16
ジジがウザい。
いや、姉ちゃんがマジでアンサロあばずれ女なのは昔っからなんやけど、これでもかとバカにされると流石に我慢にも限界が来る。
おまけに今日はジャンヌまで俺の事、バカにするんやで? 酷くない? お兄ちゃん、もうちょっと敬ってくれてもよくない?
イライラしながら、俺は台所に立ってた。
姉ちゃんがソファから言う。
「うち、今日は和食がええ」
「お味噌汁がいい」
ゲームに夢中のジャンヌがこっちを見もせんと言う。
目の前のカウンターでダンテがカタカタとパソコンとにらめっこをしてる。かれこれ三時間はぶっ続けでやってるけど、全く休憩もせぇへん。こんなけやかましい中で凄い集中力やと思う。
俺は包丁を握りながら、ため息をついた。
ジャメルは料理なんかするタイプちゃうもん。調味料は足りてへんし、箸どころか、皿もあれへんわ。かろうじてあったコンソメは昨日使い切ってもたし、当然この家に味噌なんかあれへん。醤油もないわ。
俺はジャメルにフランス語で声をかけた。
「なあ、調味料ないの?」
「ない。いるのがあるんなら買ってこさせるよ」
俺はじゃあと、コンソメとトマト缶、マカロニとチーズとローリエをお願いした。
ネット依存気味のジャメルはコントローラーを姉ちゃんに渡すと、ぱぱっとメッセージを誰かに送った。
マジうんざりや。なんで俺、パリで姉ちゃんに飯作ってるんやろ? マジないわ。もう嫌。せめて手伝おかっていう、ゆりくらいの気遣いあってもよくない?
俺は包丁とまな板を置くと、ダンテに尋ねた。
「なあ、これからどうするん?」
「とりあえず明後日、ジェームスと合流するけど、それまでにオレはデータをまとめたいし、ソフトのアップデートもしたいな」
「俺、マジで限界なんやけど、姉ちゃんどうにかしてぇや」
「え? ジジさん?」
「そうそれ。あのアンサロ女とおんなじ空気吸うのも嫌や。もう無理、俺、外に飲みに行きたいねんけど」
ダンテが困った顔をして、俺を見上げる。
「ごめんやで。せめて明後日まで我慢してくれへん?」
「無理」
俺はダンテに尋ねた。
「そんなに危ないん? ホンマに?」
「危ない。ホンマはバルコニーにも出んといてほしい」
ダンテはそう言うと、ラップトップを閉じた。
「オレはルノに悲しい思いしてほしくない。せやから我慢してくれへん?」
「無理なもんは無理」
俺は頭を抱えた。
日本におるよりマシって言い聞かせて我慢したけど、もう限界。姉ちゃん、マジでウザいんやもん。ジャンヌはともかく、姉ちゃんにだけはバカにされたくない。
ダンテが俺に言う。
「じゃあ、オレに美味しいワインの飲み方教えて」
「飲まれへんやん、ダンテ」
「ちょっとやったら飲めると思う」
俺はうなづくと、ワイングラスを二つ出して、甘口のキンキンに冷えたワインを出して、そこに注いだ。一つはがっつり。もう一つは三分の一くらい。そこにジャメルのカクテル用のトニックウォーターを混ぜると使いかけのレモンを絞って入れた。
俺はグラスとその甘口のワインのボトルを持って、ダンテを見た。
ダンテが立ち上がる。大きく伸びをして、二人でバルコニーに出た。ダンテはそのままバルコニーの床に座る。そのままポンポンと隣りを叩いて、座るように言う。
夜風が気持ちいい。
俺は大人しくダンテの隣りに座ると、グラスを渡した。
「フランス語で乾杯ってなんていうの?」
「サンテ」
俺はグラスをダンテに向ける。ダンテは嬉しそうにサンテと笑うと、グラスを当ててくる。
「美味しい」
ダンテは一口飲むと、そう笑った。
「よかった」
俺はグラスのワインを飲み干す。そのまま次の一杯を注いでたら、ダンテが言うた。
「今日はごめんな」
「なんで?」
「ジジさんに謝れとか、我慢してとか、いっぱい言うたやん。ルノもしんどいやんな」
ダンテはほとんどジュースのワインを舐めながら、部屋の姉ちゃんらの方を見る。
「まあ、しゃーないもんな。姉ちゃんに死なれんのは嫌やし」
俺はそう答えると、灰皿を引き寄せて、ポケットからゴロワーズを出すと一本咥えた。
「タバコ、平気やっけ?」
「ええよ。ヴィヴィアンとおんなじ匂いがするから、嫌いちゃうよ」
おいおい、ヴィヴィアン。思いっきりダンテにバレてるやん。全然禁煙出来てへんのちゃうか?
俺はタバコに火をつけて、思いっきりその煙を吸い込んだ。
「どうしたらルノは楽になる?」
「どうって?」
「ジェームスはストレス溜まると、お酒がぶ飲みすんねん。ヴィヴィアンは走りに行く。オレはどっちも出来ひんからゲームで遊ぶんやけど、ルノは?」
俺はちょっと考えた。
「マリファナかな」
「それはちょっと」
ダンテが困った顔をするから、俺は笑った。
「酒とタバコと美人の女」
「それ、演歌?」
ダンテにふざけてると思われてる? そんな演歌あんねんな。日本人の中にも、よぅ分かっとるやつ、いてるやん。聞いた事ないけど、そいつとやったら俺、友達になれる自信があるわ。
「いや、ガチな話。嫌になるとよく、ジャメルと二人でこの下のバーで飲んだくれて、女の子酔い潰して遊んでてん」
ダンテがめっちゃビビった顔をするから、面白くて笑った。
「そんなにビビる事ないやろ」
「いや、別世界やで」
「そうか? そうかも」
俺はグラスを小さく揺らした。それから、タバコを灰皿に置いた。グラスに口をつけて、少し飲み込む。甘ったるいワインや。女の子が好きそうな味してるで。もっと辛いやつ、飲みたいな。でもダンテはこれ以上辛いの、絶対飲まれへんやろな。
「うちにはおかんもおとんも帰ってけぇへんかったから、俺が全部やるしかなかってん。姉ちゃんあんなんやろ? ジャンヌは今よりずっと小さかったし、俺しか出来ひんかってん」
ダンテがうなづく。
「でも俺こんなんやん? アホやしケンカばっかりして、小学校あちこちクビになって、ジャメルと会うまで友達もおらんかった。けど、不良やってると楽しくて、気楽やってん」
「そうなん? 怖そうな人ばっかやん」
「ダンテも初めて喋った時、マジでビビってたやん」
「そうやっけ?」
「へったくそなフランス語でなんか言うとるし、警察からはおんなじ事何回も聞かれるし、俺もキレてたからな。けど、マジでビビってたやん」
俺は笑った。
画面越しに、ダンテがマジで固まってんの見た時には、こっちがビビったわ。俺、一言しか喋ってへんのに、あんなにがっちんごちんに固まんねんもん。
そういや、まだあれからたったの半年なんやなって思った。
この半年、ホンマにいろんな事があった。
しんどかったけど、でもダンテがおったから、俺はパリに帰ってこられたんやって思ってる。これはマジで。
ダンテはマジでええやつやと思う。
だって、自分は飲まれへんのに、俺のグチに付き合って一緒にワインを飲んでくれてる。わざわざ俺を探すために日本からはるばるパリまで来て、今も俺らのためになんかしてたんやもん。
ダンテが来てくれへんかったら、俺も姉ちゃんもジャンヌも、死んでたかもしれへん。
あんなんでも、俺の家族やねん。あんなくそったれなアンサロあばずれ女でも、姉ちゃんやねん。死んでほしくない。
ダンテは少し赤い顔をしながら、俺に言うた。
「オレ、ジャンヌちゃんがめっちゃ毒舌な事の方がビビったで」
「確かに!」
俺はグラスを床に置くと、タバコを咥えた。
「今日のジャンヌはちょっと酷いわ。いつももっとええ子なんやけど」
「オレ、なんであんなに懐かれたんかな?」
「さあ?」
楽しそうに遊んでるジャンヌを見て、俺は呟いた。
「ダンテがええやつやからやで。多分」
「なにその基準?」
「俺の基準」
ダンテは笑った。
「ルノはISOみたいやな」
「なにそれ?」
「国際規格やで。アスキーコードならぬ、ルノコードやな」
意味分からんくって、俺はダンテに尋ねた。
「それ、もしかして学校で習うやつ?」
「習うと思うわ」
うわ、マジで全く覚えてへんわ。ヤバいな、また姉ちゃんらにバカにされんで。ちゃんと勉強しよ。
ダンテは呟いた。
「ルノコードの基準で、オレがエスケープシーケンスやないんやったらええなぁ」
「ごめん、何言うてるか分からへん」
「え? 習ってへんかった?」
「習ってんのかもしれんけど、知らんやつやわ」
ダンテは少し考えてから、答えた。
「文字コードが違うとな、データは文字化けして読まれへんくなんねん。中でも特殊文字の改行とかをエスケープシーケンスっていうて普通には表現できひんやつがあんねん」
「改行?」
「そう。ルノ、今日組んでたプログラムで\nってちゃんと入力してたやん。あれ」
「あれ、そんな意味があったん?」
「それはちゃんと覚えようや、ルノ」
ダンテはニコニコしながら、俺に言うた。
「ルノは凄いと思うで」
「なんで?」
「だって、日本語で授業受けてるやん。それに、オレより年下やのになんでも出来て、オレから見たらルノはハーロックやで」
ダンテはまたグラスに口をつけて、ワインを舐める。
「ホンマにそう思う?」
「思う。オレはパソコンしか出来ひんから、尊敬する」
褒めんの上手いわ。思わずニヤついてまうわ。ゆりがこっちを見て、部屋を出てきた。
「何笑ってんの、ルノ」
「ゆりちゃんもこっち座って」
ダンテはまた自分の隣りをポンポンと叩いた。ゆりはそこに座ると、あぐらをかきながら、ダンテのグラスを見た。
「それ、何?」
「ワイン。ほとんどトニックウォーターやけど」
俺はそう答えると、タバコの煙を二人と反対側に吐き出した。
「ゆり、エスケープシーケンス知ってる?」
「知ってる」
凄いショック。やっぱり知らんの俺だけやった。
「あれやろ? 改行コードの事やろ?」
「それそれ」
ダンテが嬉しそうに笑った。
「ルノコードの規格では、オレ、エスケープシーケンスちゃうかなって話しててんけど、ゆりちゃんはどう思う?」
「ルノの規格やろ? うちですらエスケープシーケンスやと思うんやけど」
ゆりはそう返して笑った。
「ルノコードの普通ってジャメルさんやろ? 大抵の人間はエスケープシーケンスやと思うな」
「ゆりちゃんもやっぱりそう思う?」
「思う、けどダンテはもっと特殊文字列ちゃうん?」
「例えば?」
「ヌルとか?」
最早、俺には何語かも怪しいレベルで意味不明や。全然分からへん。ヌルってなんやっけ? どっかで聞いた筈なんやけど、思い出されへん。もっと真面目に授業、聞いとくんやったなぁ。
「ゆりコードの規格やったら?」
「やっぱりヌルちゃうかな。ルノはシングルクォテーションかな」
「ダブルやなくて、シングルなんや」
「そこが重要やろ」
ゆりはそう笑うと、ダンテからグラスを取って、一口飲んだ。びっくりした顔をして、何これ、めっちゃ飲みやすいやんとグラスを見つめる。
「俺、ダブルがええんやけど」
俺は二人に返した。
「なんで?」
ゆりがこっちを見る。
「トイレットペーパーかて、ダブルのが高いやろ?」
ゆりとダンテが噴き出して、声を上げて笑い出した。何? 俺そんなにおもろい事、言うた?
「流石、ルノ!」
ダンテが真っ赤になって言うた。
「基準、トイレットペーパー!!」
ゆりは苦しそうに、こっちを見る。
そんなに笑わんでもよくない?
ダンテがまだ笑いながら、俺に言うた。
「ええと思う。ルノはダブルクォーテーションやわ」
「うちもそれでいいと思うわ。気に入ったで、ルノコード」
「それ、ISOに許可とれへんかな?」
「流石に無理やろ」
二人は楽しそうに笑う。
全然面白くないから、俺はタバコをふかして、もうええわとそっぽ向いた。
「でもな、オレ、ホンマにルノはハーロックやと思うで」
ダンテがしっかりした声で言うた。
「なんで? どっちかというと鉄郎やない?」
ゆりがダンテに聞く。
「だって、勉強はともかく、なんでも出来るやん」
「それとハーロック、関係なくない?」
「あるよ。ルノやったら真顔でマント翻せそうやない?」
ゆりがまた笑った。
「それは言えてる」
いやいや、アルバトールは普通にカッコいいと思うんやけど。それ、笑うとこ?
「男なら、危険をかえりみず、死ぬと分かっていても行動しなくてはならない時がある。負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある、とか言いそう」
ダンテはめっちゃ真顔で言うた。
「なにそれ?」
俺はゆりに尋ねた。
「ハーロックの超有名なセリフやん」
「俺は、俺の旗の下に、自由に生きる。とかルノなら言いそう」
ダンテはやっぱり真顔でそう言うた。
「ごめん、全然分からへん」
俺は二人にそう返して、尋ねた。
「そんなん言うてたっけ?」
「ルノ、ファンやなかったん?」
「フランス語でお願いします」
俺は二人にそう答えた。
ゆりは笑いながら、俺に言うた。
「あとでジャンヌちゃん達に聞いてみようや」
「それええな」
俺はタバコを灰皿に押し付けて、ワインを飲み干した。ボトルからコルクを引っこ抜いて、グラスに注いでたら、ゆりが言うた。
「で、二人はなんでこんなとこでそんな話してるん?」
ダンテがにこっと笑って答えた。
「気晴らし」
ゆりはこっちを見た。
「ルノ、マジでお疲れ」
「ホンマやで。もうマジで疲れた」
俺はゆりにそう答えると、グラスを持ち上げた。
「でもよかったやん」
「何が?」
「お姉ちゃんにもジャンヌちゃんにも会えたやん」
まあそれはそうやけど、そのせいで俺はストレスで胃に穴が開きそうやわ。マリファナほしいわ、マジで。
「欲しいんやったら姉ちゃんあげんで」
「ジジさん、怖いやん」
ダンテが呟く。
「ダンテ、姉ちゃんと同い年やろ? わざわざあんなんに、さん付けせんでええで」
俺はダンテに言うた。そのままワインを飲む。甘ったるくて胸やけしそうやわ。
「え? そうなん?」
ゆりがダンテを見た。
「そうやで、オレ今、二十一歳」
「マジか」
ゆりはちょっとびっくりした顔をしながら、ダンテにグラスを渡した。
「っていうか、ジジさん、めちゃ大人っぽくない?」
「それはオレも思った」
いやいや、どこが? ジャンヌはともかく、姉ちゃんのどの辺が大人っぽいんや? そっちの基準のが分からんわ。
「あのくそアンサロあばずれ女のどこが?」
俺がそう尋ねたら、二人は黙った。
「誰がくそアンサロあばずれ女や?」
マジか、とことんついてないな、今日。
俺は振り向いて、姉ちゃんに答えた。
「姉ちゃん以外におらんやろ?」
「大体ルノ、それ意味分かって使ってるん? あばずれかぶってんで」
姉ちゃんは真顔でそう呟いた。
「どういう意味?」
ゆりが姉ちゃんを見上げた。
「アンサロって、フランス語であばずれやから。ルノはずっとあばずれあばずれ女って連呼してんねんで」
姉ちゃんはそう答えると、ため息をついた。
「ホンマ、なんでこんなんが弟なんやろ」
「それはこっちのセリフや、クソジジ」
「勝手に吠えとけ、チワワ」
姉ちゃんはそう笑うと、俺の前にしゃがみこんで、俺のグラスをひったくった。それをごくごく飲み干す。
「甘っ」
「自分で出せや。俺のん盗んな」
ダンテがちょっと困った顔をして、姉ちゃんに言うた。
「あの、ジジさん」
「ジジイみたいに聞こえるから、ジジって呼んでよ。どうかした?」
ダンテは少しおどおどしながら、姉ちゃんを見上げる。
「ジジは、なんでそんなにルノと喧嘩するんですか?」
「なんでって、そりゃあばずれ言われたら言い返すやろ」
「でも、今日ルノはジジを助けに行ったやないですか。今日くらい、言わせといてあげてもよくないですか?」
ダンテはそう言うて、姉ちゃんから視線をそらした。
「そりゃそうかもしれへんけど、ダンテ君はゲス野郎って言われて腹立たへんの?」
姉ちゃんはそう答えた。
「オレは友達と大切な人達が、オレの事をゲス野郎やと思ってへんねやったら、何て言われても気にならないです」
ダンテはうつむいたまま、そう言うた。
ゆりがわおっと呟く。
「ダンテ、おっとこまえやなぁ」
俺も思ったわ。ゆりに同意。
「ダンテ君って、大人やなぁ」
姉ちゃんはそう笑うと、俺の前に座った。ボトルを傾けて、ワインを注ぐ。
「うちはそこまで大人になれへんわ」
姉ちゃんが言うた。
「うちかて、せっかく会えたのにルノと喧嘩したい訳ちゃうんやで」
「嘘つけ、人の事ぶん殴っといてよぅ言えんなあ」
「ルノが勝手に出て行くからやろ?」
「姉ちゃんがパンツ脱ぎ散らすからやんか」
ダンテが俺と姉ちゃんの間に割り込む。
「それはジジが悪いです」
「ほれ見ぃ! ちょっとはこっちの都合も考えろや、アンサロ女」
「ルノ、言い過ぎ」
ダンテが俺にそう言うと、姉ちゃんを見る。
「仲良くしませんか?」
姉ちゃんが茫然とダンテを見つめる。
「ルノはもうジジに暴言吐かへんって約束して」
「嫌や」
「約束して」
ダンテがこっちをにらむ。
「その代わり、ジジは絶対、ルノに迷惑かけへんようにしましょう。そしたら仲良く出来るんでしょう?」
「いや、出来たら苦労せぇへんねんけどさ」
姉ちゃんは少し困った顔で、頬をかく。
「うち、ホンマに出来ひんねん」
「脱いだもの、畳むだけでいいんです」
「いや、うちそれ病気で出来ひんねんやん。どうしようもないんやけど、どうしたらええかな?」
今度はダンテが茫然と姉ちゃんを見つめる。
「え?」
「ADHDでそれ出来ひんねん。出来てたらルノがこんなにグレる訳ないやん」
姉ちゃんはそう言うて、こっちを見た。
「分かってんねんで。全部うちが悪いんよ。ルノは悪くないねん」
「なおタチが悪いわ」
俺は姉ちゃんにそう吐き捨てた。
姉ちゃんはうなづいた。
「もうホンマにそうやと思う。めっちゃ苦労かけたし、マジで悪い事してると思ってるんやけど、どうしようもないねん」
「開き直んな」
俺は姉ちゃんに怒鳴った。
ダンテが俺を止めようとするから、俺はその手を払って、姉ちゃんに言うた。
「姉ちゃんはいっつもそうや。悪いと思ってるんやったら、ちょっとは行動で示せや。病気やったら許されると思ったら、大間違いやぞ」
ダンテがこっちを見上げて、俺を呼ぶ。俺はそれを無視して続けた。
「俺は姉ちゃんの親ちゃう。俺は俺や。姉ちゃんの面倒見んのはもう嫌や」
姉ちゃんは黙ってうなづいた。
てっきり怒鳴り返されるかと思ったから、びっくりして黙った。少し待ってから、俺は姉ちゃんにきいた。
「なんやねん、言い返さへんのか?」
「いや、その通りやと思う」
姉ちゃんはそう答えた。それからこっちを見て、泣きそうな顔をする。うわ、マジかよと思ったけど、姉ちゃんは泣かんかった。
「ルノに甘えすぎてたよな。ごめんな」
「はぁ?」
「ルノがなんでも出来るから、ずっと甘えてた。ホンマは分かってんねんで、全部ルノが正しいって」
「何が?」
「うちの絵、売れる訳ないのもそうやし、病気やからってなんもせんかった。ルノに何言われたってしゃーない姉ちゃんやと思う。この半年、ずっとそう思ってた」
俺は姉ちゃんに尋ねた。
「なにを今更。あんなにキュビズムがどうしたって言うてたやんか」
「せや。でもうちはピカソでもジョルジュ・ブラックでも岡本太郎でもない。うちの絵じゃ食ってかれへん。ルノが正しい。だからあの日、ルノに図星を突かれて、なんも言い返されへんかったんや」
姉ちゃんはそう答えると、こっちを見る。
「こんな姉ちゃんでごめんな」
姉ちゃんはずるいわ。こんなん言われたら、なんも言われへんやん。
ダンテに促されて、俺は姉ちゃんに言うた。
「絵、けなしてごめん」
俺はソファにひっくり返ったまま、ぼんやり天井を眺めていた。
ジャメルが俺の隣りで、ウォッカを飲んでるのが見える。いつもやったら一緒に飲む。でも、今日はそんな気分にはなれんくって、黙って天井を眺めていた。
台所でゆりちゃんとジャンヌが皿を洗いながら楽しそうに笑ってるのが聞こえる。
腹の立つ、姉ちゃんの絵が俺を見下ろしてくる。描いた本人はカウンターでのんびりワインを飲んでる。ときどきゆりとジャンヌになんか言いながら笑う。
姉ちゃんがあんなこと思ってるなんて、知らんかった。あんなに自信満々で美大生やって笑っとったくせに、今更、自分に才能がないって開き直りって、何なん? もやもやするわ。
俺はジャメルに尋ねた。
「ハシシは?」
「いいのか?」
「ほしい」
ジャメルはウェストバッグからハシシを出すと、それを紙でくるんで指で棒状に平たくする。シャグとおんなじやり方や。フィルターはないけど。
慣れたもんやで。ええ加減、巻くやつ買ったらええのにとは思うけど、ジャメルは何故かアレを買おうとはせぇへん。あんなんそこらでなんぼでも売ってんのに。
俺はジャメルからそれを受け取ると、起き上がってジャメルに火をつけてもらった。
懐かしい、ハシシのいい匂いがする。
「ジャンヌ、見てるぞ」
「ええねん、ほっといて」
ジャメルにそう返して、俺はハシシを深く吸い込んだ。白い煙を眺めながら、俺は呟いた。
「疲れた」
「今日は休めよ。それ吸ったら風呂入って来い」
ジャメルがそう言って、俺の頭を撫でた。
「灰皿」
俺はジャメルにそう言うた。ジャメルは灰皿をこっちによこすと、またウォッカを飲む。
灰皿を膝に乗っけて、俺はハシシを灰皿に置いた。灰が散る。
「ジャメル、俺、どうしたらええ?」
「どうって?」
「姉ちゃん、どうしたらええ?」
「お前、殴られてラリってんだよ。ちゃんと冷やしたか?」
「冷やした。多分、明日腫れると思う」
俺はジャメルの背中にもたれた。
他の誰より、安心するのは、多分ジャメルが優しいからやろな。
目を閉じて、ゆっくりハシシを味わう。
ぼんやりしてると、ダンテが来た。
「ルノ、どうしたん?」
「疲れた」
俺はダンテにそう返して、灰を落とした。
「めっちゃ疲れた。もうなんもやる気せぇへん」
ダンテが俺の足元に座った。
「それ、変な匂いせぇへん?」
「タバコちゃうもん」
「え? じゃあそれ何?」
「マリファナ」
ダンテがぎょっとして飛びのく。ジャメルに英語で尋ねた。なにやってんの?って。
ジャメルはちょうど自分の分を巻いてる所やった。にこっと微笑んで、知らない方がいいと思うなと返す。
ダンテはちょこんと、やっぱり俺の足元に座った。
「変な事せぇへんよな?」
「例えば?」
「酔っぱらった時みたいに、ストリップしたり」
「ないない」
俺はそう返して、短くなったハシシを灰皿に押し付けて消した。
「ジャメル、もう一本ちょうだい」
「風呂入れよ、お前ちょっと寝た方がいい」
ジャメルはそう答えると、俺の膝から灰皿をとって、ローテーブルに移した。それから俺の腕を引っ張る。
「ほら、立てよ」
「ここで寝る。明日入る」
俺はそのまま横になると、目を閉じた。
ジャメルに揺さ振られたけど、寝ると言い張ってそのままクッションを引っ張り寄せた。頭の下にそれを置いて、目を開けるとジャメルがため息をついていた。
「で? オレはどこで寝ればいいんだよ、ルノ様」
「布団行けばええやん」
「ジジ達、どこで寝るんだよ?」
「床で寝ればええんちゃうかな」
ダンテがジャメルに尋ねる。
「What does he talk?」
ジャメルは笑って、ダンテに言うた。
「He said, Gigi sleep on the floor.」
ダンテが俺に言うた。
「ルノ、それは酷くない?」
「姉ちゃんは床でええと思う」
「オレ、ルノとソファで寝る」
「嫌や。ここは俺が寝んの」
俺はそのまま目を閉じて、クッションを引き寄せた。
「ジャメルと寝たらええやん」
「ルノ、ホンマになんかあったんちゃうん? 大丈夫?」
ダンテにまで心配されてる。笑える。
俺はそのまま答えた。
「疲れただけや。寝かせてぇや」
ダンテはそれ以上、俺にどうこう言わんかった。ジャメルも静かにハシシをふかす。静かで落ち着く。俺は半年前に戻ったような気分で、そのまま眠った。
翌朝早く、俺はジャメルと二人ですぐ下のバーに出掛けた。
まだ夜って言ってもいい時間やけど、今日は平日やからバーはすいてる。タバコとハシシの匂いで煙たい店内の奥、見慣れたバーテンダーのお姉ちゃんが俺とジャメルを迎えてくれる。
前に見た時はきれいな長い栗色の髪を結い上げてたけど、少し切ったらしい。肩につくくらいの長さになった巻き毛を垂らしている。確か名前はリュディヴィーヌ。俺らはいつもリュディって呼んでる。
「いらっしゃい」
俺はいつも通りマルガリータを二つ頼むと、ジャメルと並んでカウンターにもたれた。
よく一緒にいた仲間がこっちに寄ってくる。
「よぅルノ」
「おう」
俺はそう返して、手を振った。
ジャメルが下っ端にしてるのは俺らの弟分
をやってたチンピラ連中らしい。見知った顔が結構いる。何人かは外で部屋を見ていてくれてるらしい。交代まで遊んでるっていいながら、にこやかにコロナビールの瓶を揺らして見せる。
隣りで嬉しそうにスポットライトに照らされた美人の太ももを眺めるジャメルに、報告っすと話しかける。
「おー、どうだった?」
「ときどき黒の車が通るけど、それ以外は特にないです」
ひょろっとしたそいつは、いかついタトゥーを見せびらかしてはいるけど、全然威圧感とかはない。ヘボそうや。はっきり言って、爽やかなその顔に、その恰好は合うてへん。もっとシンプルな服を着たら、モテるやろに。
刈り上げた金髪をかきながら、そいつは笑った。
俺は尋ねた。
「それ、おんなじナンバー?」
「はい」
嫌な予感がする。
リュディがマルガリータを二つ、カウンターに置いた。
「久しぶりじゃん、ルノ」
「おひさ、リュディ。ちょっと聞きたいんやけど、変な客とか来た?」
「今日だったら、この時期にガチガチのスーツの連中が来てたくらいかな。すぐ帰っちゃったけど」
ああ、やっぱり的中。姉ちゃんの位置、バレてる。ここもそんなに安全やなくなったぞ。
「チップはずむから、しばらくそういう連中の数、見ててくれへん?」
「ええけど、ルノ、一体何したん?」
「ちょっとな」
俺はそう答えると、ジャメルと下っ端にグラスを差し出して、サルテと呟く。二人も少しグラスとビンを持ち上げると小さく揺らして、サルテと笑った。
ジャメルがリュディに言うた。
「リュディは飲めんの? 一杯付き合ってよ」
「じゃあ私はワインを貰っちゃおうかな」
「飲んで飲んで」
リュディはニコニコしながら、てきぱきとグラスを用意して白ワインを注ぐ。それをジャメルに向けて、にこやかにサルテと言うと口をつける。
ダンテが言う通り、ホンマに外を歩くのは危なそうや。黙って出てきてごめんやで、ダンテ。寝てる間に戻るから許してぇや。
けど、マジでうんざりやってん。一寝入りしたらちょっとはマシになるかと思ったけど、全然ダメ。一本のハシシじゃ、気分が楽にはならんかった。でもあの部屋にはジャンヌやゆりもいてるから、あんまりじゃんじゃんタバコやハシシを吸ったり出来ひん。
出てきて、テキーラで全部忘れるしかない。
俺はポケットからゴロワーズを出すと、一本咥えた。パリ土産のガスライターで火をつけて、俺は下っ端に尋ねた。
「いつからジャメルんとこにいてんの?」
「最近っすよ。ルノさんがとうぶんいないからって、ジャメルさんに声をかけてもらったんすよ」
「ふーん、楽しい?」
「楽しいっすよ。ジャメルさんは優しいし、憧れのパリの悪魔にお会い出来たんですから」
俺はタバコを灰皿に置いて、マルガリータに口をつけた。
グラスのふちについた粗塩に辛くてフルーティなこの味、やっぱりリュディの作るマルガリータは最高やわ。マジ、美味い。嫌な事もぜーんぶ吹っ飛ぶ。半年ぶりのテキーラに、俺の気分も少しは良くなる。
ジャメルがリュディと下っ端に笑いかけて言うた。
「ルノ、今日はお疲れモードなんだよ。誰か慰めてやってよ」
「ええって。今日はそんな気分ちゃうし」
俺はジャメルにそう返して、マルガリータをすする。近くにいた女の子達がこっちに寄ってきて話しかけてくる。どの子も美人で胸もデカい、ナイスバディーなええ女や。顔見知りもいてるけど、みんな俺に言い寄ってくる。
「ねぇ、パリの悪魔さん。私と遊ばない?」
「私にしない? ねぇねぇ」
いつもやったらはいはいって、普通に流せたんかもしれへんけど、なんか俺はそんな彼女らを見てるのが嫌で、ふいっと背を向けると、ジャメルに言う。
「マジでそういう気分ちゃうんやって」
「おいおい、ルノ。マジで大丈夫かよ?」
ジャメルはそう俺をのぞきこむと、仲間連中に遊んでやんなと勧めて、女の子達を追い払う。ちょっと残念そうやったけど、彼女らも諦めたんか、連中に乗り換える。
俺はカウンターにもたれながら、グラスを少し回した。塩がついてるとこから飲むのがマルガリータの醍醐味やん。
ジャメルはそんなん無視して、がーっとマルガリータを飲み干し、おかわりねと笑って見せる。リュディは絶対、ジャメルに気がないって、いい加減気づけよ。
俺は二人に尋ねた。
「俺がいてへん間に、なんか変わった事とかなかった?」
「ないない、超平和」
リュディはそう笑うと、シェイカーに氷を入れる。てきぱきマルガリータを作りながら、ジャメルに言うた。
「ルノがいないから、ジャメルは欲求不満らしいよ」
「なんで?」
「ルノが女の子を酔い潰してくれないからに決まってんじゃない。おかげでこっちは商売あがったりよ」
ジャメルやったら、一人でいくらでも女の子を掴まえるくらい出来るやろに。ジャメルのがどうかしてんちゃう? あんなに毎晩毎晩、楽しそうに女の子あさっとったくせに。
俺はジャメルを眺めながら、マルガリータを飲み込む。喉が焼けるような感覚と一緒にストレスも燃えて消えるような気がする。
日本におった時はあんなにパリが恋しかったのに、今はむしろ騒がしくて面倒で、日本が恋しい。あの距離感のあるちょうどいい人間関係は、パリじゃあんまりない気がするわ。
ジャメルが微笑む。
「どうした?」
「ん~、幸せやなぁって思って」
俺はそう答えて、またグラスを少し回した。
姉ちゃんらもいてる。元通りとは言えんけど、それでもまた会えた。ゆりとダンテも一緒や。ジャメルはいつも通りやし、パリは今日も汚くて臭くて、やかましい。
美味しい最高のマルガリータがあって、上物のハシシとゴロワーズがある。煙たくて小さくて、最高にガラの悪いこのバーにまた戻ってこられた。
幸せに決まってるやん。超最高に幸せ。
でもすっきりせぇへんのはなんで?
ストレスすぎて、ジャンヌの前でハシシを吸ったから? それとも姉ちゃんとケンカしたから? でも姉ちゃん、ちゃんと自分が悪かったって認めたやん。
俺にはもうなんにも分からへん。
ただただ、半年前の自分と一緒。ぜーんぶ忘れてトリップしてしまいたい。何もかも忘れて、元のただのパリの悪魔に戻りたい。
けど、今日は流石にそこまで泥酔して戻るわけにもいかんやん。
ゆりとダンテは俺を頼ってる。ジャンヌかて、お兄ちゃんがおらんな困るやん。姉ちゃんは知らんけど、ジャメルかて俺にぐでんぐでんに酔われたら困るやろ。
でも、流石に空きっ腹にテキーラってなかなかくるよな。
ワインとは全然違う。自分でも酔ってんのが分かるくらい、ぐらぐらする。あんなもん、じゃんじゃん飲んでまうジャメルは凄いと思うわ。どうせ泥酔して、俺が部屋まで運ばなあかんねやろけど。
しばらくぶりの感覚に、俺はカウンターに肘をついてグラスを置くと、水ちょうだいとリュディに頼んだ。それから忘れかけてたタバコを咥えて、思いっきり煙を吸い込む。
体にしみこんでくる、ニコチンとアルコールの感覚が最高に気持ちいい。ふわふわする。
ああ。俺、やっぱりこっち側の人間なんやな。ダンテみたいには絶対になられへん。どんなに頑張ったって、ジャンヌにとっていいお兄ちゃんではいられへん。
酒で酔っぱらって、タバコとハシシを吸いながら、ゴミまみれの街角でジャメルと二人、バイヤーやってる方が向いてんねん。パリの悪魔なんて呼ばれながら、ポリ公と遊んでんのがお似合いなんよ。俺はその程度のどうしようもない奴やねん。しゃーないやん。
ぼうっとタバコの煙を眺めてたら、泣きたくなってくる。公衆の面前で泣くなんて、ルノ様の沽券に関わるから必死で堪えながら、マルガリータを舐めた。
忙しそうにテキパキシャイカーを振ってるリュディを、まだ口説いてるジャメルは楽しそうや。
もっと飲んでまえって、俺はグラスのマルガリータを全部飲み干した。それからおかわりって言おうとした。でも急に小柄なパーカーの女の子に腕を引っ張られて、俺は言葉を飲み込んだ。
その子はパーカーのフードを深くかぶってて、白くて細い小さな手で俺の右腕を引っ張っていた。ジャメルが好みなんちゃうかなと思いながら、俺はその子に尋ねた。
「何?」
その子は顔を隠すように、大きなサングラスをかけていたけど、それを外してこっちを見上げる。酔っぱらってても分かる。コイツ、女の子ちゃう。
「ルノ、何やってんねん」
ダンテはそう言うて、俺の腕を引っ張った。
「戻んで、今すぐ」
「マジで?」
俺はダンテにそう言われて、タバコを消した。
ジャメルがダンテに気付いて、こっちを見る。
「あれ、ルノ。その子、もしかして彼女?」
リュディが楽しそうに笑う。
「ちゃうわ。コイツ、男やし」
ジャメルがケラケラ笑いながら、リュディにお札を何枚か渡した。釣りは取っといてなんて言って笑うと、ダンテを見下ろす。
ダンテはジャメルと俺を見上げながら、必死で外に出たらあかんねんと言って聞かせる。日本語やから俺にしか分からへんけど、ジャメルは楽しそうにそれを見てる。
しゃーないから、俺はポケットからくしゃくしゃのユーロを出すとカウンターに置いて、リュディに頼んだでとお願いしてから、ダンテと店を出た。
歩いてて気が付いた。
ダンテがガタガタ震えていて、今にも泣きそうな顔をしてるって。
「ダンテ、大丈夫?」
「全然大丈夫ちゃう。なんであんなところにいてんの!」
ダンテは道端でそう言うて、俺を見つめる。
「ストレスで」
「心配したんやから!」
「ごめん」
俺は必死でそう言うダンテに謝った。
こんなんなるほど怖いのに、呼び戻しに来てくれてんもん。ホンマに心配させた。すぐ戻るつもりやったけど、外はうっすら明るくなってきてる。
ダンテはぐっちゃぐちゃの顔を拭って、歩く。
歩道にはグラスを持ったパリのチンピラ連中が目を光らせながら座ってる。ジャメルに軽く挨拶しながら、タバコをふかしてる。
言うても他人やん。
せやのに、こんなに心配させるんやったら、飲みに出んかったらよかったな。悪い事してもた。
ジャメルがダンテに英語で尋ねた。
「大丈夫?」
「平気です」
ダンテはそう答えると、エレベーターに乗り込んだ。ボタンを押しながら、俺に日本語で説教を続ける。
俺は黙ってそれを聞きながら、エレベーターの壁にもたれた。ジャメルが最後に乗り込んでくる。
部屋は暗くて、まだ誰も起きてへん。ここを出た時、ダンテかてソファーでぐっすり寝てたのに。
三人でソファーに並んで座ると、ダンテが言うた。
「心配でルノとジャメルさんのiPhoneにGPS仕込んどいて正解やった。命を狙われてるのに、夜中に出掛けるほどアホやとは思わんかった」
「なにそれ? いつそんな事したん?」
「昨日。ジジを連れ戻す時に借りたやん? ついでに」
ダンテはそう答えると、ラップトップを開いて、カタカタとキーボードを叩いた。
それから、こっちを見る。
「もうやめてや」
「ホンマにごめん」
俺はダンテにそう謝り、ようやく落ち着いたその顔を見た。
「心配させてごめん。ありがとう」
ダンテはもういいよと笑った。
その日は割とストレスレスな一日やった。
姉ちゃんが珍しく朝から大人しく絵を描いてて、誰とも口をきかんとじっとしてたからやと思う。ジャンヌがお願いして、ジャメルが絵の具とスケッチブックを調達してきてくれたからや。
ジャンヌは朝からずっとお手伝いしてくれたし、超手抜きのガーリックトーストを、みんな美味しいって言う。それにジャンヌがダンテに張り付いてるから、ジャメルと二人でのんびり話も出来た。
その辺で売ってる普通のプリンでテンションが高すぎるダンテが、明日の予定を話してくれた。
それにしてもベタ過ぎる待ち合わせ場所やない? ブランリ通りのメリーゴーランドってデートスポットやん。あんな所でホンマにええんか? 今から凄い不安やわ。ヴィヴィアンも相当遊び人やと思う。
何も全員で行く必要はないって、ダンテは三つ目のプリンのふたをめくりながら言うた。
「オレとルノと二人で行くから、ここで待っててくれる?」
「なんで俺なん?」
「だってルノを探しに来たんやから、ルノと一緒やないと意味ないやん」
ダンテはプリンを口に運びながら、ぶつくさ文句を言うジャンヌに困った顔をしている。ジャンヌはああいう所、ホンマに好きやもんな。
勝手にしてくれと笑うジャメルの横で、大人しくワインを飲んでた姉ちゃんが、ダンテにきいた。
「ホンマにルノなんかで大丈夫なん?」
「なんかってなんや?」
「口が滑った。うちも一緒に行った方がええんちゃうの?」
ダンテはスプーンを置くと答えた。
「合流するジェームスとヴィヴィアンは超強いから大丈夫です」
「それってどんくらい?」
「ターミネーターくらい」
おいおい、支部長とヴィヴィアンは機械ですか? 溶鉱炉に落ちながら親指立てる方のシュワちゃんやろな? 俺、嫌やで。ジョン・コナーにはなりとぅない。
姉ちゃんはそれを聞いて納得したらしい。ならええよと答えて、楽しそうにグラスに口をつけた。
いや、全然よくないと思いながら、俺は正面でラップトップを見てるダンテを見つめた。もろともせんと、真顔でその続きを話す。
「ここももう安全やないし、多分移動する事になると思う。すぐに動けるようにしてて」
ゆりが退屈そうに呟いた。
「え~、ここ快適やったのに」
ジャンヌが寂しそうな顔をする。
「もうジャメルと会えへんくなんの?」
ダンテは首を横に振って、そんな事ないよとジャンヌに言うた。
「少しの間だけやから大丈夫。家族三人で暮らせるようになるまでの辛抱やから」
「ホンマに? そう言うて、お姉ちゃんは結局迎えに来んかったやん」
姉ちゃんが暗い顔をして、そっぽを向いた。
「ジジはターミネーターちゃうもん。でもフランスまで来てくれるのは、ターミネーターより怖い二人やで。オレが保証する」
ダンテはにこっと笑って、ジャンヌに小指を差し出した。
「約束な、絶対元通りにするって」
ジャンヌはうなづくと、それに小指をからめて笑った。
「破ったら針千本、ホンマに飲ませんで」
「それは怖いなぁ。頑張るわ」
ダンテはそう答えて、それから俺に言うた。
「変装したいんやけど、ルノ、どうにかしてくれへん?」
「どうにかするわ」
俺はそう返して、姉ちゃんからグラスをひったくると、白ワインを飲み干した。姉ちゃんが面倒くさそうにボトルに手を伸ばす。俺はグラスを向けて、注げと促した。姉ちゃんは黙ってワインをたっぷり注いでくれた。
ソファーでふんぞり返ってるジャメルに、姉ちゃんはフランス語で一応それを伝えてるけど、全く興味なさそうや。暇そうにテレビを見てる。
俺はダンテに尋ねた。
「何時に会うん?」
「午前中としか言うてない」
ダンテは空になったプリンの器をローテーブルに置いて、ラップトップをのぞきこむ。床に正座してるのがちょっと笑える。
「二人とも、もう飛行機みたいで連絡つかへんねん」
ジャンヌはダンテの後ろから画面を眺めてる。今日はずっとこんな調子や。何がそんなに楽しいんか分からへんけど、ニコニコしてる。俺にはその楽しさ、全く分からへんわ。
俺はワインを飲みながら尋ねた。
「ほんで、どうやって会うん? 向こうも変装してるやろ?」
ダンテはこっちを見て答えた。
「それは大丈夫。あの二人は絶対分かる」
「はあ?」
「明日になったら分かるって」
ダンテはニコニコしながら、ラップトップを閉じた。
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