってはないかな。アニメの話」

「ふ~ん」

 ジジはアニメはみぃひんのかな? 絵を描くんやったら見てそうやのに。

 オレは四つめのプリンを引き寄せて、やかましい声を聞いた。ほとんど分からへんけど、凄い楽しい。こんなに楽しいのは久しぶりや。

 ルノがもたれてくる。

「ダンテ、褒めて」

「は?」

「俺、めっちゃ頑張ったやん。褒めて」

 散々みんなにけなされて、また落ち込んでんのかな? ルノは目を閉じて、少し眠そうにあくびをした。

「ルノ、凄かったよ」

「せやろ?」

「ルノがおらんかったら、オレきっと今頃、ゲイト社の地下でパソコン触ってたと思う」

「せやろ?」

 ジジが面倒くさそうに呟いた。

「なんもしてへんくせに」

 ルノがテーブルを叩いた。

「おいアンサロあばずれ女、ええ加減にせぇよ」

「ド阿呆、何ぬかしとんねん」

 ジャンヌちゃんがため息をついた。

 ジャメルさんとマフィアの人達が嬉しそうに笑う。これは翻訳なくても分かる。喧嘩か? やれやれ!って言うてんねやろ?

「こんな所で殴り合いは勘弁してや」

 ジャンヌちゃんは二人にそう言うと、無視してケーキを小皿に取った。苺のタルトや。美味しそうやなぁ。オレも一つ食べよかな。

 ジジは立ち上がると、こっちに回ってきた。それからヨレヨレのルノのグラスに、たっぷり赤ワインを注いだ。

「よぉけ飲んだ方の勝ちや」

「ざけんな、クソジジ。酔ってへんやろ、ズルや」

「天下のルノ様もその程度なん。ふ~ん」

 ジジはそう笑う。

 ルノがジジと喧嘩する理由、分かったかもしれへん。ジジ、人を怒らせんの、絶対得意やで。

 ルノはグラスを掴むとそれを飲み干した。

「バカにすんちゃうぞ」

 ジジは自分のグラスにワインを注いで、それを勢いよく飲み干した。それからルノを見下ろして、ニヤリと笑う。

 ルノ、絶対無理やって。ジジ、全然酔ってへんやん。今にも倒れそうなくせに、何やってんの?

 面白がって、ジャメルさんが二人のグラスにワインを注いだ。

「おいジャメル、ジジのが少ないで」

 完全に酔っぱらってるルノは、ジャメルさんに日本語で怒鳴る。ジャメルさんは困った顔でジャンヌちゃんを見た。

 ジャンヌちゃんはタルトを食べながら、フランス語で訳す。

 ジジにきけばええやんって思ったけど、よぅ見たらジジも視線がフラフラして定まってへん。割と酔ってる?

 面倒な兄弟喧嘩を見ながら、ジェームスはチキンにかぶりついた。

「ジャンヌちゃん、苦労してるな」

「そう思うんやったらどっちか片方、貰ってくれへん?」

「いや、ちょっとこの二人は手に負えないな」

 オレはプリンを味わいながら言うた。

「ルノやったら、弟にしてもええなぁ」

「お前、絶対いじめられるぞ」

 酷いなぁ。そんな事ないと思うんやけどなぁ。ルノと喧嘩した事、まだないし。

 そしたらずっと黙ってたヴィヴィアンが笑った。

「うち、そんなに面倒見られへんわ。ダンテが限界」

 ジェームスが頷いた。

「言えてる」

 酷くない? オレ、そんなに面倒? ルノよりずっと大人やない? 面倒なんか起こさへんし、超大人やん。

「どこが?」

「全部」

 ジェームスはそう答えると、骨を置いて、ナプキンで手を拭いた。

「ダンテは放っておくと、どこの機密情報盗んでくるか分かったもんじゃない。それに黙ってたらカップラーメンしか食べないし、世間知らずで電車にも乗れないだろ?」

「そんな事ない。フランスまで来たやん」

「どうせゆりちゃんに引きずられて来たんだろ? お前、イコカも持ってないし」

「だって電車乗らへんねんもん」

「絶対、支部からUSJまで行けない。断言出来る」

 ジェームスはそう言うと、シャンパンをすすった。

「行けるよ。帰ったら行ったる」

「行けるもんなら行ってみろよ。絶対途中で、半泣きで電話してくるのが見える」

「そんな事せぇへん」

「いや、絶対する。まず、切符買えないと思う」

「日本語通じるやん。それにオレにはグーグル先生がついてる!」

「買えても絶対、西九条で乗り換え出来ない」

 ヴィヴィアンが起き上がって、笑った。

「それな! 絶対無理やわ。っていうか、環状線のホームにまず辿り着かれへんと思うで」

「そんな事ない、行けるってば」

 ゆりちゃんがまた笑った。

「いや、無理やでダンテ。大阪駅は毎日使ってる人でも迷うんやから」

 酷い。オレ、そんなふうに見えんの? しょっちゅうヨドバシまで行ってるんやで? 迷わへんもん。

 ヴィヴィアンが笑いながら、ジェームスに言うた。

「ダーリン、うち大阪駅で迷子に賭けるわ」

「何を?」

「道頓堀のまったりプリン」

「よし、なら切符買えないにまったりプリン賭ける」

 ゆりちゃんが笑いながら、じゃあ大穴やなって呟いた。

「意外と簡単に環状線には乗れたけど、西九条で乗り換え出来ないにまったりプリン賭けるわ」

 いや、誰も辿り着くに賭けてくれへんとか酷くない? 選択肢、少なすぎひん? その分岐、おかしい。

「誰か着くに賭けてぇや」

 オレがそう言うと、ジャンヌちゃんが嬉しそうに手を上げた。

「じゃあジャンヌが、着くに賭ける。うち、そのまったりプリン知らんけど」

 ジャンヌちゃん優しいなぁ。ちょっと嬉しいわ。

「多分負けるから、まったりプリンはお兄ちゃんが買ってきます」

「え? それ酷い」

「だってダンテ、絶対無理やと思うんやもん」

「なんで?」

「あんな複雑な路線図、まず解読出来ひんと思う。そもそもパリの地下鉄でルーブルも無理やと思う。ダンテ、そういう所は頼んないもん」

「酷い! じゃあオレ、明日ルーブルまで一人で行く」

 オレがそう言うと、勢いよくジェームスが手を上げた。

「絶対無理にワイン一本」

「え、ズルい。うちも無理に賭ける」

 ジャンヌちゃんはむすっとする。

 ヴィヴィアンが笑った。

「じゃあうちは行けたけど、モナ・リザに辿り着けないにワイン一本」

「え、そうなん?」

 ゆりちゃんがそう言うて、ヴィヴィアンを見た。

「あんな複雑で広い美術館、絶対無理」

「じゃあうちもそっちに賭ける」

 みんな、オレの事そんなに信用してないとか、流石に落ち込むわ。

 オレはルノにもたれて、五つめのプリンをやけ食いした。


 オレはルノと駅まで歩いた。

 二日酔いで気分悪そうなルノが、ちんたら後ろを歩いてる。

 言ったからには、絶対ルーブル美術館まで行ったんねん。ちゃんと日本語の路線図をダウンロードしたし、秘密兵器の通訳アプリも入ってる。

 ルノはジジに負けたから、審判についてきてる。ジジにこれでもかと、絶対口出しせん事を約束させられて、嫌がりながらもついてきてくれた。

 ゆりちゃんはみんなで、ジャメルさんの運転する車で先にルーブルまで行ってもた。

 バラの咲く、広い土地を見ながら歩くのは楽しい。

 ルノはそんなん全く見てへんけど。

「ダンテ、待ってぇや」

 ルノがオレを呼んだ。

 ルノは耳にヘッドセットをつけてる。オレのパクイプを使って、わざわざジェームスに声が届くようにしてんねん。酷くない? ちなみにオレはつけてない。公平を期すためなんやって。

「もう無理、吐きそう」

「飲みすぎやねん。何やってんの?」

「あのクソジジ、アンサロあばずれ女、大っ嫌いや」

 ルノが喚きながら、座り込んだ。

 オレはリュックからペットボトルを出すと、ルノに渡した。

「もう嫌や。俺、コタツに帰る」

「今、夏やで」

「嫌や、コタツでぬくぬくすんの」

 ルノは意味不明な事を言いながら、水をがぶ飲みする。珍しくだらしない、しわくちゃのシャツに、ズボンにサンダル。頭はぐちゃぐちゃ。顔色は最悪。きれいな金髪も、こうなるとどうしようもないな。

「もう絶対酒やめる」

 ルノはそう呟くと、こっちを見た。

「ダンテ、タクシー呼ぼうや」

「絶対呼ばへん。オレ、ちゃんとモナ・リザ見に行くんや」

「あんなもん見てどないすんねん。あんな小さい絵、何がそんなにおもろいねん」

「おもろいとか関係ないんや。オレは行くって決めたの!」

 オレはルノの腕を引っ張った。

 ルノはどうにか立ち上がるとゆっくりついてくる。

 通りでジャメルさんが、オレにビニール袋を何枚も持たせる訳や。よぅ分かってはる。

 オレは一枚目のビニール袋をルノに持たせると、ようやく見えてきた駅まで歩いた。ポカポカして、いい気持ちや。風はバラの匂い

がするし、景色は最高。

 けんばいきって言うらしい。オレは機械の前で立ち止まると、早速iPhoneを出して駅員さんにモナ・リザを見せた。

「I want to go.」

 駅員さんはのんびり出てくると、タッチパネルをつついて、それからオレに手を出した。あ、お金やって気付いて、オレは渡されたがま口の財布から百ユーロのお札を渡した。

 ルノが後ろで文句を言う。

「俺、ナビゴ持ってんねんけど」

「何それ?」

「イコカのパリバージョンや。チケットとかいらんねんけど」

「それじゃあかんねん」

 オレはルノにそう返して、おつりとチケット二枚を貰った。メルシーってお礼を言って、それから改札を見る。

 確か、ルノはここに切符刺してたよな?

 オレは切符を一枚ルノに渡して、それからちょっとその改札を眺めた。多分、ここや。

 日本のと違うから、なんかよぅ分からへんけど、あってたみたいで、向こう側に切符が出てくる。オレは狭いそこを通り抜けた。

 ルノが報告を入れた。

「チケット買って、ちゃんと改札通ったで」

 それから当たり前みたいな顔をしたルノが、切符を入れて、するっとそこを抜けてこっちまで来た。

「電車来んで、次は?」

 ルノに言われて、オレはパリの文字を探した。それを見ながらどうにかこうにかホームまで歩いた。ちょうどパリまで行く電車が来た。オレはルノを引きずって電車に乗り込む。

 ルノがまた報告を入れた。

「ノール行きの電車に無事乗車」

 ルノは一番近くの椅子にどかっと座ると、ペットボトルの水を飲み干す。

 オレはルノの隣りの、窓の横に座った。

 リュックからもう一本出すと、それをルノに渡して、オレは自分の分の一本のキャップをひねった。ゆっくりそれを飲みながら、オレはリュックを確認する。

 リュックにはお昼ご飯にってヴィヴィアンの友達が作ってくれたサンドイッチが入ってる。カティアさんっていうんやって。今日、出発前にヴィヴィアンが教えてくれた。

 他にもパソコンと眼鏡が入ってるけど、今のところは必要ない。でも調べた限りじゃ、ここからパリまで二時間近くある。めっちゃ暇や。

 ルノに尋ねた。

「ジェームス達はもう着いたん?」

「まだやろ」

 ルノはそう答えて、目を閉じた。

「それより、ホンマに大丈夫なん?」

「何が?」

「フランスの電車は、日本みたいにいちいち駅名言わへんし、この電車は表示もないから外見てやんな、乗り過ごすで」

 マジか。フランス人は電車で寝ぇへんのかな? そんなんで降りれるん?

 オレはとりあえずタイマーをセットした。一時間半で鳴るようにして、それから腕時計を見た。あ、これ日本の時間のままや。

「今、何時?」

「ん~、十一時過ぎ」

 ルノは辛そうにそう答えて、唸り声をあげる。

「あーもー。クソジジ、アンサロあばずれ女。ジャメルもジャンヌも大嫌いや。もう嫌」

 オレはヴィヴィアンにもらった酔い止めを出して、ルノに渡した。

「飲める?」

「なんやこれ?」

「酔い止め」

 ルノはそれを飲み込むと、頭を抱えてうつむいた。

「頭痛い、気持ち悪い、最悪」

 う~ん。ルノは今日、もうどうしようもない感じするなぁ。無理ちゃうん。寝てた方がよかったんちゃうんかな? ルノが悪いんやで。意地張って行くとか言うから。大人しく寝てたらよかったのに。

 ジャメルさんにもらったチュッパチャップスを出して、ルノに一つ渡すと、オレはもう一つむいて口に入れた。

 プリン味。最高。チュッパチャップスはどこで食べても美味しいわ。

 人の少ない電車の車内で、ルノは頭をかきながら、うんうん唸ってる。チュッパチャップスとペットボトル握って、完全に病人やねんけど。ホンマに大丈夫なん? そもそもこのままパリまでもつん?

「あー、なんでこの俺がよりによって姉ちゃんに、飲みで負けんの? マジ最悪。あり得へん。もう嫌、死にたい」

 ルノが呟いた。

 そっちなんや。二日酔いでしんどいんじゃなくて、そっちで嫌なん?

「だってルノ、明らかへべれけやったのに、ジジの喧嘩受けたやん」

「あんなに煽られて、このルノ様には断るなんて真似出来ひん」

 ルノ様、そこは断ろうよ。誰もあんなへべれけの人にお酒で挑戦とか、絶対笑わへんって。むしろ、そっちのが潔くてカッコいいと思うで。言わんけど。

「くっそぉ、マジ悔しい」

 ルノはそう言いながら、乱暴にチュッパチャップスの包装を破くと、口に入れた。

「次こそは姉ちゃんをぎゃふんと言わせたんねん」

 ルノはそう言って、顔を上げた。ボッサボサの髪の毛をかいて、サンダルを脱ぐ。両手で前髪をまとめると、適当にゴムで結んで止める。

 はっきり言って、超カッコ悪い。

 これがホンマにルノかって、言われたら絶対誰も分かれへんと思う。超グロッキーな顔で、正直、危ない人にしか見えへんもん。

「じゃんけんとかにしたら?」

 オレはルノに提案した。

「じゃんけんやったら三分の一の確率で勝てるやん」

「嫌や。そんなんルノ様の沽券に関わる」

 ルノ様の沽券ってどんなんや。絶対ペラペラやろ。コピー用紙より薄いわ。シングルのトイレットペーパーがええとこや。水かけたら溶けるレベルやと思う。

「じゃあどんなんで勝負するん?」

「そりゃぶちのめしたいけど、無理やん。くっそぉ、素面やったら絶対負けへんのに」

「そうかなぁ。ジジも今朝、トイレで吐いとったで」

 今朝、ジジがゲーゲーやってるのを見たけど、あれはジジも相当参ってると思うで。

 兄弟そろってパジャマでボサボサ頭のまま出てきたやん。もうジャンヌちゃん、完全にあきれてルノとジジの事、ずっと無視してたやん。心配すらしてなかったで。

「勝った。俺まだ吐いてない」

「昨日、思いっきり吐いとったやんか」

「吐いてないって」

 ルノはホンマに全然覚えてへんねんなぁ。

 昨日、結局三杯目のワインを飲んだ後、一人でトイレに走っていって、ジジにめちゃくちゃバカにされとったん、もう忘れたんかな。覚えてへんねやったらええんやで。おめでたい脳ミソで羨ましいわ。

「でも負けとったやん」

「ダンテ、慰めてぇや。傷に塩ぬって楽しいか?」

 マジでめっちゃ面倒くさいんやけど。

 ルノって、いっつもこんなんやったん? そうやとしたらジャンヌちゃんにホンマに同情する。ジジはあんなんやし、ルノはこんなんやし、絶対苦労しまくってるやろ。

「しゃーないやん。ジジはズル賢いタイプなんやろ。分かってんねんから、賢く立ち回ったらええやん」

「それが出来るんやったら、俺、こんなに毎回泣かされてへん」

 毎回泣いとったんかい。

 そりゃジャンヌちゃんがあきれるのも無理ないわ。学習しようや。どうやったら勝てんのか考えようや。

「じゃあババ抜きとかポーカーは?」

「勝った事ない。ジャンヌにもこてんぱんにやられたわ」

 顔に出るんやろなぁ。そんな気がするわ。ルノ、嘘つくんが下手やもん。いい意味で正直でええと思うんやけど、ジャンヌちゃんに負かされるとか、もう勝てる要素ゼロやない?

「じゃあジジ抜きにしたら? ジジ抜きやったらどれか分からへんやん」

 ルノがこっちを見た。

「ジジを抜くん? 何そのゲーム。姉ちゃんボコれんの?」

「ちゃうって。最初に裏返したトランプから一枚抜いてババ抜きすんねん。どれがジジか分からへんから、顔に出しようがないやろ?」

 ルノがふんふんと頷く。

「それええなぁ。でもそれ、運の要素強くない?」

「でもじゃんけんより確率高いで」

「いや、それはルノ様のプライドが許さんから却下」

 ルノ様のプライド、マジウザいな。

 ぺらっぺらのそのプライド、丸めてトイレに流せばええのに。どうせ十センチもないんやろ? トイレも詰まらへんわ。

「じゃあチェスは?」

「ルール知らん」

 ルノもジジも攻撃しかしなさそうやから、ちょっと考えたら簡単に勝てそうやのに。もったいない。ジャンヌちゃん、無双しそうやな。

「なんやったらええん?」

「カッコええやつや」

 ルノはドヤ顔でそう答えた。

「例えば?」

「チェスもええけど、飲み比べとか、殴り合いとか、格ゲとか」

 きいたオレがアホやった。

 ルノ、それトランプでも大差ないやろ? っていうか、フルボッコにされてる方がよっぽどカッコ悪いで。

「じゃあカラオケは?」

 昨日の歌、聞いてる限り、勝ち目なさそうやけど。でも兄弟って事を考慮すると、ジジも音痴な可能性高いし、勝ち目はある。

「それ、どうやって勝負すんの?」

「採点出来るやん。点数で分かる」

 ルノが嬉しそうに笑った。

「それや! それにするわ」

 ルノ様のプライドって一体どんなんやねん。もう全然カッコいい要素ないやろ。音痴さらして、しょうみ、相当カッコ悪いと思う。

 でもルノは嬉しそうにしてる。

 ニコニコしながら、よし、何歌おうとか言うてる。知らんで、オレ。ルノが笑われても、オレはなんも知らんから。

「日本に戻ったらまずはカラオケ行こう。姉ちゃんをぎゃふんと言わせたる」

「ジジは歌えるん?」

「超音痴」

 やっぱり兄弟やと思うわ。ルノとジジ。

 オレは笑いながら、二人が並んでる所を思い出した。

 ちっとも似てへんけど、しぐさとか、言葉遣いとかは、ホンマによぅ似てる。二人ともどっか抜けてるし、どうしようもないところとか、どっこいどっこいや。日本語が分かる分、ジジのがちょっと凄く見えるけど、一緒におるとルノの方がなんでも出来て凄いと思う。

 でも二人とも大人げないし、喧嘩してばっかりやし、ホンマにどうしようもない兄弟や

と思う。ジャンヌちゃんがマトモなんは、この二人が反面教師なんやと思うな。

 そんなオレの考えを知ってかしらんけど、ルノは鼻歌を歌う。最早、原曲が分からんレベル。ルノ、人の事言えるレベルやないで。

 少し顔色の良くなったルノは、ルーブル美術館の話をしてくれた。

 オレが知ってるのは、そこにモナ・リザがある事くらいやけど、ミロのヴィーナスとかサモトラケのニケとか、有名なものがいっぱいあるらしい。あと、ガラスのピラミッド。

 向かいのオルセーには、ルノワールの有名な絵画、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会もあるんやって。

 その絵、どんなんか知らんけど。

 オレはルノの話を聞きながら、うんうんと相槌をうった。機嫌よく喋ってるし、このままにしとこうと思ったら、正面の連結部からきれいな女の子が入ってきた。

 見覚えがある。確か、ルノが見せてくれた写真の女の子や。エライ派手な集団でぞろぞろ日本語を話しながら入ってきて、ルノを見るなり叫ぶ。

「ルノ!」

 ルノがそっちを見て、あ、って呟いた。

「ルノじゃねぇか、なんでフランスにいるんだよ?」

 金髪の女の子が低い声で言うた。

「好きでおるんちゃうわ、太陽。やかましいねん。二日酔いに響くやろ?」

 一番後ろにおった、赤い髪の双子がこっちを見てる。ルノには似てへんけど、どう見たってアジア系やない。この二人やって、オレはすぐに気づいた。

「確か、ルノの親戚の」

 そしたら二人がニコニコ笑いながら手を出した。そっくり。どっちがどっちなんやろ。ルノは見分けつくんかな?

 右におった方が優しい声で言うた。

「はじめまして、サムです。こっちはオスカー」

 オレは左側の方を見た。

 サムよりちょっと大人びた服を着てる。

 オレははじめましてと答えて、サムの手を握った。真っ白。ルノよりずっと真っ白。

「あの、失礼だとは思うんですけど、もしかして、ゲイト社のファイヤーウォールの構築、されませんでしたか?」

 オスカーはこっちを見るなり、目を見開いて嬉しそうに笑った。

「そうそれ、俺の自信作!」

 そうやと思った。

「ダンテです。ホワイトハッカーやってます」

 オレはそう挨拶をすると、オスカーに尋ねた。

「いつ、あれを構築したんですか?」

「え? もうずっと前だよ。どうして知ってるの?」

 オスカーはオレの前に座ると、不思議そうにオレを見つめた。

「オスカー、ニュース見てないの? 昨日ウィキリークスにゲイト社の記事が掲載されて、めちゃくちゃ問題になってたじゃん」

 サムはそう言って、オスカーを見下ろした。

「え? じゃあ、あの動画撮ったのダンテなの?」

「はい」

「だってオレのファイヤーウォール、そう簡単にはクラック出来ないでしょ? 一体どうやって?」

「ファイヤーウォールは確かに完璧でした。オレには破れなかったけど、ユーザはバカです。パスワード、初期値の奴がわんさかいました」

「もう、あれだけ注意したのに、本当に分かってないなぁ」

 オスカーはそう呟いて笑った。

「まさかあのクラッカーに会えるとは思わなかった。ダンテ、凄いよね」

「ありがとう。会えて、本当に嬉しいです」

 オレはオスカーに手を出して、握手した。凄く大きい手で力強く握るから、ちょっとびっくりした。

「なになに? ルノのダチか?」

 金髪の女の子がルノに尋ねる。

「だったらなんや。太陽、お前ちょっと黙っとれや。マジ頭痛いんやけど」

 ルノはめちゃくちゃ不機嫌になった。むすっとして、ぷいっとそっぽを向く。噂の太陽ちゃんははははっと笑って、オレンジの頭の男の人に話しかける。

「おい輝、あのルノ様が二日酔いだってよ」

「飲みすぎじゃねぇの。大人げねぇな」

「輝、人の事言えないでしょ?」

 サムに笑われるその人は、凄く優しそうな顔をしてた。一緒にいる黒髪の女の子は凄く楽しそうや。

「本当そうよ。輝も太陽も人の事、言えないでしょ? 飲めないんだから」

「でもオレ、そんなんなるほど飲まねぇもん。ルノと一緒にすんじゃねぇよ、零」

「ほらほら、三人は向こうで座ってて。またルノとケンカされちゃたまったもんじゃないよ」

 サムがそう言って三人を促すと、三人はワーワー言いながらも少し離れた席に座った。サムはオスカーの隣りに座って、こっちを見る。

「ダンテさんはなんでフランスに?」

「いろいろあって」

「パリまでまだ一時間以上あるよ。話して」

 オスカーが楽しそうにオレを見る。

「どうしてウィキリークスにあんな記事載せたの? っていうか、ダンテただのハッカーじゃないよね?」

「やっかましいなぁ。ダンテは凄いんや。オスカーの何倍もヤバい」

 ルノが二人に答えた。

 いや、ヤバくないと思うで。

「それってどれくらい?」

「ICPOに国際指名手配されるくらいや」

 ドヤ顔で言うルノに、オレはやめてって言うた。けど、ルノは黙らへん。

「俺のダチ、凄いやろ?」

 オスカーはあんまり驚きもせんと、少し困った顔をした。

「インターポールだったら、俺も指名手配されてたよ」

「はあ?」

「ゲイト社だって、アレ、賢治の出資してる会社だもん。俺、割と無茶やって、一回は捕まったんだよ? ルノ、聞いてないの?」

「オスカーが死んだって話やったら聞いたわ」

「本当に死んだし、嘘じゃないけどさ、いとこが何やってるのかくらい把握しといてくれる?」

「知るか。そっちこそ、葬式にも来んかったやんか」

「あの時俺達、台湾で仕事してて、連絡来たのは終わってからだったんだもん。俺、ルノほど暇人じゃないんだよね」

 オスカーがそう笑うと、ルノが真っ赤な顔して立ち上がった。

「おいダンテ、言い返せ」

「なんでオレが?」

 ルノが唸り声をあげる。なんか言いたいんやろけど、日本語が出て来んのかな。めちゃ悔しそう。

「ダンテさ、ルノなんかとつるまない方がいいよ」

 オスカーはオレに言うた。

「え?」

「低能が移るよ。せっかくのクラッキングの腕が鈍っちゃうよ」

 オレはちょっと不思議に思った。

 なんでこんなにルノは見下されてるんやろ? 一体何をしたらこうなるん?

 ルノは一人でぷりぷり怒ってる。

「誰が低能や。今に見てろオスカー、このルノ様がプログラマーなって、フルボッコにしたるからな」

「無理じゃない? どうせ配列で行き詰って、ダンテに泣きついたんでしょ? ルノに出来るとは思えないよ」

 オスカーって、やっぱり頭良さそう。なんで分かんの?

 図星を突かれて、ルノがへなへなと座り込む。ちょっと可哀想やけど、事実や。ガリっとルノがチュッパチャップスを噛み砕く音がした。

 でも、オレはオスカーに言うた。

「ルノはオレの親友です。なんでそんな事、言うんですか?」

「ジャンキーだよ? つるんだらロクな事にならないよ」

「でもオレにいろんな事、教えてくれたのはルノやし、料理も掃除も洗濯も出来て、なんだって出来るやないですか。ルノはオレよりずっと強くて、なんでも出来て、ちょっとアホやしロクデナシやけど、オレは尊敬してます」

 オスカーは驚いた様子で、サムに尋ねた。

「ダンテ、目が悪いんじゃないかな?」

「ちょっとオスカー、いくらなんでも二人に失礼だよ。ルノだっていい所あると思うよ。料理とか」

 ルノが満面の笑みでオスカーに言い返す。

「ほれ見ぃ。ダンテは俺の事分かってんの。オスカーなんかの数倍凄いんや。分かったか?」

「凄いと思うけど、それ、一体何を根拠に言ってるの? ルノ、ちょっとは考えてるんだよね?」

「ダンテは天才なんや! このルノ様がよぅ知っとるんや」

「はあ? なにその、めちゃくちゃ信用ない基準」

 黙ってたけど、我慢の限界やった。

 オレはルノに背中を向けると、声を殺して笑た。流石、ルノ基準。いやもう、オレ、逆にルノの事、凄いと思うわ。どっから出てくるん、その自信。

「ちょぉ、なんでわろてんねん。ダンテ、味方ちゃうんか?」

「味方やけど、そのルノコードの標準がすでに普通やないの分かってる?」

「ルノコードって何?」

「アスキーとか、シフトジスとか、文字コードあるでしょ?」

 オレは笑いを堪えながら、どうにかこうにか答えた。

「ルノが基準の文字コードがあったら、ルノコードのエスケープシーケンスに、オレが入ってるらしいんですよ。ルノはダブルクォーテーションなんです」

 意味の分かってないサムの方が、オスカーを見る。

 一方思いっきり噴き出して、オスカーはお腹を抱えて笑う。

「なにその文字コード、ヤバい」

「ねえオスカー、それ何?」

「サム、常識だよ? 知らないの? 文字化けの原因だよ?」

「はあ?」

 オスカーは苦しそうに椅子を叩きながら笑う。

「あー、もー、ルノコードいいね。俺、それ気に入った。俺もそのエスケープシーケンスに入れてよ、ルノ」

「嫌や」

「なんでルノはダブルクォーテーションなの?」

「トイレットペーパーはシングルよりダブルの方が高いからだそうです」

 オスカーがむせた。

 いや、でも気持ちめちゃ分かんで。だって、アホすぎるやろ? 理由。いくらなんでもトイレットペーパーはない。

 ルノがむすっとした顔で、サムに言うた。

「なあサム、お前の弟マジ最低やねんけど。どうにかせぇや」

「知ってる。俺がどうにかしてほしいよ、本当に」

 苦しそうなオスカーは、オレに言うた。

「よかった。アホないとこに、ちゃんとした友達が出来て安心した」

「ちょぉ、オスカー。お前どんなけ俺に失礼な事言うてんのか分かっとんのか? ボコんぞ」

「ちょっとルノ。俺、褒めてるんだよ?」

「どこが?」

「あの超ロクデナシの、女の子に暴力振るうジャンキーが、プログラムの勉強して、ハッカーの友達持って、ちゃんと文字コードの事を理解して、成長したなって思ってんだよ? 本当に凄いよ」

 全然褒めてへんぞ。

 内心思いながら、オレはルノの肩を叩いた。

「よかったやん、ルノ」

「もっと褒めてぇや、崇め奉れ」

「いやいやルノ様、本当に凄いです。俺はそんないとこがいて、本当に本当に幸せです」

 オスカーは嘘が上手い。

 絶対、そんな事思ってへんやろに、神社でお祈りしてる時みたいな顔して、手を合わせるんやもん。おふざけとかやなくて、しっかりしてて、それだけで凄いと思う。

「なあルノ、一体いつ女の子殴ったん?」

 オレはルノに尋ねた。

 オスカーが笑った。

「太陽と会って一分でケンカして、体育館でボコられたんだよ」

「ルノ、負けそうになったんやっけ?」

「負けてへん。俺があんなんに負ける訳ないやろ?」

「いや、輝によると割とヤバかったって聞いたけど」

「あいつが止めなんだら、この俺が勝っとったんや」

 いやいや、殴ったらあかんやろ。相手、女の子やん。しかもあんな細い、小さい女の子と喧嘩したん? いくらなんでもそれは酷いわ。

「そもそも俺、太陽を殴ってへん。胸倉掴んでちょっと脅しただけやんか。しかも俺が謝ったやろ?」

 十分暴力やん。流石に引くわ。

「ルノ、大人げないで。それはないわ」

「大人もクソもあるか? 同い年やぞ」

「それでも女の子に手を出すのはあかんで」

 急にオスカーがオレの腕を引っ張った。

「それ、禁句」

「なんで?」

「太陽は女扱いされるの、本当にダメなんだよ。輝以外止めらんないから、それ禁句なの」

「なんでその輝くんは止めれるん?」

「そりゃ輝が太陽にベタ惚れだからに決まってるでしょ? 愛って偉大だよねぇ」

 オスカーはひそひそそう話しながら、まだこっちに気付いてない三人に目をやる。

「あの二人、絶対両思いだと思うんだけど、太陽はあんなんだからさ。絶対報われない恋だと思うんだよねぇ」

 確かに、太陽っていう金髪の女の子は、オレンジの頭の輝くんにだけ、べったりくっついて楽しそうや。傍から見てたら、ただいちゃついてるだけに見える。随分言動が男らしいけど。

「やっぱ、アイツ惚れてんの?」

 ルノが二人に尋ねた。

「あれはどう見たって惚れてるでしょ? 輝は認めないけど、あんなにイチャコラされたらたまんないよ? 二人でべったりくっついて寝るし」

 オスカーがひそひそっとルノに答えた。

「いやいや、太陽も相当輝に惚れてると思うよ。あれで付き合ってないとか信じらんないし」

 サムがくすくす笑った。

「あの二人、さっさとくっついちゃえばいいのにね」

「言えてる。太陽と対等に付き合えるの、輝だけなのにね」

 それからオスカーはオレを見た。

「ねぇダンテ。メアド教えてよ」


 オスカーといろんな話をした。

 仏頂面したルノとサムもずっとフランス語で話してたけど、あんまり楽しそうやなかった。なんの話してたんか、ちょっと聞きづらかったから聞いてへん。

 オレとオスカーはプログラムの組み方とか、構築、使う言語や今後の事、いろんなシステムの話をした。もちろん昔の事もきいてみたけど、話してくれへんかった。思い出したくないって言うてたから、オレもそれ以上は聞かんかった。オレかて、思い出したくない事あるもん。

 オレはC言語のが割と得意な方やけど、それでもこんなに話の合う人にあったのは初めてやと思うくらい、楽しかった。

 オスカーがルーブルさえ言えれば、迷わず行けるよって教えてくれたから、パリ北駅で降りて別れた。オスカーはみんなと、今日泊まるホテルまで行くんやって。仕事で明日からはオルセー美術館にいるんやって話してた。

 パリ北駅は広い駅やった。

 迷いながら、オレは電車を二回乗り継いで、どうにかルーブル美術館まで行ったけど、ルノがずっと面倒くさそうに報告を入れては、ぼんやりしてた。

 オレはどうにか駅を出た。

 そこはもうルーブル美術館の中で、いろんなお土産物屋さんとか喫茶店があって、平日やのに人でいっぱいやった。郵便局もあって、いろんな人がはがきを送ってた。

 ぼんやりしてたらルノに小突かれた。

「もう疲れたで、ダンテ。早よ、合流しようや」

 オレはルノに言われて、辺りを見回した。

 人の流れに沿って歩いて行くと、見た事がある所を見つけた。ダ・ヴィンチコードで有名な逆さのガラスのピラミッドがある広い所や。

 ずっと面倒くさそうに歩いてたルノの腕を引っ張って、オレはピラミッドの前まで走った。

 ひらけた広いホールには人がいっぱいおって、みんな写真を撮ってた。オレもルノにiPhoneを渡すと、撮ってってお願いして、それからピラミッドの前に跪いた。映画とおんなじ、お祈りのポーズをしてたら、ルノが呟いた。

「マジ、観光客丸出しやん」

「ええねん。一回やってみたかってん」

 それから振り向いたらちょうど入り口が目に入ってきた。思ったより並んでへんくって、チケットはすぐに買えた。

 ネットによるとドゥノン翼って方向の一階にモナ・リザがあるって書いてたから、オレは迷わずその方向に歩いた。

 ルノがぼやく。

「なあ、ダンテ。そっちでええん?」

 う~ん、間違ってない筈なんやけどなぁ。ルノがそう言うって事はなんか間違ってるって事やと思う。

 オレは辺りを見回した。

 地図があってれば、オレは今モナ・リザのすぐ近くにいてる筈。なんでやろ? おかしい。

 少し考えながら辺りを見回したら、目の前の階段にモナ・リザの文字を見つけた。おかしい。一回にある筈やのに、階段の上みたいや。

 オレは階段を上がって、辺りを見回す。人だかりになってる所がすぐに分かった。

 そこにジェームスが立ってるのが見えて、オレは走った。

「ジェームス!」

 ジェームスはすぐに俺に気付いて、こっちを見るとにこっと笑った。

「迷ったろ?」

「一階にある筈やないん?」

 ジェームスがニコニコしながら答えた。

「フランスは一階をグランドフロアって呼ぶ国なんだよ。だから日本じゃ二階だけど、ここは一階なんだ」

 ジェームスがそう笑いながら、ルノにありがとうと声をかけてから、ヘッドセットを外した。それから、人だかりの方向を指さして、あっちだ。行こうと笑った。

 モナ・リザっててっきりデッカイ絵なんやと思っててんけど、めちゃくちゃ小さい絵やった。ノートパソコンくらいの大きさやのに、防弾ガラスと警備員が立ってて、人だかりも凄い。もう、ほとんど見えへん。

 ホンマにあんなんが有名な絵なんかなって思うくらい。とりあえず拡大して写真を撮ってから、オレはその小さい絵を少し眺めた。

 ジェームスが楽しそうに笑った。

「面白いだろ? あんな小さい絵が、防弾ガラスで守られてるんだぞ」

「ホンマに価値があるん?」

「らしいぞ。ジジが話してたけど、忘れたなぁ」

 気付いたらルノがちょこんと、手すりにもたれてた。

「姉ちゃんの話長いやろ? 俺も聞かされたわ」

 オレはこんなもんなんやなぁって思いながら、ジェームスとその場を離れた。ちょうど廊下に出ると、ゆりが疲れ切った様子でベンチに座ってるのが見えた。ジジとジャンヌちゃんがジャメルさんと話しながら、楽しそうに笑ってる。そこで一番不安そうに座ってたヴィヴィアンがこっちに気付いて走ってきた。

「よかった」

「来れたよ」

 オレはそう答えて、ヴィヴィアンを見上げた。

 ジェームスと二人、ちょっと怪しそうな顔をしてたけど、ちゃんと来たんは事実やもん。事実や! ルノにきいたりせんかったもん。

 かなり迷って、人に聞きまくったけど、パリの人はみんなフランス語で答えるから大変やった。英語、分かる筈やのに、不親切やなぁって思った。

 離れたところでのんびりしているゆりちゃん達が、暇そうにしてる。ルノはそこに混ざって、ゆりちゃんに話しかけている。どうせオレが間違った英語でめちゃくちゃしてましたって内容やろけど、ええねん。ちゃんとモナ・リザまで来られたもん。

 オレはそれだけで嬉しかった。

 そのあと、ジジに案内してもらって、いろんな美術品を見たけど、思ってたほど感動せんかった。やっぱり写真で見る美術品ってきれいに撮ってあったり、画像処理してあったりして、本物って思ったほどやない事が多いんやなって思った。

 でもルーブル美術館は半日歩いただけでくたくたになるほど広くて、ジジにまだほとんど見てへんって怒られた時には、もう嫌になった。

 オレ、スライドショーでええわ。もう本物が見たいとか思わん。ネット上でいくらでもきれいな画像見られるし。

 お土産物屋さんを見ていた時、ジジがオレに言うた。

「せっかくやから、絵ハガキ送りぃや」

「なんで?」

「ルーブルでハガキを出すとな、ルーブルのハンコを押してくれるんやで」

 オレはそれを聞いて、早速、モナ・リザの絵ハガキを買ってきた。

 呆れ顔のルノに見送られながら、オレはジジと郵便局まで行った。それから絵ハガキにルーブル行ってきたって書いて、ジジの言う通り、Japanとだけ書いて、その下に日本語でそのまま住所を書いた。ホンマにこんなんで届くんかなと思いながら、オレはハガキを日本までとお願いして出した。

 目の前でルーブル美術館の丸いハンコを押してもらって、オレは満足して戻った。

 ジェームスとヴィヴィアンは楽しそうに、喫茶店におった。

 ルノはジャメルさんと並んで、楽しそうにゆりちゃんにいろんな話をしてるみたいやった。一緒にいてるジャンヌちゃんが通訳してるみたい。

 オレはジジにお礼を言うと、ジェームスとヴィヴィアンの所に行った。

「お待たせ」

「何やってたんだ?」

「内緒」

 オレはジェームスの隣りに座った。二人はオレの分の紅茶もちゃんと注文してて、楽しそうにこっちを見る。

「さっき日本の国務総省と連絡が取れてな、スタートリガー社はゲイト社から正式に独立して、元通り働ける事になったよ」

「ホンマ?」

「明日の飛行機が取れたから、明日には日本に帰ろう」

「帰れんの?」

「ああ、もちろん」

 オレはただただ嬉しくて笑った。

「ルノはどうなんの?」

「本人次第だけど、もちろんパリに戻る事も出来る。ただ、一度日本で手続きがあるから、明日一緒に戻るよ。ジジやジャンヌちゃんは残る事になるけど、後日、日本で事情を聴取する」

 じゃあ明日、ジャメルさんとジジやジャンヌちゃんとはお別れなんやな。それが少し寂しい。ジャメルさんとはまた会えるかな? またいろんな所に連れてってもらいたかったなぁ。

 ジェームスは呟いた。

「また来ればいい。ダンテ、お前は自由なんだ。好きな所に行けばいいんだよ」

「せやで。パスポートにいっぱいハンコを貰うんや」

 ヴィヴィアンはいつもとおんなじ優しい笑顔で、オレにそう言うた。

 自由。オレは縁がなかった言葉やけど、今はこんなに近くにある。どこにだっていける。オレは自由や。自由やねん。

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