第2話「あ、みゆきさーん!こっちこっち!」

第二話:公園のピクニックと、垣間見える素顔


あかりからの連絡は、意外にも早かった。数日後の昼下がり、みゆきの携帯が軽快な音を立てたのだ。


『みゆきさーん!あかりです!今度の日曜日、お天気良さそうだから、例のピクニック、どうかなー?って思って!』


メッセージの文面からも、あかりの明るく屈託のない性格が伝わってくるようだ。みゆきは、少し緊張しながらも、『はい、ぜひ!楽しみにしています』と返信した。


そして迎えた日曜日。みゆきは、息子である翔太の手を引き、あかりに指定された公園へと向かった。少し古びた、しかし手入れの行き届いた公園には、穏やかな日差しが降り注ぎ、家族連れの楽しそうな声が響いている。


「あ、みゆきさーん!こっちこっち!」


大きな桜の木の下で、レジャーシートを広げているあかりが、みゆきを見つけて大きく手を振った。隣には、あかりとよく似た大きな瞳の、可愛らしい女の子がちょこんと座っている。あれが、あかりの娘さんだろうか。


「こんにちは、あかりさん。翔太、ご挨拶して」

「こ、こんにちは…」翔太は、少し恥ずかしそうにみゆきの後ろに隠れながら、小さな声で挨拶した。

「こんにちは、翔太くん!初めまして!こっちはうちの娘のひかり。ひかり、お兄ちゃんだよ」

あかりに促され、ひかりちゃんも「こんにちは…」と可愛らしい声で挨拶する。年は翔太より少し下くらいだろうか。


ぎこちないながらも挨拶を済ませると、あかりは「ささ、座って座って!お腹すいたでしょ?」と、みゆきたちをレジャーシートに招き入れた。そして、傍らに置かれていた大きなバスケットから、次々と色とりどりのお弁当箱を取り出し始めた。


まず出てきたのは、可愛らしい動物の形をしたおにぎりや、タコさんウインナー、ブロッコリーやミニトマトが彩りよく詰められた一段。次に、卵焼き、唐揚げ、エビフライ、ほうれん草の胡麻和えなどがぎっしりと詰まった、見るからに豪華な二段目。さらに、フルーツがたっぷり入ったデザートのタッパーまで。


それを見たみゆきは、思わずあんぐりと口を開けてしまった。自分が持ってきた、卵焼きと唐揚げ、ブロッコリーという定番メニューだけのお弁当箱が、なんだかとてもみすぼらしく感じてしまうほどだ。


「え…あかりさん、これ…全部作ったの…?」


みゆきの驚いた声に、あかりは「えへへ、ちょっと張り切っちゃった」と照れくさそうに笑った。


「ちょっとどころじゃないわよ!お店で売ってるみたい…ううん、それ以上よ!すごいじゃない!」


みゆきは、心からの感嘆を込めて言った。夜の仕事をしていて、こんなに手の込んだ料理を作る時間なんて、一体どこにあるのだろうか。


「いやいや、そんなことないですよー。昔、ちょっとだけ調理の仕事してたことあって。それに、ひかりが偏食気味だから、見た目で釣らないと食べてくれなくて」あかりは、ひかりちゃんの頭を優しく撫でながら言った。


「そうだったのね…でも、本当に美味しそう。翔太、よかったね、こんなにいっぱい!」

「うん!」翔太も、キラキラした目で豪華なお弁当を見つめている。


「さあさあ、冷めないうちに食べましょう!」


あかりの掛け声で、お弁当タイムが始まった。あかりが作った卵焼きは出汁が効いていてふんわりと甘く、唐揚げはジューシーで香ばしい。みゆきは、一口食べるごとに「美味しい…」と呟かずにはいられなかった。


「みゆきさんのお弁当も、すごく美味しいですよ!この卵焼き、優しい味がする」あかりは、みゆきが作った卵焼きを頬張りながら、にっこりと笑った。


その言葉に、みゆきは少し救われたような気持ちになった。派手な見た目からは想像もつかないあかりの家庭的な一面と、その温かい言葉に、みゆきの心はどんどん解きほぐされていくのを感じていた。


子供たちは最初こそ少し緊張していたものの、美味しいお弁当を前にすぐに打ち解け、楽しそうに話し始めている。穏やかな日差しの中で、4人の笑い声が優しく響いていた。


食事が一段落し、子供たちが少し離れた遊具で遊び始めたのを見守りながら、みゆきとあかりはレジャーシートの上で、お茶を飲みながら談笑していた。あかりの料理の腕前に感心しきりのみゆきに、あかりは「いやいや、みゆきさんこそ、いつもお仕事と家事、どうやって両立してるんですか?私なんて毎日バタバタで」と謙遜する。


「私も毎日綱渡りみたいなものよ」みゆきが苦笑した、その時だった。


「ママー!」


少し離れた場所で遊んでいたひかりちゃんが、バランスを崩して尻餅をついたのか、泣きそうな声で叫んだ。


「ひかり!」


あかりは弾かれたように立ち上がり、ひかりちゃんのもとへ駆け寄った。その際、彼女が肩にかけていた大きめのトートバッグが傾き、中からいくつかの荷物と共に、一冊の手帳がコロリとレジャーシートの上に転がり落ちた。


「あ…」


みゆきは、落ちた手帳を拾い上げようと手を伸ばした。それは、鮮やかな赤色のカバーがついた、少し大きめのシステム手帳だった。みるつもりは、まったくなかったのだ。しかし、手帳は運悪く開いた状態で落ちており、拾い上げようとしたみゆきの目に、その中身が一瞬、飛び込んできてしまった。


みゆきは、息をのんだ。


そこには、まるで暗号かのように、様々な色のペンで書かれた文字が、ページの端から端までびっしりと埋め尽くされていたのだ。時間を示す数字の横には、「〇〇仕入」「MTG」「ひかりお迎え」「夕食仕込」「PTA連絡」「請求書確認」「〇〇様TEL」といった単語が、それこそ分刻みのスケジュールで書き込まれている。余白というものが、ほとんど見当たらない。


(これ…全部、あかりさんが…?)


普段の、太陽のように明るく、どこか飄々としたあかりの姿からは、到底想像もできないような、壮絶なまでの日常。夜の店の経営、母親としての役割、そしておそらくは家事全般。それら全てを、この若い女性が一人で、この過密なスケジュールの中でこなしているのだ。


みゆきは、自分の忙しさなど、この手帳の前では霞んでしまうように感じた。そして、あの美味しいお弁当も、この分刻みのスケジュールの中から時間を捻出して作られたものなのだと思うと、胸が詰まるような思いがした。


「ごめんねー、お騒がせして」


ひかりちゃんを抱きかかえ、あやしながら戻ってきたあかりが、みゆきに声をかけた。みゆきはハッとして、慌てて手帳を閉じ、あかりに差し出した。


「ううん、大丈夫?ひかりちゃん」


「うん、もう大丈夫!」ひかりちゃんは、あかりの腕の中でけろりとした顔をしている。


「あ、ありがとう、みゆきさん。ごめんね、散らかっちゃって」あかりは、みゆきから手帳を受け取ると、何でもないようにバッグにしまい込んだ。スケジュールを見られたことには、全く気づいていない様子だ。


みゆきは、何と言葉をかけていいのか分からなかった。ただ、目の前にいるあかりが、今まで以上に大きく、そして健気に見えた。あの底抜けの明るさは、この過酷な日常を乗り越えるための、彼女なりの強さなのかもしれない。


「あかりさん…本当に、すごいわね…」


ぽつりと漏れたみゆきの言葉に、あかりはきょとんとした顔で首を傾げた。その無邪気な表情が、みゆきの胸をさらに締め付けるのだった。


(第二話 終)

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