黒い傭兵(三) 前
借馬屋で馬を借りると、取引場所の北へと向かい走らせる。
大通りから外れ、人気のない荒野をしばらく進むと……国境線となっている今はもう使われていな広い道路に出た。
道なりに歩けば、暗がりの先にランタンを灯した数人の人影が浮かんでくる。
――もう、来ていたか。
セヴェーロは馬を降りて手綱をオスカーに渡すと、その怪しげな集団に近づいた。すぐに煌々と明るいランタンの灯りを向けられ、暗がりに慣れた目を細める。
『お待たせしました』
『いえ、我々も今し方着いたところです』
歌うようなガスサレム語の口調が返ってくる。頭からマントを被った男はフードを取ると、特徴的な灰色の瞳を覗かせた。
いつもは二人しかいないのに、今日は五人とやけに人数が多い……。四頭いる馬の他にも奥に二頭、馬車に繋がれた綺麗な白馬が首を振っていた。
――なぜ馬車が?とドアの方に目を向ければ、待ち受けていたかのように小洒落た金縁窓の扉が勢いよく開く。
褐色の肌に、耳元で揺れる細長い金色のイヤリング。服の上からでも分かる鍛えられた体と、黒み掛かった灰色の長い髪にセヴェーロは目を丸くした。
『やぁ、セヴェーロ!久し振りだね』
『アレハンドロ第一王子……!』
思ってもいなかった人物の登場に、崩れるように地面へ跪く。過去の雇い主であり、ガスサレムの時期国王。――そして共に戦場を駆け戦った友人でもある。
セヴェーロに
――彼が、ガスサレムの第一王子。『アレハンドロ・セビリャ・ドートリッシュ』
ボスからここへ来る前に……ガスサレムとの関わりを少しばかり聞いていた。
六年前――。
傭兵として転々と生きていたボスは、十七歳の時にガスサレムで兵の募集をしていると聞き、そこそこの謝礼金と住み込みで働けるとのことだったので参加した。
何回目かの戦場の後。何故か第一王子に話し掛けられ、戦いの腕を気に入ってもらえると……ガスサレム語の読み書きや話し方など、国にいて困らないようにと言語を教えてくれたそうだ。
普通、一国の王子が傭兵相手にそこまで入れ込むなんてありえない……。余程ボスのことを気に入っていたのだろう。
『顔を見せてくれ、同志よ。……合う度に、君は美しくになっていくな』
そう言いながら王子はセヴェーロの元へ駆け寄り、軽く肩に触れた。顔を上げた白い頬へそっと手を伸ばすと――まるでそれを拒むように、襟元から漂うαの匂いにピタッと身を固くして動きを止める。
……コートを着込んだセヴェーロのシャツから、間違いなく後ろで控えているαの男のマーキング臭がするのだ。
しかも当の本人は、全く気にしていないのか……何も分かっていない顔をしている。
なんとも言えない苦い表情で、関節が錆びた人形のようにギシギシと顔を上げると……シャツを着せたのであろう部下のαへ視線を投げた。
「……あー……、っと……セヴェーロとは、そういう仲?」
「あっッ!いえっ、違います!これはっ、ストーカー対策でしてッ…………アルフェラッツ語が、話せるんですか!?」
「ああ、ここら辺の国の言葉なら話せるよ。――ストーカー?……前に聞いたね。シレーナの事でアルフェラッツ王国から来てるαの若獅子か」
王子は、さも当然のようにそう言うと……以前、部下から報告されていた『シレーナを探りに来たαの二人組』について指摘した。
この様子なら、密売されたシレーナがアルフェラッツ王国内で問題となっている事も知っているだろう。
難しい顔をしながら、ゴツゴツとした大きな右手はボスの髪をずっと撫でていた。耳の上をなぞられると、流石にくすぐったかったのか顔を逸らして王子の手から逃れる。
「――アレハンドロ王子。そのシレーナの事で、一つお話があるのですが」
「シレーナの、凶暴性についてかな。Ωが飲めば抑制剤、でもαが飲めば薬物となる」
「……知ってたんですか」
「研究の一環でね。正直問題はないと思ってた。Ω用の抑制剤だし、それをαに飲ませる変態がいるとは考え付きもしなかった。……でも現に事が起きてるなら、面倒だけど何とかしないとね」
シレーナは過去に王国で飛散性の毒薬がばら撒かれた際、ボスが解毒剤の支援を受けるために、ガスサレムとの取引に使った薬だ。
現在はガスサレム内で製造され、国内のΩが今までよりも安く抑制剤を買えるようになった一方で、テナイドにもその薬を仕入れている。
アレハンドロ王子の力強い眼差しが、再びオスカーへ向けられた。
まるで心の奥底を覗くようなその瞳に、本能的に警戒して息を止める。
「失礼したね。君がセヴェーロの部下の……」
「――はい。オスカー・ディ・ゼッカと申します」
「話は聞いていたよ。セヴェーロの下にαの男が入ったってね。……一度会ってみたいと思っていたんだ」
落ち着いた笑みを浮かべながら、慣れた手付きでボスの肩に腕を回していた。
αらしい反応というか……その瞳からは、どこか牽制的な威圧を感じる。
『アレハンドロ王子。そろそろ取引を進めたいのですが』
後ろからガスサレム兵の声がすると、王子はやっと寒い中会話の終わりを待っている部下達に気が付いた。
ガスサレムは此処よりも幾分暖かい地域にあり、冬の寒さは特に堪える。
『始めてもらって構わないよ?』と部下の一人に指示を出したが……深く被ったフードの奥から
『いえ……王子はお休みいただいて。貴方、何でもプレゼントしようとするでしょう。商談なんですから困りますよ』
大事な部下にそう言われてしまっては仕方がない……と渋々セヴェーロの肩から手を離した。愛しいΩにねだられれば、気が大きくなってしまうのはαの
「じゃあ、彼に俺の話し相手になってもらおうかな。君の部下をしばらく借りるよ」
「俺、ですか」
急な指名に緊張してオスカーは背筋を伸ばす。
セヴェーロも、まさか来るとは思っていなかった王子の言動に表情を固めた。
――アレハンドロ王子は、悪い人ではない。が……何を考えているのか分からない時がある。今がまさにそうだ。
強者に対して厳しく、特に同じα性には互いの序列を崩さないため手荒い態度を取る事もある。……オスカーは礼儀もあるから、問題ないと思うが……。
顔色は変えないまま、目だけ少し心配そうにオスカーを見やり、王子へ振り返る。
「俺の部下に……手は出さないで下さいよ」
「そんな事しないさ。でも……飽きてきたら分からないな。なるべく早く話をまとめて戻ってきてくれ」
冗談混じりに笑っている王子をジトっと睨むと、セヴェーロは早足で商談へと向かった。
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