いまじゃ 殺れ 信長を

水無月はたち

一の巻『影武者』

第1話 乱世の覇者を暗殺する


(脱ぐのじゃ!)

(えっ?)

(いまじゃ、ここで着物を脱げ!)

 衣茅(いち)は沸き起こる不安と戦いながら蟋蟀(こおろぎ)の声に耳を攲(そばだ)てている。

(だ、大丈夫ですか?)

 衣茅も鈴虫の微かな啼き声で軒下の小太郎に返す。

(大丈夫じゃ、術は効いておる)

 軒下の蟋蟀の声が短くそう囁く。逡巡が声にならず衣茅の体を駆け巡る。衣茅は唇をぴくりとも動かさず懸命に鈴虫の声を発した。

(さ、されど、控えの者がまだすぐそこに・・・)

 軒下に返す。

 蟋蟀に似せた小太郎の声が軒下から怒りを帯びて戻ってくる。

(心配いらぬ! 教えたであろう、喉笛の掻き方を)

 衣茅の結った長い髪には結髪用具である笄(こうがい)に模した小刀が隠されている。

(教わりました)

(そのとおりやればよい。声など出せぬ)

 衣茅は思い出した。欲づいた幾人かの地侍の喉笛をこの手で掻き割いたことを。修行とはいえ彼らに恨みがあったわけではない。だが、忍術を覚えるためには練習台が要った。その時も、こうして師の小太郎と虫の声で意思疎通をしている。

(よいか、信長を殺れば、平穏保たれる。おまえが我らの郷を守るのじゃ)

(承知仕りました)

 女人である自分に忍術を一から叩き込んでくれたのは伊賀忍術十一名人の新堂小太郎である。衣茅は小太郎を師と仰いでいる。小太郎が謀ったこの暗殺は必ず自分の手で成し遂げるつもりだった。

 暗殺する相手は乱世の覇者織田信長。先年、近江安土の湖畔に天まで届かんとする巨城を築城した。衣茅と小太郎はこの城の城下に何度も足を運んだ。乱世の覇者を暗殺するために。




<ペンネーム>

水無月はたち


<経歴>

1964年 大阪府豊中市生まれ

同志社大学経済学部卒業

現在 某大学勤務


<筆歴>

2023年4月 『戦力外からのリアル三刀流』(つむぎ書房)発刊

2024年3月 『空飛ぶクルマのその先へ 〜沈む自動車業界盟主と捨てられた町工場の対決〜』(つむぎ書房)発刊

2024年7月 『ガチの親子ゲンカやさかい』(つむぎ書房)発刊

2025年7月16日 『いまじゃ 殺れ 信長を』(つむぎ書房)発刊予定 ←




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