第41話 悪役聖女と崩れる舞台

 大聖堂に、荘厳なパイプオルガンの旋律が響き渡る。偽りの治癒の儀式が、厳かに始まった。

 主役であるヒロインは、祭壇の前で「衰弱した」国王陛下の傍らにひざまずくと、その美しい瞳に大粒の涙を浮かべ、天に向かって祈りを捧げ始めた。


「おお、聖なる光よ! 我らが慈悲深き国王陛下に、どうか、癒やしの奇跡を与えたまえ!」


 その声は、悲痛なほどに清らかで、聞く者の心を揺さぶる。

 彼女の手から、温かく、そして神々しいほどの聖なる光が放たれ、国王の身体を優しく包み込んでいった。その光景は、まさしく奇跡の前触れ。大聖堂に集った貴族たちは、息を呑み、感嘆の声を漏らしている。


「おお、なんと神々しい……」

「さすがは、慈愛の聖女様だ……」


 私は、その光景を、貴賓席から、ただ、冷たく見つめていた。

 彼女の聖女としての力は、本物だ。だが、その力の使い方が、その根底にある魂が、根本的に、そして絶望的に、間違っている。


 やがて、光が収まり、ヒロインは、聖なる力を使ったことで疲労したかのように(もちろん、それすらも完璧な演技だ)、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、集まった全ての貴族たちに向かい、朗々と、その勝利を宣言した。


「皆様、ご安心ください! わたくしの聖なる力は、陛下を蝕んでいた病巣を、完全に浄化いたしました!」


 彼女は、恍惚とした表情で、両手を広げる。


「我らが偉大なる国王陛下は、今、この瞬間、快癒されたのです!」


 その言葉を合図に、大聖堂は、割れんばかりの拍手と、熱狂的な歓声に包まれた。

 ヒロインは、万雷の賞賛を一身に浴び、その人生の絶頂を味わっている。祭壇の脇に控える侍医頭も、計画通りとばかりに、満足げに頷いていた。


 これ以上ないほどに、完璧な舞台。そして、これ以上ないほどに、愚かな茶番。


 その、まさに、彼女の栄光が頂点に達した、その瞬間だった。


「――うむ。聖女よ、大儀であった」


 低く、しかし、大聖堂の隅々にまで響き渡る、威厳に満ちた声。

 声の主は、今まで祭壇の上で、死んだように横たわっていたはずの、国王陛下。

 陛下は、むくり、と、誰の手も借りることなく、自らの力で、その半身を起こしたのだ。その動きには、病人のものとは思えない、力強さがみなぎっていた。


 割れんばかりの歓声が、まるで嘘のように、ぴたりと止む。水を打ったような静寂の中、全ての視線が、起き上がった国王陛下、その一人に注がれていた。


 ヒロインの顔から、さっと血の気が引いていくのが見えた。


「へ、陛下……? なぜ、ご自分で……?」


 その問いには答えず、国王陛下は、ゆっくりと、しかし、確かな足取りで、立ち上がった。そのお姿は、数ヶ月前の衰弱した様子が嘘のように、壮健そのものだった。


「聖女よ。そなたの言う通り、余の身体は、実に軽い。まるで、長年まとわりついていた、あの忌まわしい『呪い』が、綺麗さっぱり消え去ったようにな」


 陛下は、「呪い」という言葉を、ことさらに、そして、冷たく、強調して言った。

 ヒロインと、侍医頭の顔が、驚愕から、困惑、そして、絶望へと、面白いように変わっていく。自分たちの計画が、どこかで、どうしようもなく、完全に、破綻していることに、彼らは、ようやく、気づいたのだ。


「さて」


 国王陛下は、玉座にふさわしい、絶対者の笑みを浮かべた。


「茶番は、ここまでだ」


 その言葉を合図に、大聖堂の全ての扉が、ガウェイン団長率いる太陽の騎士団によって、一斉に、そして、重い音を立てて、閉ざされた。誰も、もう、この聖堂から出ることはできない。


 混乱にどよめく貴族たち。全てを悟り、顔面蒼白となるヒロインと侍医頭。

 私は、貴賓席から、ゆっくりと立ち上がった。その手には、サン・マドリアで押収した呪具と、すり替えておいた「本物の呪いの薬」の小瓶を、高く掲げて。


「――これより、聖女リディアの名において、真の断罪を、執り行います」


 悪役聖女による、最高の、そして、最後の断罪劇。その本当の幕が、今、静かに、切って落とされた。

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